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『闇が呼ぶ声 』
神崎・こずえ3206



 善意の失敗と悪意の成功、というものがある。
 往々にして、後者よりも前者の方が害が大きい。
 具体的にいうなら、土地を放射能汚染させるのが目的で原子力発電所を建てる人間はいない。祖国を焦土とするのが目的で対外戦争を始めるものもいない。
 事故など起きるはずがなかった。
 勝てるはずだった。
 悪気はなかった。良かれと思ってやったんだ。
 言い訳はこういう事になる。
 まあ、悪しかれと思って行動するのは、悪の秘密結社くらいのもので、そんなものは子供向けCM入り三〇分特撮番組の中にくらいしか登場しない。
 悪の悪たる所以は、社会に寄生するという一点にある。
 たとえば暴力団。
 彼らは悪だ。だが、彼らは日本を支配しようなど考えない。
 理由は幾つもあるが、暴力団が欲しいのは金銭などの物理的な利益であって、政治的な権利ではないからだ。
 善良な人々から搾取することが、彼らの存在価値なのだ。
 逆にいうと、悪の成功など高々その程度のもので、社会全体にたいして影響などしない。
 だが、アドルフ・ヒトラーが何十万というユダヤ人を虐殺したのは、少なくとも彼自身の正義に基づいてのことだ。
 まったく、正義の名のもとに、人間はどれだけの愚行を繰り返すつもりなのだろう。
 いつか本当に、この惑星を食いつぶしてしまうかもしれない。
 もっとも、
「地球が食いつぶされる前に、あたしが食べられちゃうかもだけどねっ!!」
 やたらと明るい口調で悪態をつきながら、少女が二転三転と蜻蛉を切る。
 追尾するように伸びた触手が、固いリノリウムの床にぼすぼすと穴を穿ってゆく。
 なかなかに非常識な攻撃だ。
「いったい何と何を掛け合わせたら、こんなバケモノがうまれるのよっ!」
 この場にいない相手に苦情を申し立てつつ、自動拳銃を立て続けに咆吼させる。
 神崎こずえ。
 彼女はいま、とある企業の研究所の中にいる。
 目的は、対峙しているこの怪物を処理することだ。
 正確な射撃がモンスターにヒットする。
 人間ならば五、六回は死んでいてもおかしくないほどのダメージを与えているはずだ。
 しかし、怪物の突進は止まらない。
 文字通りモンスター。
 それは、バイオテクノロジーが生んだ奇形。
 河馬のように大きな肉体と無数の触手。
 どうしてこんなものが作られたのか。
「人類のため、か」
 こずえの言葉に毒がこもる。
 彼女に仕事を依頼した企業の代理人が言っていた。
 家畜を大型化させ食糧増産の手助けをする。
 このままでは遠からず地球規模で飢餓がおこり、人類は絶滅の危機に瀕する。
 それを救うつもりだった、と。
 自社の利益追求でしかないものを、社会福祉のためと言い張るのは企業家の通弊なのだが、まあ、言っていることは間違ってはいない。
 成功していれば、人類にとっての光明となっただろう。
「でも世の中ってそんなに上手くはいかないのよね」
 目の前にいる怪物は、壮大な夢の失敗作だ。
「追い求めるのは良いけど始末するのは大変よ」
 そして無益な実験で狂ってしまった実験動物こそ、良い面の皮というべきだろう。
 弾丸を使い果たしたマガジンを捨て、新しいものと交換するこずえ。
「悪いけど、死んでもらうわよ」
 速射。
 怪物の胴体に次々と穿たれる弾痕。
 いくら同情したとしても、これを野放しにするわけにはいかない。
 それに、すでに研究員が一人、丸飲みにされているのだ。
 救出も依頼に含まれている以上、時間はかけられない。
「七分か。そろそろケリつけないとやばいかな」
 ふたたび弾倉を交換したこずえが、モンスターに最接近する。
 さすがにバイオテクノロジーの粋から生み出されただけあって、距離をおいての射撃ではびくともしない。
「軍事利用も考えてたかもしれないわね」
 迫りくる触手を回避しながら、懐に躍り込む。
 鼻の下、あらゆる動物の急所に、まとめて叩きこまれる弾丸。
「ジ・エンド」
 紡がれるこずえの言葉。
 ぐらりとよろめいた怪物が床に倒れ‥‥なかった。
「なっ!?」
 少女の足に絡みつく触手。
 口のように割れる怪物の腹。
 一瞬にして呑み込まれる。
 あとにはただ、こずえの手から飛んだ拳銃だけが残された。


