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『リフレインが叫んでる 』
東雲・紅牙2835)&藍原・和馬(1533)

 ――こんな月の晩だった。
 もう何十年も昔の話だ。
 おまえはあの頃となんにも変わっちゃいないが……。俺はほんの若造だったな。若造だったが……充分すぎるほど、血を浴びていた。
 俺はいつものように闇の中に身をひそめて、標的が来るのを待っていた。
 妙に、月の明るい晩だった。
 あの夜に、俺たちは出会ったんだ――。

 *

 男は機嫌が良かった。
 でたらめな口笛さえ吹きながら、歩いていたのだ。
 月が出ている。
 いったい何が男を上機嫌にさせていたかは、また別の話だ。とにかく、黒服の男は、気分よく、月夜の散歩と洒落こんでいたのである。

 そんな男をじっと見つめている目があった。
 紅い瞳は、そこが月明りしかない暗い倉庫街であっても、周囲の状況や、男の風体をしっかりと、仔細にとらえている。それは、彼が恒常的に闇に慣れているからである。彼の仕事は、たいてい、闇の中でおこなわれるのだ。
 ふらふらと歩く男が上機嫌なのに対して、彼の表情は無感動で、仮面のようだった。別に不機嫌だった、というわけでもない。彼は、機嫌が良いとか悪いとか、そういったことがほとんどない――。ただ、仕事にあたっては、本能的に身体が緊張し、じわりとアドレナリンが体内に広がってゆく感触があるだけだ。
 緊張といっても、それはおそれではない。ただ、彼がこれから為そうとすることのために、身体が準備をしているに過ぎない。すなわち、人殺しという行為のために。
 彼の両の手のあいだで、鋼の糸が、ぴん、と張られた。
 彼の名は東雲紅牙。
 だが、彼が誰かにそう名乗ることはない。その必要はないからだ。
 鋼糸が、闇に舞う――。
 その瞬間も、紅牙のおもてに表情があらわれることはなかった。十代の頃から、ひとを殺すことをなりわいとしてきたのだ。最初に属した『組織』から、二十代半ばに差しかかっていたその頃、彼はすでに離れていたが、その職業自体は、変わっていなかった。……変えられなかったというべきか。

