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『雨の日の拾いもの。 』
赤羽・萩矢3283)&理生芽・藍川(1746)

某月15日(土) 【晴れのち雨】……行き倒れ

 正直、目を疑いたくなるような天気の激変振りに俺は溜息をつくしかなかった。
 愛用の煙草が切れかかっている事に気付き、現在オーナー行方不明中につき預かっている喫茶店をいったん閉めたのが昼食時間をほんの少し過ぎた頃。
 雑多な人種が入り混じる、煩雑な界隈に建つビルの一階部分の店舗から外に出た時の空は、晴天とまでは行かないもののそれなりに明るく、雨が降るような素振りは微塵もなかった。
 だから傘なんて要らないと踏んで外出したんだが。
 実際、店から少し距離はあるものの、煙草の品揃えは大変よろしい専門店に辿りつくまでは、降雨の可能性を疑うような気配は皆無。
 涼やかさを含んだ爽やかな風が、髪の毛の先を軽く擽るのが気持ち良い、どこにでもあるような昼下がり。すれ違うスーツ姿の営業マンや、人生何気なく生きているような若者達の手にも傘はない。
 その時は、まさかこんな事になるとは思ってなかったから、いつも通り流れるように過ぎ去る人々を、視界の端に収めるような、収めていないような、そんな感じで歩いていた。
「いつもの、1カートン」
「?」
 見慣れた店内に見知らぬ若い女性店員。新しく入ったばかりなのか、普段通りの注文の仕方に小首を傾げて眉間に皺を寄せている。
 ひょいっと奥から顔を出した馴染みの老婦人が、俺が銘柄を指定する前に新人店員と思しき彼女に「そのお兄さんにはこれだよ」と白頭鷲がシンボルマークの赤白パッケージを指差した。それから「新しく入った子なのよ。よろしくね」と紹介してから、また奥へと消えていく。
 それから荷物を手渡されて金を払う。
 もと来た道を逆行しようと、店の扉に手をかけた俺はそこで固まった。
「………雨?」
 それも生半可な量じゃない。
 バケツをひっくり返したような――という形容がまさにぴったり、の状況だ。いや、のんきに構えてる場合でもないんだが。
 振り仰いだ空は厚く重い雲。どこかで途切れる様子はナシ。自分はこの店でどれだけの時間を費やしたんだ、と自問自答。結果は、腕時計がものの数分であることを教えてくれた。
 しかし、天気とはこんなに突然変わるものか? 誰かが何処かで操作してるんじゃないかと、疑いたくもなる。
「あの、良かったらこれ使ってください」
 思わず呆然と立ちすくんでいた俺に差し出されたのは、女物の傘。色がブルー系だったのがせめてもの救い、と言うのは贅沢だろう。
 僅かに頬を染めた新人店員から傘を借り受け、俺は自分の店へと急いだ。この突然の雨だ、雨宿り先を探す客が訪れる可能性は非常に高い。
 気紛れ程度で預かってる店とはいえ、それなりの野望もあることだし。せっかくの収入の機会をむざむざ逃すほど、バカじゃない。
 アスファルトを打ち付ける大粒の雨が跳ね返り、否が応でも靴の中が湿り気を帯びてくる。自然と早くなる足。
「買ったばっかなのに。湿気吸ったら台無しだ」
 抱えた荷物に雨が当たらないように注意を払う。そんなにやわな作りをしてないことは重々承知だが、それが人間の性ってもんだろうと一人納得。
 だから、気がつかなかった――直前まで。
 ようやく戻った店の前。
 『CLOSED』と掲げられた扉の前に、動かない不自然な格好の一つの人影。
「おい、どうした?」
 慌てて駆け寄った先には、見覚えのある高校の制服を着た少年。それが扉の前に置かれた看板に寄り掛かるようにして倒れていた。
「おい、しっかりしろ」
 軽く頬を叩いてみたが、目を覚ます様子はない。
 意識を失ってからさほど時間は経っていないのか、服はまだ僅かに湿った程度。足早に通り過ぎる人波も、何が起こったのかと興味を示し始めている。
「……仕方ない、か」
 そうして俺は、小柄な少年の軽い体を抱え上げた。


