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『CROSS ROAD 』
東雲・紅牙2835

 朝だというのに、蒸し暑い。
 空気が湿気を帯びていて、ずっしりと身体に重くのしかかってくるような、そんな気がする。
 季節は夏に向っているのだ。野外で野宿しても凍え死ぬことはないかわりに、都会の朝は不快に明ける。
 紅牙は、身体のだるさを持て余しながら、昨晩のねぐらから這い出してきた。このところ、夜ごと街を歩き通しの紅牙である。体内に疲労が沈澱しているような感触があった。
(いつまでこんな日を続けるのだろう)
 そんなことを思わないでもない。
 のろのろと排気ガスにまみれた街並へと起き出してゆく遅い朝、冷たいアスファルトの上に身をよこたえ、眠りにつく未明に、ぼんやりと考える。だが――
 今朝は、違った。
 公園の水道でばしゃばしゃと顔を洗い、頭をはっきりさせると、ベンチに腰掛けて、紅牙は明け方に見た夢のことを考えてみた。
 どこかの交差点を歩く紅牙。
 そしてその行く手に見つけた男の背中――。
 長らく、追い掛け続けていた男である、夢に見たとて不思議ではない……と、思うのは簡単だ。だが、紅牙に限ってはそうとは言い切れない。
 かつて、いくつかの組織を渡り歩き、殺しをなりわいとしていた頃のこと、任務に出かけた先で、たとえば押し入った家屋の間取りが、とどめをさすときの目標の断末魔の言葉が、帰りがけにふと目にした周辺の風景が……前日の夢の中で見たものと寸分違わなかったことが、一度や二度ではなかったのである。
 予知夢……。
 ――そんな言葉を、紅牙が知っていたかどうかはさだかではない。
 先に夢のことが印象に残っていて、その後で、該当する出来事にぶちあたったこともあるから、デジャ・ビューの錯覚ではないと言える。
 あるいはそれは紅牙が、あまりにも数奇な運命を生きるがゆえに身についた力であったのかもしれぬ。
 自身の影の中にこの世のものならぬ獣を棲まわせ、それによっておのが親さえ手にかけ、以来、血塗られた生を生きる東雲紅牙という男の、過酷な運命に抗するがための力だったのか。あるいはそれも、数奇な運命の一部だったのか。
 ともかく、まどろみに浮かぶ夢の中に、紅牙は自身の未来を垣間見るのである。
 そうであれば――。
 遠くないうちに、あのどこかの交差点で、紅牙は目指す男の背中を見つけるのに違いないのだ。
 そう思うと、いよいよ、という気持ちに、身がうちふるえるようだった。
 そして、それにともない、危険な牙と爪を持つ彼の影もまた、血なまぐさい期待にざわざわと波打つのである。

