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『五月雨の夜 』
四宮・灯火3041

 この虚ろなる身体の内に秘めたるは、いつしか失いし在りし日の面影。


 四宮・灯火(しのみや とうか)は、そっと家のドアを開く。音を立てぬよう、そっと。小柄な灯火の体は、少しの隙間から外に出る事ができる。ほんの少し、家主が気付かぬほど少しだけ。
(少しだけですから)
 そっと心の中で呟き、灯火は外へと出た。そっとドアを閉めると、灯火は空を見上げる。どんよりとした雲の広がる夜空は、月はおろか星一つさえも見ることは叶わない。
「何て空でしょう……」
 ぽつりと灯火は呟き、そっと足を踏出した。さらりとした黒髪が、夜風に揺れる。
「早く、探さなければなりませんね」
 再び呟き、灯火はきょろきょろと辺りを窺う。だが、透けるようなその青の目に、探し物が映し出されることは無い。
「ああ、早く……早く」
 急くのは心ばかりで、体は振袖のせいで早く動く事はできない。牡丹をあしらった紅い振袖が、灯火の歩みにあわせて艶やかに咲き誇る。
「何処に……ああ、何処に」
 小さな声は、夜の闇に溶けていくかのようだった。灯火の問い掛けに答えるものは誰も無い。ただただ、灯火一人が闇の中で彷徨い続けているかのような錯覚すら覚える。
(何と、暗い夜でしょう)
 灯火はそっと歩みを止める。月も星も無い夜の闇は、人工の光しか存在を許さぬ。
「まるで、わたくししか存在していないかのようです」
 人工物である灯火に、人工物である街頭。
(これが人の造りしものの性でしょうか)
 暗闇の中、存在でき得るのは人工のものだけだと。そんな不思議な感覚を呼び起こすかのようである。灯火はきゅっと形の良い唇を噛み締め、再び歩き始める。
(だからと言って、わたくしが探すあの方が存在できないという訳はありません。いいえ、必ずどこかにいらっしゃる筈なのです)
 灯火は歩き、そうして再び歩を止めてしまった。ぽつり、と灯火の頬を何か冷たいものが流れていったのだ。
「あ」
 灯火は小さく呟き、辺りを見回して軒下を探し、見つけると小走りにその下に行った。艶やかな牡丹の如き振袖が、濡れてしまってはいけないからだ。
 どんよりとした空からは、はらはらと雨が降り出していた。


