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『憐れな子供(後編)』
鬼丸・鵺2414)&魏・幇禍(3342)





気付いたら、屍が足下にあった。





頬を伝い落ちる雨が冷たい。






手の中に、コロリとした球体がある。
視線を向ければ、金色の光彩を持つ眼球が転がっていた。


ああ、鵺が起きていたのか。



この男は、鵺が殺したのか。



この男も可哀想に。

起きている鵺に出会うだなんて、可哀想に。






鵺の中の鵺は時折、話を聞いて欲しいのだと啜り泣く。
暗い檻の中で、誰にも相手にされず、独り、ずっと独りだった。
誰かと関わりたいのだという。




だから殺すのだ。



人との究極の関わり方。



相手の命を奪って、やっと孤独を癒すのか。
相手の血潮を浴びて、漸く温もりを感じるのか。
愛する事も、憎むことも、憐れむ事も、全て全て全て、「殺す」という行為でしか感情表現できない私の本性。



哀れな。



私は、天を仰いでそう呟いてみる。


哀れな、私の魂。


つま先で足下の屍をひっくり返せば、胸に大きな穴を空け、殆ど肉塊とかしている。


顔面の右目部分が欠損していた。
グルリと剥き出しにされた左目が金色である事鑑みても、手の内にある眼球はこの男のものと見て間違いは無さそうだ。



なんと、美しい目。
魔眼だ。



私は感嘆する。

鵺の眼も、本来の人の瞳に有り得ない赤の眼。
魔眼と呼ばれた。


不吉だと、血の色だと言われ虐げられた。
そして、狭く、暗い土牢に押し込められた。
旧家だったからなのだろう。
狂気的な、信心深さを持った家だった。

鵺の中の、本性の鵺は言う。

だから、殺した。

だって、今まで、ずっと相手にしてくれなかったのだもの。
ずっと、独りぼっちだったのだもの。
殺す位しか関わり方は分からない。



信じてないでしょうけどね?
憎んでいなかったわ、鵺は。
鵺は、みんなを憎まなかった。


愛していたから、関わりたくて、貴方達を殺したのよ。
だって、そうすれば、一番深く貴方達に関われる。
今までの隙間も、寂しさも、全部埋められる。



愛してるわ。 お母様。 嘘じゃない。
嘘じゃないもの。


彼女の妖怪人格の一人に過ぎない鵺は…いや、「名無し」は思う。


哀れな。


そして、憎いと。



この男も、虐げられた事はあるのだろうか?
金の魔眼を持つ男。




そっと手の内の眼に唇を寄せてみる。


奇麗な眼が好きだった。
曇り無き、透き通った眼球を見る度に心が震えた。
抉り出して己のものにしてしまいたい欲望と、あるべき場所に収まり、瞬き続けるその姿を眺めたい欲望のせめぎ合いにいつも苦労した。



鏡を見る度に、いつも、自分の目すら、取り出してみたい欲望に襲われる。


こんなに美しい血の色だから。
こんなに美しい眼をしているのに。
こんなに美しい眼なのにどうして?

どうして? お母様?

嗚呼…。 この眼のせいで。


美しい眼は、取り出して、握りつぶしてしまいたくなる。


自分の眼は、特にだ。


類い希なる金の瞳。


指の腹で、傷付けぬよう優しく眼球を撫でさする。
この眼の持ち主とは、言葉を交わして見たかった。


そう残念に思いながら、男の顔をマジマジと見下ろす。
その瞬間、穴だらけの体。
絶対に、生きている筈のない状態の男の唇が微かに動いた。
「う…」
鵺は驚愕に目を見開き、少し後ずさる。
「う…うぅ…」
男の唇から、間違いなく呻き声が零れ落ちていた。



「ひっ…」
思わず、恐怖の声が、喉から滑り落ちる。


みっともない。


そんな風に感じる余裕すらなかった。



『う……う、うまれ、うまれい、ずり、まする。 あらたに、うまれい、いずり、まする。 め……盟約…盟約により、新たに産まれ出ずりまする。 て、敵はいずこにおわしましょうか? 友は…い、いずこにおわしましょうか? ち……父は、いずこにおわしましょうか?』



