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『昨年の昨日、今年の今日。 』
紀田・結城0513)&原咲・蝶花(0885)

 今年は空梅雨になるかもしない。
 そんなことを言っている人がいたことをふっと思い出しながら、黒のエレガントゴシックに身を包んだ少女は、自分とは不釣合いな高く青い空を振り仰いだ。
 広がる空には、濃い夏の気配。入道雲になり損ねたような、背の高い雲が360度のパノラマで広がっている。
 夕方近いというのに日差しは強く、瞳を灼く光はどこまでも白色で容赦がない。その強引なまでの輝きを遮断すべく翳した手の平。その下で、闇よりも深い漆黒の瞳をゆっくりと動かし、原咲・蝶花は視線の先に見つけたものに小さく溜息をついた。
 ありきたりの住宅街の一角、団地に併設された大きくない公園。据付のベンチに座り、うつらうつらと浅い眠りに浸る少女が一人。
「まったく……私は目覚ましじゃないのよ?」
 言葉のわりに、含まれる気配は優しく穏やかで。静かに歩み寄った蝶花は、一度頬を引き締めてから眠る少女の肩を軽く揺さぶった。
「起きなさい。こんなところで寝ていてはダメよ」
「……先…輩?」

 ***   ***

 しっとりと濡れた気配を孕んだ冷たい風に、紀田・結城は僅かに肩を竦めた。
 視界に入る物は全てが謎なものばかり。ありふれた一般的な住宅街だったが、結城には自分の目で見るのは初めての世界。
 先ほどまで降り続いていた雨のせいでアスファルトの上に出来た水溜りに、雲間から覗く陽光がきらりと反射して結城の瞳を濡れた輝きで彩る。
 平日の午前中。
 普段なら慣れ親しんだ教室で、いつもの通り授業を受けているはずの時間。周囲にいるのは自分と同じ年齢で、同じ制服に身を包んだ少女ばかり。結城一人が浮き立つことなど有り得ない場所。
 しかし、彼女が現在いるのはそこではない。
 6月も終わるというのに、長袖の上にさらに薄い上着を着込んだ近所の主婦らしき女性が、ぽつんと一人歩く場違いな少女の姿を怪訝に見遣る。
「見えても、何もできないんじゃ……」
 不躾な視線に晒されている事にも全く気付かず、結城はそう呟く。口をついて零れるのは重い溜息だけ。それが繰り返されるたびに、綺麗に磨かれた革製の靴を履く足取りも、軽さを失くしていく。
 いつも通りの朝だった。
 枕元に置いてある可愛らしい目覚まし時計の奏でるクラシック音楽で目を覚まし、出社前の父と母と朝食の卓を共にして。
 専属のシェフが作った栄養のバランスだけでなく見た目も考慮された食事。けれど物理的に手が届かない位置に座る両親と、そのことで話に咲かせることはなかった。きちんと躾けられた正しい箸の持ち方で、米粒一つ一つが立っているご飯を口に運ぶ結城の耳に聞こえてくるのは、難しい経営論や古式ゆかしい仕来りの事。
 それを不快に感じる育ちをしていない結城は、出された物をきれいに食べ終わると、笑顔で両親に『行ってきます』と告げてその場を辞す。
 その後は、着慣れた制服の袖に腕を通し、玄関前に横付けされた黒塗りの高級車に乗り込む。
「おはようございます。今朝はまた少し冷えますね。今年は本当に寒い夏になりそうですよ。結城さまもお風邪を召したりなさいませんように」
 開口一番、優しい笑顔と共に結城の心配をしてくれるのは、結城が幼稚園に通う頃から専属になってくれている専属運転手の老紳士。先日『そろそろ運転やめた方が良いんじゃないの?』と冗談交じりに告げたら、少しムキになった声で『結城さまが大学を卒業されるまでは、私は頑張りますよ』という応えが返って来た。
 それから、ほとんど揺れを感じさせない静かな車内で、昨日の宿題と今日の授業の確認を暫し。車窓の向こうの風景に意識が向く頃には、高い塀の向こうに結城の通う、中高一貫教育の名門お嬢様学校の校舎が姿を覗かせる。
 そこまでは、いつもと何一つ変わらなかったのだ。
