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『人でなしの恋  後 』
鬼丸・鵺2414)&魏・幇禍(3342)




ズルズルと這うようにして、武彦が幇禍の死体の側へ寄る。
痺れの息の威力が切れて来たのだろう。
呻き声をあげながらも、着実に、幇禍への距離を詰める。
そしてボロボロの死体姿を晒す幇禍を見つめ、その体に触れるとギュッと目を閉じた。
「何故、殺した……?」
軋むような声。
鵺は、呆然と立ち尽くしている。
「何故だ…? 何故……」
そっと自分の唇に触れる。
幇禍の最期の吐息を、唇を重ねて胸一杯に吸い込んだ。
これから、幇禍は前と同じく復活する。
しかし、その前の幇禍の魂。
鵺を、母と慕ってくれていた時の幇禍の魂は、確かに鵺が吸い込んだ。
そっと、お腹を撫でる。
(キミの事、本当に大事だったんだよ…)
ツゥと、また涙が流れ落ちた。
ふと見れば武彦も泣いている。
信じがたいものを見るように、鵺は目を見開いた。


どうして、他人のために泣けるのだろう?


幇禍は、違う。
確かに、幇禍は違った。
同じゴミの命達の群の中で、それでも幇禍は鵺にとって、大事な存在だった。
家族と言える人だった。
「おやびん……」
鵺は、呟く。
「優しいね。 おやびんは。 大丈夫ね? これなら、大丈夫。 幇禍君、もう、寂しくないよ。 友達、出来るね? 良かったね。 優しい人が、いてくれて」
武彦が、怒りの籠もった目で見上げてくる。
「鵺……! 幇禍は、お前の事を…お前の事だけを、いつも!」
そんな武彦に、シッと言いながら唇に指を当ててみせる。
「静かにして、おやびん。 始まるよ?」
武彦が、呑まれたような表情をした。
「……っ! 何がだ?!」
「復活。 リセット」
幇禍の穴だらけの体が、少し身じろいだ。
武彦が、息を呑む。
生きている筈のない、屍。
動く筈はない。
それが、世の理。
「う……」
だが、その全てを無視し、幇禍の唇が微かに動く。
武彦は、痺れの残る体で、それでも「ひっ」と声を漏らして、後ずさった。
「うぅ…う…」
あの時と同じだ。
幇禍が、呻き声をあげ始める。
そして、倒れた姿勢のまま、唇だけが別の生き物のように、滔々と滑らかな動きを見せ始めた。


『う……う、うまれ、うまれい、ずり、まする。 あらたに、うまれい、いずり、まする。 め……盟約…盟約により、新たに産まれ出ずりまする。 て、敵はいずこにおわしましょうか?』


知らない国の言葉。
だが、鵺は前と同じく、その全てを理解出来た。
それは、武彦も同じらしい。
目を剥いたまま、幇禍の言葉に聞き入っている。
グルリと、幇禍が此方を向く。
『敵! ああ! おわすか! そこにおわすのか! 貴様だ! 敵だ! 敵だ!』
嬉しげに、まるで歓喜の声をあげるように吠え、ふらつく指が鵺を差す。
『殺す! 殺す! 殺す! 待っていろ! 必ず、殺す!』
眼帯は、鵺の妖怪人格達の攻撃のより、完全に外れており、そこから覗く、名無しが空けた穴が、ポッカリと覗いていた。
胸が、酷く痛む。
鵺は、「嘘吐き」と呟いた。
猛烈な寂しさ
やっぱりだ。
やっぱり、何かの決まりだから、鵺を大事にしてくれただけだった。
こうやって一度死んでしまえば、全部お終い。
そして、新しい関係を勝手に構築してしまう。

