▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『雨転 』
向坂・嵐2380

 向坂・嵐(さきさか あらし)は、赤茶の目で目の前に積み上げられた服の山を見て、大きく溜息をついた。
「よくもまあ……こんなに溜めたもんだな」
 目と同じ赤茶の髪をかきあげ、再び嵐は溜息をついた。連日の仕事の忙しさと、続いている雨によって、洗濯物が山のように溜まってしまったのだ。晴れたら全て一気に選択してしまおうと思っていたのだが、いつまで経っても雨は止みそうに無かった。テレビをつけても、ネットに繋いでも、ラジオを聞いても、週間天気予報は雨を知らせていた。しかも、当分ずっと雨なのだと。
「仕方ねーなぁ……」
 嵐は本日三度目の溜息を吐き出すと、洗濯物を紙袋に押し込め、部屋を後にした。そろそろ、着るものまでもが無くなってしまってきたのだ。一刻も早く、洗濯と乾燥をしてしまった方がいい。となると、答えは一つしかなかった。
 嵐の足は、まっすぐと近所のコインランドリーへと向かうのであった。


 深夜のコインランドリーは、恐ろしいまでに静まり返ってしまっていた。
「24時間営業とは、よく言ったもんだな」
 嵐は苦笑しながらそう言い、傘を傘立てに立ててから中を見渡す。当然のように、嵐の他に客などいない。深夜、雨の中わざわざコインランドリーを利用しようとしているのは、嵐くらいなものであろう。嵐はコインランドリーの一つに、紙袋に入れてきた洗濯物を放り込んでいく。そして、全て入れ終わると100円を投入し、スタートボタンを押した。
「これで、よし」
 嵐は機械が無事に動き出したのを確認するとこっくりと頷き、置いてあるベンチに腰掛け、煙草を一本くわえた。
「ええと、ライターライター……」
 手探りでライターを探し出し、火をつける。白煙がゆらゆらと、静まり返ったコインランドリーの天井へと昇っていく。
『思い出さない?』
 嵐ははっとして煙草をくわえたまま、辺りを見回す。だが、誰もいない。あるのは、ただ静寂だけだ。
「……空耳、か?」
 眉間に皺を寄せ、嵐は辺りを再び見回した。今度は、先程よりも注意深く。だが、やはり誰もおらず、何もいない。
(だが、確かに聞こえた)
 嵐はふと、思い出す。このコインランドリーには噂があったということを。遥か昔に、このコインランドリーに捨てられた子どもの幽霊が、親を求めて彷徨っているのだとか。
(馬鹿馬鹿しい……と思っていたんだが)
 そういった類の幽霊話は、そこら中に転がっている。それこそ、履いて捨てるくらいに。しかも、それらの多くは全く所以の無い事柄であり、また誰かの創作が殆どであった。このコインランドリーの噂も、例に漏れずその類だと思っていたのだ。
(まさか、本当……なのか?)
『誰を探しているの?』
 嵐は再び聞こえた声に、素早くそちらを振り向いた。今度は、しっかりとその姿を捉える。……少女だった。一目見て霊である事が分かる、まだ幼い少女だった。まだ5歳くらいであろうか。昭和末期を思い起こさせる、そんな少しだけ古めかしい格好をしている。
「……お前は何をしてるんだ?」
『待っているの』
「誰を?」
『お母さん』
 嵐はそっと口元を塞いだ。こんなに噂どおりの怪談に巡り会えたのも、また稀であった。ただ、違うのは遥か昔ではなく、近しい昔というだけで。
(まさか、本当だったとは……)
 嵐はじっと少女を見つめる。少女はそんな嵐の心内を知ってか知らないでかは分からないが、にっこりと笑い返した。何処かしら、空虚ささえ感じさせる笑みだ。
「恐れいったぜ」
 ぽつりと、嵐は呟く。ふと腕時計を確認すると、午前二時であった。草木も眠る、丑三つ時。
(またかよ)
 うんざりしたように、嵐は心の中で吐き捨てる。
(前も……前にもこんな時間に下らない思いをさせられたってのに)
『前?』
 嵐ははっとして目を見開き、少女を見つめる。少女の口は全く動いていない。きょとんとしたまま、あの空虚さを感じさせる笑みだけを浮かべている。
(こいつが、喋っている訳じゃないって?)
 馬鹿にしているかのような感覚を覚え、嵐は苦笑する。
(冗談じゃないぜ)
 嵐はそう心の中で吐き捨てると、また再び声が響いた。
『前って、いつ?』
 その言葉で、嵐は漸く気付く。嵐はじっと少女を見つめていた。目を逸らさずに、ただじっと。口を動かさずに喋る事ができるという技能が無ければ、こうして自分を目の前にしたまま口を動かさずに喋るのは不可能である。
