▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『Blue Rose 』
賈・花霞1651)&蒼月・支倉(1653)

 朱を浴びた青い華は、黒々として美しく


 影が走る。
 背心を着込んだ侍女らしき女達の一団が、それぞれの手に武器を握り締めて、夜明け前のぼんやりとした蒼い闇の中に溶け込みながら走っていく。
 荘厳華麗な離宮を思わせる屋敷は、眠りの淵に沈んだまま、女達の他に動くものもなく。磚による幾何学的な模様が施された漏窓から静かに零れ落ちる銀色の月光と、随所に掛けられた瑠璃灯のほんのりとした赤い灯火だけが、女達の行く手を照らし出す。屋敷の中を流れる闇の中で、裾の立てる衣擦れの音が、髪に差した簪の飾りが立てる涼やかな金属音が、尖った靴先が床を蹴り上げる小さな音が回廊の壁に反響してはガランとした宙へと散っていく。時折差しかかる屋敷の吹きぬけになった回廊の、花や蝶などを彫り込んだ欄干の向こう側に揺らめく庭園の緑は完全に闇と同化し、夜明け前の空に黒い影を伸ばす。その様子は何とも不気味なものだったが、それでも女達の足は止まらなかった。
 屋敷の奥へと走る続ける彼女達の目的は、ただ一つ。自分達を人里から攫い、この離宮へと閉じ込めた屋敷の主を殺すことだけだ。明け方の闇の中で、深い眠りの中にいるだろう主の寝首を掻く…それだけで、自分達は自由になれると女達は信じていた。否、信じようとしていた。素直に事の成功を信じることができなかったのは、この屋敷の主が人間ではなかったからだ。
 銀色の艶やかな毛並みをした長い尻尾に、紫がかった髪の間から覗く獣の耳。人間なら絶対に有り得ない容姿を持った主は、残酷で冷淡で気まぐれで…それでいて美しい妖狐だった。強制的に屋敷へ連れて来られ侍女とされた女達が知るのは、屋敷の主人の人ならざる容姿と『支倉』という主の名前のみだったが、その名も彼の真名かどうかは誰一人として知る者はいないだろう。なぜなら、長い刻を生きてきた彼の妖狐は、気分次第で自分の名すら変えてしまうような所があったからだ。
 主の気まぐれさは、時として使用人の命運すらも左右するものとなった。気に入らなければ殺し、数が足りなくなれば攫う。彼の人の行動は、その繰り返し。侍女達が闇に紛れて無謀ともいえる行動を起したのは、常に死と隣り合わせの日々に終止符を打ちたいと願ったからであったからなのかもしれなかった。
 妖狐である主に対する恐れと、これから人殺しをするのだという緊張感に顔を強張らせながら、女達はひた走る。薄明かりの中で、幾つ庭に渡された橋を渡り、見事な透かし彫りの施された円光罩をくぐり、漆塗りの柱を巡ったことだろう。気が遠くなるほどに長い疾走の後、五更を知らせる鐘声が大気を震わせる頃、女達は一つの扉の前で足を止めた。
 それは、この奥が主の寝宮だからだったが、同時に扉の前に座る人影を見つけた為でもあった。
 人影は、女だった。
 長く腰まで伸ばされた髪を結い上げもせずに床の上に散らし、華美な蒼い衣装を纏った小柄な身体。艶やかな髪には見事な細工ものの歩揺が挿され、花を模った飾りに嵌めこまれた青玉が瑠璃灯の光を反射して煌く。金銀、宝玉…ありとあらゆる宝飾品に飾られたその娘を、侍女達は見知っていた。
 花霞。そう呼ばれる主のお気に入りの人形だ。常に主の傍らに立ち、あるいはその足元に寄り添って座り、主の口から紡がれる命令を待っているだけの忠実で自我のない綺麗なだけの鑑賞用のお人形。それが、目の前にいる。
 この人形を壊したら、主はどんな顔をするのだろう。落胆か、悲哀か、それとも憤怒か。
 脳裏に浮んだ暗く歪んだ想像が女達の殺意に火を付けた。ほぼ、同時に彼女達の手が、それまで握り締めていた刃を鞘から引き抜く。その気配を感じたのか、それまで閉じられていた花霞の紅唇が静かに開かれた。
「誰も入るなとの主様の命が下っています。お引きなさい」
 表情というもののない人形は、抑揚のない声で言葉を紡ぐ。しかし、静かに紡がれた言の葉に、女達を止める力はなかった。逆に膨れ上がっていく殺気。女達の刃が花霞を狙ったその刹那。
 先頭に立っていた侍女の首が、高く宙に舞い上がった。結い上げた高髻もそのままに、赤い雫を撒き散らしながら、それはボトリと床へ落下する。そして、自らの首のあった場所から溢れ出した血液が作った朱色の池の中へと転がった。