リセット。

証明なんてしてくれなかった。
あの幇禍君が…、いつも、鵺に優しくしてくれて、どんな時でも鵺の味方で、何だって言うこときいてくれて、我が儘にも振り回されてくれて、でも、厳しい家庭教師で、色んな事一緒に過ごしてきた幇禍君が……今、鵺に向かって『殺す』と吠えている。
嬲り殺しの目にあっても、一度も鵺を傷付けようとはしなかった幇禍が、『敵だ!』と指差し叫んでくる。
虚しい。
鵺は、呆然と幇禍を見つめる。
「嘘吐き」
再度呟き、自分に言い聞かせる。
裏切られた訳ではない。
傷付きはしない。
分かっていた、こんな結末。
分かりきっていた。
幇禍は、鵺の幇禍はお腹の中にいる。
吸い込んだ魂は、今も、鵺の中で生き続けている。
鵺は、それを抱えていればいい。
幇禍の魂を抱えて、名無しに向かい合えばいい。
幇禍が、続けて言った。
『友は…い、いずこにおわしましょうか?』
今度は、残っている左目を、武彦へと向ける。
『と…友も、そこに…おわしまするか』
武彦が、悲鳴のような声で「な、何なんだよ! コレ、何なんだよ!」と、喚いた。
鵺は、囁くように言う。
「鵺だって知りたいよ。 でも、幇禍君はね、死なない人なの」
「死なない…?」
「そう、不死。 死んでも、何故か蘇る。 どういう仕組みかは分かんないけど、誰かとそういう約束をしたみたい」
幇禍の屍は、言葉を続けた。
『では、新たに生まれ出ずりましょう。 友の恩義に報いる為、敵を討つ為に』
ブツブツブツと、幇禍の体が沸騰するかのように泡立ち始める。
「滅多に見れるもんじゃないから、おやびんも、ちゃんと見ててあげて」
鵺が、淡々とした声で言う。
意味の分からない事の連続に、恐怖と混乱に揺れる目で、武彦が見上げてきた。
あの時と、全部同じ。
死骸がボコボコと奇怪な音を立て、破損した個所にズルズルと新たな内蔵が産まれ、トクンと鼓動を打ち、血管が、体中を巡り、皮膚が形成され、グズグズに潰れている箇所にも肉が産まれ、皮膚が覆い、そして、ほんの数秒足らずで、幇禍は緩やかな呼吸を始める。
武彦が、首を振り、喘ぐように言った。
「し…信じられない…。 馬鹿な……、そんな、馬鹿な話が……」
「あるよ? ここに。 興信所の仕事で、見た事だってある。 信じられない年数を生きてる、不死の人達を。 だから、殺されても、こうやって蘇る人間がいたって、不思議じゃない」
鵺は、ポケットから、金色の目玉を取り出す。


幇禍の目。
名無しが、引きずり出し、鵺が大事に大事に取っておいた、幇禍の片目。
凝固剤や、様々な薬品で固め、保存した、鵺の宝物。
そっと、幇禍の内ポケットに目玉を偲ばせる。