 某月16日(日) 【雨】……続・行き倒れ

 雨の日に子犬……よりタチの悪いモン拾っちまったような。
 いや、今更ぼやいたところでしょうがないと言えば、しょうがないんだが。
 昨日拾った――正確には、店の前に行き倒れていた所を保護した――少年は、今朝になってようやく目を覚ました。
 店内に運び入れて暫くたっても目を覚まさないから、救急車か? とも考えたんだが、呼吸顔色ともに問題なし。どこから見ても、ただ寝てるような状態。それでも流石に一晩も経過すると、どうしたもんかと心配心も芽生えてくる。
 そうこうしていたら、何時の間にやら目ぇぱっちり、しかもえらいさっぱりした顔で。
「あれ? ここどこ?」
 の第一声には、全身脱力しかけたのは仕方ない事だと思わないか?
 余談だが、昨日はあれから店を開けることは出来なかった――というのは、今は置いておいて。
「名前は?」
「ことおめあいかわ、です」
「ことおめ? あいかわ?」
「はい。あ、漢字では理科の『理』、生きるの『生』、芽吹くの『芽』で『ことおめ』。藍色の川で『あいかわ』」
 つい先ほどまで意識がなかったとは思えない、明朗でリズミカルな返事が戻って来る。医者じゃないから断言はできないが、何処かが悪いようには全く見えない。
「なるほど。で、その藍川がなんで俺の店の前で行き倒れてたんだ?」
 変わった名前だな、とは思ったが理生芽・藍川と名乗った少年の目には胡散臭さはなかった。いや、行き倒れていることが胡散臭い、といえば確かにそうだが。それでも「すわ、警察へ」となるような不審さは感じられない。
「えーっと……雨降ってたらお腹空いちゃって」
「――――まぁ、そういうこともあるだろうな」
 何だそれは? と言葉にすることは出来なかった。ふわりとした茶の髪の奥に揺れる、水気を多く含んだ瞳が垣間見せた戸惑いの色に、何か複雑そうな事情が覗いたような気がしたから。
 頭の隅を過ぎった不安のようなものを、咥えた煙草の紫煙に混ぜて掻き消す。人には何かとそれぞれの事情がある。無関係な人間が軽々しく突っ込んではいけないようなものが。
「で、何処に住んでるんだ? 体調が悪いようなら送ってくが」
「いえ……俺、今は住むところなくって」
 は? という疑問符を声に出すのを今度はギリギリの理性で押さえ込む。なんだ、なんだ? 近頃は綺麗な身なりをして学校に通うような高校生の浮浪者ってのがいるのか? それとも流行りのプチ家出とかいうやつか?
 店の窓から見上げた空は、昨日の雨空とは打って変わっての晴天。しかし何故かたち込める不思議な暗雲の予感。
 しかし、拾った物を「はい、そうですか」と放り出すほど、俺も人でなしにはなりきれない。これが明らかに怪しそうなヤツだったら、それも出来たんだろうが、捨てられた子犬のような漆黒の瞳が良心を刺激する。
 俺が今店を預けられてるのも運命なら、店長が行方をくらましているのも運命。ついでに俺がこいつを拾うのも運命だった、と納得するしかない。
 喫茶店奥の広くない居住スペース。体を起こしたばかりの少年が、不安げな目で自分を見上げていたら、出来ることが限りなく少なくなってしまっても仕方ないだろう。
 深々と吸い込んだ煙草の煙が、肺まで満ちる。一気に吐き出すと、細い線を長く描いて宙へと消えた。
「あの……俺……」
「俺の名前はあかばねしゅうや。赤い羽に、萩(はぎ)と也(なり)で赤羽・萩矢。行く所ないんだったら、暫くここにいればいい」
 俺の言葉は彼にとっては意表をついたものだったんだろう。
 しかし驚きの表情は、暫くして満面の笑みへと取って代わる。かくして喫茶『宵待』に居候が一名確定した。


 某月17日(月) 【晴れ】……居候1日目

 昨日の雨は何処へやら。今日は雲ひとつない晴天。
 藍川は朝から準備して学校へと登校して行った。
 ここに転がり込んできた時は、着の身着のまま状態だったんだが……とは言わないでおこう。
 どうやらさほど遠くない高校に通っているようだ。
 出際に、帰ってきたら店の手伝いをする、と言っていたがどうなることやら。


 某月18日(火) 【晴れときどき雨】……居候2日目

 また妙な雨が降った。
 晴天直後のどしゃぶり。朝の天気予報では何も言っていなかったのに。
 まぁ、風が吹けば桶屋が儲かる寸法で、雨宿りの客が来店してくれるのは喜ばしい限りだが。
 藍川は宣言通り、昨日から帰宅後(?)店を手伝ってくれている。手つきがあぶなっかしいような気もするんだが……まぁ、気にしないでおく。
 そういえば、「カップについた水滴が踊っていた」という謎な事を、支払いの時に言っていた客が一人いた。
 暑くなってくると不思議な人間が増えてくるんだろうか?


