▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『合掌』
桜塚・金蝉2916)&蒼王・翼(2863)


「だからな……俺は、こう叫んだんだ」
ふっと、ニヒルな笑みを浮かべて武彦が呟いた。
「だっふんだ! ってさ」


金蝉はスクリと立ち上がって言い放った。
「…帰らせて貰う」


「は? 何で? 何で? 話これからなんだけど?」
「何でとか、どの面下げてテメェは、俺に言うんだ? あ? くだらねぇ事で呼び出しやがって、このツケはでかいぞ? 覚悟しておけ」
そう一気に言い放ち、立ち去ろうとする金蝉の服の裾をしっかり掴んで、武彦は言い募る。
「なんだ、お前? 何が気に入らないんだ! 俺の話の何処のポイントがそんなに気にくわないんだ!」
「全部だ、全部。 大体、何だ最後の……」
「だっふんだ?」
武彦が、再び、何故か、ニヒルな調子でそう言うのを金蝉が、もう、思いっきり虫けらを見下すような、冷たい視線で貫くが、武彦は全く堪えていない様子で、というより、むしろプンプンと頬をむくれさせながら(可愛くないのに)怒りだした。
「こらこらこら! お前は、志村さんの往年の一発ギャグを何だと心得てるんだ! っていうか、あれだよ、俺がさ、この話において一番お前に伝えたい事はだ! アレだ、俺は信じられない出来事を目撃した瞬間『だっふんだ!』と叫んでしまったという事であり、そこから人間というものの複雑さと、その内面性をだなぁ……」
や、それ程ショックを受けた時に飛び出す言葉が「だっふんだ」であるという自分の人間性に疑問を持つ事の方が先ではなかろうか?と、金蝉は空虚な気持ちで考える。


まぁ、どうでもいいか。


投げやりな結論をつける金蝉の前に座り、滔々と語っている武彦の手には、しっかりとビールが入ったグラスが握りしめられており、目は何処か据わっていたりする。
これで、相手が金蝉でなかったならば、「探偵のお仕事って大変なんだね…」と同情し、ウンウンと黙って話を聞いてやっただろうが、ところがどっこい翼曰く液体窒素が血管内を流れているらしい金蝉にしてみれば、酔っ払いの戯言などに耳を傾ける暇も、心の面積なども微塵もない。
そもそも、自分が此処に呼び出された理由も馬鹿らしい事、この上ないのだ。
「どうせ、今みてぇに、しこたま脳をアルコール漬けにして夢見てたんだろ? 翼が、オヤジとホテルだ? どうせなら、もっと笑える夢を見ろ」
武彦が、探偵がいかにも行きつけにしてそうだろ?なんて得意げに言った、ピアノジャズがBGMに流れる静かな酒場のテーブルで二人は向かい合って座っていた。
武彦の言う「探偵の行きつけっぽい」という基準はよく分かりはしないが、雰囲気が良く、さりとて気取ってもいなくて、なかなか落ち着ける。
客層も、悪くはないし、此処ならまた来ても良いと思えたのが、金蝉にとって唯一の収穫とも言えるだろう。
武彦も店の主人とは顔馴染みらしく、一言二言挨拶らしきものを交わした後は、適当なつまみと、瓶ビールにグラスを二つ持ってきて後は、カウンターの中で、別の客の相手をしている。
武彦は、この場所をきっと依頼者との会談にも使っているのだろうと、その態度を見て感じた。
探偵の仕事内容というのは、第三者に知られて良いものなど殆どないのだから、そういう全ての事情を察して、放って置いてくれるのだろう。
急に呼び出され、重大な話があるからという事で、不承不承事務所に足を向ければ、そのまま此処へ連れてこられた。
零に「スイマセン」と頭を下げられたのは、その時点で、武彦に大分酒が入っていたからだ。
実際、事務所の床には缶ビールが何本か転がっており、零が拾い上げては、ゴミ箱へと運んでいた。
こんな情景を翼が見たら、屹度「自分で片せ!」と烈火の如く怒るに違いないなんて呑気に考えてなんかいないで、武彦が酔っていると分かった時点で帰れば良かった。
金蝉は、頭痛を感じながら、武彦に言う。
「有り得ない。 翼が、妻子持ちの男の愛人をやっているだと?」
「おう! 間違いない、この目で見たんだ。 翼みてぇな奴、見間違えられる筈ないだろう?」
そう言われ、目立って仕方のない、あの容貌を思い浮かべる。
何故か、白い薔薇を片手に白馬に乗り「フッ……」と笑みを浮かべる翼の姿が見えた。
この前、眉間に細い指を当てて華麗な様子で苦悩しながら「二人の女の子から同時に告白されちゃってね。 どうしたら良いと思う? 金蝉」なんてごく普通に相談されたせいなのかも知れない。
思わず、「とりあえず、来る者拒まずで、どっちとも喰ってから、選べば良い」なんて答えて、本気で怒られた。
「女性に対して、そんな不誠実な行動できる筈ないだろう!」と。
考えてみれば、金蝉の回答もさる事ながら、それに対する翼の怒りも、本来怒るべき所からはズれていて、どちらも暫く後に、「おかしいよなぁ?」と首を傾げたのだが、今は別の話だ。
「まぁ……な」
と、金蝉が納得しかねながらも、そこは認めると「そうなんだよ! やっぱ、アレは翼だ。 どうすんだよ、お前」なんて、ヨロヨロとした口調で問いつめられた。
「知るか」と言ってやりたい気分になりながら、金蝉はもう一度、武彦が話す、信じられない事柄を頭の中で整理する。



