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『月の恋 』
月夢・優名2803
 
 
「最近、ゆ〜なって明るくなったよね? いいことでもあった?」
 クラスメイトに言われて、あたしは首をかしげた。明るくなった、という自覚はない。でも、思い当たることはひとつある。
「あ、わかった。好きなひとができたんでしょう?」
「うん」
 素直にうなずいた。
 そう、このとき、あたしは確かに恋をしていた。
 
 
 はじめて彼と会ったのは、梅雨の中休みの、晴れた日のこと。
 久しぶりの快晴が気持ちよくて、なんだか授業を受けているのがもったいなくて、あたしは屋上でサボることにした。たまに、こういうことをする。
 アスファルトに寝転がって陽の光を浴びていると、奥から音楽が聴こえてきた。身体を起こすと、フェンス際に男の子がひとり。その脇にはラジカセが置いてある。あたしと同じサボり組だ。
 目が合った。
「ごめん。起こしちゃった? ボリューム下げるわ」
「そのままで、いいよ」
 あわてて音を小さくした彼に、あたしは首を振り、その隣に座った。
 話してみようかな、と思ったのは、ただの気まぐれ。あえて理由を言うのなら、お天気がよかったから。普段のあたしは、積極的に誰かに話しかけるなんてことは、あまりしない。
「あんた、月夢優名だろ?」
 驚いた。初対面のひとに名前を言い当てられるとは思わなかった。神聖都学園は規模が大きくて、たとえ同じ学年でも、顔も名前も知らないひとは多い。
「どうして、あたしの名前を?」
「俺の彼女がさ、ときどき屋上にすっごい美人がいるって騒いでたんだ。ファンだったらしいよ」
「ファン?」
 と言われても、あまりピンとこない。あたしって、ほかの子に比べると地味だと思うんだけどなあ。
「ああ。いつも、あんたのことばかり話してたよ。お前の恋人はどっちなんだ、って俺がツッコミ入れたくなったくらいでさ」
 彼は苦笑いをした。
「隠れファンは多いみたいだよ。俺のクラスにも、あいつの友達にも月夢の──」
「ゆ〜なでいいよ」
「ゆ〜なのことを好きだっていうのはいるし」
 あたしは、あることに気がついていた。
 このひとは、彼女のことを話すときだけ過去形になる。どうしてなんだろう、と気になったけれど、会ったばかりで込み入ったことを尋ねるのは憚れて、結局いつものように聞き役になっているだけだった。
 
 
「俺の彼女、留学してるんだ」
 と聞いたのは、翌日のこと。めずらしく二日連続で晴れて、やっぱりあたしは授業にでないで屋上にきていた。彼もそうだった。
「どこに?」
「イギリス」
 言ってから、あたしの前に携帯電話を差しだした。
「あまりに月が綺麗だから写真送ります、だってさ。こっちはまだ朝だっつーの」
 言葉とは裏腹に楽しそうに言う。でも、時差のことを考えると、「まだ朝」というのは変だと思うんだけど、まあいいか。
「こういうふうに月の画像なんて送られてくると、離れててもゆ〜なのことが好きなんだな、って思っちゃうよ。まあ、相手が女だから、さすがに嫉妬はしないけどさ」
 好き、かあ。
 あたしだって、もちろん誰かを好きになったことはある。恋だってした。けれど、自分の知らないところで、自分の知らないひとが、こういうふうに好いてくれるのは初めての経験で、なんだか少しくすぐったい。
 どんな子なんだろう? 写真は昨日みせてもらったけれど(あたしなんかより数倍かわいい子だった!)、そういう外見的なことじゃなくて。いつも、何をみて、何を考えているのだろう。どんな感性で、あたしから何を感じとってくれたんだろう。
 一度、会ってみたいな。きっと、いい友達になれるんじゃないのかな。そんな予感がする。
 あたしは空を眺めながら、異国で同じ月をみる少女に思いを馳せていた。
 
