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『生きるというコト 』
不破・恭華2983


 どんなに強く才能にあふれている人間でも、それに目覚める瞬間があるはずだ。ほとんどの人間はそれを経験して、そこから立ち上がって今を生きるのだろう。『さまざまな経験をして人は大きくなっていく』『成功よりも失敗から得ることの方が大きい』と人は言う。
 能力者として活躍する大学生、不破 恭華もそのひとりである。彼女も今でこそさまざまな能力を使いこなしているが、悩んだり苦しんだりする時期があった。そう、それは高校三年生の頃だった……

 恭華はいつも自己鍛錬に余念がない。年頃の女の子としては珍しいくらいの修行好きとしかいいようのない娘だ。だが、それもこれも自分の体質に問題があった。彼女はどうもトラブルに遭いやすい星の元に生まれたようで、そのためにさまざまな苦労をしてきた。豊満な体つきが災いしてか電車の中で痴漢に遭ったり、学校帰りに後ろから自転車が突っ込んでくるなどは当たり前。霊が見えたり攻撃してくることもたびたびあった。人生の中でトラブルのない日を数えた方が早いという不幸な娘……それが恭華なのだ。しかし幸いにも、彼女はそんなことで泣き寝入りするようなやわな娘ではない。自分の体質を理解した上で、恭華は家伝の格闘術を身につけることにした。身体能力が大きく伸びる時期にそんなことを始めてしまったため、彼女の格闘技術はたちまち達人クラスになった。毎日たゆまぬ努力を続けた結果が反映されたのだ。おかげで痴漢も自転車、ついでに霊もやっつけることもできて一安心だった。
 しかし残り少なくなった高校生活を過ごしていた恭華は、日々向上する武術の腕とは裏腹に自分の霊能力が減退していくのを感じていた。一説によれば思春期を過ぎた人間は霊力やESPといった能力が徐々に減退していくのだという……実は彼女もそれに該当するひとりだった。
 そんなことも知らずに恭華は毎日のように首を捻るが、思い当たるところがまったくない。別に賞味期限の切れたものを食べて身体が変調をきたしているとかいうことも一切ない。原因を探そうとすればするほど、逆に思い当たることがないから悩んでしまう。彼女は学校からの帰り道、悩みながら歩いていた。

 「やっぱり気になるわ……でも、気にしてもどうしようもないことなのかしら。自分で解決できないことがこの世には存在するってことなんだろうな。」

 そんな愚痴っぽいことをつぶやきながら、恭華はいったん家に戻って着替えを済ませる。いつものジャージに着替え、日課となっている鍛錬をするために近くの林へと赴く。そこまではいつも準備体操代わりにジョギングしていく。軽く身体がほぐれたあたりで、いつもの場所へたどり着いた。いつも来る場所なので、遠慮もなしにずんずん奥に進んでいく……あまり道の近くでやっていると通りかかった人が不信に思うため、なるべく林の奥で鍛錬するように心がけている。鬱蒼とした雰囲気を漂わせる場所だが、この中で迷子になることはない。恭華は周囲が多少暗くなっても、ちゃんと来た道を戻る自信があった。そしてほんの少し開けた場所の中心に立ち、両腕を肩幅まで広げる。大きく息を吸い、そして勢いよくそれを吐き出す……恭華は次の瞬間、目にも止まらぬ早さで前に蹴りを繰り出した! しかし、凛々しい表情はすぐに曇る。そして重たい声でつぶやくのだった。