つまり、この「事件」は昨日、武彦が珍しくもまともな夫の浮気調査なんていう依頼を受けてしまった所から始まるらしい。



「こう、目元のスッと切れ上がった美人でさ、どうしてこんな奥さんがいて浮気なんてするんだよなんて、俺は感じた訳だ」
どうして、俺は、いつも、いつも、いつも、こいつに乗せられてしまうのか……と、自問自答しながらも、結局酒場の席に腰を落ち着け、ぐいと喉にビールを流し込んで頷くだけの相槌を打つ。
「帰りが遅い。 不審な着信履歴がある。 スーツに、香水の匂いが染みついているなんつうのが重なって、とうとう耐えきれなくなって依頼してきたらしい。 ヨヨヨなんつって泣き崩れると、また色っぽくってさ、零なんかは嫌な感じがするってたけど、ああいう女は同性受けしねぇんだろうなって思うわけだ。 なんつうの、女の匂いプンプン?っつうの? 肌なんかも、透けるみてぇに白くてさ、切れ長の目で流し目なんかされたら、腰砕けになる訳よ…。 で、声がまたさ……」
「で?」
うんざりとした声で、金蝉が武彦の話を中断させる。
「は?」
分かってない顔で、武彦が問い返してきた。
「だから、続きは?」
ああ、と、ポンと手を叩き、フラフラと定まらない視線を宙に飛ばしつつ武彦が言った。
「俺は早速、調査対象の職場に張り付き、カメラ片手に尾行調査を開始したわけだ。 ほら、俺って、探偵じゃん?って、ちゃんと言わなきゃ分かって貰えない位、探偵っぽい仕事してない俺だけど、うわぁ! 探偵してる! 俺、今日探偵だよっ!って嬉しくなってさ、昼食も勿論あんパンと牛乳でさ、何か、ハードボイルドだった訳だ」



意味が分からない。



とりあえず、あんパンと牛乳の昼食は刑事だろうとツッコミかけて、いや、そこはそれ程重要じゃないと、金蝉は自分を諫める。
しかも、かなり不憫だ。
探偵事務所を経営していながら、自分が探偵かどうかすら見失いがちなのはきっと、探偵らしい仕事を殆どこなしてこなかったせいなのだろう。
尾行調査にはしゃぐ探偵(30)なんて、悲しすぎる。
脱線してばかりの武彦は、然し、ビールという名のガソリンをしこたま補給せねばならない位動揺したのだろうし、屹度今も動揺しているのだろう。
フラフラと定まらない指が、ぴっと此方を指した。
「で、今日、まさにお前に連絡入れる、30分前だよ。 ホテル『バナナ王国』前でだ、ってか、この『バナナ王国』っつう名前自体、『うわぁ、はっちゃけてる!』って感じなんだけどよ、その『バナナ王国』で…。 いいか? 『バナナ王国』だぜ?」
何で、そんなに「バナナ王国」にこだわるんだよ…と感じつつ辛抱強く(これも、金蝉の辞書にはない言葉だ)「そのホテル前でどうしたんだ?」と問うてやれば、「ホテル前でさ、調査対象が、つ……つ、翼と待ち合わせしてたんだよ」と、武彦が震える声で呟いて、ぐいぐいと、グラスを煽る。
「は?」
思わず、何を言われたのか理解出来ずに問い返した金蝉に、「だーかーらー、『バナナ王国』の前に翼が立っていて、そのおっさんと二人で腕組んで、『バナナ王国』に入国したんだよ! パスポートは二人の愛ですって何だそれ!」
「いや、聞かれても……」
「キャッチフレーズだよ、『バナナ王国』の!」
「知るか!」
「ちょっと巧い事いいやがってとか思うな!」
「思わねぇよ! 微塵も」
金蝉が思わず、強い言葉で返すと、武彦はサッとさっきまでの様子とは態度を一変させ、沈んだ声でボソボソと言う。
「ていうか、俺はさ、もう、目の前が衝撃で真っ暗になっちまってさ、で、その瞬間、今の気分に一番ピッタリの言葉は何だろうとかって考え込んだ訳だ」
その状況において、そんな事を考えるという、それだけで武彦がどれだけ動揺したのか容易に伺いしれる。
「こう、ビビットで、斬新かつ、キャッチーな言葉があの時の俺の衝撃にはピッタリだった。 ていうか、ごめん、咄嗟にこの言葉が思い浮かんだ時、全然違うトコで『俺って天才かも?』って考えた。 それはごめん」
少し顔を紅潮させ、酔った口調でそんな事を言う武彦を、虚ろな目で見つめる。
金蝉は、帰りたかった。
いつも、いつも、いつも、武彦絡みで巻き込まれる厄介事の渦中にいる時も感じていたが、今日は今までになく切実に、心から、真剣に、本気で帰りたかった。


