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『成れの果ての咆哮 』
尾神・七重2557)&城ヶ崎・由代(2839)


 尾神の名を持つ者たちに、憤怒と憎悪を孕んだ復讐の刃が突きつけられる―――――


「――――っ!?」
 殺意と呪詛を鋭い牙と爪に変えて、突如茂みから飛び出してきたソレは尾神七重の頬を掠めて地に降り立った。
 死角からの攻撃に転倒しながらも辛うじて避けることの出来た少年に向けて、異形は鉤爪でぎりっと土を掻き、身体を沈める。
 そうして、相手が事態を認識する時間も体勢を整える間も与えずに再び跳躍した。
 容赦のない一撃が、空を裂く。
 咄嗟のことに事態の把握もままならないまま、それでも七重は通学鞄を抱えて脇道の草むらへとその華奢な身体で転がり込んだ。
 あどけなさの残る少年の口からは、僅かな悲鳴すら上がらない。
 ただし、それはけして恐怖のためではない。
 狙われているのは自分だけか。
 周囲はどうか。現実として被害は生じているのか。
 何を目的としているのか。
 そして、アレは何であるのか。
 暗紅色の瞳は揺らぎなく、状況を分析する静謐な光だけをそこに宿す。
 低く重い唸り声を洩らし、異形のケモノは、ふつふつと沸き上がる憎悪とともに毛を逆立て、茂みに隠れた自分を見据えていた。
 アレの狙いは自分だけのようだ。
 アスファルトに残る爪痕は、けして幻覚などではない。
 巻き添えとなるだろう人間の気配は今のところ感じられない。
『出て来い……次は、お前の番だ……小さくも忌まわしきモノよ……』
 ふと、両親の言葉が蘇る。
 そういえば尾神家の人間がなにものかに襲われるという事件が、ここ数週間で立て続けに起こっていると聞いた。
 原因はやはり、目の前のアレなのか。
 では、それを為す理由とは一体どこにあるのか。
「……あ」
 閃く眼光を捉えた七重の中で、不意にあの日の記憶がフラッシュバックを起こす。
 かつてソレは人であった者。
 やがて魔となり、祀られることで神と呼ばれたもの。
 そして、人によって再び神から魔へと堕とされたモノ。
 桜の薄紅色が視界を染めたあの日―――七重はそれと出会った。


 人間は人間の傲慢さゆえに、時には祀るべき神をもその手で祓う。


 尾神は『拝み』へと通じる。
 既に没落して久しいが、それでも脈々と受け継がれる異能の血はそこにある。
 特に虚弱な体質とは裏腹に秀でた特殊能力を持って生まれた七重は、幼いながらも本家として受けた依頼に同行を命じられる事が度々あった。
 彼らはその能力ゆえに、魔狩りを依頼として引き受ける。
 その日も、学校へ向かう代わりに数人の尾神の名を持つ者達に連れられて仕事に訪れていた。
 そこは東京に居住する七重には縁の薄い小さな集落だった。
 僅かにではあるが未だに迷信の残る田舎町には、都会からは消え去ってしまった真の闇が生き続けている。
 そこへ伸びた開発の手。
 山を拓き、道路を作り、村をダムに沈め、土をコンクリートに変えていく作業は、そこに住む人々の生活を豊かにすると信じられていた。
 だが、それを阻む存在があった。
 かつて人であったもののなれの果て。悪しきチカラを振るい、一度は諌められながらも禁忌を犯した人々を再び呪詛の刃にかける魔物。
 それを退けることこそが彼らの使命。
 七重にはそれが正しいことのなのかどうかは分からない。
 ただ、既に忘れ去られ朽ち果てた社を前にしたとき、言いようのない哀しみの情に心がちくりと痛んだのは本当だった。
 逃げ惑い、牙を剥き、悲鳴とも脅しとも取れる咆哮で襲い掛かり、抵抗する魔物。
 ヒトであることをやめ、ヒトに裏切られ、ヒトによって堕とされていく魂の悲痛な叫び。
 安住の地を得たと眠りについたソレを、ヒトは私欲のために引き剥がし、追い立てる。
 桜の花びらが舞う。
 薄紅の世界で、赤い血とヒトならざるものの体液が飛び散り、数多の犠牲を振りまいた。
 七重の指先が、魔物から素早さを奪う。細い指先が黒い火花を散らして生み出した重力の塊が、それに制止を強制した。
 そして、別の者たちがそれを取り囲んで一斉に封魔の呪縛を放つ。
 だが、
『おのれ――おのれ、人間めっ!!またしても我を裏切るか――!?赦さぬぞ――赦さぬぞぉ―――っ』
 魔物は封じられることを否とし、呪を破り、抵抗の末に逃亡してしまったのだ。
 尾神は仕事を完遂できなかった。
 そして、その報いは尾神家へと跳ね返る。