「……!」
 そのときはじめて、紅牙の目に表情というものがあらわれた。
 狙いをあやまたぬはずの彼の鋼糸が、目標をそれたのである。男の首に絡みつき、その一秒後には首を落とすはずだった凶器は、男がすい、と、身体をそらしたおかげで空しく空を掻いた。
 偶然か?
 紅牙はそう考えた。そうとしか思えなかった。それほど、自然かつ、人為的にはなしえないはずの動きだったのだから。
 気をとりなおして、一度は手の中に巻取った糸を、再度、放った。
 次の一撃で、今度こそ男の首は落ち、彼は何が起こったのかもわからないまま――きっと口元にはあのにやにや笑いを浮かべたまま――死ぬだろう。もしかしたら一秒くらいは、口笛を吹き続けさえするかもしれない。
 だが。
 またもや男の身体は糸をかわした。
(バカな)
 ありえない。いよいよ紅牙は目を瞠った。
 男は酔っ払ってでもいるかのようにふらふら歩いている。その延長のように、ふわりと、糸をよけたあの動きは……まるで映画の酔拳だ(もっとも、紅牙はそんなもののことは知らなかった。映画など、ついぞ観たことがないのだ)。
 ゆっくり、と、男が振り返った。
 へらへらした顔だ、と、紅牙は思った。だが、その目だけは笑っていなかった。
「なんだァ、さっきから」
 ぼりぼりと、頭を掻く。
「盛りのついた犬がいるな」
 偶然ではないのだ。信じがたいことだが、男は鋼糸を見切っている。
 紅牙は、ゆっくりと、潜んでいた闇の中から、歩み出た。月光が、彼の青白いやせた頬を照らす。紅の瞳が、男を見つめた。
「俺は牡犬とナニする趣味はねェのよ。今晩は機嫌がいいから、構わないでおいてやっから。さっさとどっかいけ。しっしっ」
 おどけた口調で男は言ったが、紅牙は相変わらず鉄面皮である。
(たしか――)
 紅牙は記憶を思い起こす。……通常、紅牙は、相手に名乗ることもしなければ(それどころか姿を見せることさえない)、目標となる相手の名を覚えることもない。人相風体がわかれば、相手を見つけ、殺すことはできる。
(そう、たしか、藍原和馬)
 任務を下される際に、そう聞かされた。暗殺の依頼者やその理由については、むろん、末端である紅牙に知らされることはないが、目標の情報はある程度、渡されるのだ。だが、茫洋とした話だったな、ということも、紅牙は思い出した。『なんでも屋』――なんだ、それは?――だったか。年齢不詳。出自不明。
 紅牙は跳んだ。
 尋常ではない跳躍だった。
「おぉ?」
 月をさえぎるシルエット。そして、月光を照り返す、銀色の凶器が放たれた。
 三度――、攻撃は和馬にはあたらなかった。
 それどころか、紅牙が着地したとき、彼の姿は視界にはなく……
「遅ぇ、遅ぇ」
 背後からの、声に振り向いたときには、和馬の拳が下腹部に埋まっていたのだった。
「――……」
 鋭く、重い一撃に、声にならない呻きを発して、紅牙は膝を折り、そのまま、倒れた。倉庫街の冷たいアスファルトの上に、彼は這いつくばることしかできなかった。
「匂うな」
 低い声で、和馬は言った。
「血の匂いがしやがる」
 紅牙は、鋼糸を持った手を、弱々しくふりかぶった。まだ戦意は喪失していない。
「ったく」
 それを見て、面倒くさそうに和馬が舌打ちを漏らした。
 その刹那!
「うお!?」
 月がつくった紅牙の影が……たぎるタールの池のように、ごぼごぼと泡立った。しかし、そう見えたのも一瞬のことで、それはがばりと身を起こすと、真直ぐに和馬に襲い掛かったのだ。
 獣――。
 まがまがしい眼光と、鋭い牙をそなえた獣である。
 それは影のなかから伸び上がり、和馬の腕に喰らいついた。……もっとも、それとて、彼がとっさの防御姿勢をとったからで、そうでなければ獣の牙は和馬の喉に埋まっていたはずなのだ。
「なん――だと」
 獣の力は凄まじかった。
 痛みにあえぎながら、薄目を開けた紅牙は、サバンナの肉食獣が獲物をとらえたときのように、獣が敵を組み伏せようとしているのを見た。
「この野郎!」
 和馬もまた、獣じみた声をあげると、ありったけの力であらがう。
 影の獣が吠えた。あるいはそれは、悲鳴であったか。それとも怒りの一声か。
 ともかく、和馬は反対に、影の獣を地面に叩き付け、そのあぎとから腕を解き放たせることに成功したのだ。ぼたぼたと、傷口から血がしたたる。
 影の獣が声をあげた。紅牙は、そいつがそんな声を出すのを初めて聞いた。それは威嚇の咆哮だったが……はっきりと、口惜しさがこもっていた。
「こいつぁ……」
 和馬の顔からは笑みが消えている。
 獣が、尋常な相手ではないことを、一瞬にして悟ったのである。その口元から――尖った犬歯がのぞいだ。
 今や、月下に対峙しているのは二匹の獣に他ならぬ。
 先に動いたのは果たしてどちらだったか――
 しかし、かれらの間に割り込んできた黒い稲妻があった。
 警棒のような武器を、和馬は無傷なほうの腕で受け止める。普通ならそれで、その腕の骨は砕かれているはずであったが、和馬は不敵に鼻を鳴らしただけだった。
 硬い革靴の爪先が、男を蹴り飛ばす。
 別の足音が、間髪入れずに背後から詰め寄ってきた。それも複数だ。
「てめぇら、頭悪ぃんじゃねぇのか」
 ふりむきざま、和馬は暗殺者たちに拳を叩き込む。
「人を襲うのは、“月のない晩”ってぇ、昔から決まってンだよ!」
 ほとんど、「一人一撃」……と言ってよかった。あざやかに、襲い掛かる男たちをのしてゆく。
「こんな、いい月の晩にァ――」
 そのうち、それでさえ面倒になったのか、ふたりの敵の首ねっこを同時に掴み、思いきり、頭と頭をぶつけて、両人ともを昏倒させたりもした。
「荒事は野暮ってもんだぜ」
 ぱんぱん、と、埃を払うように手をはたく。息さえ、さほども乱していなかった。
 ただ、生々しい傷口を開けているのは、あの獣に喰いつかれた腕だけだ……。
「…………」
 その腕をかばいながら、和馬は油断なく周囲に目を配る。
 累々とよこたわる暗殺者たち。
(俺一人に何人寄越しやがった?)
 あきれたように見下ろす。……だが、その中に、あの青年の姿がない。
 鋼の糸を使い、影の中に危険な相棒をひそませていた、紅い瞳の男。
 東雲紅牙は、どこにもいなかった。

 荒い息。
 壁に手をつき、すがるようにしながら、紅牙は歩いている。
 もう一方の手は殴られた腹をおさえる。鉄のハンマーで打たれたような衝撃だった。内臓出血を起こしているかもしれない。
 ふいに、紅牙は、獣の唸り声を聞いた。
 月が、壁に落した、紅牙自身の影――。
 その影法師の中から、声はするのである。彼は自分の影を凝視した。
「わかってる。……わかってるさ」
 小さく呟いた。
 なにがわかるというのか。
 燃える瞳が、漆黒の影の中から紅牙を見返していた。さらに目をこらせば、闇より黒いそのすがたの輪郭さえ、みとめられるような気がした。
 血ぬられた鋭い牙をもつ、闇をまとった獣。紅牙の影は、ぽっかりと、この世を切り取って開いた、奈落への穴であるかのようだった。
 そして、紅牙は歯をくいしばりながら、再び、よろよろと歩き出しはじめた。
 その眼前に、あの男のにやにや笑いがちらついた。
(藍原和馬)
 口の中で繰り返す。
(和馬か……)
 うわごとのように、呪文のように、繰り返していた。

 そしてその頃。
 当の和馬は、調子のはずれた口笛を吹きながら、月夜の散歩を続行していた。
 その夜、なぜだか、彼は上機嫌だったのだ。

 *

 ――ああ、そうだったけな。
 あれから、もうそんなに経っちまったのか。……そうだな、あの若造が五十のおやじとくりゃ……。よせよ、俺だって、多少は……変わってることだってあるさ。
 そうだ、よく憶えてる。
 血の匂いが染み付いていたさ。
 今はどうかって? へへへ、どうだかね。
 あぁ、そうだ。
 あの夜に、俺たちは出会ったんだ――。

(了)
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2004年05月24日

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