「だからな……俺は、こう叫んだんだ」
ふっと、ニヒルな笑みを浮かべて武彦が呟いた。
「だっふんだ! ってさ」


金蝉はスクリと立ち上がって言い放った。
「…帰らせて貰う」


そして漸く、冒頭に至る。


うーあー、と髪を掻きむしっては此方をチラリと見上げ、そしてまら、うーあーと、唸る武彦に、苛々しながらも時間掛けて聞き出してみれば、こんなどうしようもない事極まりない話だったのかと呆れ、金蝉は表情も変えずに一刀両断で否定した。
「有り得んな。 馬鹿らしい」
「俺だってそう思ったよ。 あの翼だぜ? この前事務所を訪ねてきて、『どうしたんだ?』って聞けば、『可愛い零ちゃんに勝利の女神になって貰おうと思ってね、今度のレースのチケットをプレゼントしにきたんだ』って、バラの花束抱えて言う翼だぜ?  零をウィンクで一つで赤面させていた、翼だぜ? そんな情景を眺めていた俺を、『おいおい、翼にお義兄さんって呼ばれる日も近ぇんじゃねぇか?』って心から不安にさせた翼だぜ?」
最早、本気で翼の性がどちらであったのか見失いがちになっている武彦(職業・探偵)を、同じ様な心境に陥った事のある金蝉は笑う事も出来ず、とにかく無表情のまま、武彦の言葉の続きを待つ。   
「だけど、しょうがねぇだろう? 見ちまったもんはよう」
そう弱々しく呟き、「どうしたもんかねぇ…」とだけ呟くと、懐から煙草を取り出す。

マルボロ。

金蝉は片眉を上げ、「羽振りが良いじゃねぇか?」と言えば「とりあえず、調査費用は前金で貰ってるからな」と答えこちらに一本薦めてくる。
「だからこそっつう訳じゃねえが、依頼だってきっちりこなさないといけない。 こういう一つ一つの仕事が、次の『まともな』あくまで、『まともな』だぞ?仕事に繋がっていくからな」
そして、武彦は疲れたように言った。
「ま、だからな、お前を呼んだんだよ」
「あ? 何でだよ。 そうだ、そもそもなんでお前、俺にそんな報告してんだよ」
「だってよ、翼がちゃんと耳を貸すのはお前の言葉だけだろ?」
「…そうか?」
(ま、逆も然りだけどな)と、失礼な事を胸中で呟いた武彦には気付かず、眉間に皺を寄せて、果たして翼が自分の言葉をきちんと聞いてくれた事があったか思い出そうとしてみる。
「……大概、説教を喰らうぞ、俺は」
「や、それは、お前が人としての道に余りにも外れた発言をしたからだろ。 それに、お前は知らないかもしれんがな、相手が女性ならばいざ知らず、野郎の言葉に反応を返すだけでも、すげぇ事なんだよ。 それに、お前、きっと怒るぜ」
「何をだよ」
「お前に何の相談もせずに、この事件に何らかの決着を俺が付けたらお前は怒る。 翼の事だからな」
「………は! 下らねぇ。 勝手に言ってろ」
プイとそっぽむき、そう言い捨てる金蝉を、小さく笑いながら眺め、それから武彦は盛大に嘆いた。
「どうするよ、金蝉? 俺は、お前の云う通りにしようかとも考えてんだ。 解決は付けにゃあならん。 仕事だからな。 でも、お前が翼を守りたいっつうんだったら、手はあるんだ」
武彦の意味ありげな言い草に、金蝉は興味なさ気に反応した。
「………どんなだ?」
「調査対象に、浮気がバレてる事を教えてやって、浮気相手と手を切らせるんだ。 大抵の奴は、火遊びみてぇな気持ちで、浮気っつうのをしてるからな。 離婚を覚悟で、とか、本気で相手を愛していてっつうのは、殆どない。 だから、ブルってる相手にそこで、『はい。 分かりました。 もう相手とは会いません』って、証書みてぇなの書かせて、後は奥さんに『浮気の事実はありません』って報告すれば一丁あがりだ。 今回、そういう風に決着を付けようってお前が言うなら、それで良いと思うんだ。 下手な事をすると、翼を傷付ける」 


