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『ある夜のできごと 』
山崎・健二3519)&水上・操(3461)&綾峰・透華(3464)



 ついてないとき、というものがある。
 星の運行か、運命の悪戯か。
 苦労して乗船チケットを手にいれた豪華客船が沈んで、巻き込まれてしまったり。
 受験しようと思っていた大学が閉鎖されてしまったり。
 えっちな本を買おうとしたら、同級生に目撃されたり。
 犬の糞を踏んだり。
 どんどんどうでもいいものになっていくような気がするが、
「そんなんどうでもいいのよっ!!」
 こけつまろびつ、綾峯透華が叫ぶ。
 まあ、本人が良いと言っているのだから良いのだろう。
 ちなみに、この夜、透華を襲った不運とは、殺人の現場を見てしまった事である。
 この上ない不運だ。
 太平洋のど真ん中で船同士が正面衝突するくらいの確率。
「ゼロに近いぢゃーんっ!」
 まったくその通り。
 友人と遅くまでカラオケなどに興じていた透華は、ちょっと近道をしようと公園に入った。
 よりによって夜の公園などに、とは、後になってこそ言えることである。
 その時は、充分な理由があったのだ。
 あまりに遅くなると父親が心配する、という。
 透華は父と二人暮らしである。
 母はすでに亡い。
 だからこそ、自然と心配かけまいとしてしまうのだ。
 だったら夜遅くまで遊ぶな、という説もあるが、そこはそれ、一六歳の女子高生だ。遊びたい年頃なのである。
「むしろDNAの呼び声なのよっ」
 混乱しているのか、意味不明なことまで口走っている。
 ともあれ、暗い公園を歩いていた透華は、殺人事件の現場を目撃してしまった。
 木立の中。
 崩れ落ちる人間。
 そして、交錯する視線。
「ひぃっ」
 空気が漏れるような悲鳴をあげて走り去る透華。
 それらの記憶は、ちゃんと順序立てて並んでいるわけではない。
 場面場面の印象が強すぎて、かえって整合できないのだ。
 走る走る。
 あれは、どう考えてもプロの犯行だ。
 ということは、目撃者を生かしておくわけがない。信用に関わるから。もちろんこの場合の信用とは社会的信用の事ではない。
 選挙権すら取り上げられるような殺し屋に、社会的な信用があるはずがない。
 あるのは、完璧に仕事をこなす、という裏社会での信用である。
 このようなダーティービジネスに従事する人間のよりどころは、その完璧さだ。
 あるいはプロとしてのプライド。
 俺たちは昼間に人間みたいに甘くない。完璧な結果を出す。努力した、では済まされない社会なんだ。
 というわけだ。
 こういう人間から見ると、真っ当に生きている人々はぬるま湯に浸かった甘ちゃん、ということになる。
 ぜひ一度、サラリーマン生活を経験してみてほしいものだ。
 まあ、自分が従事していない職業を低く見るのは、人間心理としては珍しいことではない。
 ようするに、殺し屋だろうと教師だろうとサラリーマンだろうとホステスだろうと、自分が一番苦労をしている、と思っているのだ。
「勝手なものよねっ!」
 懸命に逃げながら、怒鳴り散らす女子高生。
 なかなかに元気なことだが、多少の計算がある。
 こうして大声を出していれば、誰かが助けにきてくれるかもしれないし、通報してくれるかもしれない。
 だから、きゃーとかわーとか殺されるーとか喚いて走っているのだ。
 静かにしていれば、殺し屋の思うつぼだ。
 それは正しい判断だが、ただ、物事にはべつの側面がある。
 声を出していることで、自分の位置を殺し屋に知らせることになってしまう。
 つまり、助けがくるか殺し屋がくるかの競走だ。
 他人事ならみものだろう。
「はぁはぁ‥‥」
 息を切らして後ろを振り返る透華。
 ‥‥誰もいない。
 逃げ切ったのだろうか。
 足を止め、きょろきょろと見回す。
 騒ぎまくったので、撤退したのかもしれない。
「ふぅ‥‥」
 ほっと、一息つく。
 瞬間。
「きゃっ!?」
 強い力で立木に押しつけられる。
「な‥‥っ」
 手で口を塞がれてしまい、悲鳴をあげることすらできない。
 恐怖に目を見開く透華。
「‥‥‥‥」
 無言のまま、男が少女の眸を覗きこむ。
 何かを探るかのように。
 なぜか、目をそらせなかった。