 運転手に『行って参ります』と小さく手を振り、同じように送られてきた同年代の少女達と優雅な朝の挨拶を交わしながら、赤レンガで造られた校門を潜る。
 今朝の校門に立つ当番は結城もお世話になっている、中等部の数学担当女性教諭。まだ若いものの、凛とした口調で教壇に立つ姿は、少女達の中でそれなりの人気を呼んでいた。
「先生、大丈夫ですか?」
「あら紀田さん。おはよう、大丈夫よ。心配ありがとう」
「でも……顔色、優れませんよ?」
「そうね、朝から少し頭が重いけれど。でも大丈夫よ、そんなことより2限目に抜き打ちでテストするから覚悟しておいた方がいいわよ?」
 いつもの覇気が薄れ、重く圧し掛かるような気配。本人は元気な風を装っているが、結城の目には、それさえも空回りに映る。
 何かあったのだろうか?
 頭を擡げたのは、教諭の不調の原因を知ることが出来れば、何か自分にも出来ることがあるんじゃないか、という純粋な気持ち。
 しかし、それが結城の心を無残に打ち砕いた。
「先生も、無理しないで下さいね」
 さり気なく指先で触れた女性らしいまろやかなラインを描く肩。その瞬間、念じた――彼女に何があったのか、何の因果が今影響を及ぼしているのか己に知らしめよ、と。
「紀田さん?」
 脳裏に弾けた映像は――
「紀田さん? 大丈夫? 貴方こそ顔、真っ青よ? 今日は戻った方が……」
 教諭の言葉は最後まで結城の耳に届くことはなかった。
 結城が肩に置いた手を優しく触れようとした彼女の手を振り払い、結城は校門へ向けて走り出していたから。
「そんな……そんなっ……」
 皆の流れとは逆行する結城の姿に、偶然すれ違ったクラスメートが声をかけるが、それを結城が認識することはなかった。
 視えたのは、先ほどの教諭が今まで行ってきた不正の数々。入試試験と思われる紙束を、中年の男に手渡し、代わりに茶封筒のようなものを受け取る姿。一度つけられた成績表の数値に改竄を加える姿も。
 そしてさらにその先にあったのは――どこかの病院らしきベッドの上で、ひっそりと息を引き取る姿。
 因果応報。最後に視えたのは、そう遠くない教諭の未来。今までしてきた事が招く結果。
「なんで、なんで……どうして」
 ふっくらとした蕾を連想させる薄紅色の唇から零れるのは、苦い悔恨の言葉。
 結城には触れて念じることで、人の因果を知ることが出来る能力があった。ただし過去は遠くは遡れず、未来も最も可能性の高い近い内に起こる物を察知する程度だが。
 しかし近くであれば近くであるほど、覆すことは難しく。
 何処をどう歩いてきたかは憶えていない。
 普段、車窓から眺めるだけの街並みを自分の足で歩き、人の流れに押されるように駅へと辿りつき。何かに誘われるまま、切符を買って電車の乗り込み……――そして現在に至る。
「違う、こんなこと知りたかったわけじゃない……」
 大きな黒い瞳が、今にも溢れ出さんばかりの水滴に彩られ滲む。霞む視界の向こう、灰色のアスファルトが、心の中に低く重い暗雲となってわき上がる。
 親しく声をかけてくれる先生だった。
 憧れとまでは行かないが、気軽に接することが出来る数少ない大人の一人だった。
「それが……それなのに……」
 死の予見。そればかりか、それを導く原因となる黒い真実。
「違ったのに。そんなつもりじゃなかったのに」
 秘められたままであって欲しかった真実と、知ったとしても何も出来ない真実になりえる未来に、胸の奥がキリキリと痛み出す。
「何も、出来ない……どうしようも、ない」
 重さを増す足取り。
 軽やかに翻るように計算しつくされた、某有名デザイナーによってデザインされた制服のスカートも、今の結城の心情を察したように湿り気の多い風に、ゆらりゆらりと揺れるだけ。
 ちらりと視界の端に映った街路樹。結城の腕で一抱えできそうな幹が根を下ろす茶色の大地。それが描く特有の紋に、少女は自分が同じ場所をぐるぐる回っていることに気付いた。
「迷った、のかしら」
 現状を把握して呟いた言葉は、どこか空々しく結城自身の鼓膜を振るわせる。
 心はさらに遠い場所を彷徨っていた。