「あなたはあの時の――――」
『思い、出したか――我を――忌まわしき童子よ』
 ふつりふつりと沸き立つ憎悪。
 精神を蝕んでいく明瞭な殺意。
 正面からあらゆる負の感情を叩きつけられながら、それでも七重は細い足で自身を支え、それから視線を外さぬままに立ちあがった。
 魔物の爪が閃く。
 並ぶ樹木を障壁とせず、容赦ない攻撃を繰り出してくる魔物の刃を、自身に反重力の力場を召喚し行動力を上げて躱す。
 全力で走ることの出来ない身を自身の能力で補い、庇いながら、七重は視界と思考を研ぎ澄ませて反撃に転じる一瞬の隙を狙う。
 一刻も早くかの者を仕留め封魔を施せる術者を呼ばねば、自分自身が醜悪なる魔物の糧となり贄となってしまうだろう。
 相対する時間が長引けば長引くほど、精神力も体力もじわじわと内側から失われていくのを感じていた。
 だが、どれほどのハンデがあろうとも、そしてどれほどの理由があろうとも、尾神の名を持つ自分が屈するわけにはいかないのだ。
 七重の指先が力を解放する。
 干渉しうる範囲でのみ重力の負荷は増大し、対象たる魔物の細胞へと圧し掛かった。
『お、のれ――またしてもっ―――またしても、かような――我を、我、を……』
 アスファルトの地面にめきめきと音を立てて沈みながら、神であったものの慟哭が空を裂く。
「―――っ!?」
 激情と共にほんの僅かな能力の綻びから術を跳ね飛ばし、俊敏で獰猛な魔物の爪が七重の左足を引っ掛け、宙へと掬い上げた。
 追撃の凶器は身を捻って避けられても、引き裂かれた皮膚からは赤の色彩が飛び散る。
 衝撃で七重の手からカバンが離れ、地に落ちると同時に、中の携帯電話もろともぐしゃりと魔物が踏みつけた。
 瞬間、最も有用な連絡手段が封じられる。
 それでも、七重の冷静さは変わらなかった。
 辺りに視線を巡らせ、位置を把握し、瞬時に次の行動を決める。
 自分は自分の意思を語る前に尾神家の人間としての使命を遂行しなくてはならないのだから。
『自らの、欲のために……我を諫め、我を封じ、我の眠りを妨げる人間ども――醜悪にして、深き罪業を背負うは……御主らの方では、ないのか―――?』
 ソレは凄惨な色を乗せて人間の裏切りを糾弾する。
「僕はあなたから居場所を奪った。けしてそれを……忘れてはいません」
 ずしりと重みを増す胸の痛み。
 それを辛うじて抑えこみ、七重は再度魔物へと人差し指を差し向け、万有引力の法を侵して世界に干渉する。
 重力負荷を最大限に引き上げた拘束の呪。
 黒いドーム状の結界が、魔物をコンクリートの地面に半ば押し潰すカタチで縫いとめる。
「けれど……僕はあなたを……封じなければ、ならないの…です……」
 さらに意識を集中することで凝固されたチカラは、尚も足掻く魔物を囲む重力の檻へとカタチを変える。
『おのれ、おのれ、おのれ―――っ!!お前ごとき半端者に、神たるこの私が――またしても、またしても―――』
 みしみしと軋む音が魔物の内側から聞こえてくる。
 だが、そこで束縛の呪を紡ぐ七重の肉体が限界を訴えてきた。
 度重なる能力の解放が体力と精神力を削り続け、魔物の爪と牙によって負った傷口からは体温と意識が徐々に失われていく。
 神経を苛み、視界から光を奪い、思考をも失わせる痛み。
「……父様……母様…早く、連絡、を………封じ、なくちゃ……」
 喉が引き攣れ、息をするにも上手くいかない。
 縺れ絡む手足を辛うじて動かしながら、七重は這いずるように先程視界の端で捕えていた道の向こうに立つ公衆電話を目指す。
 だが、その手がガラスの扉に届く前に意識は限界値を越えて途切れ、その場にずるずると崩れ落ちた。
 冷たい地面に頬がつく感触すらも、もう七重には届かなかった。


 ほとんどの時間を郊外の自宅で研究のために費やす城ヶ崎由代が、都内の森林公園へ足を運ぶというのは常にはない行動だった。
 そして、偶然とは時に思いがけない出会いを引き起こすこともある。あるいはそれが運命的と呼ばれる由縁かもしれないのだが。
「おや?あれは―――?」
 携帯電話の普及で随分と数が減った公衆電話。そこへ手をかけるようにして倒れ伏した小さな身体が視界に入る。
 由代は眉を寄せながら、古書店で入手した本を抱えなおし、道をはずれた。
 屈み込んで倒れた少年を抱き起こせば、その手にべったりと血液が付着する。
 蒼ざめた頬に掛かる銀灰色の髪の下で閉ざされた瞳。その色が流れ出る血液のごとき彩であることを由代は知っていた。
 彼のものだけではないらしい血液と、そこに纏わりつく魔の気配。
 滲む禍々しさは、おそらくけして軽くはない存在を示している。
 大体の状況を察した由代の手が上着の内ポケットへと滑り込み、そこから携帯電話が引き出された。
 まずは治療のために少年が掛かりつけているだろう病院へ救急車を要請する。
 それから、今度は別の番号に切り替えて再度表示を確認し、発信ボタンを押した。
 数回のコールののち、重々しい口調で相手から応答を得る。
 名乗ると同時に手短に交わされる事務的なやり取りと、簡潔な状況説明。
 高く低く鳴り響くサイレンの音が近付くのを待ちながら、由代は折り返しかけるという通話相手からの返答を待った。

