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『■仁義無き戦い 』
ぺんぎん・文太2769

 み〜んみんみんみんみ〜。
 じぃ〜わじわじわじわじぃ〜。
 山間の小さな温泉街に、蝉の鳴く声が響き渡る。
 夏の日差しは容赦なく照りつけてくるが、そこは高地、ひとたび木陰に入れば風は心地よく、長旅に疲れた体と心を優しく癒してくれる。
「…………」
 み〜んみんみんみんみ〜。
 じぃ〜わじわじわ……じじっ。

 ――はっ。

 蝉が飛び立つ際に残した『置き土産』の飛沫を顔に受け、ぺんぎん・文太(――・ぶんた)は我に返った。やや色の褪せた羽毛に覆われた頭を何度も振った後で抱えていた桶を足元に置き、手ぬぐいで顔を拭う。嘴の辺りは、特に丁寧に。
 やたら人間臭い仕草ではあるが、無論、人間に羽毛や嘴がある訳もなく。身の丈およそ2尺。流線型と言うにはやや太目の中年腹、頭部の冠羽の艶に欠けるのは333歳という齢の為か。一見すると何処のご家庭の台所の片隅にでも1羽は居そうなイワトビペンギンなのだが、実はこの文太、れっきとしたもののけである。
 で、そのもののけが何故に温泉街の街路樹の下に立っていたのかと言えば。

「…………。」

 ――本人、どうも覚えていないらしい。
 とりあえず桶の中から愛用の煙管なぞを取り出し、一服しながら思い出そうとしてみたものの、煙草を詰めている間に何を思い出そうとしていたのかすら忘れる始末。
 まぁいい。
 とにかく自分が温泉街に居るのだという事くらいは、周囲に漂う微かな硫黄の匂いや、通りを歩く人間たちの浴衣姿からも判別できる。
 ならば、やはり一風呂浴びたくなるのが人情というもの。(人間じゃないけど)
 手ぬぐいを肩に掛け、足元から取り上げた桶を抱えなおし。湯煙の匂いに誘われるまま文太は行く。
 すれ違う人々の奇異なものを見るような視線など、一向に気に掛ける事も無く。


 さて、主人公が人間であればこの辺りでさっさと温泉にありつき、湯船でのんびりと鼻歌でも歌ってるところだろう。が、いかんせん、文太はペンギンである。(少なくとも、外見は)
 厚生労働省管轄の公衆浴場法及び旅館業法、環境省の管轄である温泉法、その他温泉所在地である自治体の条例の指針として厚生労働省が定めた旅館業における衛生等管理要領(昭和59年8月28日衛指第24号厚生労働省生活衛生局長通知)、公衆浴場における衛生等管理要領(平成3年8月15日衛指第160号厚生労働省生活衛生局長通知)、公衆浴場における水質等に関する基準(昭和38年10月23日環発第477号厚生労働省生活衛生局長通達)などなど、温泉好きの文太に対するハードルは実は意外と多いのだ。レジオネラ菌や大腸菌等の衛生管理の点から、ペット同伴の宿泊施設でも人間と動物の混浴は認められないとするのが普通である。
 故に。
「何でペンギンが……うちはペットの同伴はお断りだよ。大体、飼い主は何処に居るんだ」
 最初に尋ねた旅館では、ペンギンだと言う理由で追い返され。
「ほら、餌をあげるから飼い主の所に帰りなさい」
 次に尋ねた宿でも、やはり門前払い。(それでもしっかり食べ物は貰ったが)
「迷子のペンギンかねぇ? 一応、捕まえて保健所に通報するか」
「…………(脱兎)」
 次に訪れた場所では、あわや捕獲されそうになり。
 そんなこんなで辿り着いたのが、4軒目の小さな湯治宿。途中、一番最初に追い払われた旅館に逆戻りして、再び追い返されたりもしたのだが、そんな些細な出来事は文太の記憶には微塵も残っていない。
 ――鳥頭だし。
 それはともかく。
「おや、随分と可愛らしいお客だねぇ。お前さん、ひょっとして温泉に入りたいのかい?」
「…………。」
 人の良さそうな老人に問われ、文太はこっくりと頷いた。頷いてから、我輩は可愛らしいのか? と、首を傾げて考えてみる。人間の感性というものはイマイチ判らない。
「ウチも長いこと湯治場をやってるが、お前さんのようなお客は初めてだよ」
 そりゃあそうだろう。風呂桶を抱えた温泉ペンギンなど、やたらその辺に居る訳が無い。
「入れてやりたいところだが、他のお客も居る事だしねぇ……ああ、そうだ」
 何やら考え込んでいた老人が、やおらポンと手を打つ。
「ウチの裏手に川があってねぇ。傍に温泉が湧いてるんだよ。山の動物なんかも時々来てる様だし、そっちに行ってみたらどうだい?」
「…………。」
 にこにこと笑う老人に対し、文太は再びこっくりと頷く。
「あ、ちょっと待ちなさい」
 踵を返し、ぺたぺたと歩き出したペンギンを、老人が呼び止めた。
 何事かと振り向く文太に、冷えたフルーツ牛乳を差し出す。
「ウチで入れてやれないお詫びだよ」
 ――いい人だ。
 瓶を桶に入れて貰いつつ、文太はそう思った。