「返すね。 幇禍君」

そう囁き、それから、クルリと鵺は踵を返した。
武彦が、焦ったように問い掛けてくる。
「何処へ、行くんだ?」
「……決着を、付けに」
「……誰と?」
「おやびん、知ってるでしょ? 名無し。 この体の本来の持ち主」
「何故?」
「潮時だから。 幇禍君とも、お別れしたし、あの子とも、ね?」
一瞬の沈黙。
何かを悟ったのか、ハッと息を呑む声が響き、そして、武彦は鵺の名を呼んだ。
「鵺」
武彦は呼ぶ。
「鵺、鵺、鵺!」
何度も呼んでくる。
鵺は、背を向け、雨の中立つ。
「死ぬな」
武彦が、呻くように言った。
鵺は微動だにしない。
「そんな覚悟を決めるな。 死ぬな。 死ぬなよ…」
「鵺が戻らなかったら、パパに伝えて。 全部、鵺が話した事、幇禍君との事も全部」
武彦が、切実な声で言う。
「13歳だろう? もう、どうでもいいよ。 お前が誰かなんて、問題じゃないよ。 死ぬ決意なんて、するな。 鵺。 幇禍を、捨てるのもその為なんだな?」
確信を込めた声。
「幇禍に見られたくないんだな? 自分が死ぬかも知れないから、そんな場面、見せたくないんだな?」
鵺は、囁いた。
「おやびん。 鵺ね、幇禍君の母親なんだ。 初めて出会った時、名無しが幇禍君を殺してしまって、蘇りの際にそう言われたんだ。 母親のみっともない姿さ、息子には見せられないよね」
鵺は、小さく笑った。
「幇禍君は、約束事の関係だったのに、鵺の方が本気になっちゃった。 だっさぁーい。 でもさ、母親気分、楽しかった、ホント。 だからさ、名無しともさ、ちゃんと、しようと思う。 しなきゃ、いけない時期がきたんだ。 幇禍君もさ、親離れの時期だよ」
武彦は、何も言わない。
鵺は一瞬口を噤む。
雨が、温い雨が静かに降り注ぐ。
「幇禍君と仲良くしてあげて? お願い」
「お前は? お前はどうなんだ?」
「鵺? 鵺は、もう無理。 だって、幇禍君の敵になっちゃった」
鵺は俯く。
「しょーがないよ。 しょーがない」
武彦は、ゆっくりと身を起こし、奇跡的に雨水から逃れた煙草に火をつけ銜える。
「寂しいな」
そう言われて頷いた。
「寂しいね。 ねぇ、おやびん?」
「ん? なんだ?」
「人はさ、どれくらい長く生きれば、寂しさで泣かなくて済むようになるんだろうね?」
武彦は、目を閉じ、ゆっくりと煙草の煙を吸い込む。
「何年? 何百年? 何千年? 何億年? 寂しいって泣くのは、限りある命だからなのかな? 鵺、自分が寂しい子だって、幇禍君に出会ってから思い知らされた」
武彦は、半眼で問うた。
「会わなきゃ良かったか?」
鵺は、笑う。
「分かんない。 死に際に、また考えてみる。 幇禍君に伝えて。 キミの敵は、永遠にキミに会わないって。 安心してって」
そして、一歩踏み出した。
「さよなら。 おやびん。 ありがとね? 付き合ってくれて。 鵺、結構ね、おやびんの事、格好良いと思うよ」
ヒラヒラと手を振る。
武彦は、じっと、見送る。
じっと、じっと見送る。
そして、鵺の姿が見えなくなる頃、天を仰いで吠えた。
「13歳の娘が! 死なんて、覚悟すんじゃねぇよ! 勝てよ! 生きろ、鵺!! ゴミじゃねぇ! 人の命も、お前の命も、ゴミじゃねぇよ!」



駅のロッカーから、服を取り出し、トイレで着替える。
返り血は、歩いている途中で、あらかた流れ落ち、人通りの多い道路へ出る頃には目立たなくなっていた。
小さな鞄を抱え、予め買っておいた夜間特急の切符を握り締め、階段を登る。
名無しと、正面から向かい合う舞台が必要だった。
それは、東京にはない。
名無しの生まれた土地。
そして、鵺の故郷でもある、京都へと彼女は向かった。



列車の中、ウツラウツラと眠りの世界へ揺れながら、妖怪人格達と言葉を交わす。
皆が、鵺に不安と期待を抱いていた。
鵺が負ければ、主人格は全ての妖怪人格達の自分への反意に気付くだろう。
そうなったら、幾ら壊れきっている主人格とは言え、それなりの対処をしてくるに違いない。
もしかすると、鵺含む99匹の人格全てが消去されるかも知れない。
そこまでいかなくとも、金輪際表に出る事は叶わなくなるだろう。
不安げにさざめく妖怪達の言葉に耳を塞ぎ、鵺はひたすら眠りに落ちる。
不思議と怖くはなかった。
唯、名無しと、きちんと向かい合って話がしたかった。
その結果どうなろうとも、鵺は構わなかった。
考えてみれば、たかが、この体一つの問題なのだ。
関係ない。
どうなろうと。
唯、けじめをつけたかった。
これから先、どう生きていくか考える為にも。


