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『infancy 』
橘・朔夜2039)&橘樹・月兎(2115)

「全く、うちの巫女と来たら……っ」
 腹立たしげに言って、月兎が差し出すタオルを朔夜は横たわったまま受け取る。
 冷たいそれを額に宛てて、小さく溜息を付き、
「ごめんなさい」
 答える声は小さい。
 呆れ果てた顔で側の座る月兎は宮司。
 申し訳ないと言うよりも、ばつが悪いと言った顔の朔夜は、締め付けを僅かに緩めた巫女装束。
「普通、倒れるか?それも神事の最中に?」
「…………」
 人がいなかったから良かったものの、参拝人でもいようものなら目も当てられないと怒る月兎に、朔夜は小さな声で反論してみる。
「……でも、こう言ったことは予測出来ませんし……」
「予測出来ないからこそ日々万全を期しておくものだっ」
 そう言われると、何とも申し開きのしようがない。
 
 6月。
 梅雨の合間の晴れた朝。朝からの神事で少しばたついていた。
 大々的なものではなく、宮司である月兎が祝詞をあげ、巫女である朔夜が舞を奉納する、毎年この時期に行っている年間行事の一つだ。
 その神事の最中、しかも舞を奉納している真っ最中に、貧血を起こしてしまった朔夜。
 ふらりと体勢を崩して倒れる……、その、倒れた場所がまた悪く、柱のすぐ側。
 あ、と気付いた月兎が慌てて駆け寄るよりも早く、強かに柱に額を打ち付けて朔夜はその場に倒れ込んだ。
 当然、神事は中断。
 仕方なく、青冷めた顔の朔夜を部屋の隅に運んで寝かせている。
 幸い流血するほどの怪我こそしなかったものの、角に打ち付けた額は赤く腫れている。
 濡らしたタオルでその傷を冷やす朔夜を、ぶつぶつ言いながらも月兎が団扇で仰ぐ。
「気合いが足りん、気合いが。貧血くらい、神事の最中は我慢しておけ」
 などと無理を言う月兎。気温も湿気も高い、エアコンの利いていない部屋の中で暑苦し気に顔をしかめる。
 ひんやりとしたタオルを額に当てたまま、朔夜は目を閉じて精一杯神妙な顔で月兎のお説教を拝聴する。
 よくもまぁ、こんなにも怒りで舌が回るものだと感心してしまうほど、月兎はくどくどと説教を説く。それでも、額に汗を垂らしながらも、自分を扇ぐことはせず、緩やかな風を朔夜に送り続けている。
 僅かに目を開いて、朔夜はチラリと月兎の顔を盗み見た。
 心底怒っていると言うよりも、あきれ果てたと言う顔。
 31歳と言う年齢相応に見えるのか、年より若く見えるのか、朔夜にはあまりに見すぎた顔でよく分からない。
「…………」
「何だ?」
 朔夜が自分を見ていることに気付いて、月兎が首を傾げる。
 その仕草は、子供の頃から見慣れたものだ。
 いつ頃からか、首を傾げる時に顔をしかめるようになった。その事に、月兎は気付いているのだろうか。
 思わず笑みを浮かべた朔夜に月兎は訝しげな顔をする。
「どうした?」
「……いえ、大きくなったと思って」
「……は?」
 時折、月兎が自分をどんな風に見ているのだろうかと思う事がある。
 姉弟なのか、単なる身内、親族の1人なのか、それとも、巫女なのか。
「子供の頃は、本当に小さくて可愛かったのに」
 呟く朔夜に、月兎は盛大に顔をしかめて見せた。
「何を、突然……、子供は誰でも小さくて可愛いものだろう」
「そうじゃなくて、」
 言って、朔夜はまじまじと月兎の顔を見る。
 長年見慣れた顔。
「大きくなると、こんなにも愛嬌がなくなるものかしら。もう、転んでも泣いたりしないわね」
「だから、何を突然っ!愛嬌がなくて悪かったな。転んで泣くような子供に見えるのかっ」
 団扇を動かす手を止めて、月兎は軽く朔夜を睨む。
 睨んだ顔は、ふてくされて頬を膨らませた子供の頃の面影がある。そう思うと、どうしてもおかしくて笑ってしまう。
「打ち所が悪かったのか?大したことはないと思ったが……、今から病院へ……」
 立ち上がろうとする月兎を、朔夜は止めた。
「大丈夫、別に怪我が原因と言う訳ではありません。ただ、何だか懐かしくなって……」
 小さな子供だった。
 今でこそ大きな顔で名を呼び捨てにするが、以前は「お姉ちゃん」と呼んで後に付いて来たものだ。
 朔夜は月兎を弟のように思い、面倒を見て来た。
 勿論それは、他の一族の者達もそうで、今は老年の域に入った者でさえ、朔夜にとっては可愛い弟妹だ。
 417歳と言う、朔夜の本当の年齢を知らぬ者が聞けば、首を傾げるかも知れないが。
「よく考えてみたら、私の方が386歳も年上なんですからね、年長者はもっと敬って頂かないと」
 途端に、団扇で頭を叩かれた。
「その年上の年長者が神事の最中に倒れるようなヘマをするなっ!」
 ……結局、叱られる。
 その昔は、朔夜が月兎を叱った事もあったのに。グズグズと泣いて謝る月兎は、なかなか可愛らしかったのに。
 ……などとうっかり口にすると、また叱られそうなので言わないでおく。
 ただ、大人になって宮司を勤める身となった今と昔のギャップを、こっそりと笑う。
「生意気な弟妹を持つと、苦労します」
「出来の悪い巫女を持つと、宮司は苦労する」
 子供の頃は、こんな憎まれ口を叩くこともなかったのに。
 全く、人間は大きくなると可愛気がなくなる。

