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『人でなしの恋 中 』
鬼丸・鵺2414)&魏・幇禍(3342)




温い雨の中、廃墟の街を幇禍は一人歩く。
忘れもしない。
ここは、鵺と初めて出会った場所だ。
人通りの全く無いこのゴーストタウンは、昔、幇禍が標的として追ってきた相手が、各種、非合法なシノギの場所として活用していた。
その事を、あらゆる手段を使って突き止めた幇禍は、何日もこの場所に張り込み、そして漸く相手を追い詰めたのだ。

(ま、結局はお嬢さんに横取りされちゃったんですけどね)

真っ白な面を被り、相手の死体を足下に転がして、雨の中じっと立っていた鵺の姿を思い出す。
クルクルっと傘を廻し、当時を懐かしむ気持ちになった。
何故だろう。
恐ろしい目に合い、殺されそうになりながら、それでもどうしても、鵺を憎めなかった。
むしろ、彼女の声、仕草、言動が全て好ましく、その突飛のなさが楽しかった。
鵺は、別世界の女だった。
幇禍が接してきた、どの種類の人間とも違う魅力があった。
無邪気で、可愛らしく、なのに底が見えない。
周到かと思えば時々驚く程考え無しで、無鉄砲で、好奇心が強く、怖い物知らず。
毎回、自分をどんな世界に連れていってくれるのか、心が弾んで仕方がない。
だから、今回だって、屹度何か面白い物を見付けたのだ。
幇禍は、能天気に、明るくそう想像する。
鵺は、それを自分に教えてくれようとしているのだ。
遊園地では様子がおかしかったけど、もしかしたら今日の事を考えていたのかも知れない。
どうやって、俺の事を驚かそうか考えていたのかも知れない。

お嬢さんがメリーゴーランドに乗っている時、そのまま何処かへ消えていきそうな不安を感じた。
遠くへ行ってしまいそうな予感を覚えた。
でも、大丈夫。
やっぱり、お嬢さんは、お嬢さんだ。

幇禍は足取り軽く、鵺との待ち合わせ場所に向かう。
信じているとか、信頼しているとか、そんな虫唾の走るような傲慢さは、幇禍にはない。
ただ、疑わなかった。
鵺を、疑った事なんて、出会ってから先、一度もなかった。


赤い傘が転がっているのが、見えた。
そして、苦しげに地に伏す武彦の姿も。
小柄な体。
真っ白な肌。
殆ど行ってない、中学の制服のスカートが翻る。
雨の中で、まるで濡れるのを楽しむかのように両手を広げ、天を仰いでいる鵺がいる。
笑っていた。
何かの訪れを待つように。
天から、それが降ってくるかのように。
鵺は笑っていた。
パシャンと、小さな水音を幇禍がたてた。
クルンと音がしそうな勢いで鵺が此方を向く。
血の色をした眼が、幇禍を見付けて三日月方に変化した。
「幇禍君、遅い! もう、鵺、待ちくたびれちゃったぁ」
そう言って膨れる鵺に、状況の不思議さを問い質す前に、微笑んで「すいません。 でも俺、指定の時間ぴったりですよ?」と、素直に詫び、鵺に近付く。
「あーあー、こんなに濡れちゃって…風邪ひいたらどうするんです?」
そう叱るように言いながら、自分が差している傘を差し掛ける幇禍。
スーツの内ポケットからハンカチを取り出し、そっと頬を吹く。
鵺は、ニッコリと笑って「でも、こんなに暑いと濡れてる方が気持ち良いよ?」と良い、エイと一声あげて、足下にあった水たまりに足を突っ込んだ。
パシャンと、小さな水飛沫が上がる。
そのまま、鵺は幇禍の側から抜け出し、パシャンパシャンと音をたてて、くるりくるりと踊るように、ステップを踏む。
そして、倒れ伏す武彦を挟んで、改めて鵺と幇禍は向かい合った。
その距離が、途方もなく遠く思えて、幇禍は少し震える。
不安が、メリーゴーランドに乗っている鵺を眺めていた時と同じ不安が、幇禍の胸に蘇りかけていた。
そんな黒いもやのような気持ちを振り払おうと、幇禍は努めて朗らかな笑い声をあげる。
「アハハハ! なんで、こいつ、こんなトコで寝てるんです? 何があったんです?」
幇禍は、そう言いながら武彦を指差す。
鵺も、笑って答えた。
「んー? あのね、見届けてもらおうと思って」
「見届け? 何を?」
「リセットをだよ」
「リセット……?」
不安が、どんどん大きくなる。
喉の辺りに圧迫されたかのような苦しさを感じ始めていた。
幇禍は、鵺が何を言っているのか全く分からなかった。
何が言いたいのかも、それ程興味はなかった。
唯、濡れてしまうと考えていた。
お嬢さんが濡れてしまう。
そうしたら、風邪をひいしまう。
前の時の風邪は、結構長引いたから、辛そうだったから、だから、傘を差してあげないとと、熱に浮かされたように、そればかり考えていた。



