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『現―うつつ― 』
都築・秋成3228


 夕暮れにうとうとすると決まって悪夢を見てしまう。それもいつも同じ夢だ。


 まず、目の前が真っ白だ。不自然なほどに真っ白だ。けれど左右には闇がある。
 俺はいつもぼんやりと立て付けの悪い椅子に座ったまま、ぼーっと目の前の白いものを見ている。


 かた
かた
  かた

  かた
      かた


 やがて渇いた音がする。

 回る古ぼけたフィルム。

 そこで初めて目の前の白いものがスクリーンだと気づいた。
 スクリーンには、しばらく雑な線や曲線がじじじ、と音をたてて映し出され、そして途絶える。

かた
   かた
        かた
             かたかた

 映写機が回っている。音はどこか一定でなく時折空回りしているようにも感じる。薄い音。無機質な音。

 ――――俺はその音が嫌でたまらない。
 この後になにが続くのかをよく知っているから。


 映像は白黒だ。いつも色彩を持たない。

 映し出されるのはいつも、もう過ぎてしまった過去の風景。その一場面。

 空は、確か生まれたての鉄のように焼けた赤だった。
 それにかかる雲はどこか忙しげに西の空に急いでいた。色がなかろうが、音が聞こえなかろうが、鮮明に覚えている。

 コンクリートの上にいくらか砂をひいただけのグラウンドには、クラブ活動にいそしむ数人の影が長く伸びて。
 もう何度も踏みならされて薄れた白線の上を、躍動的な足がいくつも飛び越えていった。

 腹の底からでるいくつもの掛け声がそれを追ってこだまする。

 グラウンドの向こう。道路に面した壁の向こうからは、確か夕焼け小焼けが聞こえていた。
 穏やかで楽しそうな子供の歌声だった。それくらいの時間だった。

 見慣れた光景。
 当たり前のように存在していた毎日。

 とても平穏で、静かな夕暮れがそこにあった。


 俺はそれをただじっと重く軋む椅子に座って。深く腰をかけて、何をするでもなく眺めている。

 ――――見たくなくても。

 そのあとに何が起こるかを知っているからこそ。

 俺は何度でも甘んじてその続きを見続ける。
 もう、目や意識を逸らそうとも思わないほど見慣れたものでもあるから。

 そう、この続きは。

 同じクラブの仲間。
 俺に向かって笑う顔。かけられる声。寸分たがわず覚えている。

 そうして駆け寄ってくる。ゆっくりと。だけど、少し急いで。
 俺は駆け寄ってくるそいつを、高揚した気分で迎えた。

 気分はとても高ぶっていた。俺は片手をあげて、そいつを迎えて。

        かた
  かた
     かた

 回る映写機と、無声のまま続く映像。

 そう、このあとに。

『―――――――――――――――――――――』

 何度となく脳内に刻み込まれた凄まじい声が、また俺を簡単に蹴破って空に抜けた。
 始めのうちはこの辺で飛び起きていた。この頃は、もう少し進むようになった。平気になった……とは思いたくないけど。