お人好しが。


金蝉は、何処か苦笑するような気持ちで、武彦に対して思う。
武彦がこれだけ動揺したというのも、結局翼を心配しての事なのだろう。
利己的な発言や、狡猾な振る舞い、合理的な言動が目立つが、然し、根底は武彦は面倒見が良く、お人好しだ。
優しいと言っても良いのだろう。


「もう一回言うがな。 テメェがそんなに慌てる事ぁねぇよ。 只の見間違いだ、見間違い」
ヒラヒラと手を振ってそういう金蝉に苛立たしげな表情を見せ、武彦が言う。
「おっまえ、どんだけ頑固だよ! 娘の清純信じる馬鹿オヤジみてぇだぞ?」
「誰が、馬鹿オヤジだ! それに、翼はまだ、16だぜ? そのオヤジだって、手ぇ出したら犯罪だろうがよ。 あいつはな、援交やる程頭悪かねぇし、金にも困ってねぇ」
徹底的に、武彦の言葉を否定する金蝉に、チッチッチと指を振って武彦がうたうように言った。
「言っただろ? 『バナナ王国』に旅する為のパスポートは、二人の愛だって」
武彦の言葉に、金蝉は鼻で笑う。
「ハッ! じゃぁ、何か? テメェは、翼が、その妻子持ちのおっさんにイかれてるとでも言うのかよ? 16の小娘が、不倫? 愛人? それも、翼が? 有り得ねぇ。 っつうか、あいつに一番縁のねぇ言葉だよ」
「だから、お前は、時代遅れの頑固親父だっつうんだ。 最近のニュース見てんのか? 今の16才と、昔の16才は違うぜ?」
武彦の馬鹿にするかのような言葉に、金蝉は超短気の本性を見せ始めた。
「ちょっと待て、俺だって21だぞ? そんな、翼と変わんねぇんだよ。 それに、テメェみたいな30代突入してるオッサンが、今の16才とやらの何を知ってんだよ」
「オッサン? 俺が? この、THE・ハードボイルド俺が?」
「ハードボイルド? 馬鹿か。 いっつも、いっつも、ロクでもねぇ、怪奇現象の依頼しか来ねぇ癖によう。 怪奇探偵? 30才・職業怪奇探偵とは、30才・職業アイドルの卵(ジャニーズ事務所に入るのが目標)よりも性質悪ぃ響きだぜ」
と、金蝉の、何かいやに具体的な嫌味に、武彦も眉を吊り上げ「おい、こら! 俺は、30才にもなっているのに、まだ、ジャニーズ事務所入りを諦めない、そんな無謀且つ、そろそろ誰かもう無理だよって言ってやれよ的冒険野郎と比較すんじゃねぇよ!」と、よく分からない返答を返す。
そして、また、ビールを一息に煽ると、灰皿に置いた煙草を手に取り、まるで若者に先人の知恵を語る教師のような偉そうな口調で武彦は言った。
「まぁ…さ。 にじゅう……いちだっけ? それ位の、世間知らずこの上ない、お前みたいな若造にはさ、女の深さ? 恐ろしさ?っつうのは分かんねぇかもしんねぇよ? 俺だって、ほら? 探偵やってるだろ? そういう関係で、結構、色んな女と知り合い、あれだ、ベッドとかも、共にしたり、しなかったりしてきた訳よ」
「どっちだよ」
「どっちでも良いだろ!」
一番重要な部分を、適当な一括で収めると、武彦は座っているソファーにふんぞり返り、紫煙をくゆらせる。
「で、そういう豊富だったり、豊富じゃないのカナ?みたいな経験を元に言わせて貰えばなぁ、女は怖い!」
