『白い鳥の黒い羽根 』

オーマ・シュヴァルツ（1953）

■　白い塔　■■

名も無き小さな白い塔は、ソーンより北東の地にひっそりと佇んでいた。
まるで生クリームで彩られたかと思うほどの、真っ白い塔。其れが小さな湖の真ん中、ぽつねんと唯其処に存在していた。其の湖自体が深い森の中にある所為か、余り冒険者には知られていない場所。だがもし其の存在が世に知れ渡っていたとしても、冒険者達は態々こんな辺鄙（へんぴ）な場所を目的地には選ばなかっただろう。この塔にはモンスターという存在が無ければ、金銀財宝も無かったからだ。
唯一つ、塔のある場所の地域一帯にだけ実しやかに伝わる伝説が合った。其の塔と同じ、白い美しい翼を持つ魔物が、塔の最上階に住んでいるのだという。

「っと……あれが、そうか」

オーマ・シュヴァルツは、白い塔へと続く、湖の上に作られた小さな足場の真ん中に立ち、其の輝く建物を見上げた。太陽が高くから照らし出す其の存在は、矢張りとても美しい。
あの中に、伝説の白い魔物が居るのだろうか。柄にも無く、胸が期待に高鳴る。どくりと力強く脈打つ。

「さぁて……御対面、と行こうかね」

本当に白い魔物が居るかどうかは判らない。噂はあくまでも噂であり、伝説は伝説だ。真実を示唆する物ではない。幸運の女神が指差して教えてくれたわけではなく、賢者が耳を澄ませた訳でもない。
ただ、白い魔物の伝説をひょんなことから耳にした時、オーマは唯只管其れをこの目で見てみたくて仕様が無かった。本当にそんな、穢れを知らぬ白い魔物が居るのだろうか。冒険者としての心が急かされた。
そうして結局、其の日のうちに荷物を纏め、遥々ソーンから馬車を乗り継いでこの北東の地まで遣って来た。馬鹿な真似を、と自分でも思う。いい年をして、たかだか伝説如きに現を抜かして。だけれど其れが冒険者であり、男ってモンだ。そうだろう？オーマは自問自答し、自分の中でゴーサインを出すもう一人の自分に誇りを感じた。

オーマは白い扉の中に身体を潜らせる。湖の真ん中にある所為か、室内はひんやりと湿っていた。太陽の下を歩いてきた身体には丁度良い。目を細めて、オーマは満足げに息を吐いた。
さて、と気を持ち直して辺りを見回す。白い塔の薄暗がりの中、塔の内壁に沿って上へ上へと続く螺旋階段を見つけた。
上を見遣る。そう遠くない場所に、小さな小部屋の床らしき天上と、其処に光が射し入る大きな天窓、其の内部に続く階段の末尾があった。あそこか。オーマは自分の銃を背負いなおし、ゆっくりと螺旋階段を上り始めた。



■　防人　■■

階段の終焉には、塔と同じく白い扉があった。其れは塔を構成する物質と同じもので出来ており、金の金具が付けられていた。丸い金属の取っ手を指に掛け、く、と引く。
音も無く、滑るように開いていく扉の先。白い魔物は居るのだろうか──？

「……何だ、ありゃァ」

視界に飛び込んできた物に、オーマは怪訝そうに眉根を寄せる。何であんなものが、こんな場所に。オーマは銃を身体にぴったりと引き寄せ、じりじりと「其れ」に近付いた。

其れ──白い部屋の真ん中、其処には鉄製の大きな鳥篭が置いてあった。

鳥篭。鉄で織られた、巨大な鳥篭。オーマは其の中に、蠢く白い影を見た。何か白い羽毛のようなものが、ゆっくりと脈打つように動いている。生きている、のだろうか。呼吸をしているのかもしれない。
もう一歩近寄ろうと足を少し動かした、其の時だった。鳥篭の中に丸まっていた白い羽毛がふわりと浮き上がり、まるで天使の羽根のようにぐ、と広がる。其の根元には、歳若く映る女がゆっくりと身を起こしている最中だった。

「……何方（どなた）様？」

身を起こした女は、億劫そうにそう呟いた。言葉に合わせるかのように、狭い鳥篭の中で白い羽根が蠢く。

「もしかすっと……お前、白い魔物……か？」
「そうとも呼ばれているね」

女はくぁ、と欠伸をし、気だるそうに身体を揺すった。オーマは魔物の返答に眉を顰め、訝しげに檻をこつん、と叩いた。硬い。
オーマは視線を魔物に向け、其の視線に合わせるようにしゃがみ込む。

「何でそんなとこに閉じ込められてんだい？」
「うーん……魔族の禁を、ね。犯したの」

白い羽根をゆらりと揺らす。其れで、とオーマが先を促すと、魔物は緩やかに喋り出した。

「好きな男に……心底惚れていた男に、頼まれたんだ。そいつは人間で、魔族の力を欲しがってた。だから、禁を犯して私は黒い翼の力をそいつに渡し……私は白い翼になり、この塔に閉じ込められた」

