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『HEART LAND 』
無月風・己浬1581)&玉響夜・日吉(1582)
 そこは、夢と現の狭間――。
 どうやって辿り着くのか、迷い込んだ者にも分からない。


 ぼんやりと己浬は歩いていた。長い間だったかもしれないし、ほんの数拍の事かもしれない。ただ、気付いた時には、蒼穹にそびえる白亜の城を見上げていたのだ。
 見た事も無い石造りの街並み。行き交う人々。風には、微かに潮の匂いがした。
「ここは……」
 見知らぬ……世界そのものが未知の場所。自分がここに居る事に違和感を感じて、呟く己すら、ふと頬を撫でる風に消されそうな気がしてくる。
 世界はこんなにも明るいのに。柄にも無く、心を過ぎるのは不安。
(「日吉がいれば……」)
 そう心に呟いた己浬は、ハッとする。
「日吉?!」
 さっきまで――そう、つい先程まで、自分は双子の妹・日吉といたのだ。連れ立って歩いていたはずの妹を慌てて振り返ると、にこっと微笑まれた。
「……い、たのか」
 動揺した自分がちょっと恥ずかしくなった己浬。
「何だか、おかしな所ね。ここはどこでしょう? 己浬くん」
 知っていたら苦労はしなねぇとか、その前にもうちょっと焦れとか、色々な事が一気に頭を駆け巡り……己浬は結局、
「さぁな」
 と、ぶっきらぼうな返事をしただけだった。
 何の事は無い、後ろに居た日吉は己浬が共に居るのが分かっていたから、焦らなかったのだ。見知らぬ土地に居ても、それがどうしてなのか分からなくても、己浬がいるのだから……と。
 そして、己浬も。
 日吉がいるのなら、不安に思う心の隙間を温もりが埋めてくれる。ほんの少し前は、自分を消し去りそうに思えた風。――今は、微笑む日吉の、その真白の髪を幾筋も波打たせては過ぎ去る初夏の微風。日吉の後を、ぽてぽてと付いて来る温泉ぺんぎんまでがいつものままだった。
 微笑みにつられるように、己浬も口元に笑みを掃く。
「ここはどこなのか、誰かに聞いてみましょうか」
 ぼやぼやしているようだけれど、肝心な事は日吉が指摘するのも、この兄妹の間ではいつもの事。
「そうだな」
 道往く人々は、異邦の民のはずの2人を特に気にする様子も無い。
 ここにいて良いのだと、いや、この場所こそが、彼らの在るべき場所なのだと言っているようにすら見える。

 その場所の名は、聖都・エルザード。

「「エルザード……」」
 同時に呟いて、2人は顔を見合わせる。記憶の琴線に、何かが引っかかった。
「何だ? どっかで聞いたような……」
「ずうっと昔、お父さんに聞いたんじゃないかしら?」
 夢とも、現ともつかぬ場所。夢幻の世界を見たと、父が話した事がある。確か、その場所の名前が『エルザード』だった。
「それじゃあ、親父がいるかもしんねぇの? 10年前に来てるはずの……」
 己浬は目を瞬いた。俄かには信じ難いけれど、自分達は、今まさにその場所にいる。
 そんなものはあるはずがない。夢を見たのだろうと笑い飛ばした記憶は、振り返れば遥かな時の向こう。
「探してみましょう〜!」
 日吉は、楽しみを見つけたような弾んだ声で言うと、己浬の手を取った。
 父に会えるかもしれない。10年の時が成長させた自分達を見たら、何と言うだろう?
「ね?」
「そうだな。探してみるかー」
 想像するだけで、2人は11歳の子供に返ったような気がした。

 父に会えたら……何を話そう?
 抱きついたら、「21にもなって……」と苦笑されるだろうか?
 それとも、「知らぬ間に大きくなって」とビックリされるだろうか?

「きっとビックリするでしょうね」
 悪戯をする子供のように、日吉はクスクスと笑う。
「でも、その前に……」
「…………お腹空いた?」
 数瞬、瞳をパチクリしただけで、心得た返しをする日吉。返事をする前に、己浬のお腹が盛大にぐぅ……と鳴ったのだった。


 食べ物を探して、街中を歩き始めた2人。真っ白な城の周りは『オカタイ』様子の建物ばかりに見えて、彼らは城から離れるように移動してきていた。
「どこかのお家で台所をお借りする……のは無理、ですよね。やっぱり……」
 日吉は「うう〜ん」と考え込みつつ周囲を見回す。
「食えれば何でもいい。何かないかなぁ」
 とは言っても、道端にパンが落ちているはずもなし。
「はぁ〜」
 諦め半分で己浬が嘆息すると、その横で明るい声が上がった。
「あ、己浬くん、見てみて! 酒場か宿屋みたいです。きっと食べ物も出してくれると思いますよっ」
「マジっ?!」
「『子馬亭』ですって。御飯が出てきそうな名前ですよ」
 どこら辺が『御飯が出てきそう』なのかというツッコミは置いておいて、己浬は「おおっ」と声を上げて走って行く。
「日吉っ 早く来いって!」
 呼ばれて、日吉はにこにこと笑いながら後を追うのだった。