知らない国の言葉が、男の口から零れ落ちている。
なのに、何故だろう、言っている言葉の意味を全て私は理解する事が出来た。
喉は、完全に切り裂かれているというのに、滔々と流れ出る言葉はくぐもって、低く、まるで別の何かが男の体の中に入り込んでいるかのように見える。
『は、母、は、いずこに、おわしましょうか?』
グルリ、と死んでる筈の男の顔がこちらを向いた。
右目に空いた空洞が、深く、暗い穴のように見え、吸い込まれそうな心地になる。



『母は、そこに、おわしましたか。 では、貴女から産まれ出ずりましょう』



潰れ、引き裂かれた、手の残骸が持ち上がり、私を差し示しながら男が……嗤った。




唐突にブツブツブツと、肉塊が沸騰するかのように泡立ち、ボコボコと奇怪な音を立て始める。
呆然と眺める私の前で、男の破損した個所にズルズルと新たな内蔵が産まれ、トクンと鼓動を打ち、血管が、体中を巡り、皮膚が形成され、グズグズに潰れている箇所にも肉が産まれ、皮膚が覆い、そして、ほんの数秒足らずで、男は、右目を除く、他の部位の完全な復活を遂げた。
真っ白な肌には、血の気はないが、唇から間違いなく漏れている呼吸や、微かに動いている胸を眺めるに、「生き返る」なんていう非現実極まりない出来事が目の前で起きた事は、疑いようがなかった。


そんな馬鹿な。


私は、数度首を振り、やがて「何が、馬鹿だというのだろう」と思い直す。


生き返る、結構じゃない。
魔眼を持っているのだ。
そんな事、訳ない事だ。
鵺だって、化け物憑きなのだ。
この男が不死身で何が悪い。


私は、怪力を有する妖怪の面を装着し、男の体を抱え上げると、とりあえず自室に運び込む事にした。





**************






「どうして……殺さなかったのです」


男がそう問うて来たので、私は答えに窮して、口を噤む。


殺さないのではない、殺せないのだ。



不死の体を持つ人間。
気付いてないのだ。
そんな自分に。



憐れな…。



私の胸に、言いようのない感情が浮かび上がる。
知れば、絶望に陥るだろう。
死ねないなんて、なんて悲劇。


ならば…。


暗い愉悦が、私の胸の中で生まれた。


男は、蘇る前の段階で「敵、友、父、母」の順で、自分の蘇りのよすがになる存在を探しているようだった。
多分、その存在を敵と判断すれば蘇った後に殺し、友ならば友好関係を結び、父ならば師のように尊敬するのだろう。
本来ならば、自分を殺した相手なのだ。
敵と判断されている筈だった。
だが、殺したのは「鵺」であって、「名無し」の私ではない。
だから、男は私を母と呼んだ。
私は母になって、男が生き返る為に、新たに産まれ出る際のよすがとなった。




私の子供。



私が、この子を産んだのだ。



憐れな…。
憐れな、男よ。
化け物憑きの、それも妖怪人格の「名無し」から産まれ出る事となるなんて。


私は、明るく笑って男に告げた。
「気まぐれ! 気まぐれで助けたんだよんv 良いじゃない、めっけもん!って、感じでしょ? ね、名前、なんていうの?」
首を傾げて問えば、男は抵抗なく、むしろ好意的な感情すら滲ませて素直に応える。
「幇禍。 魏・幇禍って言います」
そして、ニコリと微笑みさえ見せた。
当然だ。
私は、母なのだから。
貴方は、新たに産まれる時に、私を母と認識したのだから。


この先、幇禍は私を慕ってくれるだろう。
私の為に、様々な尽力をしてくれるようになるだろう。
また、私も、『息子』である幇禍を家族のように扱い、真実家族のように心を許すだろう。