   
ムッとした空気が体を包む。
京都の夏は、苛烈だ。
鵺の白い首筋を、汗がツルリと伝い落ちる。
曇り空の下、鵺はうっすらとした記憶を辿り、生家を訪ねていた。
記憶の中の風景と、地名をよすがに、人に聞き、バスを乗り継ぎ、何とか、辿り着いた時には、既に京都の町は夕闇に包まれている。
蝉の声が耳をつく。
生家は、多大な敷地はそのままに、荒れ放題になって放置されていた。
庭の池には藻がはり、木々が青々と生い茂っている。
家の中も畳から雑草が吹き出し、幾つかの家屋は、完全に崩れ落ちていた。
鵺は、土足のまま家の中に入る。
此処からは迷わない。
確信を持った足取りで、奥へ奥へと侵入し、蜘蛛の巣の張った、薄暗く不気味な家の中でも一際湿った気配の漂う部屋に辿り着く。
そこには、長年の放置に朽ちる事なく、存在し続けた、土牢があった。
鼻をつくような異臭が、まだ漂っている。
ここに7年間閉じ込められ続けた。
鵺は、身を屈めて中に入り、下の埃を払って腰を下ろす。
蝉の声が、静けさのせいで、一層騒がしく響く。
目を閉じ、息を吸う。
すえた味の空気。
狭い空間。




ここは、地獄だ。





こんな場所で、ずっと、ずっと、独りで……。


鵺は、鞄の中から、一瓶の薬を取り出した。
養父の薬剤棚にあった催眠剤。
勝手に持ち出してしまって、バレたらおこずかい一ヶ月無しの罰だろうな……と、考え、鵺は、自分の楽天的さに呆れる。
途中の自販機で買っておいたお茶のペットボトルも取り出し、「ヨシ。 準備出来た」独り呟くと、瓶の蓋を開けざらざらと掌に錠剤を出し、それから一気に口の中に頬張ると、お茶を流し込んで、ぼりぼりと噛み砕き、呑み込んだ。
唇を拭い、そのまま、壁に凭れ、目を閉じる。
程なく、鵺の体を心地よい酩酊感が包み、その後一気に意識は下降していった。
潜る、潜る、潜る。
鵺の意識の最深層。
名無しの住処へと、意識は潜る。


(お膳立てはしたよ? さぁ、出ておいで。 名無し。 デートしよ?)


気付くと、鵺は風吹き渡る草原に立っていた。
赤い風車が、草原の間に何本も立ち、風に吹かれてクルクルと回っている。
見渡す限り、見える物は無数の風車と草っ原だけだ。
空が、燃えるように赤い。
(ここが、名無しの閉じこもっている世界)
そう思いながら見回せば、草原の真ん中に一人の子供が立っている。
銀色の長い髪をして、真っ白な仮面を被り、黒字に赤い蝶の散った、着物を着ている。
名無しだ。
此方に顔を向けている。
「どぉぉぉぉぉしてぇぇぇ?!」
髪を掻きむしり、名無しが首を傾げた。
「貴女ぁ? どぉぉして、此処に来たのぉ?」
苛立ったように、地団駄を踏む。
「生意気よ? 分を弁えなさい」
鵺は、静かに名無しを見下ろす。
「鵺は、私が作ってやった人格でしょぉ? こんなトコまで来るのを許されてないわぁ? イケナイ子。 ムカツク。 ムカツクわぁ…」
そう喚き、うずくまり、再び立ち上がり、また苛立ったように髪を掻きむしる。