 某月19日(水) 【晴れときどき雨】……相次ぐ目撃談

 今日もまた不思議な目撃談が。
 しかも、一人ではなく複数人。
 掻き混ぜてもいないコーヒーが勝手に渦を巻いただの、零れたジュースの水滴が二度、三度と跳ねた、だとか。
 生憎と俺の見ている前では起こらない。だが、これだけ目撃者が出てくると信憑性も増して来る。いったい何なんだ?
 藍川は相変わらず居候を続けている。
 真面目に学生をやっているようで、閉店後カウンターの隅で数学の宿題を広げていた。
「萩矢さん、これどうやって解くの?」
 指し示されたのは対数関数の演習問題。懐かしい話だ。
 数学は公式を暗記してしまうに限る。


 某月22日(土) 【晴れときどき雨】……無題

 ここのところ同じような天気が続いている。気象予報士も首を傾げている様だが、ご近所の主婦の皆さんは事態に慣れてきたらしい。
 うちの店の怪現象も相変わらず続行中。客足が遠のくのではという心配は、むしろその逆に働いたようだ。噂を聞きつけた客が、わざわざ遠方から足を運ぶケースさえある。
 世間様は不思議好きらしい。
 しかし、ここまで目撃談が相次いでいるのに、いる時間が一番長い俺が一度も見ないというのも不思議だ。
 不思議といえば、我が家の居候の藍川は既に常連の客と馴染みきっている。ヤツ目当ての若い女性客もいるようだ。
 ところで。怪現象が起こるのは決まって藍川が店を手伝っている時のような気がする。目撃談が始まったのもヤツが店に出るようになってから。
 これはただの偶然か?


 某月23日(日) 【晴れのち雨のち晴れ】……居候の真実

 きっかけは偶然だった。
 最後の客が帰り、『OPEN』のプレートを『CLOSED』にひっくり返す。見上げた夜空には、珍しい数の星の輝き。既に定期化したにわか雨――とは言ってはいけないほどの、かなりな降りなんだが――に洗い流された空は、日に日に高くなっているような錯覚さえ感じさせている。
「ところで、藍川の誕生日っていつなんだ?」
 既に当然のように店内にいる居候に声をかけた。
 本日最後の客は若い女性の二人連れ。コーヒー一杯づつで長時間、話に花を咲かせていた。その中の話題の一つは誕生日ネタ。どうやら小柄な女性の方が近々誕生日らしく、実に賑やかに盛り上がっていた。
 プレゼントは何がいい? バースデーパーティはどこでやろうか? 誰に声かける? 等々などなど……
 そんな黄色い声を聞いていたからだろう、こんな質問が俺の口から飛び出したのは。
「あ……いや……んー……」
 露骨な逡巡、何気ない当たり障りのない会話には意外すぎる反応。ティーカップをせっせと洗っていた藍川の手がぴたりと止まり、印象的な黒い大きな瞳が忙しなく宙を彷徨う。
「?……まぁ、言いたくないなら別に全然かまわ―――っ!」
 途切れた言葉。
 続けるはずだった俺の言葉は否応無しに中断させられた。
 片付けがてらに拭いて回っていたテーブルの上。置き去りにされていた雑誌に手を伸ばした瞬間、俺の指先の神経が異変を感知し、脳が危険シグナルを点滅させる。
 ったく、何処のバカだ。
 吸いかけの煙草を放置した灰皿の上に、雑誌を置くような真似をするヤツは。
「萩矢さん、どうしたの……――っ!!」
 俺の異変に気付き、カウンターから飛び出してきた藍川の目が点になる。どうやら的確に事態を把握したらしい。
 灰皿の上、俺がさっき触ったせいでずれた雑誌の隙間から覗くのは、燻り出した小さな炎。紙と紙の合間を伝って、紫煙より薄い白煙が僅かに立ち昇り始める。
「大丈夫だ。今なら大したことじゃない、水を――」
 本日二度目の台詞の中断。
 だってそうだろ? 目の前を水の塊りが重力も何もかも無視した形で過ぎれば、誰だって驚くはずだ。