「……こんな所で寝ていたらダメよ?」
 肩を軽く揺する優しい手。そして耳に心地よい声が眠りの縁に沈んでいた結城の意識を呼び覚ました。
 最初に瞳が捉えたのは、黒のエレガントゴシック調のワンピースに身を包んだ、結城よりも少しだけ年長に見える少女の顔。次は先程より高さを増した薄い灰色の空。
「ここ……は」
 何処でしょう?
 そう言葉にしかけて、結城は口元に運んだ自分の手の冷たさに我に返った。
 かじかむほどではないが、体温を奪われた華奢な指先は、ぎこちなくしか動かない。
「ここは団地内にある公園よ。貴女、迷子?」
「迷子ってほどじゃないんですけど。駅、分からなくなってしまって」
「……それを世間では迷子というのよ?」
 笑う風でなく、黒服の少女は坦々と告げる。
 当て所なく歩き続けた結城が辿り付いたのは、どこにでもあるような小さな児童公園だった。心を軋ませる痛みと、長い時間歩き続けた疲れのせいで、何気なく腰を下ろしたベンチで結城は一時の眠りに落ちてしまっていたらしい。
 ゆっくりと体を起こしながら、結城は僅かに広がった柔らかい髪を手櫛で整える。
「何があったのかは知らないけれど。貴女みたいな子がこんな所で転寝するのは危ないわ。駅までだったら私が案内するから……今日は学校にお戻りなさい」
 そう言うと、身を起こしたばかりの結城に少女は手を差し伸べた。
 なんとなくうながされるようにその手を取り、結城はその少女の手の冷たさに驚く。徐々に平熱を取り戻しつつある結城よりも、はるかに冷たい指先。けれどそれは不快な温度ではなく、ひっそりと肌に馴染む心地よい不思議な温度。
 そして、その時。結城は胸にわだかまっていた痛みが、ほろりと和んでいることに気付いた。
「あの……」
 何が起こったかは分からない。けれど自分の手を握った少女に、不可思議な力を感じた結城は問いかけようと口を開いた。
 しかし言葉は遮られる。
「……私は偶然通りかかっただけ。もし眠る前と眠った後に変化があったのなら、それは貴女の側にいる何かが貴女を慈しんだ結果……」
 少女の瞳が、くるりと宙を舞う。何も見ていないようで、何かを追いかけるようなそんな視線。
 ふわり、と風がそよいだ。
 冷たい外気とは気配を異にした、仄かな温もりを感じさせるその風に、結城は苦しさに占拠された胸の奥から、常に自分を守る存在のことを思い出す。
「ありがとう」
 結城以外の誰にも見えない、けれど確かにそこにいる大切な友人に向って結城は可憐な微笑を投げかける。
「さ、行きましょう。遅くなっては貴女のご家族が心配するわ」
 結城の表情に柔らかさが戻ったことを確認し、黒服の少女はついっとその手を引いた。