怖かった。



勘のいい幇禍は少しだけ悟った。
今から悲しい事がある。
それが、とてもとても怖かった。


自分が悲しい目に合うのはそんなに怖くはないけれど、鵺も悲しむような気がして、鵺も悲しい思いをするような気がして、それが怖かった。
悲しい事から鵺を守れそうにない予感が、とても怖かった。


鵺が開けた距離を詰めようと、幇禍は足を踏み出す。
鵺がピシャリとした声で言った。
「近寄らないで」
幇禍は首を振って、足を止めない。
鵺は、再度、冷たい声で強く言う。
「命令よ。 近寄らないで」
命令という言葉に無条件に反応する体。
幇禍は、グッと唇を噛みしめ立ち止まると、弱り果てた声で言った。
「お嬢さん。 せめて、傘差して下さい。 何か、拗ねてるんですか? どうしたんです」
そう呟き、立ち尽くす。
非日常は好きだけど、鵺が見せてくれてきた、変わった出来事は楽しかったけど、でも、今は、日常が欲しかった。
鵺が明るく笑う日常が恋しかった。
鵺は、そっと面を取り出した。
「あのね、幇禍君、鵺、貴方をクビにすることにしたの。 パパにも言ってあるわ。 驚いて訳を聞かれたけど……でも、鵺の家庭教師だもん。 鵺が決めて良い筈よね?」
鵺の言葉が信じられなくて固まる幇禍。
ヒュッと、大きく息を吐き出し、そのまま、動けない。
言葉の意味が分からない。 まるで別の国の言葉を聞かされたみたいだ。
「もう、お別れなの。 会いたくないの」
鵺は、言葉を続ける。
「聞いてる? 幇禍君。 さよならしよ」
「な…んで…」
幇禍は、小さく呟いた。
鵺の、笑みが遠い。
死ぬ事なんて怖くなかった。
今まで、どんな修羅場だって平然とくぐり抜けてきた。
なんにも怖くなかった。
なのに………。
「だって、鵺、幇禍君に飽きたんだもん」
残酷な言葉。
足下から崩れ落ちそうになる。
まるで、観覧車に乗っていた時みたいに世界が揺れていた。
違う。
違う、既に鵺に出会った時からずっと、世界は揺れ続けていたのだ。
とうとう、耐えきれなくなって堕ちるのか。
幇禍にとって、それは世界の終わりを告げるような言葉。
怖い。
怖いよ、お嬢さん。
倒れ伏したままの武彦が、ゆっくり呻くような声で幇禍に言った。
「に……げろ、幇禍。 殺されるぞ」
幇禍は、固まった表情のまま武彦を見下ろす。
「お…前、殺され……」
その瞬間、鵺が思いっきり、武彦の肩を蹴り飛ばしていた。
「っぐ! ぅあああ!」
重い音をたてて、吹っ飛ばされるように転がり、痛みに大声で喚く武彦。
鵺は、「おやびんは、黙っててよ。 それは、鵺が言わなきゃ駄目な言葉なの」と静かに言う。
そして、再び幇禍に視線を向けた。
「あーあ。 つまんないのー。 先越されちゃった!」
口を尖らせて、心から残念そうに云う鵺。
そしてスッと、面を翳してみせた。
「あのね、幇禍君。 鵺、おやびんが言った通り幇禍君の事、殺すよ?」
殺す?
お嬢さんが、俺を?
まさか…。
幇禍は、何度も、何度も首を振り、それから縋り付くような目で鵺を見た。
「どう…して?」
「飽きたっていったじゃない。 鵺、退屈が一番嫌い」
「…嘘だ」
「嘘じゃないよ? 鵺は、嫌いなものが、この世に存在する事を許さない。 嫌いよ、幇禍君。 だから、『殺す』わ。 消えて。 跡形もなく」
幇禍は、手を伸ばす。
届かない。
鵺に届かない。
どうしても。
足は動かせない。
命令だから。


