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『唯一の支配者 』
エリス・シュナイダー1178)&エリス・シュナイダー(1178)

 轟音、轟音、轟音――エリス・シュナイダーの意識が先ず捕えたのは、耳奥まで震わす程の音、だった。
 視線の先の高層ビルが倒壊し、横倒しに、または玩具でもあるかのように脆く崩れ、拉げて行く様はまるで映画のセットでも見るかのようだ。
 そして気付けば、連立するビルの向こうにあった筈の景色は変貌を遂げていた。
 明るく冴え渡っていた空に影が射し、まだ残っているビルの姿を黒く染める。急激に地面が隆起し山でも生じたかと思わせる、濃い影。
 状況を忘れて呆然とエリスはそれに見入る。影が――動いた。
 それは、巨大な人の顔だった。
「みんな私のおもちゃです」
 低く、幾分間延びした様な声が告げた言葉にエリスは既視感を覚えた。
 ――何処かで、聞いた……
 だが、思い出している余裕も無く、更にビルが倒壊し、辺りが地響きに揺れる。慌てて、近くの街灯にしがみついた。一体、この目の前で起きている現象は何であるのか。
 エリスはクライバー家に仕えるメイドである。使いでこの街に出て来ていた。用事を終えて戻ろうとした矢先に、出会した……この異常。
 揺れる地面の上で、街灯にしがみついたまま為す術なく立ち尽くすエリスの前で、巨人は無情にその破壊の鎚を新たなビルへと落す。
 渦を巻く皺が刻まれたそれは、指、だ。
 エリスが立つ場所からはまだ少し離れているその光景は、徐々に近付いて来ている。
 あまりに巨大に過ぎる人、は女性のようだった。短い茶の髪、青い瞳。よくよく見れば身に付けた衣装はどうやらメイド服。
 ――誰かに、似ている……?
 エリスは呆然と、巨大な女性を見上げていた。先に感じた既視感が強くなる。

 何かを思い出させる。
 誰かを思い出させる。
 真直ぐな茶色の髪。
 青い瞳。
 鼻筋と、唇と。
 いつも何処かで見て居た。僅かに印象が違うが、確かに幾度も見た。
 憶えている。知っている。
 
 困惑に彩られたエリスの胸中を余所に周囲は増々騒乱を極めていた。
 建物が崩れる音と、人々の悲鳴と。
 交通機関は既に完全に麻痺しているが、それでも尚車で逃亡を図ろうとする者は多かった。信号も、横断歩道も関係無い。走れる場所、それが道だった。規則など最早意味を持たなかった。歩道に乗り上げ、道行くものを薙ぎ倒し、無理な走行の末に衝突し合い次々に炎を上げて行く。
 あるいは指に摘み上げられそのまま空中で潰され、ばらばらとその破片だけがエリスの目の前に落ちた。
 人々は押し合いへし合い互いを踏み越えて、人としての理性など欠片もなく、ただ生存本能に従って、逃れる道を、場所を捜して逃げて行く。
 エリスはそれを他人事のように……自分の身の上にも降り掛かっている事を忘れたように、眺め立ち尽くして居た。
 目の前でセーラー服姿の少女が転び、その上を何人もの人々が踏み付けて逃げて行く。少女はそれでも何とか立ち上がろうとするが、続けて起こった地の振動に足を取られて再び転び、拍子で落ちていたコンクリートの塊に膝を打ち付けた。痛みに足を抱えて蹲る。相当強く打ったものか、蹲ったまま動かなくなった。
 そこへ突風が巻き起こる。
 エリスはしがみついていた街灯に、必死に縋る。そのすぐ横を蹲っていた少女が風に転がされて行った。
 風に向かって必死に顔を上げれば、巨大な女性が街に向かって息を吹き掛けているのだと判った。
 その威力。
 女性の顔に一番近い場所にあった駅舎が倒れ、ホームに止まっていた電車が人を載せたまま横倒しになり、そのまま転げ出す。人はまるで紙切れであるかのように飛ばされて行く。
 巨人はそれに笑い声を上げた。びりびりと街が振動した。いっそ無邪気とも呼べる笑声。
 それをエリスは無表情に見つめていた。
 やがて風が止んでもエリスは動かなかった。
 逃げなければ、と思った。だが、体が動かない。恐怖が無いではない。だが、何かがエリスを捕えて放さなかった。
「危ない――!」
 鋭い声が上がった。誰何の確認を取る間も無く横から突き飛ばされた。己の思考に捕われていたエリスは反応が遅れ、受け身を取る事も出来ずにアスファルトに投げ出された。それでも地への顔面直撃だけは避け、打ち付けた手と腿の痛みに耐え乍ら自分が元居た場所へと顔を振り上げた。
 そこには巨大な看板がアスファルトを貫き立っていた。もし突き飛ばす手が無かったなら、今頃エリスの頭が貫かれていただろう。
「早く、立って!」
 エリスに危機を報せた声が、エリスに手を差し出した。
 地に突き立った看板を見つめていた瞳を声の方へと向ければ、そこにはスーツ姿の若者が立っていた。紺のスーツのあちこちは裂け、煤けており、この若者がこれまでにどんな目に遭ったのかを何よりも物語っている。
「早く、立って!」
 恐らく二十代半ば辺りだろう。こんな時でも人に手を貸す余裕があるのかと、呆れとも驚きともつかぬ思いでエリスは青年の手を取り、立ち上がった。
 青年は立ち上がったエリスの手を引いて走ろうとする――がエリスは動かなかった。
「何をしてる?!」
 青年が更に強く腕を引いたそれにも、エリスは動かない。
「……無駄です」
 静かな宣告。
「何……?」
 意味を掴みかねて、青年が聞き返すのに、エリスは冷ややかな双眸を向けた。
「逃げても無駄です……ここからは逃げられません」
 エリスには判ったのだ。逃げても無駄である事。逃げ場所など何処にも無い事。
 この町は選ばれてしまった。無慈悲なものに――さだめは全て、あの巨大な影の手中にある。
 ここにある誰も、その手から逃れる事など出来はしない。

