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『わたしの夢 』
飛鷹・いずみ1271

 東京都内の小さな雑居ビル。その中程の階にその類の人間には非常に有名な事務所があった。
 入り口の扉には「草間興信所」と書かれている。一見するとそこはごく一般的な探偵事務所だ。
 だが、その平凡な入り口とは対照的に室内ではただならぬ空気がただよっていることに勘のいいものなら気付くだろう。
 そう、ここは……人ならざるもの、闇を糧とするものたちに関する事件を取り扱う「怪奇探偵事務所」なのだ。
 とはいうものの、普段の草間興信所はそれほど無気味な場所ではない。
 学校帰りに、会社帰りにふらりと立ち寄る人が多いのが、ここが居心地が良い証拠。飛鷹・いずみ(ひだか・いずみ)もその一人であった。
 
 興信所の大きなテーブルに400字詰め原稿用紙を広げ、いずみは1文字1文字丁寧に書いていた。作文のタイトルを覗き込み、部屋の主である草間武彦がぽつりとつぶやいた。
「……お前に将来の夢だなんて子供らしい願いがあったんだな……」
「それは個人に対しての偏見による差別的発言ですよ。私も未来ある若者のひとりであるからには、きちんとした未来ビジョンがありますし、将来についての計画もたてています」
 早口にまくしたてられ、武彦は一瞬言葉を失った。頭の中でゆっくりと言葉を反すうさせて、彼は徐々に表情を険しくさせた。反論でもしようと思ったが、言葉巧みに叩き返されるのがオチと、とりあえず話を発展させることにした。
「で、その夢見る若人は何になりたいんだ?」
「そもそも夢というものは人にあまり語らず、自分の中でじっくりと見据えて目標にするものです」
「その原稿、学校に提出するんだろう? 秘密もなにもないとおもうぞ」
「……つまり草間さんにはいう必要がないってことです」
 はっきりと言うといずみは再び原稿書きに専念しはじめた。ほんのちょっぴり寂しそうにソファに腰を下ろす武彦の姿を横目に見て、さらりと追い打ちをかける。
「怪奇ばかりしたくないというのなら、こういう時間を利用して営業にでてはどうですか?」
 ふて腐れていた探偵はますます表情を険しくさせた。
 彼の視線の先にはすっかり色あせてきたコピー用紙に黒い太字で書かれた文字が見える。
「怪奇ノ類 禁止!!」
 それを貼ったのがいつなのかもう覚えていない。ただ、その用紙を目にする度にあの時は俺も若かったな……などとほんのり甘酸っぱい懐かしい気持ちが彼の心をしめるのだった。
 もっとも、直接日の光が当たる壁に貼られてる書類が色あせやすく、実はそうたいした年月は経っていないことに武彦はまだ気付いていない。
「大人になったらいろいろあるんだよ……それに、俺が今部屋をでていったら、誰が依頼の電話の対応をするんだ?」
「その程度なら私が出来ます」
「いや、お前の場合……なんていうか……状況を悪化させるような気がするんだよ」
「私は思ったことを素直にいっているまでのこと、草間興信所に不利益になるような発言はしてません」
「いや、素直に言い過ぎて……逆切れさせてる時点で問題が……」
「相手が依頼側だからといって、すぐさま頭を下げるようでは仕事として問題です。自分を依頼者にあわせるのではなく、依頼者を自分に合わせるぐらいの心意気でないと思いどおりの仕事をこなせませんよ」
「まあー……その典型例が身近にいるもんなぁ……」
 思い当たる節があるのか、武彦は遠い目をしながら相づちをうった。
「仕方ない、タバコ買ってくるついでに情報でも集めてくるとするかな」
 懐から空のタバコケースを取り出し、武彦は大きく息を吐いた。
「これで3箱目ですよ?」
 机の上に投げ出された空箱をゴミ箱に放りながら、いずみは上目使いで言う。
「去年は1日4箱、これでも減った方だ」
「健康のためには1日1箱程度がいいと聞きますよ」
「いいんだよ、人は人、俺は俺だ!」
「……相手の未来を気にする前に、ご自身の健康的未来を考えた方がいいですね」
「……ほんっとーにお前は可愛げがないな……」
「応援して欲しかったのですか?」
「……なんかお前と話してると検事とか警察と話してる気分になれるな……」
「お察しのよいこと。将来は難事件をさらりと解決させる女検事にでもなりたいと書いていたところですよ」
 広げていた原稿を束にまとめると、いずみはさっさと出入り口へと向かった。
 扉を開けようとした瞬間、客らしき男性とすれ違う。
「ああっ、す…すみませんっ!」
 裾が擦れてすらもいないのに、彼は平謝りで頭を下げてきた。
 そんなに謝ることはない、とさりげなく言いながらいずみは興信所を後にする。
 階段を下りきったところで振り返りると、どんよりと嫌な空気が興信所から立ちこめてきてくるのに気付いた。
「……ごくろうさま」
 また超常現象の類いが舞い込んで来たのだろう、苦渋に満ちた武彦の姿が手に取るように想像できる。
「どんなに嫌っていようが、仕事ならちゃんとしないとろくな社会人にならないものね」
 自業自得だと言わんばかりにそう呟くと、いずみは軽やかな足取りで家路に向かっていった。