「あれ?」
 声が聞こえたような気がして、水上操が振り返った。
「どしたん?」
 脳裏に響く後鬼の声。
 もちろん、聞こえたのはこれではない。
「誰かの声‥‥悲鳴が聞こえたような気がする‥‥」
「俺には聞こえなんだで?」
 今度は前鬼。
「アンタたちは耳も聴覚もないでしょうが」
 呆れたような溜息をつく操。
 どこの世の中に聴覚をもったブレスレットがあるというのだ。たとえ刀状態になっていても、耳のついた剣などという気色の悪いものを使うのはごめんだ。
「気色悪いは酷いで。せめい気持ち悪いにしてぇな」
「どこがどう違うのよ。後鬼」
「言われたときのダメージが、ちょろっとだけ」
「はいはい」
 馬鹿な会話をしつつ、操の足は声が聞こえた方へと向かっている。
 女性や子供に対する犯罪が増加の一途を辿っているいやな時代である。お節介かもしれないが、一応はちゃんと事情を確認しておきたい。
 強姦プレイとかいう馬鹿なことをして遊んでいるカップルだった場合には、なにも言わずに立ち去れば良かろう。
 そうでなかったとき、つまり実際の犯罪だったときには、それなりの対応を取る。
「無理しなや。操も疲れてるんやで」
「‥‥判ってる」
 退魔師という顔を持つ少女は、今夜もまた魔を狩った。
 力の格としてはそれほどでもない低級霊だったが、かといって楽勝だったわけではない。当たり前の話だが、命をかけた戦いに楽などというものは絶対にないのだ。
 肉体面もそうだが、精神的な緊張感というものは筆舌に尽くしがたいものがある。
 だから、優れた戦死になればなるほど、戦いたがらなくなってくる。
 あたりかまわずケンカを売るのは、チンピラか愚連隊だけだ。
 気配を殺して進む操。
 気を使っているのである。これでも。
「覗きをするオッサンみたいやな‥‥俺ら」
 余計なことをいう前鬼だった。
「‥‥居た」
 立木のたもとで抱き合うカップル、に、見えたのは一瞬。
「操っ!」
 前鬼の声。
 先ほどまでのふざけた様子は、全くない。
 漂う、濃密な死の気配。
 一言も発せずに突進した操が、男に体当たりをした。
「くっ‥‥」
 大きく突き飛ばされる殺し屋。
 どれほど卓抜した戦士であっても予想していない方向からの攻撃には弱い。
 もしいまの体当たりが透華がおこなったものであれば、彼はやすやすと回避していたことだろう。
 一転して跳ね起きる操。
 透華を背後に庇い、すでに護る体勢を整えている。
「生きてますか?」
「は、はいっ!?」
「よかった。ここは私が引き受けます。逃げてください」
 淡々と操が告げる。
 言葉遣いは丁寧だが、有無を言わせぬ硬質さだった。
「‥‥‥‥」
 男の目がすっと細まる。
 正面に立ちはだかる黒髪の少女を、どうやら難敵と認識したようであった。
 口元を彩る、微笑。
 閃く白刃。
 常夜灯の明かりを反射して、四本の刀が輝く。
 操の前鬼後鬼。
 殺し屋の両手に握られた二本のナイフ。
 剣光が交錯する。


