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『羽根を広げること 』
黎・真璃胤2007


 ――エピソード
 
 碧摩・蓮に彼女が声をかけてきたのは、確か数えるほどしかない。
 そしてまた、その内容も毎回数えられるほどしか言わない。
 黎・真璃胤(くろづち・まりん)もそれは重々承知の上だろう。真璃胤はそれでも、蓮の隣にやってきた。
「元気そうじゃあないねえ」
 いつも通りに蓮が言う。いつも通りに曖昧に真璃胤が微笑む。その微笑むはいつも笑っていない。笑っている風にみせている偽物の笑顔だった。真璃胤はそれを知っていたし、蓮のことだから知らないわけではないだろう。
 蓮はいつもチャイナ服姿だったが、それを苦に思っている様子ではない。
 なんとなく不思議に思い、真璃胤は小さな声で訊ねた。
「どうしていつも、チャイナ服なんでしょう……」
「別に。スタイルさ」
 よくわからない。ただ、自分が和服を着ているのと蓮がチャイナ服を着ているのには、別の理由があるのだろうということだけ、わかった。真璃胤が洋服が着てみたいのだと言ってみたところで、着てみたらいいだろうと言われるだけだとも思った。
 だから口には出さない。
 きれいな洋服を着て、外の街を散歩して、小さな冷蔵庫のある部屋に戻りたい。
 そんなもの、自分の想像でしかなかった。これぽっちも真実は含まれていない。何かを考えればいつも、『逃げ出したい』と思うのだ。切実に。ただ一つの希望にすがるように。希望はとても無責任で、多くの絶望をはらんでいる。絶望はとても鋭い角度で希望を含んでいる。どちらを思っても、真璃胤は希望と絶望から逃げられないようになっている。
 それが常だったので、もう慣れっこになっていた。
「どうしたらいいと思います……?」
 自分の思考を整理するのを放棄して、ただそうやって質問を投げてみた。
 蓮はテーブルの上のカードを弄っていた手を止める。
 それからじっと、真璃胤の顔を見た。蓮の瞳は訝しげでも疑わしげでもなく、ただ真摯だった。そういう瞳をしている人に、真璃胤はほとんど会ったことがない。
「飼い鳥を離してごらん。死んでしまうよ」
 実も蓋もないことを言って、蓮は続ける。
「泥の川の中の人生だって、悪くないさ」
 意味がわからない。真璃胤はそこから抜け出したいのだ。例え死んでしまうとしても、ここから出たいのだ。どうして出られないのか……どうして、出られないのか。
「どこにいたって泥は一緒さ。どこにいたってね」
 カードをめくった蓮は、少し不満気な顔になった。
「やりたいようにやるさ。そうだろう?」
 問いかけられて、困る。
 困っているのを察したのか、蓮は言葉を継ぐのをやめた。ジャスミンティを口に含んで、蓮は真璃胤をじいと見つめている。
 やりたいように、やるさ? 
 それは、真璃胤が好きであの場所の奥に座っているというのだろうか。
 気付いて、そうではないと言い切れないことに真璃胤は感じた。あの部屋も、蓮の言う泥に侵食されている。そしてきっと街も、蓮のいう泥に侵食されている。きれいな場所などどこにもない。羽根を休める場所がどこかにあるだろうか。
 ただ――。
 やりたいように、やるさ、それだけが救いなのかもしれない。
 変な気持ちになって、ただ少しだけ気持ちが軽いような感じを自分で感じながら、真璃胤は蓮に挨拶をした。
「それでは……」
「ああ、ちょっと待ちな」
 蓮が立ち上がり、店内から小さな銀色の鍵を持ってくる。
「何を開けられるのかわからない鍵さ。あんたのところに開けるものがあるだろう」
 言われて真璃胤は首を横に振る。それでも蓮は、鍵を真璃胤の手の中に押し込んだ。
「いつか踏ん切りがついたらまたおいで」
 蓮はそう言って優しく笑った。
 外に出ると霧雨が降っていた。引き返して傘を借りようかと思ったが、なんとなく気が引けて真璃胤は雨の中を歩いていた。アスファルトにたまった水に、下駄の足が濡れる。その色が少し泥水に近いことに気付き、泥のことを思い起こす。
 どこにいても泥に浸かるのならば、どこにいても雨に降られるのならば、きっとどこへ行ってもいいではないか。このまま、知らぬ土地で雨に濡れ、そして風邪をひいて困ってしまっても、いいのではないか。
 蓮のくれた鍵は、真璃胤の何かを開ける魔法の鍵なのかもしれない。
 久しく濡れていなかった真璃胤は、霧雨の細かい粒子を心地よく受けながら、少し弾んだ気持ちで店へ帰った。
 一度きりで終わるなら、どんな人生でも楽しんでみせる。
 かすかにそんな気持ちが、心の端に浮かんでいた。
 
 
 ――end


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2007/黎・真璃胤 (くろづち・まりん)/女性/25/裏老舗特殊飲食店の若主人】

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■         ライター通信          ■
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はじめまして、黎・真璃胤さま。
この度はご依頼ありがとうございました。
うまくキャラクターをつかめたかどうか心配です。
短い作品になってしまいましたが、お眼鏡に適えば幸いです。

またの機会があることを願って。

文ふやか

PCシチュエーションノベル(シングル) -
文ふやか クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年07月20日

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