そうやって、いつか、そう、いつか言ってやるのだ。


「鵺の事を命を賭けて守ってくれる? 鵺の為に死んでくれる? 鵺が死ぬ時は、一緒に死んでくれる?」と。


幇禍は、頷いてくれるだろう。
心から、誓ってくれるだろう。


そして、いつか気付くのだ。


私の為に死ねない自分に。
私が死んでも死ねない自分に。



絶望する。
そこで、幇禍は絶望する。



私の死への絶望。
私の為に死ねない絶望。
死を自らの意志で選べない絶望。
不死であるという事への絶望。

そして、その全ての絶望から逃れる為に死のうとしても、死ねない事への絶望。



嗚呼、なんて憐れな、憐れな幇禍。
私の子供。



私は、愉悦を隠して、明るく微笑みかけ続ける。


この如何にも、頑健そうな精神を持ち、何事にも動じなさそうな飄々とした雰囲気をした幇禍が、どんな風に狂い、絶望し、打ちひしがれるのか。
それを想像するだけで、私は体が悦びで震える。


私が産んでやったのだ。
この子は私の物だ。
私が死んでいく時は、不死身だというのなら、その心だけでも黄泉の世界へ連れていく。


そっと、サラサラとした手触りの黒い髪を撫でて、私はとりあえずの提案をしてみた。


「ねぇ、幇禍? 関係ないんだけどさ、この髪に、鵺と同じ色したメッシュでも入れてみない? ちょっとだけ、お揃いって楽しそうじゃん」
そう言いながら、私は胸の中で嗤う。


