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『孤独の欠片 』
蓮巳・零樹2577)&言吹・一子(2568)


 ずっといっしょにいてね。ずっとずっといっしょ。ここにいてね。わたしをひとりぼっちにしないで―――



 数多の人形達によるさざめきに包まれながら、日本人形専門店『蓮夢』の店主・蓮巳零樹はゆるゆると艶やかな人形の黒髪を梳いていた。
 ひっそりと漂う薄闇の気配は、幽玄の世界をこの店に構築する。
 だが、そんな静謐なひと時も電話のベルという異質の音によってあっけなく破られてしまった。
 無粋な輩は無視しようとする零樹を責めるかのようにいつまでも電話は鳴り止まない。
 あまり気乗りせず、溜息と共に立ち上がって受話器を手に取れば、待っていましたと言わんばかりに膨大な言葉が一気になだれ込んできた。
 相手はアトラス編集部に在する三下忠雄。
 彼の非常に要領を得ない難解な説明を要約するならば、アトラス編集部の取材で噂の検証に出たはいいが、関わるものは異能の人形。当然三下の手におえる状況ではなくなり、この際性格は悪くても腕のいい人形師にいっそ縋りつこうと、つまりそういうことらしい。
「ねえ、この電話切ってもいいかな?」
 以前関わった事件から既に数ヶ月が経過しており、その間は一切音信不通となっていた。面識は以前の調査一度きり。そんな相手に相談を持ちかけられるなど迷惑この上ない。
 だが、自分ひとりじゃダメだ。でも調査しないと編集長が怖い。今度はどこに飛ばされるか分からないんだよ命が危ないんだ助けてください見捨てないでと、電話の向こうで悲鳴じみた懇願がまくし立てられる。
 零樹は騒音がおさまるまで、速やかに受話器を自分の耳から遠ざける。
 懇願が鳴き声と共にフェードアウトしていくと、改めて受話器を自身に引き寄せる。
「……だいたい、三下さんを助けて一体僕に何のメリットがあるのかという最重要課題がクリアされてないんだよねー」
 というわけで他を当たってくれないかなという言葉と共に今度こそ電話を切ろうとした零樹を、三下の切羽詰った条件が引き止めた。
 解決できたアカツキにはその人形を譲る。
 かなり年代モノながらも確かな造型だと保証もされている。
 不可思議な現象を引き起こすと言うソレを手に入れたくは無いか。
 三下にしては珍しく気の利いたその取引は、確かに零樹の興味を引いた。
 彼の誘いそのものではなく、その向こう側に潜む気配が自分を呼んでいるような気がする。
 しばしの沈黙とそれに値する逡巡。
 そして数十秒を過ぎる頃には、零樹は多少不本意ながらも三下との待ち合わせの段取りを進めていた。



 ずっと一緒。ずっとずっといつまでも、ふたり一緒に夢を見ましょう。もう離れないで



「零樹っ!なにかいい玩具は入りましたかぁ?」
 可愛らしいふわりとした春色のワンピースに羽織った白衣をひらめかせ、言吹一子は『蓮夢』の敷居を跨ぎかけ、
「ものすごい勢いでぼくはいま急用を思い出したので、これで失礼いたします」
 常にはない満面の笑みで戸口の前に佇んで迎えた零樹を目にした次の瞬間、彼は踵を返していた。
「どうしたの、一子兄さん?せっかく、これ以上ないくらいのタイミングで来てくれたんだから遠慮しないでよ。もうホントに」
 だが笑顔はそのままに問答無用で両肩を背後からつかまれてしまう。
「零樹とぼくの間に遠慮なんて存在するはずがないでしょう。そういうわけで、失礼させてもらいます」
「ソレが遠慮というんだよ、兄さん。さ、四の五の言わず行きましょうねー」
 尚もじたばたと往生際悪く暴れる一子の耳元に口を寄せ、蠱惑的な囁きをそっと吹き込む。
「多分、兄さんも好きだと思うよ?面白いことに飢えてたよね?面白そうなオモチャもご用意できますよー?」
「面白いオモチャも?」
 眼鏡の奥で大きな瞳がくるりと回る。
 動物的本能が危機を察して抵抗している。だが、それ以上に猫をも殺すと言われる『好奇心』と呼ばれる衝動が、一子の中でむくりと頭をもたげてしまった。