会いたい。


馬鹿な事を考える。


今、会いたい。
鵺に会いたい。
こんなに、側にいるのに、こんなに遠い。


会いたい。
鵺に。


「お嬢さん…」
「なぁに、幇禍君?」
「……寂しいです」
幇禍は心から云う。
「……」
「寂しいです。 とても。 初めて、こんな気持ちを抱く。 寂しいです」
「鵺はずっと、寂しかったんだよ?」
「どうして?」
「…幇禍君がね…、鵺の事なんて本当は好きじゃないから」
鵺が、また、意味の分からない事を言った。
幇禍は間髪入れずに否定する。
「好きです」
「好きじゃないよ」
「好きです」
「嘘吐き。 だって、それは、作られたものだから」
「?」
「幇禍君はね、『決まり事』だから、鵺の側にいてくれるだけなのよ」
「…分からないです」
「分からないだろうね。 いいよ。 分かんないままで。 だって、幇禍君死ぬんだもの」
幇禍は、どんどん寂しくなって、項垂れる。
何がいけなかったのだろう?
何かしたのだろうか?
どうして…。
どうして…。
鵺は、優しい声で言った。
「抵抗してもいいよ。 鵺の事殺してもいいし」
幇禍は、途方に暮れる。


この人はどうして、こんなに、何も分かってくれないし、何も分からせてくれないのだろう。
俺が、お嬢さんを傷付ける事なんて、何一つ出来っこないのを、まだ、分かってくれない。
貴女以外の人ならば、世界中の人間だって殺す事が出来るけど、貴女だけは無理だ。


幇禍は、そして目を閉じる。
両手を広げ天を仰ぐ。
呟いた。
「神  天にいまし   この世はすべて事もなし」
高名な詩人、ロバート・ブラウニングの有名な詩の一節。
「否」
幇禍は言う。
「否」
そして、鵺を見つめる。
「お嬢さん、神は天にはいない。 俺の神は……貴女です」
鵺が、初めて怯んだ。
「貴女なんです」
跪き、両手を組み合わせ、幇禍は笑った。
「だから、俺の事、殺して良いです。 八つ裂きでも良いです。 その代わり、傘を差して下さい。 貴女が、風邪を引く方が、俺は死んでしまう事より辛い」
鵺が、俯く。
「優しくしないで」
呟く。
「闘いなさい」
「嫌です」
「命令だから」
「聞けません」
「…幇禍君!」
「貴女は…俺が、貴方の事を好きじゃないと言う。 心から、望んで側にいる訳ではないという。 だから寂しいと言う。 何が何だか、分かんないけど、でも、絶対的に俺が悪い。 側にいながら寂しい想いをさせていた、俺の罪だ。 証明します。 俺、お嬢さんの言う事だったらなんでもきくんです。 大事なんです。 俺、今、本当に、こんな自分に驚いている。 貴女だけが、大事で、貴女だけが俺の真実だから……」
幇禍は、笑った。
「証明します。 どうぞ、殺して下さい」
鵺は、今まで見た事も無いような表情を見せた。
絶望と、怒りと、悲しみと、不信と、孤独、それら全てが入り混じった表情。
そして、諦念。
何百年も生き続けた人間のような、諦念。