 目に入るのは……赤。
 スクリーンは真っ赤に染まる。
 これほどに鮮烈な赤を、俺は今まで他に見たことが無い。

 散らばる……赤と、そして、やがて入り混じる黒。

 その色彩を見て、俺はようやくどうしようもなく情けなくなって我慢ができなくなって。
 育ちきらない感情と一緒に、いつも目を覚ます。

 …………今でも。まだ、この先の光景は見れない。意識して見ないようにしているのだろうと、自分で思って苦く笑う。

§
 どこまで続くのか知れない空はどこもかしこも違う色をしていた。どれほどたくさんの色を混ぜ合わせればこんな色になるんだろうか、と思う。
 ああ……また、夕暮れだ。
 ぼんやりと開いた都築の目に入り込んできたのは、夢の中で映された空と同じような夕焼けだった。溶岩。ドロドロに溶けた赤い飴。……太陽。
 覚醒したばかりの身体は妙に気だるく、いくらか汗ばんでいる。しばらくぼーっとしたまま懐かしい空を眺めて、やがて、気づいた。
 ああ……。なんだ、俺。公園なんかで居眠りしちゃったんですね。
「どおりで……あついはずですよ」
 ぼそり。
 独り言を呟いて、汗ばんだ首筋を拭って力なく笑う。まだ夏にはなりきらないとはいえ、正面から射してくる西日は十分な威力を持っていた。噴水脇のベンチだったことが幸いしたのだろう。背中まで汗びっしょりというわけではない。
 汗を拭くものなど何も持っていないものだから、適当に手や服の裾で拭って汗の始末はいいことにする。ただあまりに手が火照っていたので、噴水の縁まで行って舞い散る水の下に浸した。冷たい。なかなか冷たいものだ。
 地下を循環している水だからでしょうかね……。
 そんな他愛もないことを考えながら少しずつ現実に意識が戻ってくるのを感じる。
 どうして、こんなところにいたんだっけ。ああ。一仕事、終わったんでしたっけ。
 判然としない頭の中を徐々に回していきながら、都築は人の絶えた公園の中をそれとなしに見回した。
 耳には夕暮れの代名詞のカラスの声。少しばかり気の早い虫の声。風が鳴らす木の枝の音、葉ずれ。雑踏。繰り返し落ちて地下に吸い込まれていく水の音……。
 自分を包む現実の色があまりに平和で、知らず深い息がでる。
 都内のはずれにある公園。ここは、都築が一仕事すませた後にいつも立ち寄る公園だ。別に何をするでもなく、ぼーっと空を眺めたりしている。そうしていて、今日はつい眠ってしまったんだろう。ここのところ少し忙しかったから、と顎を撫でると、朝にそり残したのか、ちりり、とした無精ひげの感触が指を刺した。もしかしたらまた生えたのもかもしれないけど。まぁいいか、と思って景色に意識を馳せる。
 こうしてみれば、東京もそれなりに緑が多い。頭の中のイメージではビルしかない街のような気もするけど。そうでないのは少し考えてみれば分ることだ。人間のイメージなんてそんなものなんだろう。物事のほんの一面を知っているだけで結構全部を知っているような、そんな気になるものだ。その奥でどんな恐ろしいことが進行しているのか、とか、そういうことは不思議と考えないものだ……。
(俺も、そうだし)
 自嘲気味に眉を八の字に、口元を少しだけあげて、今日も見てしまった、と思う。夢の中のあの時も、一瞬前までは平和で、表面上は何も起こるような兆候もなくて。こんな風に、穏やかだったんだ。
 だけども。

「……今日は、大人しいんですねぇ」

 あの過去の夢を見た後にはいつも決まって騒ぐ奴が成りをひそめていることが不思議で、都築はまたぽつり、と呟く。
 そうして、現(うつつ)にも、夢(ゆめ)にも留まれず、都築はしばらく自分の記憶に思いを馳せる。

§
 都築の家は特に金持ちじゃない。どちらかというと金は無い方だ。小さい頃からひどく庶民的な生活をしてきたのだからそれだけは確かだ。
 けれども、ただ一つ持っているものがあった。
 それが、古すぎる血脈。家系図を遡ればどれほどになるか。自分たちの身体に流れる血は、あまりに古い、気の遠くなるような場所にいた人間たちから受け継がれてきた血だ、と祖父に教えられた。そして、その血には力がひそむと。
 その言葉どおりに、都築家の人間には一般の人々にはない力と"あるもの"が宿る。その力の方が人ではない存在をあるべき場所に送り返すという、都築にとってあまり重要でもなんでもないものだったことが、都築の因縁の始まりだといえば始まりだったのかもしれない。

 夢の中で、響き渡る掛け声の中に混じる都築はいつも高校生にまで舞い戻っている。
 部活は陸上だった。元々体を動かすことは大抵好きで、その中でも自分の身で風を切って走る陸上の爽快さが気に入っていた。
 あの時期はちょうど全国大会前で……夕暮れまで居残り練習をするのは当たり前のことだった。
 不思議な古い力を受けている都築の家族は例外なくそれを生かした拝み屋という商売についている、もしくはつくことに何の疑問ももっていなかったが、都築だけは違った。なんとなく自分にその仕事が向いているとは思えなかったし、都築にとっては汗を流して自分の体の限界を知ることの方が自然だった。それだけのことだと思っていたのだ。
 父や母はもちろん、弟でさえもすでに力が発現している中、自分だけにその力がまだ現れないのも、自分の心一つのことだろう、くらいに考えていた。都築の血を引くものは生まれながらに素養を持っていながら、その力の発現時期はばらばらだ。
 ――もしかしたら、俺にはそんな力、現れないのかもしれない……。
 今から思えば、どれほど甘い考えだっただろう。
 自分の二つの目に映っていたのは、どれだけちっぽけで狭い世界だったのだろう。今でも、深く考える。考えてもどうせ答えはでないから、やがて考えを放り出して深い息を空に放つ。