 程なくして少年が与えた呪縛の檻は効力を失い、魔は再び現実世界へと解き放たれた。
 そして憎悪に彩られた復讐劇は、演じる役者の変更と共に病院へとその舞台を移す。

 仕留め損ねた子供の気を辿り、それは尋常ならざる脚力で空間を跳んでリノリウムの床に降り立った。
 特殊な急患に慌しかった院内も、今はもう夜の闇に包まれてひっそりとしている。
 殺してやる。
 我の牙と爪でズタズタに引き裂いて。
 喰らい。
 今度こそ我が身の血肉としてやる。
 赦さぬ赦さぬ赦さぬ――――
 病んだ気を辺りに迸らせながら、じわじわと穢れた死臭で空気を侵食していく。
 こんなにも自分を苛立たせ、憎しみを掻き立てる魂がすぐそこにある。
「キミの相手は僕になったよ」
 だが、ようやく捕えかけた獲物へと伸ばす手を遮るように、それは現れた。
 低音の良く響く声と共に、闇から月明かりの元へとひとりの男がゆっくりと進み出る。
 かつてヒトであった魔は、古書を抱いて悠然と近付く彼を真正面に捕えて威嚇の呻きを洩らす。
『――我が狩りを邪魔するというのか――人間よ―――?』
 更なる怒気を孕んで睨みつけ、言外にこのまま去れと告げる魔物を前にしても、由代の表情は変わらない。
「うん、まあ……キミの気持ちも分からないわけじゃないけど」
 人間の欲望は尽きることを知らない。
 それに翻弄され、せっかく得られた安住の地を追われ、今もなお彷徨わねばならないことへの怒りと哀しみはどれほどのものか。
 長いヒトの世で繰り返されてきた排斥の歴史。
「でも、仕事は仕事だから、ね」
 一度は神格を得たソレですら畏れを抱く威圧感が、じわじわと穢れた空気を逆に侵食していく。
「僕がキミを本来還るべき場所へ送ってあげよう」
 深淵を覗き込んだもの特有の色をいっそ穏やかな微笑とも取れる表情の上に乗せて、由代は本を掲げた。
 指が空に描く召喚紋様――シジルが結ぶものはこの世ならざる世界のチカラ。
『貴様は、一体』
「時にヒトは僕を『魔の指揮者』と呼ぶけれど……」
 不可視のチカラが、描かれた陣から可視となって鎖のごとく幾本となく飛び出、実体を持たない魔を魂ごとその場に拘束した。
 それは七重の重力場以上の行使力を伴って、魔を屈服させる。
「知識欲ゆえの探究者であると自分では思っている、かな」
 振り下ろされた由代のタクトのごとき腕が、魔物の運命に決定的な終止符を打つ。
 絶対降伏の発動。
 どれほど抗おうともその身は灼けた痛みに支配され、振り払うことなど出来はしない。
 かの者は断末魔のごとき悲鳴を上げて、呪詛に捕らわれながら浄化の光の中に引き摺りこまれていった。
 そうして、少年の眠るこの場所に再び夜の静寂が戻る。
 ゆっくりと息を吐き出して、由代はしばしかの者が消えた床を見つめた。
 その瞳には感傷とも感慨ともつかない光が揺れる。
「………侵してはならない禁忌に、キミは触れてしまったから、ね……でも、もうキミの眠りを妨げるものはどこにもいない」
 振り返り、名前の掲げられていない個室の扉に手を掛けた。
 薄く開いたそこからは、いまだベッドに身体を沈めて、規則正しい呼吸を繰り返しながら深い眠りに落ちる少年の姿が窺える。
 窓から差し込む月の光。
 ふと、彼の枕元に月光に何かが反射しているのが見えた。
 目を凝らせば、ソレが宙を泳ぐ氷色の魚であることが分かる。
 色素の薄いガラス細工のような少年に戯れる半透明の魚―――どこか幻想的なその光景に、由代の目が僅かに細められた。
 あの少年は何も知らない。
 自分がここに来たことを。
 彼のために魔を退けたことを。
 だが、それでいい。
 別に彼から感謝の言葉をもらいたくてしたことじゃない。
「まあ、仕事だし、ね。それに……まあ、珍しいものも見れたことだし」
 今日のところは貸し借りなしということにしてあげよう。
 ひっそりと口元に笑みを浮かべ。
 音も立てずに病室の扉を閉じて、由代は踵を返すと静かに闇の向こうへとその姿を消した。


 人間のエゴが生み出す果て無き欲望。錯綜する思い。重ねられていく罪。
 哀しい悲鳴が夢に届き、七重は静かに眠りの底で痛みを引き摺る。




END
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
高槻ひかる クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年06月28日

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