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『 宵闇の遭遇 』
ジュリス・エアライス0056)&ミリア・ガードナー(0081)

 宵闇に混じるような黒い影。それは影なのか、闇なのか。それは漆黒で、さまざまな色彩の混じった黒ではなく、ただ「黒」一色だった。月の光を受けている部分でさえも輝かず、それは暗黒であり続けた。ただその一部分――口元だけが白く、そして赤く輝いていた。口元から覗く牙と、そこから滴りおちる鮮血である。闇の中で一際輝いて見えるそれはとても禍々しいものに見えた。
 レンガ作りの尖塔で、月を背に彼は次の獲物を物色し始めた。遠く、どこまでも見渡せる自身のその瞳に神経を集中させる。無機物を、有機物をすり抜け、自分好みの女がこの付近にいないかとまずは半径約五キロを――…いた。隣町の宿屋の一室。肩まで伸びた栗色の髪の毛にまだ幼いがかわいらしい顔立ちの少女。眠っているからその瞳までは見えないが、とても美しい輝く瞳をしているだろう、と彼は思った。
 「明日が楽しみだな」
 口元が笑みの形に歪んでいた。


 隣町で吸血事件が起こったという話が早くもこの街に届いていた。宿の食堂ではその話で持ちきりで、この街にも来るんじゃなかろうか、だとか自分、或いは娘が狙われるのではないかと皆が口にする。
 吸血鬼ねぇ、とトーストを食べながら、黙々と人々の会話を彼女は耳に入れた。窓から入る爽やかな風が彼女の長い黒髪をさらさらと揺らした。
 彼女――ジュリスはただなんとなく人の話に聞き入っていた。吸血鬼は真っ黒だとかはたまた美形だとか、若い女の生血を狙っているだとか。自分が狙われるとは特に考えもせず、黙々とトーストをかじり、紅茶を飲み干して、未だ吸血鬼の話で持ちきりの食堂を出た。
 急ぐ旅ではない。だが吸血鬼がこの街にやってくるというのなら話は別だ。これは早々に荷物をまとめて別の街に行った方が身のためかもしれないと、ようやく自分にも危険が及ぶのではないか、という思考が脳をかすめる。吸血鬼は若くて美しい女性の生血を好むと先ほど誰かが言っていたのを思い出し、果たして自分がそれに当てはまるかといえばどうだろうか、と考えながら、できればまだこの街に滞在したいと考えた。この街の特産の苺で作られたストロベリーパイをまだご相伴に預かってないからだ。食堂のおばちゃんによると朝に焼き始めるから少なくとも午後には食べれるよ、ということだから食べてすぐ旅たてば大丈夫かもしれないが、出来れば日の出ているうちに動きたい――午後から街を出たら次の街には間違いなく今日中にはたどり着けまい。
 自分は狙われない、狙われるわけが無い。それにこの街に来るとは限らない、と言い訳をして、甘酸っぱくて美味しいストロベリーパイの焼き上がりを自室で待つことにした。


 同じ頃、食堂でトーストと目玉焼き、紅茶を頼んで遅めの朝ごはんをミリアはとっていた。相変わらず人々の話題は吸血鬼で持ちきりだった。
 ――若くてきれいな女の人を狙ってて、もしかしたらこの街まで来るかもしれない、か……。もしかしたら、わたくしが狙われてしまうかも…なんて。
 そんなことを思いながら、はむはむ、とトーストを口にする。
 ああ、でもそんなことがあったら退治してしまえばいいんだわ。そう、この武道の腕を見せるチャンス!!と、生来の勝気な性格で、勝手に一人で燃え上がってしまった。はむはむ、とトーストを食べながら、片方の手では拳を握る。
 吸血鬼は日が沈んでから動き出すと言うし、そうと決まったら仮眠とって夜に備えよう!と、既にその気になって――今夜この街に現れるとは限らないというのに――残った目玉焼きと紅茶を一気にかっこんで、部屋に戻った。


 月が空の頂点に昇った頃だった。夜空に雲はなく、澄み切った空には月と星々が輝くのみ。人々は既に寝静まり、街には闇の帳が落ちていた。明かりといえば、夜空の月のみ。街の教会の屋根の上に闇色の影――いや、闇そのもの。頭とおぼしきとこに、口があるであろう場所に、白く輝く牙が。それはまだ赤く濡れてはいなかった。そう、これから濡れるのだ、赤い、紅い、魅惑の色に。美しい白い肌にこの牙を食い込ませ、その鮮血をすするのだ――その瞬間を想像し、彼はやがて訪れる歓喜に震えた。
 目当ての獲物が日中に移動していやしないかと思ったが、昨夜と同じ場所で眠りこけているのを見て彼は安心した。――さあ、向かおうか。私の美姫よ。一夜限りの私の美しい后よ。今夜一晩、私のために注がれた美酒の杯になるがいい。
 闇色のマントが翻り、闇色のひしゃげた翼が闇夜に広がる。