 ――――やつはただ一番食い破りやすい場所と時を狙い続けていた。

 一斉蜂起。突然の革命といってもいい。最も、革命なんてものはいつも突然に起こるものだろうが。
 歯向かわれて、初めてその存在に気づくものだ。自分を害する存在がこんなにも近くにいたことにも気づかないで、のうのうと生きていた。自分には関係のないことだ、って。
 目に見える世界はいつも平穏で、柔らかいものだったから。

 それが牙をむいて俺を食い破るなんて、思ってもいなかったんですよ。それほどに俺は無知で、アホで、あまりに甘ったれでした。

 あの日は、あの繰り返しやってくる映像は。
 ――――その名残。

 昔から話にはずっと聞いていた。
 都築の血に潜むもう一つの存在。それが、大蛇(おろち)。
 それはもう気が遠くなるほど昔に都築の血筋が被った因縁であり。都築であるということはその大蛇どもを望むにしろ、望まぬにしろ、血に飼いならすということ。
 よく知っていたはずだったのに。俺はそんな変えようのないことまで楽観してしまっていた。

『ツヅキっ……!』

 だから、どうして向かってくるあいつの顔があんなにも歪んだのか、分らなかった。
 その後に驚くほどの液体が広がって飛び散って、真っ赤になった砂の上に転がったその身体を、どうしてかツクリモノだと思った。
 目の前に現れたどす黒い影が、ぎらぎら光る獰猛な赤い目がまるで夕焼けを映したようで、それが都築秋成につく大蛇が具現したものだ、と気づくのにひどく時間がかかった。

 記憶はそこで途切れてしまう。次に気づいた時には自分は一人保健室の薄く固いベッドで横にされていて、もう現れないだろう、と勝手に決め付けていた力が発現していた。外傷は何もなかった。

 倒れた友人は病院に運ばれ、そのまま入院。
 当然のように、彼は全国大会への出場権を失った。夕暮れの惨劇を誰もが知らない。自分だけが知っていて、そして、都築だけが全国へ出ることになった。

§

「……莫迦な、どうしようもない思い出ですよね」
 その日。
 茫然となった自分を迎えたのはいつもよりも少しばかり厳しい顔で門前に佇んだ祖父の顔と声。
 強く罵られるのかと思ったら、逆に都築よりも小さな背丈で頭をぐい、と抱えられ、「……よく休め」と言われたから、不覚にも涙が零れでた。そのとき初めて、自分が耐え難いほどのどん底に叩き落されたことを知ったのだった。

 その日を境に、都築の血には大蛇が封じられている。
 ともすれば、いつでも食い破ろう、という邪な心根で大蛇はいつも都築に語りかける。
 大抵壊せとか、解放しろ、とかいうこんちくしょうな内容だから、都築はいつも取り合わない。

 いくら、どれだけ騒がれても俺はあなたを自由にはしてやらないんです。
 ねぇ。だから静かにしていてくださいよ。俺があんたをくびり殺せるようになるまで。
 こうして身体を貸してやってるだけで、満足してくださいよ。もうしばらくね。

 ――まるで親しい友にでも話しかけるように。

 都築は、自分の中に住みつく何よりも憎い相手をなだめてやる。
 時には笑いさえ含ませながら。行けるように行くところまで歩いていくしかないと。
 深く人と関わるのも、自由になるのもまだまだきっと先の話で。それまではきっとだらだらと、のらりくらりと自分は過ごしていくのだろうけど。
 ……いつか。あの赤い夕焼けを何のさわりもなくのんびりと眺められるようになりたいものですね。
 そうしたら。ねぇ。俺は夕焼け小焼けを優しい気持ちで聞けるようになるんだろうか。こんな悲しい響きには、聞こえないだろうか。

 ――夕焼け小焼けで日が暮れて。

 渇いた唇からでたかすれた声で一つ、二つ、歌を口ずさんで目頭が熱くなって、やめる。いい年をして。自分なんてこんなもんですよ。こんなにも、まだまだ未熟なもんです。だけど諦めたくは無いから……。
 さあ、家に帰ろう。
 ゆっくり。下手くそな歌でも歌いながら。聞く人が誰もいないんだからどれだけ情けない声でも問題ない。帰ったら冷蔵庫で冷えた発泡酒でも飲もう。そうしたらぐっすり眠れるかもしれない。
 ――夢一つ見ないで。

 気が付いたら、もう夕陽さえ落ちてあたりには薄闇が下りていた。
 舞い散る水がすっかり汗のひいた身体に降りる。それが妙に冷たくて、少しだけ痛い気がした。


 これが、俺の持つ今の現(うつつ)。


END
PCシチュエーションノベル(シングル) -
猫亞阿月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月31日

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