 勿論、霊ならば可能かもしれない。ただし、それは自分が霊体であると自覚し、生きている人間には出来ぬ所業が為せると分かった霊のみが出来ることである。こうして目の前にいる少女は、自分が霊となっている事には気付いていないだろう。だからこそ、今も尚既にいる筈の無い母親を彷徨い続けてしまっているのだから。
「……お前、ただの霊じゃないな?」
 嵐の問い掛けに、ただ少女は「ふふ」と笑った。今度は、ちゃんと唇を動かして。
『虚像』
 嵐はがばっと立ち上がる。少女はにこにこと笑って、嵐の座っていた隣にきちんと座ったままである。
「虚像、だと?」
 漸くそれだけ言うと、少女は再び「ふふ」と笑った。しんと静まり返ったコインランドリーの中で、少女の笑い声だけが響く。
(待て。……笑い声だけ、だと?)
 嵐はふと気付き、辺りを見回す。そこは、いつもの近所にあるコインランドリーに違いなかった。グイングインという機械音を発しながら、100円を入れた機械が活発に動いている。だが、その音は恐ろしいまでに聞こえなかった。
『怖いの?恐れているの?』
「何を……」
 嵐は自嘲するように言い放つ。少女は小さく笑い『いいのよ』と呟く。
『思い出すのね。回転しているから。あなたの分身とも言える洋服達を、あの回る機械に入れているから……あなた自身も回転しているのね』
「意味が分からないぜ?もっときちんと説明してくれないとな」
 嵐はそう言い放つが、少女はただ最初の頃と同じように笑うだけだ。あの、空虚な笑みで。
『説明なんて必要無いわ。あなたは分かっているから』
「分からないって言ってるじゃん?」
 尚も言い放つ嵐に、ただ少女は空虚な笑みだけを返した。嵐は頭の奥が熱くなるのを感じた。
(駄目だ)
 心のどこかで、制止をする声が聞こえた。だが、それと同時に、心は全く正反対の事w叫ぶのだ。
――黙らせろ、と。
『そうやって、全てを拒絶するの?』
「煩い!俺に分からない話ばっかして、困るんだよ!」
『分かろうとしてないから。……全ては、全てはあなたの中にあるのに』
「煩い!」
 くすくすと空虚な笑いを続ける少女、苛々の果てにコインランドリー内の籠やベンチが少しずつ動き始める。最初はゆっくりと、だんだん激しく。
「黙れ……!」
『……意味無いわ』
 がたん。少女がきっぱりと言い放った瞬間、浮かび上がっていたものの全てが元のように地面に落ちた。嵐はその途端、はあはあと息切れをしながらその場に崩れ落ちてしまう。少女はベンチから立ち上がり、膝をついてしまった嵐を見下ろしながら、今度は笑わずに口を開く。
『あなたには、回転など必要無いはず』
「なら……なら、何故……?」
 嵐が顔をあげて少女に問い掛けると、少女は初めて空虚ではない笑みを浮かべた。にっこりと。
『今日は、雨だから』
 ゴウン。機械の止まる音が、コインランドリー内に響いた。先ほどまで、全くといっていい程音のしなかった、機械が。それと同時に、少女の姿は忽然と消えてしまっていた。嵐はそっと、時計を確認する。きっちりと、20分。値段の分まで、機械はしっかりと働いていたのだ。永遠のようにも、一瞬のようにも感じられた20分。
「そうか……」
 今日は、雨だった。その雨が鏡のように自分の心を映し出したのかもしれない。自らの中に潜む、色々なものを。それがはっきりと何なのかは分からない。だが、それは確かに現れたのだ。噂という媒体をつかって。
(何てこった!一番あの噂を信じていたのが、俺みたいじゃん!)
 嵐はくつくつと笑いながら音の止まった機械に近付き、すっかり乾いてしまった洗濯物を畳みながら紙袋に入れていく。
「……気にするなって?」
(気にするに決まってるじゃん)
 嵐は再びくつくつと笑い始めた。全ての洗濯物を紙袋に入れてしまうと、嵐は小さく「うっしゃ」と呟いて大きく背伸びをした。
「ま、たまにはな」
 嵐はコインランドリーの出入り口に立ち、後ろを振り向かずにひらひらと手を振り、傘を差して一歩踏み出した。
 まだ降り続ける、雨の中を。

<雨の中にふるものは二つ・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年06月02日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.