さぁ、坊や。 お母さんの色に染まりなさい。


これが、「名無し」と、数回目となる蘇りの後の新たな幇禍との出会いであった。




*****************************




「俺、ちょっと、あいつの所属する組織に追われてんですよ」
鵺の執拗な詮索に音をあげて、幇禍がとうとう口を開く。
鵺の血みどろの浴衣が目立たぬよう、神社近くに無法駐車してあった車を、どこで身につけたか分からないのだが、「アラ不思議! 鍵がなくても、ドアが開き、エンジンが掛かる方法」を使って拝借しての帰り道の事だった。
「つっても、別に、敵意を持って追われてるとか、命を狙われてるとかそういうんじゃないんです。 むしろ、組織自体は俺の事をスカウトしたいとか考えてて、あの野郎はそのスカウトマンとしての役割を負ってるらしいんですよ。 バイトをする時なんかで、会ったりすると結構しつっこく付きまとわれて、うざったいったら仕方ないんだよなぁ…」
幇禍がこういう事を鵺に話すのを躊躇うのは、鵺があくまで13歳という年齢の少女で、こんな闇社会に関わる話をして怯えさせてはならないという配慮の上での事では全く無い。
鵺が、殊更にそういう厄介事が好きで、騒動に首を突っ込んでは引っかき回すという性格をしているのを痛いほどによく知っていたからだった。
案の定、助手席に座る鵺は眼を輝かせながら、「それで? それで? 今回の事には、どう繋がってくるの?」と問うてくる。
「や、想像なんですけどね? 俺は、よく分かんないんですけど、あの女の子はお嬢さんにとっては、都合の悪い存在だったんですよね?」
「んー? まぁ、ね」
「俺の現在の状況を調べれば、即効、俺がお嬢さんの家庭教師やってる事ってバレるじゃないですか?  別に、隠してないし。 で、俺を組織に引っ張ろうとしても、さしたる弱みもなく、しがらみもなく、どう攻めればいいのか悩んでいたスカウトマンは、唯一の俺の弱点と思われるお嬢さんにとって都合の悪い存在である彼女の存在を知り、あの子を何らかの手段で確保した」
すると、ムッとした表情をして、
「私自体には、どうして手を出さなかったのかしら?」 
なんて、まるで、その方が面白かったのにと言わんばかりの鵺に溜息を吐きつつ、ハンドルを握る幇禍は答える。
「養女とは言え、鬼丸精神病院のご令嬢ですよ? 直接手を出すなんて怖い事、慎重の上にも慎重を重ねないと生き残れないような闇の世界で生きてる奴がする訳ないでしょう?」
幇禍の言葉に、なるほどと、まるで授業を受けている態度と同じように頷いたあと、「じゃ、あの子を確保したスカウトマンさんは、どういう取引をして、幇禍を自分の組織に引っ張るつもりだったのかしら?」と首を傾げた。
「つまり、お嬢さんの過去を握っている存在を突き付けて、大事な雇い主の怯える様を存分に俺に見せた後に、さて、バラされたくなければ…って、やるつもりだったんじゃないですか? 普通の、13歳の女の子が、まさか、あんな風に、幾ら脅迫相手とはいえ惨殺行為に及ぶなんて、想像外でしょう? お嬢さんが、本堂っていう場所を指定した後、あの子から話を聞き、スカウトマン達は本堂へと先回りして隠れたんでしょうが、きっと、驚いたんじゃないかなぁ…」
幇禍の言葉に、鵺は、「何か、鵺がよっぽど異常みたいじゃん」なんて、自分を理解してないとしか思えない不服に口を尖らせ、それでも飽きずに問うてくる。
「でもさ、でもさ、例え鵺が、普通の女の子としてだよ? 怯えて、何もできなかったとしても、幇禍がその子の口封じをするとは思わなかったのかな?」
幇禍は、普通の勉強の時もこの位、積極的に質問してくれたらなぁと思いつつ答えた。
「普通の女の子相手に、まず、家庭教師として雇われてる人間が『俺、じつは殺し屋なんです』ってバラさないでしょう? それは、取りも直さず、俺がお嬢さんに殺し屋である事を隠してるのであろうと憶測されてたって事で、あの場で、しかも、お嬢さんの目の前で、俺があの子を殺す確立は低いって考えられてたんですよ」
「あ。 そうか、幇禍君が、あの場で彼女を殺しさえしなければ、後からスカウトマンさん達が出て来て、あの子の身柄自体は、証言者としてつまり、鵺への脅し道具として、再び自分達の元に留める事が出来る訳ね。 その時点でなら、幇禍君が殺し屋だって、鵺にバレても何の支障もないし、むしろ、幇禍君は殺し屋である事がバレた自分を恥じ鵺から離れる為にも、鵺の危機を救う為にも大人しく組織へ下ると考えたわけだ」
そこまで、つらつらと並べて、鵺は顔をしかめた。
「随分と、陳腐なお話じゃない? それに、鵺ってば、その計画の中においては、すっごく役立たずの、お荷物ちゃん扱いされてるって事よね? うーわぁ、気にいらなーい」
そう盛大にブーたれる鵺を「まぁまぁ」と宥め「確かに、陳腐な物語ですけど、お嬢さんが外見以上に変わった人間で、しかも危険な妖怪の人格持ちだなんて分かる筈ないじゃないですか? 実際、あのスカウトマンは俺の事、実はロリコンで、お嬢さんに惚れていて、だから、家庭教師みたいなつまんない仕事してるんだろうなんて、言ってきましたからね。 何も知らない深窓の清らかな令嬢と、裏の顔を持つ家庭教師とのロマンスなんていう、今時昼ドラマにもならないようなストーリー想像しちゃっても、しょうがないじゃないですか」と、笑いながら言った。
清らか。
深窓。
なんて、言葉とは程遠い性格をした鵺は、「闇社会の人っつっても、ロマンチストなのね」とだけつまらなそうに答え、「でも、あの子、どうしてあそこまで、言いなりになってたんだろ? 人形って呼ばれてたけど」と、疑問を口にする。
その疑問に幇禍は、「それはですね、人間とは、薬漬けにされて、密室に閉じ込められ、毎日脅迫という名の洗脳を受けてしまえばひとたまりもない生き物だったりするからですよ」と事も無げに答えた。
鵺が、首を傾げて「そうだったの?」と問うてくる。
「ええ。 いやにフラついてましたし、視線も定まってなかったでしょう? ああいう風に、完全にこちらの言う事を何でも聞くように仕立て上げた人間を、奴らは人形と呼ぶんですよ」
「へー…」
そう鵺が頷いて、「じゃ、結局、今回の事は全部、幇禍絡みで起こった事なんだ」と呟いた。
幇禍は、「うっ」と不味いトコを突かれたせいで、呻き声を漏らすと、「あーー、す、すいませんでした」と殊勝に謝る。
「面倒な事、巻き込んじゃったみたいで」と、言えば「べっつにー? 楽しいから良いけど、でも、今度、どっか遊びに連れてってね? 遊園地とかが良いかも」よ、ちゃっかり鵺は返し、それから、ふと窓の外へ眼を走らせた。


