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『緊張感(Re:違和感) 』
黒鳳・―2764)&威吹・玲璽(1973)

 行っといで、って言う恩人の言葉は嬉しかったけど、それが俺ひとりじゃなく、レージと一緒ってのはどうしても気に食わない。何かと言うとこの男、年長ぶって俺に説教がましい事を言うし(ひとつしか歳は違わないのに、だ!)そうでなかったら意地の悪い笑顔ですぐに俺を揶揄おうとする。あいつは、まともに俺と話をする気なんかないんだ、きっと。そう、いつもこんな根性曲がったような笑みを浮かべて…。
 「おい、そんなに俺の顔ばっか見詰めてっと、そのうち俺に惚れるぜ」
 「誰が惚れるか!」
 俺がそう叫んで肩を怒らせると、レージは堪えた様子もなく、カカカと笑って歩き始める。俺は、悔しさやら何やら、いろんな感情が入り混じって言葉を失い、下唇を噛み締めた。

 口喧嘩じゃ、俺はレージに敵わない。元から日本語は話せるし理解も出来るけど、それは知識の一環として知っていただけだ。だから、怒ったり笑ったり悲しんだり、そう言う感情を伴った日本語での会話は、俺にはまだ敷居が高過ぎる。…尤も、本国の言葉であっても、俺はずっと事務的、機械的な会話しか交わしてこなかったから、同じ事なんだろうけど。
 道具に感情など必要ない。そう、思い込んで生きてきたから。
 だが、それは間違いなのだと、教えてくれたのは恩人。
 そして、身をもってそれを体験させてくれているのが、レージ。
 それは分かっている、分かっているけど……。
 「おいこら、勝手にひとりでうろちょろすんなっつうの。てめぇが迷子になって困るのは、おまえじゃなくて俺なんだからな」
 「べっつに、面倒見てくれなんて頼んだ覚えはないぞ」
 「てめぇになくてもこっちはあるんだよ。ったく、あのババア……」
 「ババアって言うな!」
 ああ、どうしてこうこの男は口が悪いんだろう…いや、俺も人の事は言えないのは分かっている。だけど、レージの口の悪いのは、分かってて言ってる部分があるから、俺よりずっとたちが悪いような気がするんだ。それに、どこをどう見れば、あの恩人をババア呼ばわりできると言うんだ…あの方は剛毅で美しく妖艶、人としても尊敬に値するし、女としても憧れる部分もあると言うのに。
 ……俺も、あの方のせめて半分ぐらい、あの魅力があれば、レージも俺を認めてくれるだろうか?
 「…………」
 「どうした?ンな複雑そうな顔をして」
 「いや、今一瞬だけ、凄い屈辱的な考えが浮かんだ…」
 俺がそう言うと、レージの表情に?が浮かんだ。

 ホームセンターと言う場所は、俺には今まで全く縁の無かった場所だ。大陸にこれと同じような店が無い訳ではない、ただ訪れた事がなかっただけだ。こんな、身を隠す場所も盾にするものも少ない、だだっ広く、視界が利くようで実は利かないこんな場所、危険過ぎて近付く気にもなれなかった。己の身に降り掛かる危機、と言う点に置いては、大陸にいた時よりも今の方がずっとヤバいと思う。だが、それでも尚、今の方が安心出来るのは何故だろうか。日本が、世界でも有数の安全な国であるからか?いや、日本でも、俺が今住んでいる界隈は、大陸のあの場所と似通った匂いと雰囲気がある。血生臭いだの胡散臭いだの、そんな話は四六時中だ。…それでも。

