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『『rainy day』 』
シン・ユーン2829

 雨は嫌いじゃない。
 ――――俺にとって二度目の誕生日のようなあの日も雨だったから。
 傘を叩く雨音のリズムは一定だ。
 それはアンダンテ。歩く時のようなリズム。
 ゆっくりとゆっくりと。
 時計の出張修理。帰りは坂道。その坂道の上のほうから高校生たちが仲良さげに歩いてくる。
 擦れ違う彼ら。その彼らの奏でる楽しげな笑い声に重なって聞こえた鳴き声。
 俺は足を止めた。
 ―――――どこで鳴いている?
 耳を澄ませば、それは通り過ぎた坂の下にある駐車場の方から聞こえてきていた。
 ―――――どうして先ほどは聞こえなかった……気付かなかったのだろう?
 俺は回れ右をして、坂を下る。
 そして駐車場の中に入っていき、一台の車の陰にいた、ダンボールの中の仔猫とその仔猫に自分が雨に濡れるのもかまわずに傘を差しかける少女を目にする。
 ―――――思わず俺が微笑んでしまったのは、
 少女のその純粋な優しさと、
 その仔猫の少女を見上げる眼差し。
 あの時の俺もこんな風だった?


 そう、あの時の俺も雨にただ濡れて、
 そして雨を降らせる灰色の雲を見上げていた。
 そこにはただ空気しかないはずなのに、
 だけど俺はそこに絶望を見ていたのだ。


『ユーン。あのね・・・』
 雨の音は聞こえてはいなかった。
 あの時にただ俺が何度も何度も聞いていたのは、
 耳に心地良いボーイソプラノ。
 彼の顔を声を思い浮かべていた俺の頬を伝っていたのは雨粒だけでは決して無かった。


 守れなかった痛み。
 引き裂かれた絶望。
 失った空虚感。


 それらが俺を苛んで、
 俺の心はただ嗚咽をあげていた。
 声にはできない心の嗚咽。


『泣きたい時は泣けばいいのよ。人は泣く事ができる。それには意味があるから、だから泣けるのじゃなくて?』
 電子柱にもたれてただ雨に打たれながら灰色の空に絶望と諦めを見ていた俺を、
 だけど通りがかる人は誰も見てはいなかった。
 誰もが俺がいないかのように、
 そしてちらりと見ては見てはいけないモノを見てしまったかのように、
 眼を逸らして、
 通り過ぎていっていった。
 なのにその彼女は、そうやって俺に傘を差しかけながら静かに微笑しながらそう言った。そのしゃべるリズムはアンダンテ。とてもゆっくりとしたテンポでしゃべる女性だった。
 だけど俺はその時はとても疲れきっていて、
 そして心が荒みきっていたから、
 その彼女の微笑みを無視していた。


 かまうな。
 誰も俺にかまうな。
 俺はもう何もいらない。
 望まない。
 欲しいとも想わない。
 背負わない。
 いらない。
 いらない。
 いらない。
 もう、何かにかかわって、傷つくのはたくさんだから・・・・。


「にゃぁ」
「っ痛ぅ」
 そう、今、優しく差し出された少女の手に鋭い爪の一撃を叩き込んだすっかり人間不信に陥っているダンボールの中の仔猫のように。


 本当は誰よりも人の暖かみを欲してるくせに、
 本当は降る雨のノイズのような雨音よりも激しいリズムで泣き声をあげたいくせに、
 本当は差し出された手にすがりつきたいくせに、
 だけどそれを無視して、
 見ないフリをして、
 自分からまた孤独に陥ろうとする。
 まるでそれが義務であるかのように。