 「……心の中に迷いがあると、決まって技のキレが悪くなるのよね。あーあ、こういう時はどうすればいいんだろ……鍛錬を休むわけにもいかないしな。」

 せっかく決まった蹴りのポーズをあっさり崩し、腕組みをしながら悩む恭華はその場に立ち尽くした。今まではどんな時も無事に鍛錬をこなすことができた。きっといつも心も身体も健康だったから成し得たのだろう。だからこそ突然やってきたスランプに対応できない……恭華が気合いの抜ける溜め息を地面に向けた時、上から丸い石のような物体が茂みに落ちてきた。地面に埋まっていた固いものに接触したのだろうか。『ゴツン』と鈍い音を立てて転がる石……不意に彼女はそれを目で追った。そして落ちてきたものに興味を示し、ゆっくりとそれに近づく。恭華はそれがどこから落ちてきたのかを確認するために上を見た……すると、一部の枝が大きく揺れている。どうやらそこに引っかかっていたものが偶然落ちてきたようだ。街中でも林の中でもなかなか見ない形をしているそれに目を向ける。その時、彼女は気づいていなかった。なんと石には彼女から見えない死角の部分に亀裂が入っており、緩やかに液体のようなものが流れ出していることを……
 恭華はとりあえずいつもよりペースを落として一通りの運動をこなそうと改めて構える。ちょうど彼女は石に背を向けるような体勢で立っていた。スライムのように粘着する謎の物体は静かに地面を這っていたかと思うと、急に恭華に向かって飛びかかった! スライムの跳躍力は凄まじい。彼女の頭上まで舞い上がったかと思うとそのまま落下し、頭から徐々に侵食していく!

 「きゃあっ! なっ、なにこれ……い、いったい何が起こったの!?」

 なんとかしてこれを取り除こうとする恭華だったが、いくら触ってもねばねばするだけでどうしようもない。しかも触った部分がゴムのように伸びてしまい、他の部位まで伸びてしまう。今度は身体のさまざまな部分を懸命に振る彼女。だが頭をすっぽりと包まれてしまった後はもう地面に倒れてもがくだけになってしまった。スライム状の物体は恭華を溶かすわけでもなくただゆっくりと全身を包み込む。それはふくらみを帯びた胸をつたい、鍛えられた腕や脚も隙間なく包み、ついには全身を支配した。恭華はこんな状態でも未知なる物体をどうにかして排除しようと試みる。しかし立ち上がろうにもつま先までぬるぬるなのでどうしようもない。彼女は地面にスライムをこすりつけてはがそうと努力するがそれも無駄だった。心の底で少しずつ大きくなってくる恐怖感との戦いが始まろうとしたその時……恭華は重大なあることに気づいた。

 自分は今、息ができる。それに身体を酸か何かで溶かされているわけでもない。全身を包み込む物体がいったい何なのか……何を思って自分を選んだのか。彼女は自然とそれを考えるようになった。そして無意識にこの生物に問いかけた。そう、減退しているはずのあの能力を駆使して。

 『あなた……あなたはいったい……?』
 『…………………………』

 謎の生物は黙して語らなかったが、行為自体に悪意がないことは理解できた。もちろんこれは会話から導き出した答えではない。恭華がスライムの思念を感じ取った結果だった。彼は訴えかける。

 『自分が生きるために君との共存を図りたい……』

 生きるために必死になっている心が、恭華の心に伝わってきた。そしてそれは彼女の意識の中へ染み込んでいく。恭華はそれを阻止しようとしなかった。ただその気持ちを受け入れようと思い、彼に身を任せた。ゆっくりと意識の中で彼が入りこむ……そして身体の内部にもそれが満たされていくのを感じていた。そして自分の身体が自分だけのものでなくなることをただ漠然と感じながら、それが染み渡るのをただ待った……


 恭華が意識を取り戻した時にはすべてが終わっていた。身体にスライムは残っていない。そのことを確認した後で彼女はゆっくりと起き上がる。不思議な体験をしたせいか、いったいどれくらいの時間が経ったのかがわからなくなってしまっていた。結局その日は鍛錬は行わず、そのまま家路につくことにした。その帰り道、彼女はさっきまで感じられなかったものが感じられることができるようになっていることに気づく。その事実から、恭華はさっき起こった事実を少しずつ思い出していた。

 「異形のものすべてが人間の敵ではない……ということなのかしら。わからないわ……」

 彼女はまたひとつ大きな疑問を胸に残して林の中から消えていくのだった。

PCシチュエーションノベル(シングル) -
市川智彦 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月20日

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