 エリスの中に声が谺していた。
 最初はスローモーションをかけた音声のようであったそれは、繰り返す内に少しずつよく馴染んだ声となっていく。

「ここに存在してしまった以上、無駄なんです――」
 静かに、ただ静かに告げる声に、青年も言葉を失っている。

 エリスの中を確信が埋めて行く。
 段々と重なって行く声と、同じく。

「一体、何を言っ……」
 青年の声が途中で掻き消された。
 掻き消したのは。
「津波……!」
 周囲を逃げまどっていた人々が異口同音に叫んだ。その声すら呑込む程の音。
 多量の水は、津波となって倒れたビルも、転がる車、人、それらを押し流し乍ら向かって来る。
 エリスの腕を掴んでいた手が離れた。青年はエリスを置いて走り出した。振り返りもせずに走り去って行く。
 呆然と突然の出来事を見守っていた人々も、やがて恐怖を思い出したのか。次々に走り出した。悲鳴と、狂乱は水音に呑まれ乍らも増して行く。

 その中にあって、エリスだけが魅入られたように多量の水の飛沫を水が作り出す激しい流れを見つめていた。耳は巨大な破壊者の声に支配されていた。楽しげな、笑い声――それが、ようやくエリスの中でもう一つの声と重なった。

『みんな私の玩具です』
 それは、紛れもなく自分……エリス・シュナイダーの声だった。

 そしてエリスは水に、呑まれた。


 光があった。
 眩しさに遮ろうとした……己の手が見えた。
 エリスは瞬きを繰り返した。ぼやけていた視界が次第にはっきりとしてくる。
 白い天井。備え付けられた照明。
 ゆっくりと横を向けば、机や、チェスト。少し視線をずらせばテレビが。
「夢、だったんですね」
 エリスは起き上がって、ベッドから降り立つとテレビを付けた。
 適当にチャンネルを移動して、ふとリモコンを操作する手を止めた。
 液晶の薄いテレビの中では、忽然と消えた都市の報道が、興奮した空気に包まれてあった。
 エリスは弾かれたようにチェストを見た。
 夢の中の都市そのままの姿が背の低いチェストの上に置かれている。
 アンティークでも置いてあるかのような風情であるそれに、エリスは表情を凍り付かせて歩み寄る。
 触れようと手を伸ばしたその目の前で、小さな街は砂で作られた城が崩れて落ちるように微細な粒子となって、風も無い室内に散り始め、背後のテレビから聞こえるCMが終り番組に入った頃には欠片一つ残ってはいなかった。
 テレビではCMを挟んだ後も、変わらず消失した都市の話題を声高に告げていた。何の前触れも無く、何が起きたでもなく、一切が消滅した。残っているのは地面だけ。
 その様子はあまりに異様だ。ビルが立ち並ぶ中にぽっかりと何も無い空間が口を開けている。その部分だけが綺麗に切り取られたかのように、巨大な穴と化していた。
 エリスは暫く無言でそれを見ていたが、画面に映し出された時刻に気付くと立ち上がった。
 エリスの就業時間が始まろうとしている。
「支度をしませんと」
 クローゼットに足早に向かい、開けようと手をかけ……エリスはもう一度チェストを見る。そこにはもう、何も無かった。

「あれは私の……私だけの玩具です」
 口許にうっすらと、笑みが浮かんだ。

 その都市の辿った運命を、彼女の青い瞳だけが、知っている。

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
匁内アキラ クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月19日

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