鵺が目を閉じ、息を詰め、面をつける。
「抵抗して。 鵺を憎んで。 憎んで。 鵺の事を、敵だと思って」
ゆっくりと顔をあげた、老婆の面。
「安達ヶ原の鬼婆は、腹を痛めた我が子を喰らって、鬼と変じた。 我も、そなたを喰らって修羅になろう。 可愛い、可愛い……私の坊や」
不揃いな鋭い牙が並んだ大きな口が、幇禍の腕に食らいつく。

ブチブチブチッ!

不快な音と共に、幾つもの穴が幇禍の腕に空いた。
神経が、焼き切れるように痛む。
幇禍は仰け反り、空いている手を中に伸ばして掻きむしるように、痛みに耐える。


ブツリ!


それは、冗談みたいにあっさりと、千切り取られ、幇禍の意識は一瞬闇に落ちた。
だが、激痛は、刹那の安らぎさえ幇禍に許さず、速効意識は浮上し「あああああああ!」と叫び声をあげ、地面に倒れ伏しながら、幇禍は身悶える。
片腕の感触がない。
あった筈の器官がない違和感と、激痛に、頭の中が完全に混乱し、幇禍は訳の分からないまま、それでもグッと歯を食いしばる。
目を上げれば、鵺のお面の口がが幇禍の腕をくわえて立っている。
ブンと音を立てて、その腕を放り出すと、完全に動けない幇禍に、今度は別の面をつけて飛びかかってくる。
その面の妖怪の特性であろう長い爪が、鮮やかに幇禍の胸を切り裂いた。
痛みに転げ回れば、今度は口から炎を吐く犬の面に炙られ、怪力を有する妖怪の面に玩具のように振り回される。
頭を、何度も、打ちつけられ、蛇のような体の妖怪に締め上げられ、意識は現実と暗闇の間を何度も行ったり来たりさせられた。
鵺は、わざとそれぞれの妖怪に手を抜かせているようだった。
完全に殺す事なく、致命傷を与える事なく、しかし、確実に幇禍の体は壊れていく。
「来いよ!」
様々な、妖怪の面が、それぞれに喚く。
「来いよ! 憎いだろ! 立ち向かって来いよ! 痛いだろ! 俺を、憎め! 憎め! 憎めぇぇ!」
「何たる、意気地のない御仁じゃ。 嬲り殺しになるのだえ? そなたほどの力あらば、一矢なりとも妾に刃向かえる筈じゃのに」
「痛い? 痛いよね? お兄ちゃん、痛いんでしょ? きなよ! ねぇ! 僕の事を、殺そうとしてみなよ! 知ってるんだよ? お兄ちゃん、素敵な物持ってるよね?」
「アハハハハハ! 火を吹く玩具! 知ってるぞ! 持っているんだろ? さぁ、撃て! 撃てよ! さぁ、私を撃て!」
「殺せぇ! 何もせぬまま、死に逝く事許さぬ!」
「楽しませて!」
「憎んで!」
「憎め!」