参考にすべきとは絶対に思えない口調ではあったが、「怖い!」の部分に込められた圧倒的な力に、とりあえずご高説を拝聴してみようかと考えてみる。
「俺は、今まで色んな怪奇現象を望まざるとも目の当たりにしてきちまった訳ですが、もう、女という生き物は、どんな怪奇よりも怖ぇっつうか、むしろ怪奇って女の代名詞だったんですね?みてぇな感じだよ。 女と書いて、怪奇と呼ぶっつうのを提唱したい位、腹ん中なに考えてっか分かんねぇし、意味分かんねぇ事で怒るし、涙流すのだって自由自在だし、零ですら、もう手に負えてない俺からすれば、翼だって、幾ら外見が『ああ』で、性格が『うわぁ』で、言動も『えぇぇ?』であったとしても女には変わりねぇんだよ。 いいか、女はな、化け物だ。 男達の想像の右斜め上辺りを行く生き物で、ある日突然、『赤ちゃん出来ちゃった☆』って、自分でコンドームに穴開けといて、シャアシャアと言い放つそんな奴らだ」
立石に水の如くの語る様子に「てめぇ、どんな目に合わされてきたんだよ」と突っ込む暇すらなく、うっすらと涙ぐみさえしながら武彦は言った。
「もう嫌だ。 もう、うんざりだ。 怪奇現象と一緒くらい、女なんて大嫌いだ。 金輪際騙されてなるものか! 女は魔物です! おっそろしい魔物ですっ!」
何か、昔の苦い経験なんかを思い出しているらしい武彦に、呆れた視線を送って、新たに煙草に火を付けると、金蝉は冷たい声で「テメェの愚痴聞きにきてる訳じゃあねぇんだぞ」と呟いた。
「だがな、金蝉。 男前だからって油断してるみたいだがお前だって、すぐ思い知らされんだぜ? 女の恐ろしさをな」
武彦が、フフンと震える声で笑って言う。
「翼の事か?」
「ああ。 きっと、あいつだって、あの調査対象に詰め寄ってる筈だぜ?」
「なんてだい?」
「『奥さんと離婚してくれないか? もう、僕のお腹には新しい命が存在するんだ』ってな。 『もし、それが出来ないなら、会社の人間にバラしちゃうよ?』なんて、言ってるんだぜ? 怖ぇ、女だよなぁ」
「ほほう。 そうかい。 へぇ、僕がねぇ…」
「そうだよ、お前がだ……よ?」
「で、その、昼ドラの結末はどうなるのか、是非じっっっっっっっっっくりと聞きたいのだが?」
武彦の向かいの席。
金蝉の座る椅子の後ろに、何かもう、怒りの余りだろう、優しい微笑みを浮かべてしまっている翼がいた。
素早く立ち上がって逃げようとした金蝉の肩を、それ以上のスピードで両手で押さえ込んだ翼が、フルフルと震えながら囁く。
「で? えーと、そのドラマの主人公の名前は、なんて言うのかな?」
武彦は、一瞬にして青ざめると、金蝉に視線を送る。
然し、金蝉はもう諦めたのだろう。
ゆっくりと首を振ると、観念したように目を閉じた。
「……ど……何処からお聞きになっていらっしゃいましたか?」
「『バナナ王国』の入国に必要なパスポートは二人の愛です…辺りから」
「すっごい初めの方だな!」
「アハハ! ごめん、立ち聞きしてた!」
「アハハー! マージでぇ?」
「アハハハハハハハハハハッハハハハー!」
「アハハハハハハハハハー!」
二人は、金蝉を間に挟んで朗らかに笑い合う。
金蝉は、我知らず両手を武彦に向かって合わせていた。