 多分…その時の俺はそうする事が義務だと想っていた。
 雨にすっかりと濡れた毛を逆立てて、優しく微笑む女子高生に唸り声をあげているあの仔猫のように。


 さてと、あの女子高生はどうやってあの人間不信の仔猫の警戒心を解くのだろう?
 ―――――俺は・・・・


『はぁー。ガキは素直に大人の優しさに甘えてればいいのよ。こっちはちゃんとそうしてもらうために哀れみをかけてやってるんだから』
 突然がらりと変わった彼女の表情に俺はあまりにも驚いて眼を瞬かせてしまった。先ほどまで優しく微笑していた彼女は、おもむろに呆れかえったようなため息を深く深く突くと、それに相応しい表情を浮かべて、俺をじろりと半眼で見据えそう言ったのだ。
 俺はわずかに口を開きかけたがしかし彼女から眼を逸らした。
 無視していれば、もっと彼女は俺に呆れて、そしていなくなると想ったから。
 だけど・・・
『はぁー。そっちがその気なら、こっちはこうさせてもらうわ』
 と、言ったかと想うと、彼女は俺の右手首を掴むとその細い腕のどこにそんな力があるのだろう?と思えるぐらいの力で俺を引っ張り立たせた。
 そしてそのまま俺をずるずると引っ張っていく。
 もちろんその時の俺には彼女のその手を振り払う事はできた。
 それでもそれをしなかったのは、
 その俺の右手首を掴む彼女の手の温もりが暖かかったから。
 その時の俺にはそれで充分だったのだ。
 そう、手に幾つもの引掻き傷をつけられながらもその手で頭を優しく撫でられた瞬間に唸り声から哀しげな鳴き声へと、声を変えたその仔猫のように・・・。



 冷たい雨に打たれて、
 体が濡れ、
 心が震えていたからこそ、
 その温もりが何よりも大切に思えて・・・
 だから俺は・・・
 その仔猫と同じように、
 冷たい雨に打たれて濡れて震える心を、
 その温もりを持つ人に預けたのだ。
 心が泣き声をあげるモノは、
 優しい温もりに、
 触れられずにはいられないから。


『はい。シャワーを浴びてきて。その間にちゃっちゃっとご飯を作っちゃうから』
 にぃっと笑った彼女に、俺は何も言えずに差し出された着替えの服と下着を持って、風呂場に行った。
 熱いシャワーを浴びながら俺は古い浴室のタイルをただ眺めていた。
 彼女はとても綺麗な女性だった。
 身長も高く、ほっそりとしていて、だけど女性らしい優雅なラインを描いていて、性格も少々難儀そうではあるがさっぱりとしていて、ひどく好感の持てる女性。
 だけど彼女に連れてこられたこの『羈絏堂』という時計店には彼女以外には人が住んでいる様子は見受けられなかった。だったらあの渡された着替えは?
 聞いてみたいと想ったけど、だけどそれはきっと聞いてはいけない事なのだろうと想った。
 なぜなら彼女の瞳の奥底には確かに大切な人を失った光が…彼を失った俺と同じモノがあるから。



 それでも俺は彼女に完全に心を開いたわけではなかったのだ。
 硬い花の蕾のように俺は頑なに心を閉ざしていた。
 だけど・・・
 暖かい日の光が、
 優しく包み込むように撫でる風が、
 しっかりと支えてくれる大地が、
 命を育んでくれる水が、
 少しづつ時をかけてその花の蕾を開かせるように、
 俺の心も徐々にではあるが、彼女の飾らない性格や、偏ってはいるが奥深い知識や旅、そして本当は鳩時計と名前はついているが出てくるのは鳩ではない鳩時計の事など彼女が話して聞かせてくれるうちに、
 頑なに閉じていた心が開いていった。
 そう、今の俺が鳩時計の修理が一番得意なのも、
 廃虚巡りが好きなのも、
 すべてこれに由来している。
 明らかに今の俺はその時の彼女の影響を受けて、
 俺は俺を構成しているのは彼女だと素直に認めよう。
 そう、それだけ彼女との出会いは俺にとっては劇的だったのだ。


 それでも忘れられなかった・・・
 大切な彼の事が・・・
 その悲しみを癒すために時計の修理なんかも覚えて手伝うようになったけど、
 だけどいつも心の中が空っぽで、
 空虚で、
 現実はリアルさなどまったくなくって、
 俺は見ている夢から覚めようとしている自分がいる事を知っていた。