 その夜の夢見は最悪だったと、後に彼女は語る。
 
 大人になったいずみは可愛らしい我が子を抱きながら平原を歩いていた。
 ほのかに香る花のかぐわしさと肌に優しく触れるそよ風が実に心地よい。裸足に伝わる草の感触を楽しみながら、丘の上で待つ旦那のもとへと歩いていた。
 逆光でうまく顔が見られないが、笑顔でほほえみかけているのが分かった。いずみは胸に抱く子をぎゅっと抱え直し、ゆっくりと丘をあがっていく。
 次第に光が弱まり、まぶしさのため細めていた瞳を開けて彼の顔を覗き込み……

「いやぁああああっ!」
 自分の叫び声に驚き、いずみは文字通り飛び起きた。
 大きく深呼吸をし、高鳴る鼓動を整えさせる。
「な……なんであそこであのロクデナシなのよ……」
 自分が見た夢の内容より、登場人物にいずみはパニックに陥った。
 いつの間にかじっとりと全身汗を掻いており、夏にも関わらず肌は冷えていた。
「やっぱり原因はアレなんだろうな……」
 ちらりと机の上に視線を移し、いずみは眉をひそめた。
 昨日夜遅くまでかかって完成させた原稿用紙がそこには置いてあった。結局、興信所では殆ど進まなかったため、家に帰ってきてからまとめあげたらしい。
「とりあえずシャワーにいこうっと」
 先ほどの悪夢を全て洗い流そうと身を起こすと、窓辺に置いてあったアロマの香りが鼻をくすぐった。
 この間、珍しく武彦が京都の土産にとくれたものだ。なんとなく捨てられずに窓辺に飾っていたのだが、
 この香りのせいもあるのかな……とひとつ息を吐き、いずみは着替えの用意を調えはじめた。
「うん、旦那様は絶対草間なんかよりずっといい男じゃなくっちゃ。あんな夢……ただの悪夢なんだから……」
 丁寧に折り畳んだ原稿用紙を横目に、いずみはいそいで風呂場へとかけていった。
 
 軽やかに風鈴を鳴らしながら、一陣の風がいずみの部屋へ訪れる。
 風にめくりあげられ、原稿用紙の一枚目が表を向けた。
 そこには小学生らしい文字でこう記されている。
 
 ー いつか、素敵なお嫁さんになってみたいです ー
 
 おわり
 
 文章執筆:谷口舞
PCシチュエーションノベル(シングル) -
谷口舞 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年07月12日

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