合掌。



「死んでしまえぇーーーーーーーーーーーー!!!」
 


その直後である。
地獄の底から響いてきたような、恐ろしい怒号と、ついで男の悲鳴が店内に響き渡ったのは。





「ほんますんません。 ほんま、すんませんでした」
ハードボイルドのハの字もなく、なぜかボッコボコになりながら、そう一心不乱に詫びている武彦を哀れに思いつつも、金蝉は憤懣やるかたないといった表情を見せている翼に聞く。
「ここは酒場だぞ? 未成年が来ていいのか?」
「いや、先日零ちゃんにここを教えて貰ったんだ。 兄さんに連れていって貰った、Barのオムライスが美味しかったって言ってたもんでね。 で、どんな味なんだろうと思ってさ」
皮で出来たスリムなパンツを穿き、男物のシンプルな形をしたシャツを着ている翼は、やはり何処から見ても完全無欠の美少年で、さっきまで話していた、聞くに耐えないような女の恐ろしさとは無縁の生き物に見える。
金蝉の隣りに腰掛け、長い足を組むとクイと皮肉気に唇を持ち上げた。
「で、何だか見覚えのある二人が辛気くさく飲んでるなぁと思って伺っていたら、とっても楽しい話をしてたみたいだから、仲間に入れて貰おいたいなぁって考えたんだけど…」
小首を傾げ、翼は意地の悪い口調で武彦に聞く。
「お邪魔だったかな?」
武彦は、苦笑を浮かべると、「どうぞ、お好きに」と告げた。
「違うんだな」
金蝉の確信の籠もった声に、翼は間髪入れずに頷いた。
「分かってるだろ?」
そう言いながら、金蝉を見上げる視線には「否定したら、只じゃおかない」とも言うべき気迫がこもっていて、ああ、やっぱり金蝉に対しては、翼は女の子の顔になるなぁと武彦は余所事を考える。
「じゃあ、俺の見たものはなんだったんだ?」
首を捻って、悩ましげに呻く武彦に、金蝉は問うた。
「おい。 カメラを持っていったのだろう? 写真は撮ってないのか?」
「ああ、や、一応撮る事は撮ったんだけど…」
と言いながら、胸ポケットから数枚の写真を取り出す。
「動揺してたせいか、えらいピンぼけでな。 これじゃあ、何が映ってるか分かりゃしねぇよ」
バサリと投げ出された写真達は、確かに酷くブレていて、見るに耐えない出来だった。
「君は本当に探偵かい?」
呆れたように翼は言うのを、確かにな…と、口には出さずに同意しつつ、金蝉は写真を手に取った。
「……翼。 一番最近事務所に行ったのはいつだ?」
「え? あ、えーと、一昨日だったかな? 零ちゃんが、一度レースを見てみたいって言ってくれたからね、チケットをプレゼントしに行ったんだ」
「それが、どうかしたのかい?」と、問い掛けてくる翼を無視し、今度は武彦に金蝉は問う。
「その依頼主が事務所を訪れたのは、昨日だったよな?」
「あ、ああ」
「翼が行ってから、その依頼主が訪ねてくる迄の間に、誰か他の客や人間がお前の事務所を訪ねたか?」
「いや…。 誰も来てはいないが…」
「そうか……」
金蝉は机の上に写真を戻し、それから少し考え込む。
「おい…。 どういう事なんだよ」
「そうだ。 何か分かったのか?」
口々に尋ねてくる二人を五月蠅げに手を振って諫めると、「いや。 確証がないから、何とも言えねぇよ」と告げる。
「それこそ、その偽物の翼を直接拝みでもしねぇと……」そこ迄言って、しまったと思ったがもう後の祭り。
「じゃぁ、明日一緒に来てくれよ!」と武彦が勢い込んで言えば、翼も「僕の偽物が、そういう振る舞いを行っているというのは不快極まりないから、金蝉、一つ頼むよ」なんて宣ってくる。
面倒事が何より嫌いな金蝉は、眉間に深い、深い皺を寄せ抵抗を見せたがいつも、なんだかんだと頼まれ事を引き受けさせられてしまう武彦の弁舌と、どうしたって弱い翼のお願い視線(金蝉限定)に、最後は「最悪だ……」の呟きと共に引き受けさせられていた。


その酒場からの帰り道。
翼は、酷い言われようをしていたのにも関わらず、機嫌の麗しい様子で金蝉の前を歩いていた。
面倒事にまた、巻き込まれてしまったせいで不機嫌極まりない金蝉が、「ご機嫌だな」と皮肉たっぷりに問えば、翼は美しい月夜の下クルリとこちらを振り返って微笑む。
「まぁ…ね」
「こちとら、また厄介事に巻き込まれて最悪な気分だってのにいい気なもんだ」
「だって……」
「あん?」
何かを言いかける翼に、金蝉が耳を澄ませる。
「だって、君が、私を一度も疑わなかった」
「………」
「信じて欲しいだなんて思わないし、僕も、君の事信用なんてした事ないけど、疑わないでいてあげよう」
翼が、金蝉の元に駆け寄り、それから巫山戯た調子で彼の腕に自分の腕を絡ませてくる。
「君の事、この先何があっても疑わないでいてあげよう。 こんな事言えてしまう位に、僕は今、嬉しいんだよ」
クククと笑う翼から目を逸らし、金蝉が言った。
「あいつも……」
「ん?」
「武彦も、お前の事心配はしてたぜ」
「武彦『も』?」
金蝉の言葉尻を愉しげにとらえる翼を睨み、それから溜息を吐く。
「最悪だな」
「フフン。 最高だね」
そして、まるで、男同士のような色気のない腕組みを二人はほどかずに並んで歩き続けた。翼が、小さく囁いた。
「分かった。 ちゃんと、武彦にも御礼を言っておく」
「……別に、俺に言う事じゃねぇよ」
「明日の事、面倒掛けて済まないな」
「それは、お前が言う事じゃねぇよ」





