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『魂盗り 』
咎狩・殺3278

【殺】

 人は、堕ちて、藻掻いてゆく様が、一番、美しいとは思わない?
 燃え尽きる刹那の炎が、一瞬、明るく輝くように。
 完璧な何かよりも、中途半端な誰かの方が、私は、好き。
 快楽の絶頂から、一気に引きずり降ろしてやった時の、その絶望感を味わうことこそ、至上の愉悦。
 
「私を、抱きたい?」

 私は、華。私は、蝶。手折りたくなる。傷つけたくなる。
 私自身が、蠱惑の化身。足の爪先から、髪の一筋まで、この身に溺れぬ男はいない。
 
「ねぇ……見せて。浅ましさを。愚かさを。キミの中の、濃すぎる闇を」

 私を抱いた、その代償は、命。
 安いものだと思わない?
 ねぇ……だって、そうでしょう?
 全てを忘れられるほどの耽溺を、一生の間に味わえる人間なんて……ほとんどいない。私と出会えた、この偶然は、必然。全ては……初めから、決まっていたこと。避けられないし、逃げられない。先にあるのは、ただの、奈落。
 
「私は…………」

 悪魔?
 その呼び方は、嫌いではないわね。
 だって、悪魔の方が美しいもの。
 美しいから、天使すらも、惑わせて、狂わせて…………地上の這い回る哀れな蠱たちを、愛おしげに、見つめる。





【犠牲者】

 俺は、平凡な、人間だった。
 さほど大きくもない企業に勤め、二十代の半ばの内に、何となく仲の良かった同僚と、結婚した。
 子供はまだいないけど、それなりに穏便に生活を送り、自分でも、まずまず平和な家庭環境だと、そう、信じていた。
 小さいけれど、未来への展望も、あった。
 少ない給料から、貯金を増やす。遣り繰り上手な妻と二人、魔法のように。けれど、魔法よりは、ずっと堅実に。車を買い換えたい。家を建てたい。いつか生まれてくる子供のために、きっと、何かを、残してやりたい。
 必死、だった。
 生活に、追われていた。
 それが当たり前のことで、何も、苦しいなんて、思いも寄らなかったはずなのに…………。
 一人の女が、全てを、壊した。
 いや、女ともまだ呼べないような…………下手をすれば、子供という言い方の方が相応しいような…………それは、か細い少女だった。
 雨の日に、ぬばたまの黒髪を濡らして、人通りの少ない道端に、ぽつんと佇んでいた、彼女。
「こんな所で……どうしたんだ?」
 話しかける。俯いていた少女が、顔を上げた。絡め取られるような、感覚。一瞬だった。抜けるような白い肌に、婉然と微笑んだ緋い唇に、魅入った。
「ねぇ……」
 囁きかける声に、抵抗できる男なんて、いるのだろうか?
 きっと、天使だって、間違いなく、堕ちる。大人でも子供でもない、全てが不完全な、瑞々しい体。支配欲を誘う。滅茶苦茶にしてやりたいという、恐らくは最も古い、人間ならではの浅ましい感覚が、五感を狂わせる。

 一度抱けば、二度。
 二度抱けば、次へと。

 相手は、わずかに十三、十四歳の少女。
 制服を着て学校に通っているような。
 ほんの数年前まで、ランドセルを背負っていたかも知れないような。

 だけど、麻薬よりも強烈な習慣性に、後戻りは出来ない。
 深みに填る。抜け出せない。抜け出したくないと、本気で願う。
 永遠に、続いて欲しい。狂ってもいい。出口の無い迷路の中に、堕ちてしまっても、構わない。
 殺と二人で堕ちるのなら…………それこそが、俺の、本当の望みに違いないと…………もう、まともな思考さえも、働かない。

「殺……アヤ……あや……」

 決別の日が、訪れるのは、早かった。
 殺が、俺に飽きた日……殺が、俺以外の玩具を見出した日……全てが、終わる。
 俺に、選択権は、無い。
 全てを決めるのは、殺だ。
 俺は、ただ、あの妖艶なる魔物の足下に、縋り付くだけ……。

「何……何やっているの! あなた……!」

 薄闇の中に、妻の声が、響いた。俺は、ちょうど、殺と、いつもの狂態を演じている最中だった。浮気現場を押さえられた亭主というのは、普通、もっと、間の悪い思いに囚われるのではないだろうか?
 馬鹿みたいに謝ったり、魔が差したんだと叫んでみたり。
 だが、俺は、何も感じなかった。
 呆然としている妻の顔を見ても、うるさいと、ただ、腹立たしく思うだけだった。