『雨だわ、灯火』
 思い出すのは優しい声。だが、その声を今は思い出すことしかできない。
(どうして、あの時)
 優しく問い掛けてくれた、あの瞬間に。
(問い掛けに、答える事ができなかったのでしょう)
 そっと、返事をしなかったのか。……否、できなかったのだ。まだあの時は、答える事ができなかったのだから。
(だからこそ、思い出されるのですね。こうした、思いを抱いて)
 灯火はそっと雨を見つめる。ザーザーと、激しく降っているわけではない。ただはらはらと、優しく降っているだけなのだ。
(優しく問い掛けてくれました。如何なる時でも、あの方は……)
 朝一番に『おはよう』を。
 夜寝る前に『おやすみ』を。
 そうして一日中を共に過ごし、時間を共有してきた。それが灯火にとっての日常と成り果てるまでに。
(それなのに、どうして今は)
 今、あの頃優しく問い掛けてきた人はいない。たくさんの言葉と感情を与えてくれた人は、傍にはいない。こうして自分が捜し求めるだけである。
(わたくしを高額で手に入れているということは、分かるのですけれど)
 灯火はオークションの高額商品として出された。綺麗な黒髪に、綺麗な青の目、綺麗な牡丹柄の振袖に……何より綺麗な空気を纏っているかのような灯火自身。人々は皆灯火を欲しがり、灯火の為にお金を惜しむ事なく出し、そうして手に入れようとした。今灯火がいるのは、そうした競争を勝ち抜いた、そういう人の場所である。
 決まって言う言葉は『素晴らしい』だけ。
(わたくしに問い掛ける声は、変わってしまいました)
 硝子のショウケースに入れ、そっと埃を払い、優しく綺麗にする。それは灯火自身を見ているからではなく、灯火という存在を綺麗なコレクションの一つとして見ているに過ぎない。
 嘗てのように、優しく問い掛けてはこない。
 嘗てのように、感情を共有してはこない。
 嘗てのように、同じ時間を過ごしたりはしない。
 灯火の心は、ショウケースの中から叫び続けてばかりであった。ただ一つの事を、ただただ叫ぶだけであった。
(あの方に……お会いしたい……!)
 ただ、それだけ。ただただそれだけなのに、何故適わぬのか。
「……え?」
 突如聞こえた声に、灯火ははっとして前を向いた。はらはらと降る雨の中、一人の青年が灯火をじっと見ていた。
(人……)
「これ、人形だよな?何でこんな所にいるんだ?」
 青年は訝しげに灯火のいる軒下に近付く。軒下にぽつんと佇む人形に、驚き半分、興味半分といったところだろう。
「うわ、高そうだな!」
 灯火をまじまじと見つめ、青年は少々大袈裟に言った。それから、そっと灯火に手を伸ばす。
「……ご存知ありませんか?」
 青年の手がびくりと震え、動きが止まった。動く筈の無い、喋る筈の無い人形。それが、目の前で喋ったのだ。
「……気のせい、か?」
 少しだけ声を震わせ、青年は呟く。伸ばされたては既に引っ込んでしまっている。灯火はそっと頭を横に振った。幻聴でも夢でもなく、本当に自分が喋っているのだということを青年に分かって貰う為に。
「違います。わたくしが、あなたに問い掛けているのです」
「うわっ!」
 青年はそう叫び、大きく後ろに下がった。全身ががくがくと震えだしている。
「喋った!動きやがった!」
 無理も無い。夜の闇の中、どう見ても不自然に軒下にいた綺麗な人形。それが今、目の前で喋り、動いているのだから。陳腐な怪談話よりも、よっぽど恐怖心を煽られる。
「お待ちください!」
 逃げ腰の青年に、灯火は思わず一歩前に出る。だが、青年は「ひいっ!」と叫び、更に後ろに下がる。
「わたくしは、探しているだけなのです!あの方を……どうかあの方をご存知ならば」
「く、来るな!」
 青年が更に下がった為、再び灯火は足を一歩前に出す。手をそっと上げ、切なる思いで問い掛ける。
「どうかご存知ならば、教えて下さいませ。あの方がどこにいらっしゃるのかを」
「来るなぁ!」
 青年は真っ青な顔のまま、そう叫んで走り去っていってしまった。灯火は上に挙げた手をそっと下ろし、俯く。結局、答えは返ってこなかった。ただ、青年は悲鳴だけを灯火に与えて去っていってしまった。
「また……答えをいただけませんでした」
 ぽつりと呟き、灯火は俯く。はらはらと降っていた雨が、少しずつ止んでいく。それに気付き、灯火はそっと顔を上げた。
 もうすぐ雨は止むだろう。そうして、空は晴れていく筈だ。灯火に答えをもたらさないまま。
「雨……このまま止むのでしょうね」
 雨は止む。はらはらと降っていた雨は、ゆっくりとその降る事を弱めていっている。
「ですが、わたくしはまだ……」
 灯火に答えは無い。問い掛けた問いも、結局は何も答えを得る事なく宙に浮いたようになってしまった。
「わたくしは……」
 完全に雨は止み、人工の光しかなかった道に、月と星の光が優しく注ぎ始める。空は晴れ、雨は止まった。どんよりとしていた空に、その面影は無い。重そうだった黒い雲も、既に何処かに行ってしまっている。空を満遍なく見渡し、ようやくその端に薄黒い雲を見つけるだけだ。
「……わたくしは」
 灯火は再び呟き、再び俯いてしまった。人工の灯火、人工の瞳。そこから涙が溢れる事は無かった。ただ、気持ちだけはいつまでもどんよりとし、はらはらと涙を流しているだけでだ。
 灯火は歩き始める。問いの答えはまだ得られてはいない。夜明けまでにはまだ時間がある。ならばこのまま、もう少しだけ、問いを胸に探してみるしかないのだ。
 完全に晴れ渡った空とは裏腹に、灯火の心は未だ晴れてはいなかった。


 失いし面影を追い求め、紅き牡丹は咲き誇る。
 抱きし問いの答えを得る為、己の心を晴れわたさんが為。

<五月雨降りし夜は未だ明けず・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月26日

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