白い魔物はそう言うと、しゃがみ込んで自分に視線を向けているオーマの顔をちらりと見遣る。物好きね、こんな何も無い所に来るなんて、と。僅かに呆れた声音で、そう呟いた。
オーマは小さく喉奥で笑い、そうだなァ、と頷く。確かに物好きだ。財宝も強い敵も居ない、あるのは居るか判らぬ白い魔物の伝説のみ。そんな場所へ来たのは。

「俺ァ、一度白い魔物ってェのを見てみたくてな」
「ふぅん。やっぱり物好きだ」

笑みを浮かべたまま言うオーマの顔を見、やがて白い魔物も可笑しそうに噴き出した。だが、其の笑みも直ぐに引いてしまい、白い魔物は僅かに寂しそうな顔をして下を向く。
申し訳無さそうな声音が、そっと響いた。

「……すまないね、こんなみすぼらしい魔物で」

白い魔物は項垂れて、そんなことを呟く。小さく溜息をつき、彼女はすまない、ともう一度だけ繰り返した。
其の様子を見、オーマはゆっくりと立ち上がる。何をするのかと、動いた影を見つめながら白い魔物はぼんやりと思った。ああ、帰るのか。しょうがない、此処には何も無いのだから。
そう息を吐いた、直後だった。

ぎぎぎ、と鈍い音を響かせ、檻が強引に左右に割り開かれたのは。

「なっ……何をやってるの、貴方！」
「みすぼらしい魔物なんか、俺は見たくねぇんだ。あんたが飛ぶ姿を見せてくれ」

にぃ、と豪快に笑って見せたオーマを見、白い魔物は目元に何か熱い物が溢れるのを感じた。ああ、涙か。そう理解するのに、幾秒か掛かった。何せ泣いた記憶など、愛するあの人に裏切られたときだけだったから。

「──お節介な奴だね。でも、……有難う」
「おう、俺はお節介焼きなんでね」

白い魔物は、ゆっくりと立ち上がった。長い間座っていた所為か、酷く足腰が萎えていた。でもそんなことは気にしない。私には、私には翼がある。魔物の誇りの黒い翼ではないけれど、純白に輝く翼がある。

天窓を体当たりでぶち破り、白い魔物は天空へと舞い上がった。ひらりひらりと青空の中、白い翼がはためく様は酷く綺麗だった。
其れを見、オーマは思わず目を細める。其れは太陽が眩しかったからか、其れとも白い翼に反射した光か──否、それよりも、彼女の輝くような笑顔の所為か。

オーマは鳥のように飛ぶ白い魔物を、ずっと見ていた。



■　黒い羽根　■■

「有難う。お礼に、私の宝物をあげよう」

破った天窓の淵に降り立った魔物は、そう呟くと、徐（おもむろ）に自分の白い羽根を一枚引き抜いた。其れをぎゅう、と両掌に握り込み、ぐ、と力を込める。
次に柔らかく手を開いた時には、彼女の掌には、黒い羽根がふんわりと乗っていた。

「……黒い、羽根？」
「そう。私の中に僅かに残っていた魔力を、全てこの中に注ぎこんだ。言わば魔力の結晶だ。これを、あげる」

白い魔物はそう言って、黒い羽根をオーマに握らせた。
だがオーマは複雑そうな視線で其れを見、矢張り、と白い魔物に返そうとする。

「貰えねぇ。お前の魔力が無くなったら、お前は魔物じゃなくなっちまうだろう？」

其の言葉に、白い魔物はころころと軽やかに笑った。良いのよ、気にしないで。魔物はそう言って、差し出された羽根を押し返す。
白い魔物はオーマがもう一度腕を伸ばす前に、ふわりと空に舞い上がった。此処なら来れないでしょう、とまた微笑む。

「良いの。私はもう魔物じゃない。白い鳥になる」

オーマが口を開こうとすると、其れを制するように、彼女は自分の人差し指を立て、そっと自分の唇に宛がった。

「……私、知らなかった。白い羽根が太陽に輝くのはこんなにも綺麗なこと」

だから。ふわり、と彼女は更に上空に舞い上がる。

「私は白い鳥になる。白い鳥に、黒い羽根なんか要らないだけ──……」



そう言い残し、飛んで行ってしまった背中を見送りながら、オーマは強引に渡された羽根をそっと、自分の視線まで持ち上げた。
じっくりと検分し、緩く目を細める。

「白い鳥は、黒い羽根を遺して飛んだか……自由で良いねぇ」

オーマは自分の懐に其れを大事に仕舞い込み、白い魔物──白い鳥が飛び去った太陽に背を向けた。





■■　白い鳥の黒い羽根・了　■■

PCシチュエーションノベル（シングル）

硝子屋歪

聖獣界ソーン

2004年06月17日