 そこは、川岸に湧き出した小さな天然の露天風呂だった。
 湯は少し熱いぐらいだが、川を渡ってくる風は涼やかで心地よく、手ぬぐいを頭に乗せた文太は満足そうな顔で湯に浸かっていた。
 先ほど貰ったフルーツ牛乳は、川の水で冷やしてある。暑い夏の日の事とて、その場で飲んでしまいたい誘惑に駆られもしたが、そこは我慢のしどころ。やはりフルーツ牛乳は湯上りに限る。
 ぼんやりと川の流れを眺めていた文太の視界の隅で、ふと、茶色い影が動いた。
 気が付けば、温泉の縁に5〜6匹のニホンザル。湯に浸かろうと山から降りて来たのだろうか。
 ――猿!?
 普段は開いているのかどうかも判然としないほどに細い文太の目が、くわっと見開かれる。かつて、いそいそと入ろうとした露天風呂を目の前で猿に占拠された、あの忌まわしい記憶が蘇ってきたのだ。その後で現れた幽霊の記憶は蘇らなかったけれども。
 ようやく辿り着いた温泉である。しかも、今回は自分が先客だ。
 今日こそは死守せねば。
 我が物顔で湯に入ってきたボスらしき猿と、文太は静かに対峙する。
 キキッ。
「…………。」
 ウキッ、ウキキッ。
「…………。」
 ウキャッ! ウキキーッ!
「………く。」
 ――交渉決裂である。こうなれば、実力で排除するしかない。
 意を決した文太は、湯の中で短い足を動かして相手の足を踏む。
 だが、相手も規模は小さいが群れを率いるボス猿である。そう簡単によそ者に負ける訳にはいかない。すかさず自由な方の足で、文太のひれ足を踏んでくる。
 互いの足を踏みつけたまま、睨み合う2匹。
 この間、他の猿達もめいめい湯に浸かり、のんびり毛繕いなどを始めているのだが、水面下で熾烈な(?)戦いを繰り広げている2匹は、そのような事に気付きもしない。
 睨み合いが続くこと暫し。

 バシャッ。

 不意にボス猿の手が動き、文太の顔に湯を浴びせかけた。
「…………。」
 キキッ。
 ぶるぶると頭を振る文太の様子をせせら笑うかのように、ボス猿が鳴く。
 ――むかっ。

 バシャッ。

 今度は文太の翼が動いた。反撃を受け、ボス猿の毛が逆立つ。

 バシャバシャバシャバシャ。

 後はもう、互いに湯の掛け合いである。
 傍から見れば、動物達の微笑ましい戯れにしか見えないのだが、当人達は真剣勝負のつもりである。

 バシャバシャバシャバシャ。

 いつの間にか文太の頭からは手ぬぐいがずり落ちているが、そんな事に構っている余裕はない。

 バシャバシャバシャバシャ。

 かたや温泉もののけの意地。かたや群れを率いるボスのプライド。互いの足を踏みつけたまま、湯の掛け合いは更に続く。

 バシャバシャバシャバシャ。

 そして、戦いの終わりは唐突に訪れた。
 川から吹く風は涼しいものの、温泉の湯は熱いのである。
 熱い湯に浸かったままバシャバシャやっていれば、当然のぼせるのも早い訳で。
 朦朧としてきたペンギンと猿は、決着をつけることも叶わぬまま、湯の中に沈んでいった。
 ――ぶくぶくぶく。


 高地の冷たい夜気に撫でられ、文太はうっすらと目を開いた。
 気が付けば、彼の体は温泉のすぐ横に寝かされている。昼間の猿達の仕業だろうか。
 むくりと起き上がって周囲を見回すが、既に猿達の姿はどこにも無かった。もっとも、鳥目の彼にそう遠くまで見える訳も無かったが。
 冷えたからだを温める為に、いそいそと湯に浸かる。
 何か大切な事を忘れている気もするが、思い出す事は出来なかった。
 だが、まぁいい。
 たっぷりと夜の露天風呂を満喫した文太は、再び気ままな旅に足を向ける。

 夜の川岸には、ちらちらと星の光を反射する水の流れと、飲み頃に冷えたフルーツ牛乳だけが残されていた。


 ・完・
PCシチュエーションノベル(シングル) -
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2004年07月09日

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