 時間の経過と共に、室内は益々湿気を増し、気温も上がっていくようだ。
 温くなったタオルを畳み直して、朔夜はまだ微かに痛む傷に当てる。
 不意に、月兎が立ち上がった。
 何をするのかと思えば、団扇を置いて部屋を出て行ってしまう。
「……怒ったのかしら」
 神事の最中に倒れた上に、突然子供の頃の話しを持ち出して笑ったりしたから。
 神事を中断してしまったことは、確かに自分に非がある。
 弟と思う気持から、つい笑い事にしてしまったが、月兎は宮司、そして自分は巫女。本来ならばきちんと謝罪しなければならないところだ。
「戻ったら、ちゃんと謝って神事を続けなくては」
 そう思いながら、目を閉じる。
 温くなったタオルは、傷に当ててもあまり気持ちよくなかった。
 どれくらい過ぎただろうか、静かな部屋に聞き慣れた月兎の足音が響いて来た。
 目を開けて、起き上がろうとする朔夜。
 その顔に、白く冷たいものが押し当てられた。
 見ると、冷たく冷やされた白いタオル。
 額のタオルを取って、月兎が呟いた。
「うっかりしていた。御年417歳にもなる年寄り巫女だ。もっと労ってやらないとな」
「と、年寄り……?」
 突然子供の頃の話しをした仕返しだろうか、朔夜を年寄り呼ばわりする月兎。
 驚きながらも、朔夜は新しいタオルの冷たさが心地よく目を閉じる。
「起きられるか?」
 尋ねられて身を起こすと、手に差し出される冷たいお茶。
「ありがとう」
 受け取って、すぐに口を付ける。
 体内に染み渡るような冷たさが美味しい。
 成長して可愛気を失っても、優しさは失わなかったらしい。
 笑って、朔夜は神事を中断してしまった事を詫びた。

「全く、誰かの所為で予定が狂ってしまったぞ」
 ブツブツ言いながら暑苦しそうに衣服に風を送る月兎。
 長い休息を挟んだ後、神事を無事終えて時計を見ると、3時をとうに過ぎていた。
 よく冷やしたせいか、傷の痛みは引き、腫れも大分治まった。
 それでも念の為、今日は大人しくしておくように言われたので、可愛い弟の言葉に従うことにする。
 片付けを終えて部屋を出る月兎。
「月兎さん、おやつなら、手を洗ってからにしてくださいね」
 子供の頃に言ったように、笑みを浮かべて言ってみる。
 「はぁい」と、以前は返った返事。
 今は無言の冷たい目線が返るだけっだった。



end
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
佳楽季生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年06月16日

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