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『恋愛哲学 』
楷・巽2793



 彼は今、極めて難しい問題に直面していた。
 今まで感じていた、感情を表に出せない事とはまた別の新しい問題である。
 彼、楷巽が必死の思いで勇気を振り絞り、助手にして欲しいと頼み込んだ臨床心理士の元で手伝いをして本当に良かったと感じていた。
 巽が作った食事を喜んで食べてくれれば嬉しいし、相談所で起きる様々な出来事は驚くしドキリとさせられる事もある。
 自分一人で悩んでいただけでは、決して体験できないような日々。
 巽は緩やかにだが、確かに感情を取り戻しつつあった。
 最近では、少しずつだけど表情も変えられるようになったとも言って貰えたのである。
 これはその過程で起こった事なのだろう。
 どうしても、理解できない感情が出来てしまったのである。

 それは……人を好きになる事。

 誰しもが悩み、どんなに優秀な人間でも絶対の理解なんて出来はしないだろう永遠の問題と言えるとても難しい疑問だ。
 それでも彼がこの問題について悩み始めてしまったのは……今、まさに目の前に突きつけられた問題だからである。
 どうしても巽が師と仰ぐ人に対して、普通ではいられなくなってしまう気がするのだ。
 巽がここに居る事を許してくれた時の事は、今でも鮮明に思い出せる。
 よろしくと言って差し出しされた手の大きさと……握り返した時に感じた掌の暖かさ。
 彼のお陰で心の底から嬉しいという感情を感じる事が出来たのだ。
 差し出された手は、巽が前へと進むのを手伝ってくれるための物だが……思い出す度に心臓の鼓動が早くなり、顔も火照ってくる。
「………!」
 いま感じている感情は、一般的に言われている好きだという気持ちにとても近い
 だが、これを恋愛感情だと決めてしまには、不安の方が大きかった。
 強い戸惑い。
 今までは人付き合いすら避けていた。
 その所為で誰かを好きになる事も、誰かに好かれたいと思う事も考えた事すらなかったのである。
 過去に起きた虐待の経験が尾を引き、人との接触すら拒んでいたのだから無理はない。
 今の巽には決定的に知識も経験も不足している。
 どこから好きだと言えるのか、どんな条件を満たしていたら恋愛感情になるのかというボーダーラインが解らない。
「……ふぅ」
 ため息を一つ。
 胸が一杯でスッキリしない。
 今こうしている事も好きという感情に含まれるのだろうか?
 暖かい気持ちになり、悩んだり苦しんだりする気持ちを全て混ぜ合わせて、恋や愛なのだと言える?
 もしかしたら、そうなのかも知れない。
 人を好きになったり、愛おしいという感情が……今巽が感じている物を言葉にした物なのだとしたら。
「……あの人のことが、好き…なんだろうか?」
 口に出した言葉は誰にも届く事はなく、巽の感じる苦しさを増幅させただけだった。
 一人では、どうしようもない。
 彼に、相談する事も考えた。


 浮かんだのは、驚いた表情。
 そして……―――
『お前、俺の事が好きなのか?』
 何と返せばいい。
 頷いても、困らせるだけかも知れない。
 もっと悪くなる可能性もある。
『俺、そう言う趣味無いんだけど』
 そう言われてしまえば、近くにいる事すら出来なくなってしまうだろう。
 それは、とても恐ろしい想像だ。


 考えた事をうち消すように首を振り、深く溜息を付く。
 この問題は相談できそうにない。
 自分の胸に秘めて、一人で解決するより他にないだろう。
「………はぁ」
 溜息を一つ付。
 彼が色々と調べ始めたのはそれからだ。
 辞書で引いてみれば、実に簡潔にその意味が書き記されている。

 強く引きつけられる相手。
 会いたいと思う。
 一緒になりたいと、独り占めにしたいと思う感情。
 理性を失わせたりするともある。
 愛おしいと、可愛いという言葉もあった。

 確かにそうなのかも知れないが……これは巽が納得出来る答えではない。
 便利であるはずの辞書に突き放された気分になりながら、巽の学んでいる分野の心理的な観点から調べてみる。
 本やネット上に資料はあふれかえっていた。
 巽が調べ始めるまで名前も知らなかったような人がコラムを書いていたり、名前を聞けばうなずいてしまうような哲学者の論文を引用していたりと色々な資料が揃っている。
 それだけにどれを参考にすればいいのか解らなかった。

 華やかであり辛いものである。
 幸福であり不幸。
 強くもするし弱くもする物だ。
 頭で考えずに居るべき……等々。

 それができれば苦労はしまい。
 どれも全て当てはまっているようで、ほんの少しずれているだけでまったく別の物になってしまう。
 何て難しい問題なのだ。
 全ての感情を用いて、行動に移さなければ答えは解らないかも知れない。
 人の心理はとても難しい物であると再確認させられる。
 自分の心が、一番解らなくなってきた。
 冷静に状況を整理してみよう。
 そもそも知りたかったのは『人を好きになる感情』だ。
 あの人に対して抱く感情を正確に言い表す答え。
 愛や恋がそれに近いと思ったのだ。
 だが同姓である相手に、そう言ってしまって良いのだろうか。
 そう思ってもそれ以外に適切な表現が見つからない。
 自分で自分が解ら無くなってきた。
 本当に、これで正しい?
「………」
 本格的に混乱してきた。
 調べたとおり、ああしろとかこうしろだとか書いてあった通りに行動してみた場合の事を考える。
 思っている事を伝えられたら……苦労しない。
 もう一度触れてみれば……解るかも知れない?
 けれどもしそれで駄目だったら……。
 あの手の温もりを永遠に失ってしまったら。
 ……救われない。
 繰り返す思考。
 どれほど調べても納得できる答えを見つけられる所かますます混乱が深まってくる。
「頭、痛い……」
 パソコンのキーボードを前へと押しのけ、机の上へと突っ伏す。
 巽の悩みの種は尽きる事はなく……重い頭痛を残すばかりである。
 この問題が解決できる日は、果たしてくるのだろうか?
 混乱は深まる一方だった。



 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
九十九 一 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月17日

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