 ところが、そのしばらく後。
「で、お腹はペコペコだけど、お金は無い……と」
 亭主に言われ、店の中できゅーっと小さくなる己浬達がいた。
 彼らは夜の歓楽街・ベルファ通りの方へ出てしまっていたのだ。店は辛うじて開いている時刻だったが、『子馬亭』はいわゆる飲み屋のようで……。
「「……」」
 ついでに、キュ〜ッと己浬のお腹が鳴る。
「別に、その腕飾りで御代にしてもいいよ。……ああ、そのけったいな動物でも。食べたら美味しいのかい?」
 お揃いの数珠と温泉ぺんぎんの明渡を指して言われ、日吉は慌てて首を振った。
「だ、駄目です。この子は食べちゃ駄目ですっ」
「う〜しゃあない。行こうぜ、日吉。親父が見つかれば何とかなるし」
 限りなーく力の抜けた声が、その己浬の台詞が強がりだと告げている。
「己浬くん、大丈夫?」
「……どっかから迷い込んだばっかりかい? 仕方ないねぇ」
 言いながら、亭主はホットミルクを2つ用意してくれる。
「これでも飲んでお行き。坊やに嬢ちゃん」
 『坊や』と言われて己浬はカチンときたが、ぬくぬくの山羊乳を取り上げられたら……。
(「死ぬ、きっと死ぬっ 腹ペコで死ぬ〜」)
 という瀬戸際だったので、素直に礼を言ってカップを受け取った。それぐらいでは全然足りないが、無いよりはマシだ。
「そういえば、その変なの、最近どっかで見かけたような……?」
「変なの、ではなくて、『温泉ぺんぎん』の明渡さんです」
 日吉は、抱えた温泉ぺんぎんをじいっと見つめて言う亭主へ、一生懸命に説明している。
「待て、まて、マテーっ」
 それを、ずずずっと山羊乳を飲み干した己浬が止めた。
「それ、どこで見かけたんだ? オバサンっ?!」
「オバサン……?」
 片眉をヒクリと上げた切り替えしに、サーッと青くなる己浬。
「い……や、お姉さん! お姉様っ!」
「……?」
 状況が把握できていない日吉は、「どうしたんですか?」とでも言うように視線を向けている。
「どこだったかしらねぇ。西の方の郊外だったと思うんだけどねぇ……」
「日吉、行ってみるぞっ! ありがとうな、オバサンっ!」
「……! だからオバサンと呼ぶなと言ってるでしょうがっ あああっ それに、かなり怪しい場所だったんだよっ ちゃんと聞いてるのかいっ?!」 
 亭主の声に追い立てられながら、己浬は妹の手を取って駆け出した。……他人が見たら食い逃げと思いそうな勢いだ。
 己浬がやっと速度を緩めたのは、聖都を出る川辺に着いてから。
「己浬くん、一体どうしたの? そんなに急いで……」
「郊外のどこかでぺんぎんを見かけたって、オバサンが言ってたろ。きっと……」
 そこまで聞いてやっと合点がいった日吉は、目を見開いて言った。
「お父さんが居る?!」
「そう! きっとそこに居る!」
 楽しげに西を臨む2人に見えたのは、山の麓の深い森。
 舟で川を渡してもらった彼らは、手を繋ぎ、幼い兄妹のように仲良く歩いて行く。
 もう夕刻にかかる時間。山の端に陽は完全に消え、辺りは暗くなっていく。足元が覚束なくなり少し不安になってきた頃……木々の奥に灯火が見えた。
「誰かのお家の明かりでしょうか?」
「かもな……」
 日吉の手をきつく握り締め、己浬はその灯火へ向けて足を進める。
 どんどん暗さを増してゆく森の中、灯りはとても暖かに見えた。近付いて行くと、家の中で人影が動く。
「お父さん……」
 ――まだ、そうとは分からない。けれど、そうだと信じたい。
 そして、今度は家の周りで膝丈ぐらいの動物が動くのが見える。
「きっと……」
 己浬が呟いた時、粗末な庵の中にいた人影が、何かに気付いたのか、カンテラを手に外へ出て来た。灯りに照らされたその顔は――。
「お父さん……」
「親父……っ」

 会えたら、何を話そうかと考えていたのに。
 ビックリさせようと思っていたのに……。

 そこには、大きくなった子供2人に、いきなり抱きつかれて途方に暮れたような父が居たのだった……。


 灯火は、家族の集う場所。
 闇の中を、温かく照らす……。
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北原みなみ クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2004年06月07日

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