 時計の精霊がいる不思議なお店、時計の『羈絏堂』。
『あなたは彼らの事を、物とは言わないのだね?』
 よく物語の中に出てくる時計の妖精は小人のタイプが多いが、この『羈絏堂』にいるのは鳥によく似た不思議な姿をしていた。
 彼女はその時計の妖精を両腿の上に乗せて、優しくその背を撫でていた。
『だって彼らは物ではない。生きているのだから。だから俺は彼らを俺と対等として接している』
『ふむ。なるほどね』
 彼女は口元に軽く握った拳をあてて数秒思案し、そしてその次にひどくあっさりと言い放った。
『この店はあなたにあげるよ』
『はあ?』
 俺は驚いた。彼女の何の脈絡も無しに突然に突拍子も無い事を言い放つ癖にはもう慣れていたはずだが、しかしその時はものすごく驚いて、そして俺はあまりにも驚きすぎて一定のトーンの声でそう訊き返した。
『冗談でしょう?』
『失敬な。私が今までに冗談や嘘を言った事があった?』
 ――――あった、と声を大にして言いたいが、今はそれを言っても埒があかないのでただ微笑む事にしておく。
 彼女は何やら満足げに微笑むと、
『とにかく私が旅が趣味なのは知ってるわよね? 私は常々世界中の遺跡を旅してまわってみたいと想っていたのよ。そのための資金はこの時計修理の腕があればどこの国に行っても稼げるしね。だけどそれをするにあたってのネックは、この子たち。時計の精霊達は、この『羈絏堂』にしか居場所は無い。だから私はこの子達のためにもこの『羈絏堂』を守らねばならなかった。だけど今はあなたが、ユーンがいる。だから私は安心して旅に行ける。ユーン、あなたならばこの『羈絏堂』を、時計の精霊たちを任せられるわ。だってあなたはこの子たちをちゃんと対等に扱ってくれるから。そして居場所、というモノをあなたはちゃんと守ってくれるから。そう、時には渡り鳥が疲れた翼を休ませるために木の枝にとまるように、私もこの『羈絏堂』に帰ってきたいしね』



 そして彼女は本当に『羈絏堂』を俺に任せて旅立った。
 ―――――きっと彼女は知っていたのだと想う。
 俺の心には空虚な穴が開いているのを。
 それを彼女は『羈絏堂』という居場所で埋めてくれようとしたのだ。



 それから数年。時折、思い出したかのように彼女は国際電話をかけてきたり、絵葉書を送ってきたりする。



 大切な人を無くし、
 行き場所の無かった俺を住まわせてくれて、
 俺に居場所と、
 そして守るモノを手渡してくれた彼女に俺は感謝をしている。
 それからの『羈絏堂』には二人の子どもも増えた。
 いつか俺はきっと彼女から『羈絏堂』を託されたように、
 あの子どもたちにも何かを託すのだろう。
 それが人の営み。
 一度は無くし(捨て)、
 だけど彼女によって手渡された大切なモノ。



 それはきっとあの少女の腕の中でまるくなって眠っている仔猫も同じなのだろう。



 少女は俺の隣を通り過ぎていく。
 きっと俺と彼女の生活が、そこから繋がった道が生まれたように、
 少女と仔猫の生活もまた新たなモノを幾つも築くのだろう。
 俺はだから少女と仔猫を応援した。



 見上げた空は灰色だ。
 アンダンテのリズムで雨を降らせる。
 差していた傘を手放し、
 傘が雨に濡れたアスファルトに落ちる音を聞きながら、
 俺は空を見上げ、
 顔を雨に打たせる。



 雨の日は嫌いじゃない。


  ― fin ―


 **ライターより**

 こんにちはシン・ユーンさま。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 ご依頼ありがとうございました。
 時計の精霊の姿のイメージを変えられたのですね。^^
 鶏ヴァージョンのイラストもかわいいですし、
 新ヴァージョンのイラストは神秘的で素敵ですよね。
 あまりものカッコよさにおおー、としばらく見入ってしまいました。
 無論、鶏ヴァージョンも好きなのですが。


 ユーンさんにはこのような過去があったのかとすごくプレイングを読ませていただいて驚きました。
 こっそりとお聞きしてしまいますが、今回の少年と・・・子どもたちは何か関係があるのですか?
 すごく気になるところです。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼本当にありがとうございました。
 失礼します。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年06月07日

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