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『胡蝶の夢 』
柏木・アトリ2528

 夢が現で現が夢。
 どちらも起きたら消えてしまう。
 眠ったら――消えてしまう。

 憧れて止まない背中も、それと同じようなもの?
 ううん……違うと思いたい。でも。

(……何処で区別がつくのかしら…? 憧れと言う、気持ちも。夢も……)

 追いかけて、話し掛けてみたい。
 それが無理ならせめて一目、姿を見るだけでも。

 だけど。
 せめて一目……と、願う、この感情が何なのか私は知らない。
 憧れている――のだけれど、時折……そう、本当に時折、だけれど。

(何か違う別の想いと、感情がある様で……)

 解らない。
 解らないけれど、追いかけ続けていたい、人。


 何処か……遠く、あの人が朗々とした声で歌う「胡蝶」が聞こえてくるような気がした。


  ――春風の文読む窓に吹入りて

          ――読み残す書の幾枚か ひらりひらりひらひらと





 温かな湯気が頬を撫でる。
 陽射しは心持ち、柔らかさを増し窓から降り注ぐ。
 暖かで、麗らかな午後の昼下がり。

 一番お気に入りの喫茶店で、大好きなオレンジティーとチーズケーキ。
 ささやかな、本当にささやかな、自分一人だけで行う誕生日祝い。
 友人たちが祝ってくれる誕生日も素敵だけれど、と口に微かな微笑を浮かべながら柏木・アトリはカップに口をつけた。
 仄かなオレンジの香りと、そして喉に流れ込む温かさに柔らかで穏やかな、幸福を感じ、
「ふぅ……」と、息をつき、カップを置くとチーズケーキへと手を伸ばす。
 しっとりとした、けれどチーズの味が濃いケーキに舌鼓を打つと、再び窓の外を見る。
 街並みの街路樹は、もうすっかり、冬の枯れた色合いから春の、いいや――初夏が近づいているかのような鮮やかさを見せている。
 人が着ているものも、それぞれ涼しさをもつ物へと変化を見せ――ふと、アトリは一瞬「あら?」と首を傾げた。
 …和服を着た人物が歩いていたのだ。
 和服で歩く人、と言うのは、この街では中々居ない。
 着付けが自分自身で出来なければ無理、と言うのもあるけれど実際は、着物と言うものが今は高価で手に入れにくいものだからでもある。
 そんな中で見かけた和服の人物――もしや、と思いながらも追いかけてしまう、後ろ姿。
 背格好が似ているだけの人かも知れない。
 けれど、瞳で追ってしまうのを、抑えられなくて。


(……まさか……?)

 振り向いてくれたら、良いのに。
 それなら、解るのに。
 きっと、私は――あの人なら、どんな服を着ていても見間違えないのに。

 ……アトリ自身、気付かぬ内にこんな事を考えていたからだろうか。
 まるで、アトリの心の声が聞こえたように。
 その人物が、ゆっくり振り向いた。
 忘れたくても忘れられない、その姿。

 そして。
 偶然、なのだろうか……一瞬彼は、アトリに向かい…微笑んだように、見えた。
 まるで視線に気付いたような、深い微笑にアトリは一瞬、何処かを鷲掴みされた様な気持ちになり。

「――………ッ!?」

 カタン……。

 抑えられぬ驚きがテーブルを微かに揺らす。
 せめて声が出ないよう、掌で懸命に抑えながらも、逸る心を止める事が出来ぬまま。
 瞳で追い続ける「あの人」の姿が、どんどん遠ざかってゆく。

(嘘――……まさか、逢えるなんて……!)

 本当に…嘘みたい……。

(…誕生日のお祝いに、思いがけない幸せをもらえた様な……ううん、まるで――)

 …胡蝶の夢のよう。

 目覚めて荘子は思ったのだ、と人に語ったと言う。
 果たして自分は、本当は夜毎夢に見る、あの胡蝶なのではなかろうか。
 実は胡蝶が――人となった私の姿を夢と見ているのではないだろうか。

 ……この美しい夢は――何時、醒めるのだろう……?

 いいや、もし夢も現も区別がつかないものならば。

 どうか、いっそ、このまま。醒めないままで。

 柔らかな気持ちが告げるものさえも、彼を見るだけで瞳が追ってしまうほどの想いも、全て、全て。
 夢とし、現として……繰り返し、見続けていたい。

 そうして、アトリはすっかり温くなってしまったカップを持ち、瞳を閉じる。
 先ほどまでの事を、瞳を閉じ、夢になっても思い出せるように。
 今日と言う日に逢えた奇跡を感謝するように、静かに。

 再び聞こえゆく、唄。
 アトリの中に、甘く柔らかく、何処までも朗々とした声が響き渡る。




   ――花も昔の花なれば 其身も元の胡蝶なり


(かくもあれ花に遊ばん……)

            ――花に狂ふ 蝶こそ春の姿なりけれ

(人とさますな)

       ――夢よ春風





+End+
PCシチュエーションノベル(シングル) -
秋月 奏 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月14日

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