 ほんの瞬きする間に起きた出来事に呆気に取られる女達の前で、花霞がゆっくりと立ち上がる。彼女の動きに合わせて、長い黒髪がふわりと揺れた。その一部、紐を絡ませた一筋の横髪が、赤く血に染まっている事に何人の女が気付いたことか。この髪が、先ほどの侍女の首を断ち切った目に見えぬ刃の正体だった。
「命に背く者は殺せとの主様の仰せ…。故に、全員この場で始末致します」
 不吉な言葉を唇に載せた直後、花霞は身に付けた衣装の重みを感じていないかのような様子で動いた。たちまち二人の侍女が、その身を裂かれて血の池へと沈む。
 鑑賞用だと思いこんでいた人形は、人型をした剣だった。
 目の前で繰り広げられている光景で、そのことを悟った女達の間に恐怖感が広がる。恐慌状態に陥った侍女の一人が力任せに振り下ろした刃を、花霞は平然とその白い腕で受けた。キィンと金属同士がぶつかり擦れる音が響いて、剣花が散る。刃を受け止めながら傷一つ付かない花霞の腕に気を取られた侍女の身体が、黒い刃となった彼女の髪によって薙ぎ払われて床の上へ転がった。
 細腕、黒髪、白い指先。
 花霞を形作るもの全てが、女達を切り裂く刃だった。耳墜の飾りをシャラリと鳴らし、舞いを思わせる仕草で彼女は目の前の侍女達を葬っていく。扉の前に残された侍女は、残り僅かだった。そのうちの年嵩らしい二人が、花霞の左右から同時に切り掛かる。その脇を。列の最後尾にいた鴉頭の少女が扉に向って走った。剣戟の音。受け止められる刃。宙を切り裂いた黒い髪。生暖かい朱の雫が、少女の顔を濡らす。次々と切り裂かれる女達の身体と赤い花弁を思わせる血飛沫を横目に、花霞の脇を擦り抜けた彼女は勢い良く扉を開くと寝宮の中へと踏みこんだ。
 寝宮の中には静寂が広がっていた。室内に淀んでいた闇の粒子が開かれた扉から流れ出す。先の見えない暗闇に怯えながらも、侍女は汗ばむ手に白刃を握りなおして一歩足を踏み出した。その途端。少女の鼻を異臭が貫いた。闇の粒子に混ざり合うように、濃い血臭が室内に立ち込めている。
 込み上げる吐き気を抑えながら、臭いの元を探ろうと首を巡らせた侍女の目に、寝台の上に凝った影が映った。影の刃を思わせる怜悧な青い目に、白い顔をした自分の姿を認めて、侍女の心臓が跳ね上がる。漏窓から差し込んだ月明りに照らされた青い目の影は、この屋敷の主である妖狐だった。恐ろしくも美しい獣が、己の寝所に立ち入った侵入者に驚きもせずに、じっと目だけを向けている。それだけの筈なのに、全身を鋭い剣で刺し貫かれたような気がして、侍女は剣を向けたまま視線を足元へと逸らしていた。
 退くべきか、斬りかかるべきか。どちらにしても殺されるのは間違いない。
 背中に嫌な汗が流れていくのを自覚しながら、侍女はもう一度視線を寝台の方へと向け、そして…思わず、息を飲み込んだ。寝台の下に、何かが転がっている。豪奢な絹の衣装に身を包んだ白い肢体だった。裾から伸びた白い足は奇妙な方向に捻じ曲がり、とても生者のものとは思えない。長い頭髪に覆われた顔から、赤い雫が床へと滴り落ちている。無残にも崩れた牡丹頭。その頭に残された髪飾りに、侍女は見覚えがあった。
 数日前、主が何処からか連れてきた娘がしていた髪飾りだ。西方の血が混じっているのか、珍しい瞳の色をしたその娘を主は、攫って来た日から傍に置いていた。屋敷の誰もが、主が娘を気に入っているのだと思っていたのだ。それが…今、目の前で…。 
 その娘が無残な死体となって転がっている。
 認めたくない現実に、ぐぅっと侍女の喉が嫌な音を立てる。出来る限りの大声で叫び声を上げられたら、どれほど楽になれる事だろう。しかし、侍女がそれを実行に移すことは出来なかった。何の前触れもなく、彼女の胸に白い花が咲いたのだ。花、否、それは白い腕だった。朱に染まった細腕が後ろから、彼女の身体を貫いている。己の胸から生える腕を凝視したまま、侍女は事切れていた。

「目覚めておいででしたか、主様…。」
 事切れた侍女の身体から腕を引き抜き、感情のこもらぬ声で花霞は、寝台の上の主に声をかけた。腕を抜かれ支えを無くした女の身体が、糸の切れた操り人形のように床の上に音を立てて落ちる。それには目もくれず、主たる支倉は不機嫌極まりない声を血まみれの花霞に投げた。
「誰も入れるなと命じていた筈だぞ。」
「申し訳御座いません。」
 常人ならいたたまれなくなるような声と眼差しだったが、花霞は顔色一つ変えずに受け止めて、以前、主に教えられた通りの形式的な礼を返す。その様子に面白くなさそうに、彼は鼻を鳴らした。