クルクルクルクル。

風車が回っている。

同じ場所を巡り続ける永久機関。
観覧車も、メリーゴーランドも、同じ場所に留まり続け、回り続けるだけだ。
ここで、名無しはずっと、いたのか。
壊れた自分を、此処でずっと培っていたのか。
風車に囲まれて、ずっと、回り続けていたのか。
名無しが、言った。
「殺す。 決めた、貴方、便利だけど、調子乗りすぎよ? ムカツク。 だから、殺す」
鵺は、素早く面を装着した。
玉藻の前。
狐の妖怪の中でも、最上級の妖力を持つ美しい狐女の大妖怪である。
別名、九尾の狐。
鵺の体の中に、玉藻の意識が満ちるのを感じた。
名無しが、目にも止まらない程の速さで飛びかかって来る。
鵺は、防御の為に手を翳し、青白い炎の壁をつくる。
赤の炎よりも、より高温の炎。
触れればその瞬間、その部分が炭と化す。
だが名無しは、構わずその壁をくぐり抜け、着物の裾を燃え上がらせながら、鵺に掴みかかってきた。
「アレェ…」
典雅な叫び声をあげ、倒れ伏し、鵺は名無しに馬乗りになられる。
鋭い爪が、鵺の喉元を狙って突き出された。
貫かれれば、ひとたまりもない。
しかし、鵺はフッと口を窄め、名無しに向かって息を吐き出す。
と、その息は炎の塊となり、直接名無しの顔を焼いた。
流石に堪らず、「ぐわぁっ!」と悲鳴をあげ、鵺の体から転がり落ちる名無し。
鵺は素早く、身を起こし、後方へ飛びのくと、「ケェン!」と一声高く鳴いた。
その瞬間、幾つもの青い炎が鵺の体の周りを飛び始め、ツイと鵺が名無しを指差した瞬間、名無しへ向かって一直線に飛んでいく。
「狐火じゃ。 共に舞うて、妾の目を楽しましてたもれ?」
唇に手を当てて、「ホホ…」と笑う鵺。
狙い過たず、炎に包まれ、名無しは、全身を青い炎で燃え上がらせ、クルクルと風車のように回った。
だが、名無しは、堪えた様子もなく、突如大声で笑い始めた。
「アハはハハハははハッハハハ! キレイ! キレイね! 炎! 青い炎、とってもキレイ!」
青い炎を散らしながら、グルリと名無しが鵺を見る。
「ねぇ? あーたーしぃーもぉー、キレイ?」
思わず鵺が一歩、後ずさる。
「勝てない! お前なんかじゃ、勝てないよ! そんな、借り物の力達、『ホンモノ』には敵わない! 馬鹿ね! 馬鹿な子! アはハハはハ! 殺してあげる! 刺して、抉って、折って、砕く。 痛いよぉぉ?」 
名無しが、炎を完全に振り払い、ぞっとするような目で睨み据えてきた。
「所詮は、偽物の癖に」
鵺は、静かに面を外した。
唇を噛みしめる。
勝てない。
間違いない。
『玉藻の前』の面は、鵺の持つ面の中でも、最上級位に位置する妖怪の面だ。
その面で敵わないのならば、屹度他の面でも太刀打ちできない。


偽物。


名無しの言う通りだ。
鵺は、名無しの偽物。
唯の、作られた産物。
だけど…。
だけど…。


「ずっと、ずっと、泣いてたんだね。 ここで」
鵺は呟いた。
「暗いトコに居る間、ずっと、あなたは泣いていた。 鵺、分かる。 あなたは、鵺の母親だもの。 分かるよ。 あなたの孤独。 寂しいって、人は泣く生き物だから、どれだけ生きても、寂しいと泣く生き物だから、だから分かるよ。 でもね、あなたは何時も自分は一人だと泣いていたけど、決して一人じゃなかったよ? 99匹の私達がいたよ? 母様達が貴方を認めなかったのと同じように貴方も私達を認めようとしてくれない。 この土牢は私達が生まれた胎内、一杯楽しい事したし美味しいものも食べたし、人を愛する事も出来た。 嬉しい気持ちのまま、此処で、もう消えよう?」
鵺が、名無しに笑いかける。


幇禍君。


目を閉じ、幇禍の姿を思い浮かべて、そっと自分の腹に手を当てた。


幇禍君。


力を貸して。


鵺は目を閉じ、両手を合わせる。
「あなたの偽物の鵺は、今、ホンモノになる」
いつもは、制作キットを用いて行う面打ちを、精神世界の中で、一気に具現化させる。
名無しが、自分の顔を押さえ、悲鳴をあげた。