「アレだ! アレ!」
バナナ王国の前で、ホテルから腕を組み出て来たカップルを指差し武彦が、空いている手で金蝉の肩を揺する。
確かに、女の方は翼にそっくりだ。
だが、昨日見せた腕組みとは違い、ぴったりと男の身に寄り添い、しなだれかかっているその姿は、平常の翼の様子からは考えられないもので、金蝉は躊躇する事なく、物陰から出ると、そのカップルに歩み寄った。
「っ! 金蝉っ!」
武彦が、制止するように名を呼ぶが、構う事なく男の肩を掴む。
そして、金蝉は驚いたように見上げる翼の顔をした女に告げた。
「こいつ、どっから連れてきたんだ?」
その瞬間、ポンと気の抜けた音と共に白い煙が上がり、翼の姿が消えた代わりに銀色の毛並みをした小さな狐が現れた。
慌てて、逃げだそうとするのを、ヒョイと抱え上げた金蝉が、ジロリと狐を睨み据える。
「逃げ出そうたぁ、良い根性だな」
ズルリと崩れ落ちている男を横目に、恐る恐る近付いてきた武彦は、狐を目にした瞬間「うあ…」と一言呟くとガックリと肩を落とした。
「なぁ……」
「あぁ?」
「聞きたくないんだが、一応聞く。 怪奇?」
「ああ、怪奇だな」
「うーわぁ…」
落ち込んだ声で、そう嘆く武彦。
金蝉は幾らまだ人通りの少ない時間帯とはいえ、歓楽街の通りで狐を抱えているのは目立つと思い武彦に「ここは、目立つ。 人のいない所に移動するぞ」と告げ、スタスタと歩き始めた。
「あ? 何処行くつもりなんだよ」
「稲荷神社。 狐を祭ってる神社だ」



そこは薄暗い、人気の少ない神社だった。
肌寒いと言うよりも、嫌な悪寒を起こさせる風が、吹き渡っている。
聖域でありながら、不吉な、とも言える空気に満ちた神社だった。
金蝉は武彦に冷たい声で言い放った。
「言っとくがな、これは、テメェの自業自得だ」
「は? どういう事だよ」
武彦の疑問を無視し金蝉は、抱え込んだ狐を見下ろして、つまらなそうに呟いた。
「磁場が完全に狂ってやがる。 結界の敷き方が悪いんだな。 狐が化けて出る筈だぜ」
そして、緩く瞼を閉じて、呪を短く唱えると、突然頭上に向けて一発拳銃を撃ち放った。
鼓膜を激しく揺らす音に、武彦は眉を顰め、狐はキュンと小さく身を震わせる。
その瞬間、ガシャンと硬質な物が割れるような音が響き、そしてまるでガラスの破片のような物体がキラキラと頭上から降り注いできた。
その破片達は、地面の辿り着くと、姿を消してしまう。
「な……んだぁ?」
呆然とする武彦に、金蝉は短く答えた。
「ヘボ術師が掛けた結界を壊した。 おい、狐」
金蝉は、狐を放り出すとキツイ目で見据えて言う。
「今から、新しい結界を張り直してやる。 だからな、これ以上この男にちょっかいをかけんじゃねぇっつうか、この男をどうしようが別に構やしねぇが、翼の…っと、あの女の姿に化けるのだけはやめろ。 いいな?」
有無を言わせぬ口調でそう告げた金蝉に、コクコクと頷き、尻尾をピョコピョコ振る狐に、もう一度、睨むような視線を送り、それから合掌すると、金蝉は朗とした声で真言を唱え始めた。