 「レージ、あれは何だ?」
 さっきまでの思考は頭の隅に押し遣って、俺は棚に並んでいる色とりどりの瓶を指差した。
 「あー?…ああ、ありゃ殺虫剤だな。つか、おまえ、殺虫剤も知らないのか?」
 「し、知らない訳あるか。それぐらい知っている…」
 そうは言ったものの、語尾の弱さからレージも察したに違いない。あっそ、と短く答えるレージの口元が可笑しげに歪んでいるから、俺は思わず後ろからレージの脹脛の後ろっかわを蹴っ飛ばしてやった。
 「いってぇ!何すんだ、てめぇ!」
 「おまえ今、俺の事、バカにしただろ?」
 「バカになんかしてねぇよ。可笑しかったから笑っただけじゃねぇか」
 「それをバカにしてるって言うんだ!」
 しょうがないだろ、そりゃ本国にだってゴキブリもハエもムカデもいる。だが、それらはそこにいるのが当たり前の奴らで、それをわざわざ薬を用いて殺そうなどと思った事など一度も無い。邪魔であれば、足で踏み潰すなり手で握り潰せば済む話だ。
 …そう、今の俺のように。
 任務に失敗し、命からがら日本に逃げてきた俺。そんな俺を、執拗に狙う、元・仲間達。いや、元々仲間なんて呼び方で括っていい相手じゃなかったんだろう。仲間って言うのはそう言うもんじゃない。…そう、教えてくれた。
 誰が?
 そう自問自答した時、俺の視線は無意識でレージを捜していた。が、いない。
 「あいつ、俺には迷子になるなとか言っ……」
 独り言が途中で途切れる。この感覚、懐かしいと言っても差し支えない、この緊張感。首の後ろがちりちりとするような、こめかみに何か極々細いものが突き刺さるような。
 誰かが、俺を見ている。
 「…………」
 視線も動かさず、俺は意識だけを四方八方に散らす。レージの気配は、この近くには無い。俺は、安堵すると同時に微かに不安を覚える。後で文句を言ってやろう、などと頭の隅っこで考えていたが、それは、はち切れそうになる感情の津波を繋ぎ止めておく為に、何とか平静を保とうとしての俺なりの努力だったのだ。
 こんな無防備で、こんな戦い難い場所で追っ手と対峙しなくてはならない。数少ないとは言え他の客に知られてはならない、勿論、レージも例外ではない。それらが全て果たされなければ、俺はこのままここに居続ける事が出来ないような気がしていた。この昂ぶる感情、乱れる集中力は、その所為だと思いたい。そうでなければ、この程度の相手をこの俺が、こんなに怖れる所以は無い筈なのだ。
 俺は最大限のさり気なさを装って歩き出す。その後ろを、等間隔を保って付いて来る者の気配を感じた。いっそ走り出したくなる気持ちを殴り叱咤して落ち着かせ、俺は棚に並んだ素焼きのウサギを眺めている振りをして立ち止まった。背後の気配も、同じように立ち止まる。俺は身を屈め、ウサギの鼻先を覗き込むような振りをして、身体の影で片手を翻す。すると、何も無かった筈の俺の手の平に、赤と黒の毒々しい翅色をした呪蛾が現われた。
 俺の手の中で、ゆっくりとその翅を閉じたり開いたりする小さな蛾。さっき立ち止まった気配が、再び歩き出すのを感じる。徐々に俺の方へと近付いてくるそれを、俺はそ知らぬ振りをして待った。いや、もしかしたら奴はもう既に分かっているのかもしれない。大陸の組織のものであれば、人の気を知る事など造作もない事。奴は俺が、柄にもなく動揺している事を知っているんだ、多分。
 「………」
 俺は、ぎゅっと手の平を、蛾ごとぎゅっと握り締める。パン、と弾けたように、赤と黒の鱗粉が待った。
 奴の気配が、俺のすぐ真後ろで立ち止まる。俺は閉じていた目を開き、そして握り締めていた手を開く。すると、無残に潰れてしまったかのように思われた呪蛾は、元々の姿をそのまま保って、翅をゆっくり蠢かしていた。ただ違う点があるとすれば、蛾が翅を動かすたびに舞い散る鱗粉、それが、さっきと違って銀緑色に鈍く光っている事だけだ。
 俺は振り向きざま、奴の鼻先に握った拳を突き付けてやる。勿論、奴はそんな事は予想の範囲内だったのだろう。上半身を後ろに反るようにして俺の攻撃を避け、鞭のようなしなやかさでもって身体を捩ってバランスを取り、低い位置からの回し蹴りを食らわせてくる。俺は、膝の屈伸だけを使って飛び上がるとそれを避ける。音もなく床に降り立ち片膝を付いた俺は、にやりと口端を歪めて笑った。その笑みに、奴は僅かに眉を潜めて訝しげな表情を作る。次の瞬間、奴は俺の罠に嵌った事を遅まきながら知るのだ。
 俺がジャンプした瞬間、俺は呪蛾を空へと解き放っていた。それは奴の上空から、ゆっくり螺旋を描いて降りてくる。その間、銀緑色の鱗粉を撒き散らしながらだ。奴は知らぬうちに、呪的効力のある鱗粉のカーテンの中に閉じ込められていたと言う訳だ。鱗粉は、奴の鼻、口、耳、或いは肌から身体の内部へと侵入し、瞬く間に脳神経を犯し、正気を奪う。毒素はそれで留まる事はなく、じわじわと侵食し、いずれは奴を死に至らしめる。その間、奴は忘我し当て所なく彷徨う事となるだろう。俺が、呪蛾に籠めた呪法だ。
 ぐりん、と奴の黒い目が裏返り、虚ろな白目を剥いてゆらゆらと上体を揺らす。そのまま回れ右をすると、奴は覚束ない足取りで歩き出し、やがて姿を消した。