「申し訳ないなどと、微塵にも思っておらん癖に。…人形が。」
 吐き出すようにそう言って、支倉は寝台の上に身を起こした。さらりと額に掛かる前髪を無造作に払いのけ、身動き一つしない自らの人形へと視線を送る。豪奢な蒼い衣装を真っ赤に染めた花霞の姿に、支倉は新たな楽しみを見出したようだった。
「何人殺した?」
 口元に楽しげな笑みを貼り付けて、彼は簡潔に問う。
「侍女ばかり十人ほど始末致しました。」
 対する花霞は、相変わらずの無表情だった。武器に感情などないように、彼女はそんなものを持ち合わせてはいないのだ。無論、命を奪うことへの罪悪感も。
「仕方のない奴め。また、代わりを見繕って来ねばならん。」
 口から紡がれる言葉と反対に、支倉の表情は楽しげだった。人を狩る、それもまた楽しみのうちだ、と新しい玩具を見つけた青い目が雄弁に語っている。長い刻を生きてきた彼にとって、人の生き死には娯楽の一つ程度でしかないのだ。
「主様」
 不意に掛けられた花霞の言葉に、支倉は面倒そうに彼女の顔を見やると無言で言葉の先を促す。
「お気に召していらっしゃるのだとばかり思っておりましたが」
 花霞の目は床に捨てられた女の死体に向けられていた。人形である彼女が、主に向かってこのような問いを投げかけることなど殆どない。珍しいこともあったものだと思いながら、支倉は口を開いた。
「気に入っていたさ、それなりには。」
 だから、二、三日は傍に置いていただろう?
 そう言って悪びれもせずに、彼は笑う。その笑みに花霞は悟った。要するに飽きたのだ、と。飽きれば捨て、興味を無くせば放り出す。主の気まぐれは今に始まったことではなかったし、花霞には彼の人の癖を咎めるつもりは微塵にもなかった。
「しかし、あの目だけは惜しいのでな。一晩かけて愛でてやっていたところだ。」
 くすりと小さく笑って、支倉は何かを閉じ込めていた手のひらを開いてみせた。血染めの手中には、大きめの真珠に似た白い球体が二つ。
 気に入っていたらしい女の翠色の眼球を抉り出したままの状態で、彼は弄んでいたのだ。
 恐らくは。掌の上で楽しげに眼球を転がす主の姿を見ながら、花霞は思った。恐らくは、眼球を抉り出す過程ですら、この方にとっては楽しい遊びであったのだろう、と。
「花は散るからこそ愛でようという気になるのだ、花霞。人の生死も同じ、所詮は一夜の戯れだ…。」
 花霞の心中を読んだかのように、支倉は傲慢とも思える台詞を吐き出すと、手にしていた眼球を無造作に放り出す。一夜の夢が終わり、興味を無くしたとでもいうような仕草だった。漏窓から差し込んできた朝日が血塗れの主従を照らし出す。
「花霞」
「はい、主様」
「出かけるぞ、支度をして待っていろ」
「御意」
 簡潔な主と従属との会話。下された絶対の命に、剣であり人形である女は、恭しく頭を下げると血に染まった裾を引きながら静かに退室していった。その後ろ姿を冷めた瞳で見つめていた支倉は、人形の背に向けて言葉を吐き出す。鋭利な刃物のような言の葉を。
「お前は人の手で作られた醜悪な散らぬ花よ…。俺の愛でる花にはなれぬ。」
 冷たい声音は誰にも届くことはない。時がくれば気に入りの人形をも捨て去るだろう妖狐は、一人呟いた。
「せいぜい、俺の役に立て。」
 そうすれば、お前という鉄の花に俺が飽きるまでは、傍に置いてやるとも。
 恐らく面と向かって言った所で、何の反応も返さないだろう人形の白い顔を思い浮かべ、支倉はそれを鼻で笑い飛ばした。あの人形が今の言葉で顔色を変えたなら、それはそれで一興かもしれない。煩わしくもあるだろうが。
 道具は従順な方がいいと愉快そうな笑みを零しつつ頷いて、彼は夜着を脱ぎ捨てると卓上に置かれた豪奢な衣装を羽織る。
 ゆったりとした王侯のような足取りで寝宮を横切る支倉の足元、広がる血の海の中で、捨てられた眼球が昨夜の夢の残滓を纏って真珠さながらに鈍く輝いていた…。


■終■
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
陽介 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月28日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.