ポツ


と、微かな音を立てて、水滴が窓に張り付いている。
その音は、その内間断なく聞こえるようになり、水滴はあっという間に窓ガラス全体を濡らし始めた。
「雨…」
幇禍がそう呟き、ワイパーを作動させ始める。
鵺は、手を打って「ラッキーv」と言った。
「これで、あの血溜まりも流れるね」
鵺の言葉に、幇禍も頷く。
「例え、あの後神主達に、血溜まりに気付かれていたとしても、闇夜での事。 死体も転がっていない血溜まりに対し、すぐに警察を呼ぶとも考えにくいし、一晩経って全て洗い流されれば、気のせいであったかと、思って貰えるでしょう。 死体、運んで貰えて良かったですね」
「あ! そうなんだよねー。 なーんで、アレ持ってたんだろ? あの、ミンチちゃんをさ。 重いし、キモくないのかな?」
自分で行った所業を、他人事のように語る鵺を、今更ながら「お嬢さんて、色々凄いよな」なんて感じつつ幇禍は、「あんな、死体でも、ちゃんとパーツに分ければ、商売相手はいたりするんですよ。 何事も、無駄にしないのが大陸流ですからね」と答え、「さ? 他は何もないですか? こんな特別授業、滅多に行いませんからね」と、最早開き直りに近い気持ちで、鵺に告げた。



その後、適当な場所に車を捨てて、帰宅した鵺達は、雨に濡れたせいで揃って風邪をひいた。




『この前は、どーもー』
細糸のように降る雨の中、祭りの後の残骸目立つ人気のない神社の境内を抜けた先にある、本堂の前で、いつものスーツ姿で濡れ鼠になり、鼻を啜りながら幇禍は片手を挙げた。
『風邪かい?』
そう問い掛けてくる男に、曖昧に頷きながら『今日は、部下は?』と、問えば、『邪魔だから置いてきた』と、答えた。
細い、蛇のような眼は相変わらず底冷えのするような光を放っていて、風邪だけでない震えを幇禍の背筋に起こさせる。


イイなぁ…。


ゾクゾクする感触をそのまま、悦楽に変えて、幇禍は薄く笑う。
イイんだろうなぁ…、こいつと殺し合うのは。


『あんまり、良いやり方じゃないですよね? 前回みたいなのは。 お嬢さんの過去まで洗い出してくるっつうのは、格好良くないな』
幇禍の言葉に、男は、ニッと唇を裂いた。
『君を、浚うにはなりふり構っていられないって気付かされてね。 俺が組織に任せられて経営している、キャバクラに新しく入った女が雑談で聞かせてくれた話の中で、君の大事なレィディと同じ特徴を持つ女の子の話が出てね。 なかなかに興味深い話でもあったし、利用させて貰おうと人形に仕立て上げさせて貰ったんだが、その事について、文句を言いに俺を呼んだのかい?』
まだ、14,5程の少女が、キャバクラで働くとは、と一瞬驚きつつも、そんなの今の日本ではよくある話かと思い直し、幇禍は、首を横に振った。
『いえ。 ただ、今回の事を踏まえて、面倒臭くなったし、ちょっとばっかり、ウザすぎるので、貴方を殺す事にしました』
そう言いながら、拳銃を取り出し両手に構えれば、男は『そう来ると思ったよ』と声をあげて笑う。
『分かってるから、一人で来たのでしょう? 貴方ほどの腕の人なら、他の人間は足手まといにしかならない』
幇禍は、じっと男の動きを眺めながら、何でもない声音でそう問い掛けた。
『買い被りだよ。 まぁ、ただね、俺も認識を改めざる得なくなった。 あのレィディを利用して君を、スカウトする事すら出来ないと判明した今、現時点では、君の事は諦めざる得ないとね』
男は、懐に手を入れて、美しい装飾を施された、見た事もないような形をした銃を構える。
『組織に組み込めないのなら、君のその腕の良さは、ただの脅威だ。 出る杭は打つ。 日本の諺にあったよな?』 
そう言いながら、フッと、身を沈め、一足飛びにこちらに向かってきた男に、幇禍は焦らずに照準を合わせて、引き金を引く。
しかし、それよりも一瞬早く、男は高く飛び、そのまま、上から銃弾を撃ち込んできた。
地面を転がるようにして、弾丸から逃れ、男が地に足をつけるのを待って、近距離から銃を撃ち放とうとする。
だが、殆ど予備動作無しに男は幇禍の銃を握る手を蹴り上げ、懐に潜り込むと、その胸を強く両手で押し放した。
息が詰まるような衝撃を胸骨の辺りに感じ、仰け反りながらも、何とか踏みとどまる。