「ぐぎゃがぁぁぁぁっぁぁ!」


ボロボロボロっと、名無しの面が剥がれ落ち、そして、その下に真っ黒な仮面が現れた。
同時に、熱い感触が鵺の手に広がり、その手の中に、真っ赤な仮面が現れる。
「偽物が敵わないのならば、ホンモノの鵺の力で、あなたを葬る。 面の名は、鵺」
猿、蛇、虎の混じり合った、異形の寄生獣(キメラ)。
鬼丸・鵺の、本来の姿。
鵺は、面を装着する。
「鬼丸・鵺。 参る!」
そう名乗り、鵺は、両手を天に掲げ、そして咆吼した。

鵺は、怪異なる声にて、不吉を呼び込んだという。
他の面ならいざしらず、本来の力100%を発揮できる怪の面にて奮う力は、絶大で、名無しが耳を押さえ、悶え回る。
「いやっぁぁぁぁっぁぁぁ!」
そう叫び、のたうつ名無しは、鵺の声によって風車がへし折れ、名無しが閉じこもっていた世界がボロボロと壊れいくのを呆然と見上げた。
「いやだ! やだ! やだ! やめて! こわい、こわいこわい!」
そう叫べども、鵺の咆吼に容赦なく世界は壊れ果て、名無しはその下にある、現実世界の土牢へと容赦なく引っぱり出される。
「ここはいや! 母様! 母様! いや! いやよ! 出して出して、出して!」
そう喚き、惑乱する名無し。
頭を何度も、土牢に打ちつけ、転げ回り、泣き叫ぶ。
そんな名無しを鵺は見下ろし、そして、手を伸ばして、暴れる体を押さえ込むと、その首に手を掛けた。
「さよなら。 名無し。 ……いえ、もう一人の鵺」
鵺は、そう呟き、グッと手に力を込める。
その瞬間、ピタっと名無しが全ての動きを止め、体を弛緩させた。
そうして、メソメソと濡れた声で言う。
「助けて……、助けて……、助けてよ……」
鵺は静かに首を振り、一層手に力を込めた。



名無しが、消え入りそうな声で呟く。





「幇禍君…。 助けて…」




信じられない言葉に、鵺の体が硬直した。



「幇禍君。 幇禍君、助けて、お願い、助けて」



名無しが、そう呟き続ける。
鵺は目を見開き、大きく息を吸い込むと、震える手で、名無しの黒い面をゆっくりと剥いだ。




仮面の下には、泣き濡れた恐怖に強張る鵺の顔があった。





鵺は、ヘタンとへたり込む。
分かっている。
この体の主なのだ。
面の下の顔は、自分と同じものだろう。
当たり前だ。
それに、主人格である以上、鵺が目にしてきた世界を、名無しは全て把握してる筈だし、ならば幇禍の事を知っているのだって何の不思議もない。




だが、だが、それにしたって、思い知らされる。
名無しは、鵺だ。
鵺が、名無しだ。





この子は、鵺だ。


憐れな子供だ。





鵺は、目を閉じ、大きく息を吸い込むと、自分の面をそっと外した。
そして、手を広げ、名無しを抱き締める。


「還りなさい。 鵺の中へ。 あなたは、鵺の中で生きればいい。 99匹の他の子達と仲良くしなさい。 最早、この体は鵺のもの。 きっと、もう、寂しくない。 一緒にいよう。 もう一人の鵺」
鵺が、ぎゅっと腕に力を込めれば、オズオズと名無しが問うてきた。
「さ…びしく…ない?」
「うん。 寂しくない。 むしろ、賑やかな位。
鵺は、名無しに微笑み掛ける。
名無しが、おっかなびっくり縋り付いてきた。
「愛してあげる。 他の子達と同じように、鵺が、愛してあげる。 だから、もう、泣かなくて良いよ? 生きよう、一緒に」
その言葉にコクリと、名無しが頷き、そしてスゥーッと鵺の中へ消えていく。
主人格が、下位人格へと変化したのを鵺は感じた。
その瞬間、鵺は、凄まじいまでの疲労感に襲われ、倒れる。
無茶な面の打ち方をし、主人格を偽装人格へと移行させ、その上本来の力を全開に奮ったのだ。
「しっかも、催眠剤、どうもヤッバイ量呑んじゃったみたい〜」
ヘラリとした声で呟くが、チカチカと明滅を繰り返す視界に危機感を覚える。
(折角、ホンモノになれたのになぁ…、鵺、ここで死んじゃうかも…)
そう考えて、それもしょうがないかと諦める。
そういう覚悟はあったのだ、分かっていた結末じゃないか。
「鵺で、死ねるんだから、幸せなのかな?」
なんて考えて、目を閉じると、急速に意識が沈んでいくのを感じた。