 ***   ***

「貴女、なんでまたこんな場所で昼寝なんてしてるの?」
「蝶花先輩こそ。なんでこんな所にいらっしゃったんですか?」
 相変わらず黒のクラシックゴシックな姿の蝶花に、目を覚ました結城は目を細めてにっこりと微笑んだ。
 その柔らかな邪気のない笑顔に、つられるように蝶花の頬も再び緩む。
「私は……そうね、今日も仕事帰りだったのよ」
「私はまた迷子になってたんです」
 一年前の梅雨の日、彷徨いながら辿りついた公園で出会った少女が、自分の通う学校の高等部に通う『原咲・蝶花』という名の先輩であることを結城が知ったのは、夏が終わる頃。
 夏とは思えない寒い日々がようやく終わりを告げ、学校内に体育祭から始まり学園祭で終わる華やいだ雰囲気が満ち始めたある日、偶然にすれ違った。あの女性教諭と触れた校門で。
「あ……」
「おはよう。お久し振り、かしら?」
 予想していなかった事態に足を止めた結城に、蝶花はいたずらっぽく微笑んで見せた。豊穣の季節を予感させる風に、結城にとっては憧れの茶系でまとめられた制服のセーラーカラーが踊る。
「同じ学校だったんですか!?」
「そうみたいね。私は貴女の制服で気付いていたけれど」
 くすくすとしのび笑う蝶花に、結城は思わずぷぅっと頬を膨らませた。
 そんな二度目の出会いから改めて始まった二人の関係は、なんだかんだで蝶花が高校を卒業した今も続いている。
 去年、蝶花が着ていたデザインの制服に、今年から結城も袖を通した。この制服で迎える初めての梅雨は、いつもの年より雨が少なく、そして暑い。
 徐々に打ち解ける度に、お互いの距離が近くなる。
 やがて二人は、互いが普通の人間であれば持っていないはずの力を有していることを知った。
 初めて結城と蝶花が出会ったあの日。都内でも有数のお嬢様学校に通う二人が、普段通りであれば決して出向かないような場所で出会ったのは全くの偶然か――それとも、心に痛みを抱える者同士を神が引き合わせた必然か。
 結局、結城が垣間見た因果律の先は、現実になってしまった。秋が深まる前に体調を崩した件の教諭は、それから間もなく病院のベッドの上で息を引き取ったらしい。病名までは聞いていないが、精神的な疲弊が病魔を招いたのでは、と学校内にも重い空気が立ち込めていたのを結城は昨日の事のように覚えている。
 自分はなんて無力なんだろう。
 そのことに打ちひしがれた日、気が付けば結城はまた例の公園へとやって来ていた。今度は学校が終わってから、迎えの車が来る前にふらりと彷徨ったのだが。
 結局、なぜかその日も現れた蝶花に駅まで送られた。
 そして、また今日。
「蝶花先輩、そういえば私達が初めてここで出会ったのって昨年の昨日でしたよね」
 気兼ねなく話すことが出来る存在が近くに在る、ということはどれほど心の救いになることか。
「そうだったかしら? 私はそこまではっきりと覚えてはいないわ」
「間違いないです。私、暗記とか得意ですから」
 ゆっくりと振り仰いだ空は、何処までも広がる海に似た色。その大きさに、結城はいつも胸に痞える小さな溜息を吐き出す。
「暗記と記憶力が良い、というのは少し違う気がするのだけど?」
「そうですか? でも間違いないからこれはこれでいいんだと思います」
 知る事でわかる虚しさ。
 知らない事で感じる後悔。
 いったい誰が救われなくて、誰が救われるのか。
 胸に去来する想いは、いつだって変わらないけれど。
「そうね。貴女という友人が出来て、私も嬉しかったし」
「私も。蝶花先輩にお会いできて良かったです」
 少女達が出会ったのは何の因果か。決して自分のことを知ることが出来ない結城には、その答は分からないけれど。
 昨年の昨日の出会いが、今年の今日に繋がったように。
「今度はちゃんと待ち合わせとかして、来てみましょうか?」
「そうね……それなら貴女を起こす手間も省けるわね」
 鈴を転がしたような軽やかな笑い声が、夕暮れ近い小さな公園に響く。
 こうして繋がっていくのだ。
 何もかもが。
 昨日から今日へ。今日から、明日へ。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
観空ハツキ クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年07月02日

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