 
 この想いに気づいたのは、いつだったろう。
 雨の降っていない日の昼休みは、いつも屋上へ足を運んだ。そこにはきまって彼がいた。ラジカセで音楽を聴きながら、あたしを待っていてくれた。
 話すのはいつも彼女のことだけど、話題はつきない。
 ロンドンを散歩したときに撮った、ベーカー街やビックベンの写真のこと。かわいい時計ウサギのぬいぐるみをみつけたこと。紅茶のこと。絵本のこと。魔女に会ったこと。ごはんがおいしくなくて、日本食が恋しいこと。
「これじゃ、勉強しに行ったんだか観光しに行ったんだか、わからないよなあ」
 目を細めて彼は苦笑いをする。
 その表情をみて、胸がきゅんと鳴った。ああ、あたしは彼が好きなんだなあ。何度も思ったことを、また再認識する。
 好き、といっても彼を独占したいとか、イギリスにいる彼女から奪いたいとか、激しい感情じゃなくて。もっと穏やかな──たとえば、そう、澄みきった青空とか、季節を運ぶ風の音とか、身近なものを愛しむ感情に近い。
 静かで、でも確かに愛おしい感情。いつまでも彼の隣で、彼女の話を聞いていたいなあ。あたしの恋は、そんなだった。
 ふと、ラジカセの曲が変わった。さっきまでとちがって歌の入っていない、ゆっくりとした民族音楽のような雰囲気の曲。せつなくて、かなしくて、まるで月の女神に恋をしてしまったようなメロディ。
「なんて曲?」
「『feel the moon』。このひとの曲もさ、あいつのお気に入りなんだよ」
 ──嫌なことを思いだした。
 月に恋をしてもその想いは報われないけれど、月の女神の恋だって叶わないことが多いんだ。
 
 
 そして、その日がきた。
 梅雨が明けたんじゃないかと錯覚するような、雲ひとつない青空の日だった。日差しが強くて、アスファルトを熱してしまって、あたしたちは日陰に避難していた。
 ふいに、彼が言った。
「なあ、ゆ〜な。俺たち、つきあわないか?」
 心臓が、どくん、と大きく鳴った。早鐘を打ちはじめている。
 うん、と即答したかった。でも、言えなかった。
「イギリスにいる彼女はどうするの?」
「別れるよ。最近、上手くいってないんだ」
 あたしは目を伏せた。
 彼女を傷つけたのは、きっとあたしだ。彼の隣にずっといて、彼の気持ちを奪ってしまった。ふたりを引き裂くつもりはなかった、というのは、ただの言い訳。結果として、彼があたしに告白しているのだから。彼女からしてみれば、憧れだったひとから裏切られたようなものにちがいない。
 ギリシア神話で月の女神の恋を邪魔したのは、弟の太陽神。太陽の加護のもとで育んだあたし──月夢優名の恋は、たぶん最初から結末がきまっていたんだ。
「ごめんなさい。気持ちはうれしいけど、すごくうれしいけど、あなたにはずっと彼女とつきあっていてほしいの」
 あたしは彼が好きだった。それは本当のこと。
 でも、それ以上に、彼というフィルターを通してみる彼女が好きだった。彼女というフィルターを通して語られるあたしは、まるで月の女神かなにかのようで、それを聞くのが楽しかった。
 あたしが望んだのは、ふたりのしあわせ。ふたりがしあわせなら、あたしはそれだけで充分しあわせだった。
「そっか。無理言ってごめん」
 ──その日以来、彼は屋上にこなくなった。
 
 
「最近、ゆ〜な元気ないよね。なにかあったの?」
 クラスメイトに言われて、あたしは返答に困ってしまった。元気がないのは自覚していたし、その原因もはっきりしているけれど、「失恋しちゃった」と言ったら色々騒がれそう。詮索されるのは、あまり好きじゃない。
「お天気のせい、かな?」
「あ、最近雨ばっかだもんね。太陽が恋しいってわけか。ゆ〜なって、晴れると絶対授業サボるしね」
「うん」
 雨だって嫌いじゃないのだけど、話をあわせてうなずいた。そういえば、もう何日も屋上には行ってないな。
 窓越しに外を覗いてみる。
 一週間降り続いている雨は、まだやみそうにない。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
ひじりあや クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年07月02日

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