目覚めのない、眠り。
この眠りを、幇禍君は、知らないのか。


幇禍君、鵺の事、敵だって言ってたもの…。
鵺の事を激しく憎んでいる幇禍君に会わずに済むのなら、死んでしまうのも悪くない。


ぼんやりとそう考える鵺の肩を、誰かの大きな手が掴み、そしてガクガクと揺さぶった。
世界が揺れる。
激しく。
観覧車の揺れなんか、敵わない、鵺を根源から震えさせる揺れ。
切実な声で、何度も、何度も誰かが、鵺を読んでいた。



「お嬢さん! お嬢さん! 目を覚まして下さい! お嬢さん!」


うるさいなぁ…。


「お嬢さん! 嫌だ! どうして! 目を、目を覚まして! お嬢さんっ!」


こっちは、良い気持ちになりかけてたのに……。


「起きて下さい! 鵺!」


鵺? 幇禍君、鵺の事呼びつけにするの初めてだね…。


………?


………ん?


幇禍君?


疑問符が脳裏を掠めた瞬間、鵺の頭に大量の冷たい水が掛けられた。


「ひゃぁぁぁぁ!」


素っ頓狂な声をあげて目を覚ます鵺。
「な? な? なぁ?!」
そう叫ぶ鵺の口に、いきなりペットボトルが突っ込まれ、水を流し込まれる。
意味も分からずむせながら大量の水を摂取させられる鵺。
「飲め! 飲み尽くせ! むしろお前が水になれ!」
武彦の声で、意味不明な事を言っている声が聞こえる。
「ガンバです! お嬢さん!」
幇禍が、意味のない応援をする声も聞こえた。

苦しい! っていうか、地上にいるのに溺れる!

そう思い、ギブギブと言わんばかりに床を叩く鵺。
やっとこペットボトルが口から外され、大きく息を吸い込めど、今度はその体をヒョイと幇禍に持ち上げられ、外へと一気に連れ出される。
そして、外では、幇禍に背中を強打され、「吐いて下さい! お嬢さん! 薬、吐くんです!」と叫ばれながら、最後には無理矢理喉に指を突っ込まれて、胃の中のものを全部吐き出さされた。
踏んだり蹴ったりというか、名無しとの戦い以上の激闘である。
意味の分からないまま、水に濡れ、呆然となる鵺の体を幇禍が抱き締め、子供のようにおいおいと泣き始めた。