 青白い顔にひどく怯えた表情を乗せる三下を、一子は畸形の日本人形を抱く零樹とともにカフェの前で出迎えた。
 話には聞いていたが確かに弄り甲斐のありそうな目をしていると、三下を前に一子はひとり小さく笑った。
「あ、あの……なんと言いますか、その…現状を見られた方が早いと思うんですが……」
 彼は2人の姿を見つけると、待ち合わせ場所から移動する間で今も状況は悪化する一方なのだと告げながら、おずおずと一通の手紙を差し出した。
 編集部に寄せられたソレは、投稿というよりはむしろ救済を求める悲痛な嘆願だった。


 幼い少女がいつその人形と出会ったのか、両親は知らないのだと俯き、むせび泣く。
 気付けば全てが手遅れだった。
 いつもどおりに繰り返されていた日常。いつもどおり、彼らは仕事を終えて家路についた。だが、いつもどおりには出迎えない娘。不審に思い、両親は明かりも物音も途絶えた2階の娘の部屋まで上がり、そこで見たものは―――
「―――あー……これは確かに……」
 光も射さず、深く閉ざされた部屋の内部で、ソレはとくとくと規則正しい心音を共有しながら、愛おしげに彼女を見つめていた。
 自身を構成する無機質な歯車や糸巻きが生身の少女を不自然に巻き込んで、ヒトとニンギョウの境界を越えて一体化している。
 爛れた顔を晒す日本人形を抱いたまま、まるで壊れたオブジェと化した少女と人形を零樹は見つめた。
 圧倒的な質量で迫ってくる感情はどこまでも深くどこまでも純粋なただひとつの願い。

『ずっとずっと一緒。ずっと一緒。離れない。ワタシはアナタのもの。アナタはワタシのもの。だからお願い。ひとりにしないで。起こさないで――――』

 複雑に織り合わさった想いの糸が繭のように絡まり、この部屋すらも覆っている。
 自分の腕があれば、おそらく絡みついた部品たちをバラバラに分解することくらい容易いのかもしれない。
 だが、もしこの手で無理矢理に人形を引き剥がしたとしたら?
「よくもまあ、ここまで育てたものだねー」
 嘲りを感嘆のごとくこぼす零樹の後ろで、両親はびくりと肩を震わせた。
「ねえ、一子兄さん。この辺の雑音を黙らせたいんだけど、ちょっと猫又様のお力で何とかしてくれないかなー?」
 繭の中から這い出てきた瘴気に眉をひそめつつも口の端に皮肉な笑みを湛えて、零樹は背後に立つ彼を振り返らずに要求を投げ掛ける。
 心臓を強く締め上げる、禍々しく病んだ念が纏わりついて煩わしい。
「ぼくを使うのなら高くつきますよ、零樹」
 すぅっと目を細め、一子は愉しげなチャシャ猫の笑みを浮かべてわざと挑発的に言葉を返す。
 それはまるで、部屋の少女から目を逸らさない弟分の内面を測るかのように。
 だが、零樹は自身の内面を悟られるより先にさらりと矛先を変えてしまった。
「あ、その辺はきっと三下さんが何とかしてくれるから平気」
「は、はいぃ?ぼ、僕ですかっ?」
「三下さん以外に誰がいるのかなー?」
「……い、いえ、あの…でも」
「これは誰の頼みで来たんだったかなー?」
「………僕です……はい……」
 凄みの効いた綺麗な笑顔に挟まれて、三下はただ涙を堪えることしか出来なかった。
「と言うわけで、一子兄さん。腕の見せ所ですよ。まさか百年生きている化け猫が失敗なんてしませんよねー?」
「あんまり可愛くないことを言うと、わざと失敗しますよ?」
「おや?それはそれは可愛い弟が一生懸命兄を応援していると言うのに……なんだろう、この言い方。ヒドイなー。硝子細工の繊細な心が傷付くよ」
「零樹の心は防弾ガラス製ですからね。杞憂に終わりますから安心してください」
 軽口を叩き合いながらも、2人の間には緊張の糸が張り巡らされていく。
 三下の声も、少女の両親がこぼす悲壮な溜息も、幾重にも重なった壁の向こう側に押しやられ、そうして一子は、自身が生み出す力によって人形と自分達だけをこの世界から隔離する。
 人形の呪詛にも似た祈りとともに吐き出される闇は、結界の中でゆるゆると循環し、行き場を求めて渦を巻く。
 少女は動かない。
 虚ろな視線を宙に向け、絡め取られていく生身の身体を人形の手に委ねている。
「さて、これからどうするんですか?」
「どうするって、オシゴトだよ。どうせならおかしな『中身入り』の人形より、障りのない外側だけの方が都合もいいし」
 完全に閉じた世界の中で、零樹はその白い腕をゆっくりと伸ばす。
 何故ここにいるのか。何故彼女なのか。何を願い、何を見、何をもって執着と為すのか。
 問いには答えず、ただ嘆く壊れた自動人形に触れて、指先を焦がすような痛みとともに零樹は自ら望んで彼女の抱く深淵へと潜り込んでいく。