「つまりが、水の精霊ってやつなんだな?」
「正確には『雨の』だけど」
 二人用の小さなテーブルの上には、危うく火を噴くところだった紙類と灰皿。それらは今はどっぷり水に濡れ、店内に微かに匂う焦げ臭さだけが、先程の小火騒ぎの残り香になっている。
「……で、その雨の精霊とやらは雨や水を自由に操ることが出来る、と」
 藍川の説明によると、彼は見た目こそ人間の高校生そのものだが、年齢不詳の精霊の類ということらしい。
 勿論構成成分も水――まぁ、人間も70パーセントかその辺は水で出来てるって話だから大差ないんだろうが。とにかく『人』と称されるものではなく、ついでに『水』に属する物を自由に操るというオマケも付いているらしい。
「で、あの日は雨を降らせていたのか?」
「ちょっと頼まれごとされちゃって。この近辺だけに大量の雨を降らせてたんだ」
 尋ねたのは、藍川が行き倒れていた、あの日のこと。
「なんで、雨の精霊が雨を降らせて倒れるんだ?」
 至極当然の疑問である。雨の精霊が雨の中でぶっ倒れるなんざ、河童の川流れの比ではないような気がするんだが。
 なんとなしに腕を組んで、藍川を見遣る。俺の視線の意味に気付いたのか、彼は少し頬を朱に染め、ぽりぽりと鼻の頭をかいて笑う。
「コントロールが上手く出来なくって。気が付いたときには頑張りすぎ状態で……」
「それでバッタリか? 便利なんだか不便なんだかよくわからんな」
 俺の言葉に、藍川はまた小さく笑った。
 こうして眺めていると、本当にただの少年でしかない。
 しかし、ここ数日の妙な天気と言い、目撃談の相次いだ店内での怪現象と言い、思い当たる節はそこら中に転がりまくり状態。何より先ほど自分の目で見た、空飛ぶ水の塊りが動かぬ証拠。目を見張った俺に、突然「黙っててごめんなさいっ」と勢いよく頭を下げられては疑う余地がない。
「店内での怪現象もお前か?」
「ここまで来るとバレバレだね。最初はちょっとした悪戯心だったんだけど、お客さんが喜んでくれてるみたいだったから……つい図に乗っちゃった」
 その「つい」の中に、俺への恩返しとやらが含まれてるのであろうことは、なんとなく想像がついた。倒れるきっかけになった大雨も、きっとそんな気持ちの延長線上にあったのかもな、と想像して苦笑いしてしまう。
「……驚かないの?」
「あ?」
 それまで浮かべていた笑顔を引っ込めた藍川の表情は、拍子抜けしたような、驚いたような、とにかく言葉で言い表すには難しい微妙なもの。
「俺、人間じゃないって言ったのに。萩矢さん全然驚いた感じじゃないし」
「……一概に人間って言っても、藍川よりもっとバケモノじみたのだって今じゃうようよしてるしな。考えようによっては単純に水を操るのが得意ってだけだろ? 俺が暗記や料理が得意なのと同じレベルだ」
「何それ。例えがちょっと違う気がする」
 藍川が小さく吹き出しツッコミを入れる。
 確かに何故こんなにも自分が落ち着いているのか不思議と言えば不思議だった。案外、分かってるつもりになってるだけで、現実を理解していないだけかもしれない。後になって焦って大慌てして――なんてことも在り得そうだ。それは俺的に、自分キャラが違うような気はするが。
「俺、出て行かなくていいの?」
 それまでの笑いを潜めた真剣な眼差しが、俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。
「また変な所で行き倒れになってるのを想像するよりマシだろ」
 ポケットから煙草を一本抜き出し、手持ち無沙汰な口の中に放り込む。そのまま火を点け、見慣れた天井に向けて煙を吐き出しながら応えを返す。
 俺の答えに、藍川がどんな顔をしたかは……――見なくても想像が付いた。


 かくして、藍川は正式(?)に喫茶『宵待』の居候となった。
 本当にタチが悪いもんを拾ったかどうかは、まぁ……今後おいおいとってことで。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
観空ハツキ クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年06月11日

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