▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『彩明 』
桐崎・明日3138

 それは例えば、暗闇。何も明りなど見当たらず、完全なる闇の世界だけが広がっている。
 その闇の中で何の手立ても無く、光はどうしても調達できぬと知っている事ならば、そのまま進んでいくしかない。それしか道は残されていないのだから。
 それが知るという行為であり、悟るという行為でもある。


 桐崎・明日(きりさき めいにち)が草間興信所に訪れたのは、ほんの気紛れだった。黒の髪をかきあげ、銀の目で興信所内を一瞥して苦笑する。
「なんだ、草間さんは留守なんですね」
 興信所内にいたのは、零ただ一人であった。零は困ったように笑う。
「そうなんです。兄さんってば、さっき煙草を買いに行くって出ていったまま、帰ってこなくて」
「逃げたんですかね?」
 明日が笑いながら言うと、零もそれに便乗したようにくすくすと笑う。
「そうかもしれませんね。どうしますか?ここで、兄さんを待ちますか?」
「そうですねぇ」
 明日は小さく呟く。特に用事があって訪れた訳ではない。ただ、何となく興信所の前を通り、何となく訪れただけなのだ。だが、折角興信所に訪れたというのに、何も無いのでは何となく肩透かしを喰らった気分になった。明日は零をちらりと見、にっこりと笑う。
「どうでしょう?俺と、一緒に散歩でもしませんか?」
「いいですよ」
 零はにっこりと笑い返し、鍵を手にして明日に続いた。事務所に鍵をきっちりとかける零を待ってから、明日は零と一緒に歩き始めた。なるべく、零の歩調に合わせるように気をつけながら。