 ――待っていたまえ。今すぐそなたの元に――

 音もなく彼は空を飛んだ。彼の目指す先は宿屋の一室――一階の向かって左から二番目の窓。そこに恋焦がれた愛しい娘がいるのだ。
 窓の鍵は閉っていない。音もなく、また手を使うことなく、眼力だけで開いた。窓際に置かれたベッドに、無防備に彼の求める『美姫』は眠っていた。肩まで伸ばした栗色の髪の毛が風に揺れる。白い肌に長い睫毛の影が落ちている。「むぅ…」とうなる彼女は、今朝方吸血鬼退治をしてやろうと意気込んでいた――そう、ミリア・ガードナーである。どうやら仮眠が仮眠でなくなり、朝からずっと眠りこけているようだ。
 「起きたまえ」
 と、闇色に染まった体から、白い手が浮かんでミリアの額に触れた。
 「うーん?」
 不意に眠りから目覚めさせられ、目をこすりながら彼女は起き上がった。
 大きな瞳を彼女は見開いた。暗がりの部屋に、それよりも尚暗い人型の姿があったからだ。
 彼女の金色の瞳には漆黒の闇が映り、そしてその口のある位置には、不敵に歪んだ唇と真っ白な牙――一目でそれは『吸血鬼』だとわかった。
 「きゃ、きゃああああっ!」
 と、急な来訪に彼女はすっかり動転した。
 え?吸血鬼?何で?狙っているの?わたくしを?ちょっと待って!こんな急に訪れなくてもいいじゃない――!
 「可愛いらしい声だ。そして思ったとおり、可愛らしい瞳。さあ、一夜限りの――」
 ベッドの上で動けずにいるミリアの顎に白い手が触れようとしたその時、バタンとドアが開いた。
 「どうしたの?悲鳴が――…っ!」
 隣の部屋にいたジュリスがミリアの悲鳴を聞いて長剣を片手に駆けつけた。そんな彼女の瞳に映ったのは今にも襲われんばかりのミリアと、今にも彼女をとって食わんとする漆黒の影――その闇色に浮かんだ白い牙が、ジュリスにそれは吸血鬼で、ミリアを狙っているのだと察してすぐさま長剣を抜いて切りつけた。が、手応えは無い。細身の剣の刃は空を切っていた。
 「くっ…」
 影は空を飛び、ドアの方に移動していた。まだ尚にやりとその唇は笑みの形に歪み、白い牙が零れていた。
 剣の切っ先を吸血鬼に向けながらジュリスはゆっくりと移動してミリアを背にした。
 「大丈夫?まだ、血を吸われていないわよね?」
 と、剣を構えながら彼女はミリアにそう訊いた。
 「は、はい。大丈夫です」
 「どうやら、吸血鬼の狙いはあなたね。こうなったら退治するしかなさそうだけど――ここじゃ戦いにくいわね」
 ちらり、と横目でジュリスはミリアを見つめて「一端ここから引くわ」とぐいっとミリアの腕を引っ張ってその身体を抱えた。
 「え?え?」
 とどきまぎするミリアを尻目に
 「あなたの狙いはこの子なんでしょう?欲しかったら――ついていらっしゃい」
 と、ミリアを抱えてジュリスは窓から外に飛び出た。うまく着地をして、ミリアを地面に立たせてそしてその手を引っ張って走り出す。
 「ど、どどど何処に行くんですか?!」
 「もっと戦いやすい場所に。あの部屋は暗いもの。あいつ、闇のように黒いから、もっと明るい、月明かりの届く場所へ」
 「でも、あなたは関係無いのに――」
 「首突っ込んじゃったもの。最後まで面倒見るわ――できれば、関わりたくは無かったんだけど」
 引っ込み思案で臆病という生来の性格が祟って、悲鳴が聞こえたときには『関わってはいけない』と頭では考えていた――が、かつてホーリーガードとして戦ったこの身がそれを拒否した。
 「大丈夫、倒してみせるから。安心してね」
 と、彼女は微笑みを見せた。
 「わたくしも戦います」
 「え?」
 「わたくしも戦います。これでも武道の心得があるんです」
 「でも…ええと…」
 「ミリアと申します。大丈夫、戦えます。あの吸血鬼の狙いはわたくしですから、わたくしがおとりになります」
 「大丈夫なの?」
 「ご安心ください。相手はたかが吸血鬼ですし、虫の形をしてなければどうってことありません」
 「虫?」
 「い、いいえ何でもありません。ええと…あなたのお名前は?」
 「私はジュリス。じゃあミリア、一緒にあの吸血鬼――叩くわよ」
 「はい」


 辿り着いたのは街の広場だ。街が寝静まり、家々の明かりが落ちたとしても十分月明かりが広場を照らし出していた。その中心にミリアは立つ。そこに誘われたように人型の黒い影。
 「来たわね」
 「さあ、その身を私に預けるがいい。苦しいのはほんの一瞬。すぐに甘美で恍惚な気分になれる」
 吸血鬼がミリアの頬に触れようとしたその時――長剣を両手にジュリスが駆けてきた。低姿勢のまま一気に走りこみ、吸血鬼を狙う。「甘いわっ」と彼女の方に振り返り、彼が剣を受ける体制をとるが――「甘いのはあなたの方よ」と、ミリアが得意の足技で彼の背中を蹴り飛ばした。
 「なっ」
 バランスを崩した吸血鬼の心臓に容赦なくジュリスはその長剣で貫いた。
 「――――っ」
 この世のものとは思えない絶叫を彼はあげた。ミリアをただのお嬢様と思って背を向けたのが彼の敗因だ。
 「わたくしを狙ったのはいい趣味でしたけど、それがそもそも間違いだったようね、吸血鬼さん」
 

 ミリアがどこからか持ってきた大蒜と十字架で日が昇るまで吸血鬼を拘束し、日が昇った途端彼は灰と化し、塵となって散じた。
 朝日が街を照らし出し、オレンジ色に染まる。
 「頑張ったわね、ミリア」
 「ジュリスさんも。ありがとうございます」
 オレンジ色に染まった二人は優しく互いに微笑んだ。
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聖獣界ソーン
2004年07月07日

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