「結局……どういう事だったんだ?」
昨夜と同じ酒場。
トレーニングを終えた帰りの翼が興味深げに問い、武彦も金蝉を睨みながら「勿体ぶりやがって、とっとと、話せよ」と言った。
金蝉は、武彦の言い草に腹立たしげな表情を見せるが、ウィスキーの中でゆるゆると溶けている氷をカランと揺らして語り始める。
「狐に騙されるなんざ、日本古来のお伽噺なんかじゃポピュラーな話だがな、現代の日本でも有り得ない事じゃなかったっつう話だ。 ま、テメェが極端に騙されやすいっつうのもあるんだろうがな」
そう一言嫌味を付け加えるのも忘れずに、今回の事件の全容を金蝉は解き明かす。
「お前、あすこの神社の関係者から依頼が来ただろう」
「あ? 依頼?」
「そう。 狐が言っていた。 お前から斡旋された術師が、長年の護りのせいで綻び掛けた結界を強化していったのだが、その張り方が無茶苦茶で、境内の空気が乱れているってな」
そこまで言われて、ハタと武彦は思いだしたらしく、「あ! ああ、あ! あった! あったぞ、そういう依頼が。 この頃境内で不可思議な現象が起こるから、何とかしてくれまいかっていうのがな。 そうか、依頼主はあの神社の関係者だったのか…」と呟く。
「報告書に目通してんだろ?」
「や、稲荷神社なんてありふれた名前だからな。 あの稲荷神社の事だとは思わなかった」 と、頭を掻きながら言う武彦。
確かに、その時期は、金蝉のような呪や術を得意とする人間の中にスケジュールが空いている人間がおらず、とにかく長年のこういう仕事でのツテを辿って、適当な術師に仕事を任せたのだという。
「今、術師でございつって商売やってる奴の中で、どんだけの人間が正しい知識を持って、術を行える実力を持っている人間がいるかっていうと、かなり絶望的な数字なんだよ。 そんないい加減な奴に、古い神社のような霊的な力の高い場所の結界の強化なんて手に負える代物じゃねえんだ」
金蝉が、平坦な声で辛辣な事を言い「だから、狐はお前を化かしたんだよ」と、吐き捨てた。
「不完全な結界に護られた境内は空気が淀み、奉られていた狐は怒ったんだ。 よくも、境内を汚してくれたなってな。 で、このままで済ますものかと、術者の結界から残留意識を辿り、斡旋したのがお前だと知った。 能力者に囲まれた生活を送っているお前にはそう大それた事も出来ず、それでも何とかお前に仕返しをしたい狐は一計を案じてお前を騙そうとした。 依頼者の振りをして事務所を訪ねた際に、事務所に残っていた、一番掴みやすい外部からの匂い、つまり事務所を訪れた一番最後の人間である翼の匂いって事だが、それを頼りに翼の記憶をテメェの中から引っぱり出し、その姿に化けたんだ。 テメェの記憶の中にある翼とはかけ離れた行動をして、テメェを困惑させたかったのだろう」
翼は、オムライスをつつきながら、冷たい声で言った。
「じゃあ、何もかも、武彦の自業自得って事になるんじゃないのか?」
「まぁ、そういう事だな。 写真から伝わってくる波が、どうも人間のものじゃなかったから、こういう事なんじゃないかとは考えていたんだがな」
翼と同じく冷たい声で返答した金蝉。
武彦はというと、スススと二人から目を逸らしつつ、「金蝉もう一杯どうだ? 翼も、オムライスの他に、デザート頼んでも良いぞ?」と、明るい声で薦める。
翼はニッコリと笑って「じゃあ、デザート三種盛りを頂くよ」と答え、金蝉も「同じ物、もう一杯だ」と直接、酒場の主人に告げた。
「奢りだろ?」
と、問い掛けてくる翼に「勿論」と頷いた後、暫くして武彦はサッと、顔色を変えると金蝉に聞いてきた。
「な、なぁ、金蝉。 依頼者も、狐だったんだよな?」
「ああ。 いい女だったそうだが、残念だったな」
金蝉の無下な答えに、武彦は大慌てで財布を引っぱり出した。
「あああああ!」
唐突に大声で叫ぶ、武彦。
「き、狐の野郎っ!」
そう唸る武彦に、翼が問い掛ける。
「どうしたんだ?」
然し、武彦が翼に答えるよりも早く、金蝉が嘲笑うかのような声で言った。
「依頼主の狐から前払いで貰った調査費用が、葉っぱにでも変わっていたんだろう」
翼が、金蝉の言葉に「プッ」と吹き出しながら、武彦を見ると、金蝉の言葉を肯定するかのように、何枚かの葉っぱを財布からつまみ出した。
「……なぁ…やっぱ、今日は割りカンで…」
気弱げに提案する武彦を揃って無視し、金蝉と翼は、注文を重ねた。
「あと、フレッシュジュースお願いします」
「ソルティドッグ」
「ちょっと、頼むからさぁ!」



武彦が、身も心もハードボイルドな探偵になれる日は遠い。


金蝉は、片眉を吊り上げて、両手を武彦に向かって合わせた。


合掌。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
momizi クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月17日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.