 近くにある並木通りは、ざわりという風が心地よく吹いていた。桜の季節は終わってしまった為、今では青々とした木々があるだけだ。季節が丁度であれば、薄紅色の美しいアーチが続いているであろう。
「いい天気ですね」
 零は空を見上げ、にっこりと笑った。それ答えるように、明日もそっと笑う。零はその笑みをじっと見つめる。
「どうしました?」
 目線に気付き、明日は首を傾げた。零は小さく「いえ」とだけ言い、再び歩き始めた。明日は一瞬目を光らせ、それから小さく口元だけで笑う。
「不自然だって、思いました?」
 明日の言葉に、零は黒髪を靡かせて振り返った。その目はただじっと明日だけを見つめている。
「いいんですよ。俺は別に気にしてないですから」
 明日がそう言ったその時だった。並木通りを、女子高生二人が歩いてきた。彼女らは明日と零の隣を通り過ぎる。会話を止めようともせずに。
「でさー、あたし言ってやったんだって。『サイアク』って」
「やだー」
 けらけらと笑い、通り過ぎていく女子高生達。明日はその二人をただじっと見ていた。妙に冷たい目で。
「……桐崎さん?」
 零は明日の袖をぎゅっと掴み、呼びかけた。まるで、明日を現実に引き戻すかのように。明日はそんな零にそっと微笑みかけ、それからそっと口を開く。
「最悪、という言葉はどう思います?」
「最悪……ですか?」
「そう。彼女たちがどういうつもりで言ったのかは知りませんが……」
 明日の目が、冷たく光る。
「俺にとって『最悪』とは、俺の事を指す言葉ですから」
「桐崎さんを指す言葉なんですか?」
 不思議そうな零に、明日は頷く。
「最悪って、最も悪いって書くでしょう?つまり、それ以上には何も無いって事なんです。だけど、俺は行き止まりであったとしてもその事に関係なく進むんです」
「関係なく……」
「ええ。終わっているのに関係なく始めるんです。ほら、最悪でしょう?」
 明日はそう言い、小さく笑った。零は笑う事もせず、ただじっと明日を見つめている。問い掛けてみたものの、明日自身別に回答が欲しかった訳でもない。何も答えぬ零に対し、再び明日は言葉を続ける。
「結局の所、俺は楽しければいいんですけど。例え、世界を敵に回す事になろうとも。例え全てが狂ってしまっていようとも」
(それが、俺だから)
 明日はそっと口だけで笑む。如何なる否定も、如何なる拒否も、如何なる疑問も。全てが超越した所に明日の思うところがあるような気がした。
「そもそも『桐崎』自体もただの気紛れで作られただけですし。それだけで『最悪』なものが13も集まってしまったんです。存在理由もなく集まり、ただそこに存在しているという……」
 零の目が、じっと明日を見つめている。何も答える事なく、ただじっと。
「本当に、ただ存在しているだけなんです。何も理由など無いのに」
「……桐崎さんは……」
 明日の言葉をじっと聞いていた零が、そっと口を開く。
「桐崎さんは、自分自身をきちんと持ってらっしゃるんですね」
 零の言葉に、一瞬明日は言葉に詰まる。
(自分自身……俺自身を)
 じっと見つめる零の目に、嘘はない。明日の言葉を聞き、明日を見つめ、言葉をきちんと紡いでいるのだ。
「どういう状況に陥ったとしても、桐崎さんは桐崎さんでいるんだと思うんです」
(ああ、そうか)
 明日は言葉を噛み締め、納得する。
(どんな状況であっても、俺は俺だから)
 それは紛う事ない真実。明日自身も認め、また、零によって認められた事実。
(楽しければ、それでいい)
 深く考える事すら要らぬ。どんな状況に陥ったとしても、明日は明日なのだから。
「最悪らしく」
 ぽつり、と明日は言葉を漏らす。
「最悪らしく、最悪に、最悪でいる……」
 呟くたびに、持っていたイメージが確実なものになっていくようだった。元々ちゃんとした考えは、内にちゃんと秘めていた。だが、今回はその秘めていたものが現実のものとして存在しうるようにも思えた。
 行き止まりだろうと、終わってしまっていようと。
 明日はそのまま進み、始めるのだ。そこに何らかの関係ですら求めようとせずに。
(最悪、とはよく言ったもので……)
 だがしかし、逆を言えばそれ以上でもそれ以下でもない状況であるということだった。楽しければ何でも良かった。敵対するものがいるのならば、切り刻めばいいだけのことだ。世界がこのまま綺麗過ぎる佇まいをするというのならば、崩してしまえばいいだけのことだ。どうであったとしても、自分は『最悪』なのだ。
「桐崎さんは、凄いです。私、そう言う風にちゃんと自分を持っているかどうかが不安で」
 零はそう言い、ちょっとだけ笑った。明日もそれにつられ、小さく笑う。目の奥で光る冷たい光は、少しだけ和らいで零に向けられていた。
「そうだ。良かったら、今からパフェを食べに行きませんか?ボリュームがあって美味しいチョコレートパフェの店があるんです」
 明日は良いアイディアを思いついたといわんばかりにそう言い、にっこりと笑う。零は小さくくすりと笑う。
「いいですね。……でも、帰りが遅くなるかもしれませんよね。兄さん、きっと鍵を持っていないから、待たせてしまうかもしれないですし」
「いいんじゃないですか?別に。たまには待たせたりしてもいいと思いますよ」
 明日はそう言い、悪戯っぽく笑った。それにつられ、零も悪戯っぽく微笑む。
「そう……そうですね。たまにはそういう事があっても良いですよね」
「じゃあ、行きましょうか」
 明日はそう言い、再び歩き始めた。早すぎず、遅すぎず。零の歩幅にあわせるようにして。
「それにしても、春じゃないのが残念ですね。春だったら、ここら一帯は薄紅色の雨が降るようだったのに」
 明日がそう言うと、零は小さく首を振りそっと微笑んだ。
「例え花が咲いてなくても、こういう緑がいっぱいあるのはいいと思いますよ」
「……なるほど」
 零に言われ、明日はそっと目を閉じる。瞼に移る木漏れ日の光と、ざわざわという心地よい風が吹いてきた。明日はそっと目を開け、零を見て小さく微笑む。
「確かに、悪くないですね」
 明日がそう言うと、零はにっこりと笑いながら「行きましょう」と明日を促した。木漏れ日の差す並木通りの中で、ゆっくりと今過ごしている時間を噛み締めながら。

<パフェに思いを馳せながら・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年06月11日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.