ゾクゾクが強くなる。
楽しい。
俺の、祭りだ。

そう快哉を胸の内であげ、、先程の攻撃によって仰け反った反動そのままに、ぐいと銃を握ったままの手で器用に男の胸ぐらを掴み、男の身を引き寄せるようにして、自分の身体を起こすとそのまま、頭突きを一発喰らわせる。
『ぐあっ!』
堪らず、そう呻き声を漏らす男に、そのまま一連の流れで膝蹴りを腹に決め、頭が沈んだ所に、奇麗に踵落としを叩き込んだ。
そのまま、地に倒れ伏す男に銃を突き付ける。
だが、恐るべき忍耐力と言うべきか、体力と言うべきか。
グッと、手を伸ばし、幇禍の片足を両手で掴むと男は縋り付くような要領で、物凄い力で下に引いた。
咄嗟の事に、抵抗できないままそれでも、何とか地に膝を付かぬよう踏ん張った幇禍の体に、殆ど抱きつくようにして無理矢理体を起こし、男は幇禍の額に銃をあてる。
これで、お互いに零距離射撃内に相手を捉えたと言う事か。

腹を思い切り蹴られたせいだろう。
えづき、唇の端から、唾液を垂れ流しながら、それでも蛇の目で幇禍を見据えて男は言う。
『実はねぇ、幇禍…。 俺、お前が、俺達の組織に入るだなんて、冗談じゃないと思っていた。 大嫌いだ、お前みたいな男は』
幇禍は、笑って答える。
『奇遇ですね。 俺も、貴方の事は嫌いだ』
だからね、と、幇禍は言葉を続ける。
『さようなら。 俺の目の前から消えて下さい』


ザクリ


と、やけに鮮やかな音をたてて、男の脛の辺りの肉が切り裂かれた。
『ひっ』
と、短く悲鳴を上げてしゃがみ込み掛ける男の頭に、躊躇うことなく、弾丸を撃ち込む。
「絶対役に立たないと思ってたんだけどなぁ」と呟きながら、幇禍は自分の足を見下ろした。
そのナイフは、幇禍穿いている革靴のつま先から生えていた。
「万能靴。 靴にも、ナイフにもなりますって、通販で買う前は『凄い!』って、喜んで買ったは良いけど、予想通り日の目を見ないまま、ここまで来たお前が、こんな風に鮮烈デビューを果たすとはなぁ」と、感慨深げに呟き、靴を脱いで手動でナイフを靴底にある収納部分に押し込みながら(出す時は、踵のワンタッチボタンを手で押すか、穿いたまま踵を地面にぶつける)「お嬢さん。 もう出て来て良いですよ」と、本堂に呼びかける。
すると、ギシギシと音を立てて、本堂の木の扉を開け、赤い傘を差しながら、ピョンと音のしそうな様子で飛び出してきた鵺が「なんか、香港のアクション映画みたいだったよーv」と嬉しげに言った。
「満足でしたか」
と、問えば、「うん」と笑顔で頷く鵺に、幇禍も満足な気分になって「じゃ、帰りますか」と言う。



ここで、この話は、お終いになる。
お終いになる、筈だった。



「後始末。 必要だろ?」
それは、場違いに響く、道徳・理性というものを正しく有する者の声だった。
真っ黒な傘を差し、ゆっくりとした歩調で、階段を上りきり、二人の元へと歩いてくる男。
「おやびん?」
鵺が不思議そうに、そう呼べば「よう」と片手を挙げて、武彦が笑った。
「何しに来たんだ」
警戒心を滲ませながらそう問う幇禍を、何とも言えないような眼で見つめ、同じ視線で鵺を見下ろし、そして、最後に神社を見回す。