 暗い。
 暗い闇の中。
 必死に藻掻く。
 四肢に絡みつくなにか。
 皮膚を刺す灼熱感は、消化されつつあるという事だろうか。
「いやぁぁぁぁぁ!!!」
 恐怖がせり上がり、こずえは悲鳴を発した。
 が、もちろん、怪物の腹の中では声はどこにも届かない。
 狂ったように手足をばたつかせる。
 悪夢の中にいるように、その動きは緩慢だった。
「死ぬ‥‥死んじゃうよ‥‥いやぁ‥‥死ぬのはいやぁ!!!!」
 どくん、と、少女の心臓が脈打つ。
 それは、彼女の身体に植え込まれた闇の種。
 すべてを破壊するための、悪意の結晶。
「だめっ!」
 自らの身体を抱く。
 ここでこの力を使うわけにはいかない。
 使えば怪物は倒せるかもしれないが、それでは不幸な研究員も巻き込んでしまう。そしてそれ以上に、こんな状態では自分だって無事ですまないだろう。
 しかし、このままでは‥‥。
 死への恐怖がこずえの全身を蚕食してゆく。
 それは、あるいは万物共通の思い。
「その恐怖から逃れるため、人は道具を作り、智恵を蓄えたんだ。象の巨体も狼の牙も獅子の爪ももたない無毛の猿が、どうしてこの星の覇者になれたと思う?」
 不意に心に浮かぶ、恩人の言葉。
 単体で考えたとき人間は弱い。
 大きさとの比較論では、最も弱い部類に属するだろう。
 だが、この地球を支配したのは人間だ。
 それは、
「モンスターみたいな力はなくても‥‥モンスターを狩ることはできるから。モンスターを倒すための方策を練ることもできるから」
 思考の軌跡を追うような呟き。
 右手の先に、闇が凝縮されてゆく。
 もう、恐怖はなかった。
『それが、人の力!』
 記憶の中の声と唱和する、少女の唇。
 掌に現れた黒い塊が咆吼する。
 それは、制御に成功した闇。最も使い慣れたカタチで具現化した、こずえの力。
 無明の光が弾丸となって、モンスターの心臓を貫き、天井の蛍光灯を砕いた。
 断末魔の絶叫が放たれ、ごろりと吐き出される少女と研究員。
 衣服はぽろぽろ、皮膚にもあちこち火傷に似た傷を負っているが、致命傷には至っていない。
 ゆられと立ちあがるこずえ。
「その頭は擬態‥‥」
 ごくわずかな痙攣を続けるモンスターに、冷然たる視線を投げる。
「でも、ニセモノの心臓を作ることはできなかったようね。取り込まれたから、心音の場所が判りやすかったわ」
 吸血鬼を殺すには心臓に杭を打つ。
 べつに吸血鬼に限らない。
 心臓を貫かれれば、どんな生物だって死ぬ。
 灰色熊だろうがモンスターだろうが、同じだ。
「あたしの‥‥勝ちよ」
 呟く。
 勝利の高揚感などなかった。
 沖天にかかる月が、愚劣な人間たちの営みを、ただ見つめていた。
 無関心で無感動な観客のように。











                       おわり


PCシチュエーションノベル(シングル) -
水上雪乃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月24日

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