おいおい、泣きたいのは、こっちだよ。
鵺は思わず心の中で、そう呟く。

「も、も、もも、もう、心配で! 心配で!」
「……や、幇禍君?」
「お、俺が、どんだけ、怖かった…と、思って…るんです!」
嗚咽混じりに喚く幇禍の背中を弱々しくポンと叩き、それから武彦へと視線を向ける。
「えーと、どゆこと?」
首を傾げれば、銜え煙草の武彦が「俺のお節介を舐めるなよ?」と笑い、それから、ゆっくりと煙を吐き出した。
「あの後な、何とか動けるようになった俺はだ、とにかく復活した幇禍引っ張って、興信所へ帰った訳。 で、幇禍が今まで聞いてきたお前からの情報や、あの十字路でお前に言われた言葉をヒントに、その内容に該当するような事件を片っ端からデータベースや情報網使って調べたんだよ。 んで、だ、検索に引っ掛かってきた未解決の殺人事件の中から、京都での事件。 この家の一家殺人事件を探し当て、お前が生まれた原因がこの場所にあるに違いない、『この体の本来の持ち主と対決』するならば、お前が向かったのもここだろうと見当付けてな、車飛ばして来た訳だ」
「み……水は、お嬢さんが、お屋敷から、催眠剤をも、持ち出したと……旦那様から、連絡を受けて……慌てて、コンビニで、買い込んだんです…。 お嬢さん……、なんでも、め、目分量だから…、きっと、飲み過ぎてる……と、思って…」
まさに、長年の付き合いと言うべきか、鵺の事を大変良く理解している台詞である。
しかし、鵺が最も不思議に感じているのは、何故、幇禍が前と同じように、自分に親しい言動をしてくれているかである。
敵だと、復活の際には言っていたのに、今の幇禍は敵意の欠片もなく、鵺の体をヒシッと何かから守るように抱き締めていた。
「幇禍君、…どうして?」
そう問えば、幇禍は、優しい、染み入るように優しい笑みを浮かべる。
「証明するって言ったでしょ? 俺、約束は守るんです」
そして、もう離すまいといわんばかりに、大事に大事に鵺を抱いた。
「草間に全部聞きました。 俺……、自分がどんな生き物なのか、不安です。 凄く、不安です。 でも、そんな事よりも、お嬢さんの事の方が、心配で、大切だった。 それに比べたら、俺の事なんか、どうでもよかった。 俺の体にどんな決まり事が課せられてるか、分からないけど、でも、お嬢さん。 例え、誰かの意志で、死ぬ事が出来なかろうと、俺が、お嬢さんの事大事に想うのは誰にも歪められない。 信じて下さい。 それでもまだ、不安なら、まだ、寂しいのなら、何度でも、俺を殺して。 俺、何度でも、お嬢さんが大事だって言う為に、蘇ります。 何度でも、何度でも……」
そして、ボロボロのままのスーツの内ポケットから、自分の片目を取り出した。
鵺の手に、そっと握らせる。


「ずっと、お側にいさせて下さい。 俺に、お嬢さんの事、守らせて下さい。 お嬢さんだけなんです。 大事なのは。 あなたの側でなきゃ、生きていたくない」
幇禍が、鵺の肩に額を押し当て、呻く。
「捨てないで。 お願いします。 全部、捧げますから、捨てないで」
鵺は、幇禍の言葉に涙が零れ落ちるのを感じた。
暖かい水滴。
暖かな、気持ち。
こんな涙もあったのだ。


ホンモノだとか、偽物だとか、造り物だとか、どうでも良い。


今、この身に触れている物が全て。
今、目に映る世界が全て。
今、耳に届く言葉が全て。

それで良い。
もう、それで良い。


この涙の暖かさに比べれば、真実なんて糞みたいなもんだ。



鵺は、幇禍の背に手を回して呟いた。


「ありがとう」
幇禍が、聞く。
「ちゃんと、決着、つけられましたか?」
鵺は頷いた。
幇禍が微笑んで言う。
「おかえりなさい」
鵺も微笑み返した。
「ただいま」






結局、幇禍の体に課せられた不死を約束するような強力な盟約も、恋心には敵わないという事なのだろう。
死して、尚想い続ける……か。
しかし、まさか、幇禍が鵺に惚れているとは…。

鵺と幇禍の、口付けを思いだし、武彦は、抱き合う二人から、視線を外し天を見上げる。
さて、これから、この二人は、どうなるのかな? と、何処か楽しみに思いながら。

「クシュン」
鵺が小さくくしゃみをする。
幇禍が、「あー、また、風邪ひいちゃいますよ? だから、傘を差しなさいって言ったのに!」といいながら、益々鵺を抱き締める。
(今、濡れたままで放置してんのも、ヤバイんじゃないのか?)
なんて、苦笑しつつ、頬を掻く武彦。



夕闇は、いつの間にか満点の星空に代わっていた。


PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2004年07月20日

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