▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『 射場の昼食 』
東雲・翔2709)&外村・灯足(2713)

 
 
 弓道着を身につけた外村灯足の姿を、東雲翔少し離れた場所からじっと見詰めていた。
 普段とは全く違う姿。
 見慣れぬ弓道着を着ているから、という訳ではないと思う。
 友人たちに囲まれて笑っている時とは、全く雰囲気の異なる灯足がそこにいた。
 真剣な眼差し。落ち着いた挙措。
 普段は軽佻浮薄な青年だというのに弓をひく時の彼は、その全てを道場の外に置いてきてしまったかのように落ち着いている。
 
 
 弓道場特有の凛とした空気の中で、彼の一つひとつの動作が静かに、まるで一つの舞のように流れていく。
 矢を引き分け、放つまでの数秒、すっと静止した灯足に翔も一瞬呼吸を止める。
 
 
 矢が灯足の元を離れた瞬間、風を切るような音が生まれ、空気が震えた。
 矢は宙に線を描き……的に吸い込まれるように中(あた)る。
 
 
 その瞬間翔の口から吐息が漏れるとともに、脳裏に高校時代に習った平家物語の有名なくだりが浮かんだ。
 
 
 「与一鏑を取ってつがひ、よつぴいてひやうど放つ。
 小兵といふぢやう、十二束三伏、弓は強し、浦響くほど長鳴りして、誤たず扇の要ぎは一寸ばかりを射て、ひいふつとぞ射切つたる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ上りける。しばしば虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。夕日の輝いたるに、皆紅の扇の日出だしたるが、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、船ばたをたたいて感じたり。陸には源氏、箙をたたいてどよめきけり」
 
 
 古の弓の名手と始めたばかりの初心者を比べるなどおこがましいことかもしれないが、
 船の上や浜辺からその姿を見つめていた人々もこんな気持ちだったのだろうか、と思う。
 授業で習った当時は、戦の最中だというのになんて優雅な人たちなのかしらと呆れたものだったが、
 けれど、今なら少し、少しだけれど物語の中の人々の気持ちが分かる気がした。
 あの細い矢が宙に線を描き、標的に届く、ただそれだけのことなのに。
 それだけのことだけれども。
 今は、それがどれだけ難しいことか分かるから。
 
 (すごい)
 
 そんな言葉を灯足に対して決して、決して口にしたりはしないけれど。
 弓を構える凛とした青年の姿を見つめながら翔は賞賛の眼差しを向けた。
 
 
 
                  ■■■
 
 
 
 休憩、休憩と呟きながら廊下に出た灯足は、そこに見知った顔を見つけて目を見開いた。
 「シノ……?」
 「おはようございます……あ、もう、こんにちは、ですね。こんにちは灯足さん」
 天気が良かったし、暇だったから遊びに来ました、そう言って笑う翔に灯足は一歩後ずさる。
 「な、なんでシノがここ知ってるんだ……」
 「え、なんで私が知らないと思うんですか?」
 弓道始めたって話は仲間うちでは有名なのに、と呟く翔にそうじゃないと灯足は首を振る。
 「俺が弓道始めたことを知ってるやつは多くても、通ってる道場の場所まで知ってるやつはそう多くないだろ。──誰から聞いた?」
 「ニュースソースはそう簡単には教えられないですよ」
 にっこりと微笑む翔に、灯足はげんなりとした表情を浮かべる。
 「……ヤツか、それともヤツか……」
 灯足は親しい友人や兄弟の顔を次々に頭に思い浮かべるが、面白そうだからという理由で、こんなことをする人間に心当たりが多すぎる。
 今にも頭を抱え出しそうな灯足を楽しげに見つめながら、翔はひょいと手に抱えたランチボックスを差し出した。
 「お弁当作ってきたんですよ。そろそろお昼の時間だし、食べません?」
 「そりゃいいけどよ。……ちょっと待ってろよ」
 先生に許可をもらってくる。
 そう言って背を向けた灯足に、翔は頷きながら小さく手を振った。
 
 
 
 翔は射場の近く、庭が見える部屋に作ってきた弁当を広げた。
 「お、豪勢だな」
 翔の対面に腰を下ろした灯足は割り箸を割りながら、色とりどりの料理に目を細めて笑う。
 「お、鳥カラじゃん。俺、好きなんだよな。……シノ知ってた?」
 言いながら灯足は一つを口に運んで咀嚼する。
 「え、そうなんですか? この間、鶏肉が特売だったんで家に山ほどあるんですよね。私と弟じゃ食べきれなくて。しかも夏場ってほら、肉類傷みやすいから。腐っちゃったらもったいないなあと思って作ったんですけど。灯足さんが鳥カラ好きで良かったな。たくさんあるんでどんどん食べてくださいね」
 笑顔を浮かべた翔は、事前に灯足の弟から彼の好物を聞き出したなんてことは絶対に口にしない。
 おくびにも出したりはしない。
 「……賞味期限大丈夫だろうな、おい」
 唐揚と翔を交互に見つめながら問う灯足に、もちろん、と頷いてみせる。
 「大丈夫ですよ……。ふふ」
 「最後のその笑いはなんだ。その笑いは……」
 「え、深い意味はないですよ。深い意味は」
 「……本当に大丈夫なんだろうな……」
 「ええ、大丈夫、死にはしませんって」
 「……シノ……」
 「冗談ですよ、灯足さん。冗談」
 言いながら翔は自身も唐揚を口にする。その様子に灯足も安心したのか唐揚をはじめいくつかの料理に箸を運びはじめた。
 「シノ、意外と料理上手なんだな」
 オニギリを右手に、お茶を左手に抱えた灯足が笑う。
 「意外と? それは見た目によらずという意味が暗に……」
 明らかに作り笑いと分かる笑顔を向ける翔に灯足は勢いよく頭を左右に振った。
 「違うって。そう穿った考え方は可愛くねーぞ、シノ」
 「……可愛くない?」
 「そ、そんなふうに人の言葉尻をとるんじゃねぇよ」
 微かに怯えを見せた灯足に、翔はぷっと吹き出す。
 そんな翔に灯足も口の端をあげて笑みを浮かべる。
 「あ、灯足さん、ご飯粒とんでますよ」
 オニギリを頬張るうちに飛んだのだろうご飯粒が、口の端についているのを見つけて翔が指差す。
 「あ、どこ」
 「ほら、そこ」
 「そこじゃわかんねぇって」
 灯足は右手にオニギリを抱えたまま、空いている手で顔をまさぐるがご飯粒をかすりもしない。
 「……とってあげますから、顔かしてください」
 「わりぃな」
 翔は床に手をつくと、少し離れた灯足の顔に自らのそれを近づける。
 近づく呼吸に気付き灯足はぎょっとするが、既にもう遅い。
 翔は口の端についたご飯粒に唇を寄せると、そっと舐めとった。
 「……………おま……な…………っ……」
 次の瞬間、声にならない悲鳴をあげて灯足が座りながらあとずさる。
 翔も一瞬言葉もなく黙り込んだが、すっと息を吐くと、艶やかな微笑を浮かべた。
 「……カメラマン連れてくれば良かったですね。灯足さんのそんな顔、天然記念物ものなのに……」
 残念そうに呟く翔に灯足は言葉を紡ぐこともできず、ただただ、首を横に振るばかりだった。
 

 開いた戸から爽やかな風が部屋の中に吹き込む。
 初夏の、うららかな午後の出来事だった。
 
 


 END
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
津島ちひろ クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年07月02日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.