「分かるか?」

武彦が、唐突に問うてきた。
「は?」
鵺が、口をポカンと開ける。
「泣いているんだそうだ。 分からんがな。 ただ、こういう神社などの聖域で、人の血が流れ、誰かが殺されるという事は、物凄く危険な事らしい。 実際、この前の祭り依頼な、へんな怪異がちょくちょく起きるっつうんで、俺のトコに依頼が来た。 知り合いの陰陽師に、強力な鎮めの札と、清め塩を預かっててな、その二つさえ作法通りに配置すれば、素人の俺がやっても、亡くなった魂を慰められるらしい」
武彦は、そう云いながら、札を何かの法則通りに本堂と、周辺に生えている木々に張り始めた。
「その死体。 片付けとけよ」
と、口を歪めて言う武彦に、呑まれたようにその行動を眺めていた幇禍が「言われなくとも」と憮然と返す。
「泣いているって…何が?」
鵺が、そう問えば、武彦はつまらなそうに答えた。
「女。 まだ、女の子といってもいい年の子だそうだ。 薄桃色の浴衣を着て、狐の面を被った女が、夜になるとシクシクと本堂の前で泣くらしい」
鵺は、「へぇ」とだけ答えて「怖いねぇ」と、無邪気に言う。
札を張り終えた武彦は、男の死体の前に立ち「お前も、迷わぬよう、清めてやるよ」と呟いて、塩を周りに少しふると、両手を会わせて合掌した。
そして、その両手を会わせたまま、武彦が横目で鵺を眺めて言う。
「お前だろ。 その子を殺したのは」
鵺は、首を傾げて問うた。
「どうして、そう思うの?」
「そんな幽霊話聞いて、いつものお前なら幇禍の腕でもひいて、今晩見に来ようとでもはしゃぐだろう。 それを『へぇ』の一言で済ますなんざ、何か裏があると思って当然だろうが」
武彦は事も無げに、そう答える。
すると、「凄い、凄いv」と手を打って跳ねながら、鵺は幇禍に「オヤビン、ちゃんと探偵やってんね!」と、言った。
「そうだよ。 鵺が殺した。 でも、殺した鵺は、今、オヤビンの前にいる鵺じゃないの。 分かる?」
武彦は、「分かるよ」とだけ答え、ポンと鵺の頭に手を置く。
「分かるよ。 俺は説教しに来た訳じゃないしな」
そう言って、どこか、憐れみを滲ませた視線で、鵺を見つめた。
「ただ、お前を、可哀想がりにきただけだ」
鵺は「どういう意味?」と、無表情な声で問い返した。
「人を殺すという事を、自分の意志で判断して行えなかったお前を、可哀想な奴だっ憐れんでやりに来たんだ。 楽しい祭りの夜に、人を殺してしまわざえる得ない状況に追い込まれたお前を、なんて弱いんだってな」
鵺の眼がキュっと、細まり、武彦の顔を眺める。
「そんな意地悪な事、言うなら、面…打っちゃうよ? 心、暴き立てちゃうよ」
観察者の目をしながら、そう言う鵺に、悲しげに武彦は首を振る。
「無理だよ」
「無理じゃない! 無理じゃないのよ? じゃ、言ってあげようか? あの、古い興信所で、ずっと、人の血の匂いのしない作り物の妹と二人で、おかしな事件に相対し続けて、オヤビンは、恐ろしいこと、悲しいことを目の当たりにし続けて、皆は、みんなは、鵺の事を壊れているというけれど鵺の事をおかしいというけれど、違う。 違う、一番壊れていて、おかしいのは……オヤビンだよ」
「鵺」
「全てを眺め、知り続けたオヤビンの中は、混沌と、色んな感情に満ちすぎている。 頭がおかしくなりそうなんでしょ? ホントは、一線を越えるか越えないかの微妙なトコで、立ち止まっているんでしょ?  オヤビンの中には、誰にも抑えきれない程の破戒衝動が……」
「鵺!」
武彦が厳しい声音で叱責するかのように、鵺の名を呼び、そして「ああ、違う。 違うな。 鵺じゃない。 一人称ですら、『鵺』、と自分が鵺である事を確認し続けねばならない程に、境界線の曖昧な存在である、『名も無き者』よ。 お前の言葉は届かない。 俺には、届かない」と、強い声で言いきる。
そして、憐憫を滲ませたままの微笑みを頬に浮かべ、囁いた。
「俺は、お前を憐れみに来たんだ。 他者を憐れみ続けたお前を、俺が憐れんでやろう。 どうだ? 憐れまれる気分は? 傷付くだろう? 屈辱だろう? お前は憐れだよ。 本当に、憐れだ」
鵺は武彦の全ての言葉を聞き終わらない内に、グッと唇を噛みしめ、その向こう脛を蹴り飛ばす。
「っってぇぇぇ!」
そう言いながら、うずくまる武彦の頭に「そんな事はね! 知ってるよーーーだ!」と叫ぶと、傘を投げ出しダッと、脇目も降らずに駆け出した。
そんな鵺の後ろ姿を、呆然と見送りかけた幇禍は、慌てて「お嬢さん! 傘、差して下さい! 風邪、悪くなります!」と叫び、それから武彦に吐き捨てるように言った。
「余計な事を、言うもんじゃないな」
武彦は、顔を上げ、しゃがみ込んだままの姿勢で、冷たく言う。
「別に、俺は、神でも、裁判官でもないからな。 鵺の罪を裁こうとした訳じゃねぇよ。 だが、少し位傷付いたってどうって事ぁないだろう? 鵺が殺した女の失われた命に比べりゃあな」
そして、皮肉気に唇を歪めて言葉を続ける。
「子供に人殺す風景見せて、自慢気にしてるような、イかれ野郎に何言っても伝わんねぇか?」
幇禍は、カっとした怒りが沸き上がるに任せて、武彦の胸ぐらを掴み、無理矢理立たせると、ドスの効いた声で言う。
「テメェ、マジ、殺すよ?」
すると、武彦は、鵺に見せた笑みと同じ、憐憫に満ちた微笑みを浮かべて言った。
「鵺の言葉が俺の心に届かないように、お前の弾丸は決して俺の心臓には届かねぇよ」
幇禍は、殺意の滲んだ視線を武彦に据えたまま、それでも突き放すようにその体を突き飛ばし、赤い傘を持って、鵺の後を追った。