 陽が傾く。
 危険な予感をはらんだ夜がやってくる。
 夢で見たのは夜の街に違いない。しかし、あれが具体的にはどの場所かは、紅牙には知るすべがないのだ。見れば一目でそうとわかるはずであっても。
 しかし、街中である以上、それはこの街のどこかにあるのだし、今の紅牙の行動範囲から考えて、そう遠くない場所であることも推測できる。
 紅牙は、いつも以上に鋭い眼光を周囲に走らせ、街を歩き続けた。
 足元では、影が、苛立ちにうごめいていたが、獲物が近いことを知ってか、単に苛立っているというよりも、戦う相手を目前として興奮しているようにも思える。
 しかし……
 もし、あの男を見つけたとして、自分はいったいどうするだろうか。
 影の獣は――
 なりふり構わず、喰らいつこうとするだろう。それは街中においては、できれば避けたいことだったが、抑えられる自信がなかった。
 影の獣が、いったい何でできているのかもさだかではない漆黒の牙を、彼奴の喉元に沈めて終わるのであれば、それはそれでいいと思う。
 紅牙の放浪はそれによって終わるのだろうし、そうなればその後は……
(どうでもいい)
 考えても詮なきことだ、と、紅牙は思っている。あるいはまたどこかの組織に拾われて(そういう組織は、構成員の過去を気にしないものだ)、以前と同じように来る日も来る日もただ命じられるままに人を殺す日々が続くだけのことだ。
 不随意にとはいえ、未来を見通す力のようなものをもっていてさえ、紅牙は自分の明日というものに無頓着だった。
 予知夢が見せるのはまったく気まぐれな、そんなに遠くない未来の断片に過ぎなかったのだし、自分がもっと歳をとった後のことを、紅牙は想像できなかった。
 人はいつか老い、衰えてゆく。今は無敗を誇る紅牙であっても、いずれは、用をなせぬようになる日は来るのだろう。あるいはそれまでに、任務において傷付いたり命を落としたりすることもあるだろう。いつ、どのような形で、この血塗られた生が終わるのか、それは見当もつかない。そして、それは、どうでもいいことなのだと思う。
 そのように考えている紅牙だった。
 だからこそ――
 今、紅牙がこれほどまでにひとりの男の存在に執着しているのは異様なことだと言えた。そのことを、紅牙自身が意識していなかったとしても……それは、ただ空虚に流れていた紅牙の人生に投げ込まれ、波紋を立てた一石だったのだ。
「…………」
 ふと足を止める。
(――あ)
 エウレカ――。
 それは唐突に訪れる。
 信号は赤だった。
 盲人用の、案内の音が響く。
 信号待ちの人々の群れの向こうに広がる、スクランブル交差点――。
(此処だ)
 目標を前に、鋼糸の端を握り込んだときのように、肉体にアドレナリンが沁み渡ってゆく。
 足元で、影が唸った。
(どこだ。どこにいる)
 せわしなく目を動かして、目指す背中を探した。
 信号が変わる。
 一斉に動き出す人々。
 横断歩道に交錯する、革靴、ハイヒール、スニーカー、サンダル、パンプス、ブーツ――
 紅牙は必死に、交差点を行き交う人間のただのひとりも見逃すものかという気迫のこもった目で、歩行者の群れを見る。だが、目指す人間のシルエットを捕らえることなく、人々の足音とともに時間が過ぎてゆき……
 場所はここで違いない。だが、「今」ではないのか。予知の時は、別の日、別の時間だとでもいうのか。
 そう思い始めたとき――
(!)
 考えるより先に、身体が動いていた。
 袖口から、するり――と、鋼の糸がこぼれ落ち……それよりも先んじて、地面から影が剥がれるように立ち上がり、真っ赤な顎をかッと開いて――
 逆行する人々をつきとばし、かきわけ、走る紅牙。
 くたびれた黒いスーツの背中。
 忘れ得ぬ男の輪郭。
 一切が、スローモーションになり、コマ落としのように流れ――
 甲高いクラクション。
 エンジンの唸り。
 点滅する信号――そして、赤が灯る。
 再び時間が、流れ出すと、車が、目の前を遮って幾台も通り過ぎていった。
「…………」
 見失った――?
 ひとり、道路に飛び出した格好になる紅牙に、また、クラクションが浴びせかけられる。
 瞬間――
 行き場をなくした思いは、暴発でもって応えた。
 悲鳴と怒号。長く尾を引くクラクション……。
 車のフロントグラスを叩き割り、それは、運転手を一瞬にして引き裂いた。混雑する夜の街の、衆人環視のただ中で、噴水のように吹き出した血潮。
 絶叫と、恐怖のどよめきが、紅牙を取り囲んだ。右往左往する混乱した群集。だが、紅牙はそれには目もくれず、ただ、車の流れに遮られる格好になった前方を睨みつけていた。
 人の壁をかきわけて、どこからか制服の警官たちが駆け付けてくる。
「おい、きみ……!」
 二人組の警官は、しかし、紅牙まであと3メートルというところで、黒い暴風のように飛来したものに、ズタズタにされていた。
 そこでやっと、ふりかえった、紅牙の頬に、血飛沫が飛ぶ。
 人々が口々になにか叫び、紅牙を指差してわめいたり、その場から逃げ出そうともがいたりしている。
 冷ややかな紅の瞳から、ほんの一瞥だけをくれて、紅牙は駆け出した。
 わっ、と、聖者の行手に道をつくる大海のように、人の群れが割れた中を、紅牙は走り出す。
 さきほど――
 走り込んできた車によって視線が寸断される瞬間。
 紅牙は見たような気がしたのである。
 人波に消えてゆこうとする男が、ほんの一瞬、ふりかえって、口元に笑みを浮かべたのを。
 その残像に向って、紅牙は走り出した。
 あるいは、それはさらなる迷走の夜のはじまりであり、紅牙自身の、運命への一歩であったかもしれない。

(了)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
リッキー2号 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年06月23日

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