「い、いつも、帰りが遅いから……二人で貯めたお金も、いつの間にか、消えてしまっていたから……おかしいと思って……」

 殺を囲うために、俺は、なけなしの貯金をはたいて、小さなアパートを借りていた。
 金は、それで、全部消えてしまった。

「尾行したのか?」
 俺が、尋ねる。妻は、怯えたように、目を伏せた。
「だって……」
「尾行したのか?」
 我知らず、詰問口調になっていた。罵られるべきは俺の方なのに、この期に及んで、俺は、まだ殺を腕の中に抱いていた。追い出すべき対象を、はっきりと、殺ではなく妻に定めた。絹のような手触りの髪をいじっているうちに、そこに妻が居ることさえも、忘れそうになる。

「殺してやる!」

 悲鳴のような声が聞こえたのは、一瞬。
 妻が、手提げ袋から、刺身包丁を取り出した。古いものを何度も何度も律儀に使い続けていたそれは、この舞台を待っていたかのように、既に赤い染みがこびり付いていた。どちらかと言えば、大人しい女の部類に含まれるはずの妻が、形相を変え、ぼろぼろと泣きながら刃物を振り翳す様は、何だか、ひどく、現実味がなかった。
 殺される、という意識が、働かない。ただぼんやりと見ている俺の前で、包丁が、的確に、殺の胸を捉えた。
 ゆっくりと崩れ落ちる、細い体。何故だか、人間が倒れているのだという気が、しなかった。ひらひらと舞う、花弁のように、雪のように、彼女は、ひどく掴み所がない。もう隅々まで知り尽くしているはずなのに……存在そのものが……薄く、儚すぎた。
 殺が、事切れる刹那、妻に囁く。

「ねぇ……負け犬さん。これが、キミの、遠吠えなの?」

 少女を殺して、ほんの微かに正気に戻った妻の目に、再び、狂気に近い怒気が踊る。後から考えれば、これこそが、殺の殺たる所以だったのだろう。自らの体を貪らせる代わりに、その周りにある者を、悉く奈落の底に突き落とす。快楽の代償は、死。けれど、殺は、死すらも安いと思わせる。
 くすくすと、笑う声が、聞こえた。

「馬鹿ねぇ……今頃気付いたの?」

 殺が、起き上がる。胸に残る赤黒い刺し傷も、生々しく、そのままに。驚愕のあまり、俺は、その場に立ち竦んだ。錯乱状態になった妻が、包丁を構えて突進してくるのが見えたが、見えただけだった。それを、頭では、理解していなかった。
 痛みが、腹を襲った。一度だけではなく、二度、三度、妻は、俺を刺した。

「愛していたのに……!」

 妻が叫ぶ声が、聞こえる。それに覆い被さるような、殺の嬌声。
 倒れた拍子に頭を打って、視界はすぐに暗転した。救急車、と思ったが、足も、腕も、鉛のように重く、もう、動かすことは出来なかった。

「くすくすくす…………うふふ。あははは…………」

 狂ったようなこの声は、殺のものか。妻のものか。
 確かめるために、ではなく、ただ、殺に会いたい一念で、俺は、体を起こそうとする。死すらも、安い。殺……あや……アヤ。お前からもらった快楽は、身の破滅よりも価値が高いと、本気で思える。
 もう一度。
 もう一度……。

「くすくす。あははは……………」

 声だけでは、足りない。
 もう一度……。

 奇跡的に力を振るい起こして、天上を仰ぎ見て、呆然とする。そこには殺の姿はなく、自らの喉を掻き裂いて、部屋中を赤く染めて倒れかかる、妻の死に顔があるだけだった。

「殺…………!」

 笑い声を、もう、二度と、聞くことはなかった。





【笑い声】

 夜闇の中を、少女が、歩く。
 常にゆるやかな微笑を浮かべた緋色の唇を、桜色の舌が、一瞬、舐めた。
 跳ねた血の味を確かめて、殺は、またも穏やかな笑みを浮かべる。
 この上もなく可憐で、この上もなく、邪悪な笑みを。
 全てを惑わし狂わせて、深い淵へと追いやらずにはいられない、恐ろしい、魔性の少女が、月のない空を見上げて、うっとりと言葉を紡いだ。

「ねぇ……人間って、馬鹿みたいだとは思わない? 滑稽で、陳腐で…………だから、大好きよ。ねぇ…………本当に、最高の玩具だとは思わない?」

 腕の中にある、骸の人形は、答えない。
 ただ、骨のような歯を鳴らして、かたかたと笑った。

「ああ………同じなのね? そうよねぇ…………」

 夜気に、二つの笑い声が、吸い込まれて…………消えた。



 くすくすくす……。
 あはははは…………。





PCシチュエーションノベル(シングル) -
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東京怪談
2004年05月18日

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