「鵺の事を、憎め!」


口が耳の辺りまで裂けた狐の面が、ガクガクと幇禍を揺さぶりながら吠え続ける。
「さぁ! さぁ! さぁ! どうだ? まだか!」
砕けきった両足。
肋骨も無事な姿をしている物の方が少ないだろう。
助からない。
グズグズに引っ掻かれ、潰された顔の中、辛うじて無事な姿をしている片目で、じっと見つめる。
「片腕は、残してやっているだろう! それで、この体に傷を付けてみろ! 銃を握れ! 撃て! そうやって、憎め鵺を! 鵺の事を、憎んで、憎んで、憎んで、死ね!」
狐の化け物が、もう既に、穴が空いている幇禍の腹に、再び拳をめり込ませた。
幇禍は、発狂しかねない程の痛みのせいで気付いてはいないが、通常の人間ならば、とっくに死んでいる程の重傷である。
ドクドクと流れ落ちる赤い血は、雨でさえも流しきれない血溜まりとなり、鵺の体に散った返り血達が、白い肌を点々と汚していた。
ヒュー、ヒューと、虚しい音をたてる喉。
潰されていない片腕が、ゆっくりと持ち上がる。
そして、幇禍は懐へと手を偲ばせた。
ニタリと満足げに笑う、狐。
だが、幇禍は、殆どボロキレとなったスーツから、銃ではなく、ハンカチを取り出す。
そして、そっと、狐の喉元にハンカチを這わせた。
「……何のつもりだ?」
殆ど声になってない音で幇禍が呟く。
「…よ…ごれて、ましたから……」
そう言って血のついたハンカチを、「ほら?」と見せる。
「せ……い、ふくは、もう、駄目……ですね…。 お屋敷に帰ったら……、お風呂、入って……ちゃんと、流しましょう……。 俺、とっておきの、入浴剤………出します」
無垢な声。
心から、鵺を想う声。
苛立ち、カッと視線を吊り上げ、狐は幇禍の頭を殴り飛ばす。
力なく、どさりと倒れる幇禍。
再び、その幇禍の頭鷲掴みにしながら持ち上げ、狐が嘲笑う。
「馬鹿か! 貴様、生粋の、馬鹿だな! 鵺は、お前を殺したがっている! お前がどれ程、鵺を想おうと、お前を嫌悪している! お前などいらない! もう、いらないんだ!」
その瞬間、狐の面が、付け替えてもいないのにグルリと変化し、そして最初の鬼婆の面へと変化した。
「いらない子だよ! お前は!」
しゃがれた声で鬼婆は笑った。
「あはははっはははっははっははは!」
気が狂ったかのように嗤う嗤う嗤う。
「鵺はね! お前さんを、捨てるんだ!」
幇禍は、ハンカチを握ったままの手をそっと伸ばした。
「す…てられても、いいです。 だから……」
鬼婆の面の下から覗く、鵺の小さく尖った顎。
その形の良い顎に、ハンカチを当てる。