『ずっとずっと一緒。ずっと一緒。離れない。ワタシはアナタのもの。アナタはワタシのもの。だからお願い。サビシイ。ひとりにしないで。おいていかないで――お願いだからおねがいだからおねがい―――――』

 赤く染まった世界に哀しく沈む記憶。
 ずっと一緒だと、『彼女』は言った。
 ずっと一緒だと、『彼女』は約束した。
 誰もいない小さな部屋で、幼い少女は歯車の間にそっと小さな赤い石を埋め込み、語りかける。
 ひとりはイヤ。ひとりはコワイ。ずっと一緒にいて。寂しいなんて言わせないで。ずっとずっと一緒。ずっと一緒。離れない。引き離されない。ずっとそばにいて。ひとりにしないで。
 呟きは呪となって降り積もり、世界そのものを蝕んでいく。
 彼女のために与えられた人形は、胸に抱いたカラクリゆえに彼女の想いを抱いて夢に堕ちる。 
 少女は人形の中に濃い翳を落とし、そうしてこの世界から消えた。
 そして、人形は淋しい少女の『魂』を抱いて彷徨い始める。
『ずっといっしょにいて。ひとりにしないで。さびしい。どこにもいかないでさびしいさびしいさびしい―――』
 夢と現の狭間でこぼれ出て行く声は、人形の体を借りて外へと向けられた少女の意思。