 ナイフと小太刀がぶつかり、無明の火花を散らす。
 左手同士の牽制攻撃。
 本当に力を込めた右手の打撃は、そのつぎにくるはずだった。
 しかし、
「く‥‥」
「‥‥‥‥」
 飛び離れ、間合いを取る二人の剣士。
 見えなかったのだ。
 互いの太刀筋が。
 後鬼とナイフがぶつかったのは、偶然の結果であるにすぎない。
 だから、操も殺し屋も次の手を繰り出すことができなかった。
 相打ちになるから。
 そういう次元の戦いである。
 じりじりと、有利な間合いを計るふたり。
 深夜の公園。
 月が雲間に隠れ‥‥。
 動いた。
 火花が散り、互いの顔が青白く映る。
 一合を交えると、剣士たちは位置を入れ替え、次々と剣戟を繰り出す。
 突き、斬りつけ、はずし、押し込み、払い、薙ぎ。
 一瞬の遅滞もなく、一言も発せず。
 あたかも舞踏のように。
 単なる殺し合いが、これほどまでに美しいことがあるだろうか。
 じっと息を殺して見守る透華。
 逃げろと言われたのだが、二人の剣士の戦いに目を奪われていた。
「すごい‥‥」
 思わず呟く。
 テレビ時代劇の殺陣をはるかに凌ぐ迫力。
 いつしか、操と殺し屋は鍔迫り合いに映っていた。
 がっちりと咬み合った前鬼とナイフ。
 パワーでは殺し屋の方が有利だろうが、武器の性能で退魔師がおおきく上回っている。
 息がかかるほどの接近戦。
 ここで引いた方が負ける。
 それは共通の認識だろう。
 戦闘力のすべてをあげて、相手の武器を押し戻そうとする。
 絡み合う視線。
 互いの黒い瞳に、二人は何を見るのか。
「‥‥‥‥」
 不意に、殺し屋の顔に浮かぶ戸惑い。
 それは、砂時計から落ちる砂粒が数えられるほどの時間でしかなかったが、操が攻勢に転じるには充分すぎる時間だった。
 小さく、鋭く払われる足。
「く‥‥」
 殺し屋が大きく後退する。
 それだれけなら、操に踏み込まれ一刀のもとに切り伏せられていただろう。
 しかし‥‥。
 横に払われる後鬼。
 キン、という乾いた音。
 地面に転がるナイフ。
 追撃を防ぐため、殺し屋がナイフを投げつけたのだ。とんでもない勝負勘である。
 二メートルほどの距離をおいて対峙する男女。
「不思議な女だ‥‥お前は」
 はじめて、男が口を開いた。
「俺は山崎健二」
 名乗る。
 このような場面で名乗るということは、相手を生かして帰すつもりがない、というのが一般的解釈だ。
 むししてもかまわないのだが、
「‥‥水上操」
 素直に操も言葉を返した。
 あるいは、死力を尽くして戦ったもの同士の共感めいたものだろうか。
「その名‥‥刻んでおくぞ」
 ふたたび殺し屋が大きく後ろへと飛ぶ。
 逃げを打ったのだ。
「‥‥‥‥」
 見送る少女。
 風が夜風になびく。
「追わなくていいんか?」
「追ったところで逆撃を受けるだけやで」
 脳裏に、インテリジェンスソードたちの声が響いていた。


  エピローグ

「‥‥逃げろと言ったはずですけど」
 刀をブレスレットへと変え、操が透華に話しかけた。
「ごめんなさい‥‥」
「怪我はないですか?」
 苦笑して、透華に手を差し出す。
 その時になって、銀髪の少女は自分が地面にへたり込んでいる事に気がついた。
 慌てて起きあがろうとするが、下半身に力が入らない。
「腰‥‥ぬけちゃったみたい‥‥」
 なんとも情けない表情で言う。
 無理もない。
 生まれて初めて目にする実戦である。しかも彼女は殺されかかったのだ。
 なにも言わず、操が起こしてやる。
「あ、ありがとう‥‥」
「家まで送ります」
 微笑。
 先ほどまでの冷厳さが嘘のようだ。
「ありがとう‥‥」
 もう一度、礼を述べる透華。
 肩を借りて歩き出す。
 沖天にかかる月。
 二人の少女の影を、薄く地面に映していた。











                       おわり


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東京怪談
2004年07月21日

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