「泣かないで下さい。 お嬢さん」



鬼婆の笑い声がピタリと止まった。
ボロボロと、仮面の下から零れ出る透明な雫が、幇禍のハンカチを濡らしていた。
「これは、雨よ。 幇禍君」
面の下から、鵺の声が聞こえる。
幇禍は、喉の奥で笑う。
「何年…一緒に…い……ると思って…るんです? 分か……ります。 何も…分からない……俺、でも、貴女が泣いている……時は……すぐ、分かる」
優しい手付きで、鬼婆の面を外す幇禍。
面の下には、赤い目から涙を零す鵺の顔があった。
「やっぱり…」
そう呟いて、頬を拭う幇禍。
鵺は、唇をつぐんで、幇禍の顔を見ている。
しばらく、二人、黙して見つめ合っていた。
鵺が、小さく口を開く。
「寂しいね」
幇禍は、鵺の頬を拭い続ける。
「寂しいよ。 優しくされれば、される程、寂しい。 虚しい。 鵺ね、幇禍君の事、気に入ってるよ。 凄く気に入ってるよ。 もう、これ以上、鵺は幇禍君の事、好きになりたくないの。 もう、これ以上、寂しくなりたくないの」
幇禍は、何も言わない。
ただ、じっと鵺の赤い目を覗き込んでいる。
「さよならしよう。 鵺が普通に暮らしてきた女の子だったらきっと幇禍くんは良い『家族』だった。 でも鵺は、幇禍くんをもっともっと暗い処に引きずり込もうとしてる。 自分のいる処に連れていこうとしてる。 別にそれでも満足だって思ってたけど幇禍くんの見ているのは鵺じゃなくてお母さんだから。 鵺自身じゃなく、『理』(ことわり)に従って、母として慕ってくれてるだけだから……。 そんな幇禍君、何処へも連れていけないよ。 幇禍君がホントの気持ちで『鵺』の事、大事だと思ってくれてるならいいよ? だったら、何処までだって、連れていける。 でも、違うじゃん? 盟約だから、鵺が母親だから、幇禍君は、鵺のこと大事なんだよね? そう考えたらちょっと腹立ってきちゃってさ。 もう一度幇禍君を殺してリセットしようと思ったの。 鵺なりのけじめ。 幇禍君、あのね、最後の、最期、本当の事言わせて」
鵺は、そっと幇禍の頭を掻き抱く。
「鵺ね、幇禍君の事、大事だよ? 大事だから、殺すの」
幇禍は、何も言わずに、ずっと抱かれている。
「あのね、大事になっちゃったから、寂しいんだね。 大事になっちゃったから、暗い所へ連れていけないんだね。 大事になっちゃったから、幇禍君、鵺の側にいちゃ駄目なの」
鵺の言っている事が、やっぱり幇禍は分からなかった。
鵺は、幇禍の母親だという。
幇禍が、鵺のことを母親のように慕っていると言う。
それも、何かの約束で。
そんな筈はない。
鵺は、自分よりも遙かに年下だ。
今までだって、ずっと、幇禍が面倒を見る立場だった。
大体、この前草間と話していた時は、自分は鵺に対して父親の感情を抱いているんだと、確信したというのに…。
鵺は、何か勘違いしているのだろう。
それに、「もう一度殺す」?
では、前に、幇禍は鵺に殺されたというのか?
馬鹿な。
幇禍は今、生きている。
あの時、鵺は、幇禍の事を見逃してくれたのだ。
殺されてなどいない。
いない。
いない……筈だ。


幇禍は、グルグルと痛みと、困惑で混乱する頭を感じながら、でも、まぁ、どうでも良いか……と、思う。
どうでも良い。
鵺が、自分を殺したいという。
殺せば良い。
それで、鵺の寂しさが消えるのならば、どうか殺して欲しいと思う。
どうせ、あの時、失っていた命なのだから、此処で断たれるのも、運命なのだろう。
鵺に抱かれながら呟く。
「しょーが……ないなぁ…」
鵺が、涙に濡れた目で、幇禍の顔を覗き込んだ。
何となく、思う。
「お嬢……さんに、殺され…んのなら、しょうが、ないや」
笑う。 優しく、出来るだけ優しく、笑う。
「泣かない…で、下さい。 お嬢…さんには、いつも、笑っていて、欲しいから。 泣かないで…、下さい……」
鵺が、頷いて、微笑みを浮かべた。
「幇禍君……バイバイ」
幇禍は、その微笑みほど、美しいものを見た事がなかった。
この世の中に、その微笑みを越える美しいものがあるなんて、どうしても思えなかった。
幇禍の唇から、微かに、本当に微かに言葉が零れ落ちる。
「……愛してます」


鵺は、聞いただろうか?
鵺の耳に、幇禍の言葉は届いたのだろうか?


ただ、その瞬間、微笑んだままの鵺が、そうなる事が自然であったかのように、それは初めから定められていた一つの出来事であるかのように、幇禍の唇に自分の唇を重ねた。
幇禍のスーツから、鵺がそっと銃を取り出す。
そして、口付けを交わしたまま、鵺は銃を幇禍の胸に押し当て引き金を引いた。


銃で撃って殺して欲しいと、初めて出会った時に鵺に頼んだ事を、幇禍は思い出した。



胸に真っ赤な花が咲く。






幇禍の視界が真っ暗になる。



その刹那、漸く悟る。















嗚呼、この想いは、恋であったのかと。












「人でなしの恋」 後へと続く。







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2004年07月20日

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