「お互いに引きあってしまったんですね……」
 零樹を通し映し出される魂の記憶に、一子は呟きを洩らす。
 淋しいと、『彼女』は泣く。
 ひとりはイヤだと、『彼女』も泣く。
 どうする事も出来ない『孤独』に苛まれ開いてしまった胸の穴を、人形は赤い石の力で塞ごうとした。
 泣き声が重なる。
 少女の、人形の、彼女の、哀しい淋しさが零樹を取り巻き、縋りつくのが見える。
「……悪いけど、僕はキミたちを背負う義理はないんだよね。特に現在進行形で両親揃ってる挙句にきっちり現世で人間やってる子はさ」
 だから。
 零樹はゆっくりと溜息を吐き出し、そして、抱いていた日本人形を少女と自動人形の肌に押し当てるように重ねた。
 何事かを呟き、そうして紡がれていく言霊は、人形に宿る病んだ魂を少女の孤独と共に自身の内側へと取り込んでいく。
 部屋を覆い、視界を覆い、結界に阻まれ渦巻く『闇』がゆるゆると溶けていく。
 歯車も糸巻きも、異形のチカラを得てしまった部品のひとつひとつが少女の体から抜け落ちて、代わりに日本人形へと呑まれて行く。
 赤い石が刻む、赤い夢は、そうしてすっかりと花の名を持つ畸形の人形の内に取り込まれてしまった。
「零樹、ソレをどうするつもりです?」
「んー?どうしようかな。このまま人形の部品ごと全部をこの中で分解して蓄えてしまってもいいんだけど」
 一子からの問いに思案するように彼は腕の中の日本人形へ視線を落とし、
「でも、それをしちゃったら『人形』をもらうはずだった僕はタダ働きになってしまうんだよねー」
 くすりと笑って、肩で切りそろえられた艶やかな髪を撫でつけた。
「だからこうするよ、うん……」
 そして零樹の唇からは、力ある呪ではなく、願いにも似た囁きが日本人形へとこぼれていく。
 一子には聞こえない声で彼女もまた腕の中から言葉を返し、そうしてふわりと光を纏った。
 そうして日本人形は、一度は呑み込んでしまった幼い魂を浄化に乗せて再構築する。
 淡く拍動する光の糸が幾筋も伸びて絡まりあい、折れそうなほどに華奢な手足が爪先から紡がれ、記憶の底で自動人形を抱きながらずっと一緒にいたいと囁き続けていたあの少女の姿へと収束していく。
 そして。
 病んだ闇を削ぎ落とし、清浄な光を纏って、孤独なまま赤い石に囚われていた魂は不定形に揺らぎながらも自らの足で闇の中に降り立った。
 彼女に続き、コトリとかすかな音を立てて、同じように再構築された自動人形が闇の中へと転がり落ちる。
 だが、それは、彼女が触れるより先に零樹によって拾い上げられてしまう。
「キミが行くのはあっち。こっちの入れ物は僕が迷惑料としてしっかり徴収させてもらうからね」
 戸惑い揺らぐ少女へと、零樹はそっと道を指し示す。
「……では、ぼくは淋しくないように演出してあげましょうか……」
 ぽつりぽつりと明かりが灯る。
 一子の指先から生まれた青白い炎が闇の向こうへ繋がる彼岸の道を淡く照らし出し、孤独に泣いていた魂を優しい光で送り出す。
 その道の向こう側には、炎で作った人形の幻が静かに微笑んで手を差し伸べていた。
 少女はふわりと振り向いて礼の代わりに2人へ頭を下げると、そのまま迎えに来てくれた人形の手を取って此岸から彼岸へ旅立った。
 後には寂寥感のつのる静かな時間と、自動人形によりどころを求めてしまった彼女が膝を抱えてまるくなり、深く静かに眠っている。
「さてと、この子は親に丸投げでいいよねー?自分の子供くらいちゃんと面倒見てもらわないとこっちが迷惑だし」
 皮肉と嘲りを向ける先は、彼女ではなく、こんな事態になって縋りついて来た親である。
「おや、零樹。珍しく優しいですね」
「えー?僕はいつでも優しいけど?」
「あまりの珍しさに雨どころか雹が降りそうでぼくは心配ですよ」
「一子兄さんには、このささやかでさりげない僕の思いやりと滲み出る優しさが分からないのかなー?」
「さてと、そろそろ結界解きますからね?」
 無駄な応酬を早々に切り上げて、一子は静かに術を解いた。
 そうして2人は壁の向こう側に佇み、成り行きを見守る事も出来ず、ただ祈ることだけを繰り返す親と三下へ世界を開放した。


 ひとりはイヤ。サビシイ。サビシイからそばにいて。ここにいて。ひとりにしないで。ここに。ずっとずっとずっと―――そう望んだ哀しい声も、やがて緩やかに癒されていく。


 落ちかけた初夏の斜陽が、街を燃え上がる赤で染め上げる。
「ところで、零樹。その自動人形、ぼくが引き取ってあげましょうか?あなたは日本人形専門ですよね?その子はちょっと趣向が違うようですよ?」
「いやだなー。いくら一子兄さんが猫でも人の報酬を横取りするなんて行儀が悪いと思うけど?」
「人に手伝わせて一切報酬なしという方がひどいと思いますよ?」
「だから、報酬は三下さんにもらうんだよ。ね?僕だって、これじゃあ割に合わないし。慰謝料の請求もお願いしたいとこだね」
「ああ、そうでしたね。では三下さんから、必要経費ということで」
 泣きたい。逃げたい。怖い。助けて。
 ありとあらゆる衝動に駆られながらも両側からしっかりと抑えつけられて逃亡が許されない三下は、ただひたすらその最下層の地位に涙するよりなかった。




END
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
高槻ひかる クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月13日

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