「分かってるんだよねぇ。 全くオヤビンの言う通り! あの、白い面被ってた時ね。 あの時は、鵺の意志って全然ないのよねぇ。 もう、ああなるって、体がなっちゃったら、なるしかないの。 あの白い仮面の奴がさ、ずっと表に出ていたいってなったら、鵺ってば永遠に、表に出てこれなくなっちゃうの」
やっと追いついた幇禍が差し掛けてくれる傘の下、俯いて鵺が言う。
「哀れだよ。 鵺。 怖いもん。 マジで。 あの白い面の奴、本気で壊れちゃっててさ、手に負えないって感じ。 鵺が言うのもおかしいかもかもだけど、あったまおかしいんだ、あいつ。 あんな奴に…あんな奴に…この体取られるのヤだよ。 怖いよ」
幇禍は、何も言えずに、鵺の隣を歩き続けていた。
「ねぇ、幇禍君。 もし、鵺が、あの面を被り続けたまま、もう、今の鵺を外に出してくれなくなったら、その時は、鵺の事を殺して」
鵺の頼みに、幇禍は何も反論せぬまま頷く。
「そして、鵺が死んだら、幇禍君も死んで」
コクリ、と幇禍は再び頷いた。
「幇禍君は、鵺の為に死んでくれるんだよね?」
幇禍は、また、頷く。
そして、平然と、故にそう心に決めているのだと悟らせる声音で言った。
「お嬢さんが死んだら、生きてても何も面白くありませんからね。 死にますよ。 お嬢さんの為だったら、俺、死にますよ」



鵺は、暗い愉悦の中に心底の寂しさを滲ませて心の内で呟いた。





「嘘吐き。 出来っこない癖に」






  終
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2004年06月21日

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