 俺はほっと息を継ぎ、手の中に戻ってきた呪蛾をじっと見詰める。そのまま手の平を裏に返すと、蛾は姿を消した。はっと我に帰った俺が最初に考えたのはレージの事だ。もしかしたら、レージは奴の手に掛かったのかもしれない。慌てて闇雲に走り出し、その辺りを探し出す。すると、男子トイレから呑気な表情で出てくるレージと出くわす。その、いつもの表情を目の当たりにすると、安堵よりも怒りの方がむらむらと沸いて出た。お?と俺に気付いて片眉を上げるレージの鼻先に、びしぃっと人差し指を突きつけると、
 「レージ、おまえどこに行ってたんだ!勝手に一人でうろちょろするな、捜したじゃないか!」
 俺がそう叫ぶと、レージは片眉を上げたまま、口端を歪めてにんまりと笑う。
 「へぇ?俺の事捜しててくれた訳ぇ?そんなに寂しかったのかよ、俺が居なくてさ?」
 そんな事を言って俺をまた揶揄うので、俺はいつものように激昂して怒鳴り返す羽目になったじゃないか。

 いつもの遣り取り、いつもの応酬。顔をあわせれば憎まれ口を叩いて喧嘩が始まる。憎ったらしい奴だが、そんな風に俺に接してくれるのは、あの店ではレージだけだ。
 恩人は言うまでもなく、本人の好きなようやりたいように俺に接してくる。恩人の周りに居る者達は、俺に危害を加えようとはしない。それなりの対応をしてもくれるが、それは自分達がそうしたくてやってる訳ではなく、恩人の身内だからそうしてくれているだけだ。だがレージは、恩人の身内な筈なのに、やってる事は恩人と一緒だ。自分の好きなようやりたいようにやっている。あからさまに逆らったりする事もあるが、レージはレージなりに恩人の事を買っている…ように見える。勿論、それをレージ本人に言えば、ふざけるな、何で俺があんなババアを…と悪態を付くだろうけど。

 さっきの追手と対峙した時に感じた、不安と安堵。不安は、条件の整わない場所で戦闘しなければならない事への不安。安堵は、レージがいなくて足手まといが減った事への安堵。
 …いや、違う。俺は嘘吐きだ。感じた不安も安堵も、同じ事柄の裏と表だ。不安は任務に失敗して逃げ出した、裏切り者で愚か者な自分を玲璽に知られるのが恐かったから。そして安堵は、玲璽がいない事で、それを知られる事はないと言う安心から。
 だが本当に、玲璽は何も知らないのだろうか?
 「ったく、おまえも可愛げないねぇ…そう言う時は、『寂しかったわ、玲璽サン♪』とかって可愛く言うもんだ」
 「…それを俺が言って、本当に可愛いと思うのか、おまえは」
 呆れたように俺が言うと、レージは暫し俺の顔をじっと見詰める。俺が、レージの反らされない視線に居心地悪そうに、どこかこそばゆい感覚に身体をもぞ付かせていると、
 「…そう言う顔してる時の方が『らしく』っていいかもな」
 「それは褒めてないだろ、絶対!」
 がぁっと怒鳴り返す俺に、レージは声を立てて笑う。いいからいいからと適当に俺を宥めて俺の背中を押し、帰路へと付いた。背中に触れた、レージの手の平。その感覚と暖かさは、俺に緊張感をもたらす。以前、任務の度に感じていた緊張感とは全然違う、身体の底からふわりと暖かくなるような妙な緊張感だった。


 玲璽が、恩人から何かを聞いていて、それで憐れんで今のように俺に接してくれているのなら、納得もいく。
 納得は出来るが、どこか胸がぎゅっと締め付けられるような切ない気持ちにもなる。玲璽と俺の間に、常に恩人の存在があるのだと思うと、恩人への感謝とは別に、モヤモヤするような気持ちも沸いて出るのだ。

 その気持ちがどこから来るのか、どうすれば治るのか、俺にはさっぱり分からなかった。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年06月10日

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