『moonlit moon 』

シギョウ（1972）＆エカテリーナ（2003）

　いつもなら、町へと遊びに出掛けた後は、誰にも見つからないように、昔誰かが作った抜け道を辿って城の内部へと戻っていたエカテリーナだが、今日はまだ日も高いしと言う事で、素知らぬ顔で正門を抜けようとしたところを、綺麗な顔が恐いまでに険しくしたシギョウに捕まってしまった。

　「…まったく、あなたは第一女王としての自覚がおありなのですか、エカテリーナ様。一人で街を歩き回るなど、それが王族のする事ですか」
　「自覚？あるわよ？あるからこそ、民の普段の生活をこの目で確かめる為に出掛けていくんだもの。視察よ、視察。大臣達の、表面だけのお仕着せの報告なんか、何の役にも立たないもの」
　「…またそう言う屁理屈を……」
　溜息混じりにそう呟くシギョウに、エカテリーナは殊更明るい笑顔で彼女の肩をぽむぽむと叩く。
　「まぁまぁ、そんな風に眉間に皺寄せたりしたら、折角の美貌が台無しよ？」
　「そう言う言い回しも、どうせ街中で覚えてくるのでしょう。それのどこが視察だと言うのです」
　「あら、民の普段の生活を知るのは大切な事だと思わない？彼らが何を求め、何に喜びを感じるのか。…と言う訳で、今夜出掛けるわよ、シギョウ」
　「は？」
　全く脈絡の無いその展開に、思わずシギョウは、柄にもなく少々間の抜けた声を漏らしてしまった。
　「…あなたでも、そんな声を出す事があるのね」
　「いや、それはエカテリーナ様が…ではなく、今、何と仰いました？」
　「だっかっらっ。ようは、シギョウはあたしが一人で街に出て行くのが気に入らないんでしょ？」
　「…私が気に入る気に入らないの問題では……」
　「ああん、そんな事はどうでもいいのよ。とにかく！シギョウは、あたしが心配なんでしょう？だったら、あなたも一緒に街に出掛ければ、何の問題もないじゃない？ね？」
　「いえ、それより更に最善の方法が…」
　「言っとくけど、城でゆっくり大人しくしてる、ってのは却下よ。もしシギョウが一緒に来てくれないのなら、……あたし、一人で出掛けて来るけどっ？」
　そう言って頬を膨らませ、そっぽを向くエカテリーナの表情は、年相応のものであったが、そんな事に目を奪われる余裕もなく、敗北を感じたシギョウは呻いて額を押さえた。


　その夜、エカテリーナは夕食後、早々に自室へと閉じ篭り、深夜近くになって皆が寝静まった頃。かさりと微かな音を立てて、エカテリーナの小さな足が、乾いた草を踏みしめた。そのまま静かに歩き出したのだが、足音を立てないように歩く様子はさすがに慣れたものだ。月が明るい夜で、エカテリーナは己の姿が衛兵に見つからないよう、物陰に身を潜めながら、シギョウとの待ち合わせ場所である、城内の隅にある塔へと向かった。
　昔は見張りの為の塔だったという事だが、今はそれよりも背の高い塔が建設されたので、ここは最早ただの建築物として放置されているだけだ。人気もなく、蔦の生い茂った様子は妙に冒険心を誘われて（別に内部に何か潜んでいたりする訳ではないが）昔からエカテリーナの格好の遊び場だったが、少し前に、この塔から街へと抜ける地下道を発見してからは、ここから城を抜け出して、街の散策に出掛けていた。
　「……シギョウ？」
　塔の天辺まで昇り切ると、エカテリーナは小声でこそりと囁く。すると、全く気付かなかったのだが、エカテリーナのすぐ前の角に、シギョウはその身を潜めていたのだ。細身だが長身なので決して人目に付き難い存在ではない。増してやシギョウの長く艶やかな黒髪や、際立った怜悧な容貌などは、寧ろ彼女の存在を目立たせるだけなのだが、守護獣としてのシギョウは驚く程、その身を隠す事が巧い。自分の立場を分かっているからこその技術なのだろうが、それがエカテリーナには、「折角綺麗なのに勿体無い」と、少女らしい理由から、残念に感じる事もあるのだ。
　「ここに、エカテリーナ様」
　「ん、お待たせ。じゃ、行きましょう…って事で、早速狼の姿になってよ」
　「…またも話の展開が見えないのですが」
　どこか憮然とした表情の神狼に怯む事もなく、エカテリーナは満面の笑みで言った。
　「だって、人形（ひとがた）のままのシギョウとあたしが一緒に居たら目立ってしょうがないじゃない？ほら、あなたはこんなにも綺麗だし、あたしはこんなにも可愛いし」
　「………。御意、今夜ばかりはあなたには敵わないようですね」
　本当は今夜に限らず、いつでもシギョウはエカテリーナには敵わないのだが。シギョウが眩い月の光の中、その身を横方向に一回転させる。長い黒髪も、その動きにつれて毛先が舞う。その濡れたような艶を半ばうっとりとエカテリーナが見詰めていると、いつしかシギョウの長身は、獅子ほどの大きな狼へと変わっていた。エカテリーナはそっと歩み寄り、跪くとその艶のある黒い毛並みを、そっと大事そうに撫でた。頬を寄せ、摺り寄せると、すべらかな毛並みの心地よい感覚と同時に、シギョウの暖かな体温もじんわりと伝わってきて、思わずエカテリーナは目を閉じて染み入った。。
　「いつ見ても綺麗ねぇ…普段のシギョウもいいけど、地狼のシギョウも素敵よ」
　「ありがとうございます、では早速行きましょう。夜が明ける前には帰ってこなくてはなりませんから」
　シギョウの声は、人形の時に比べて幾分くぐもって聞こえる。人と狼とでは、口や舌の構造が違う所為だろうか。太く力強い四肢で立ち上がり、エカテリーナを促すようにする。頷いたエカテリーナは、何をするのかと思いきや、そのままシギョウの背中によいしょとばかりに跨ったのだ。
　「……エカテリーナ様、何を…？」
　「えへ。たまには、空から出掛けてみたいじゃない？いつもいつも薄暗い地下道を通ってると、何だか悪い事をしているような気分になるんだもの」
　「実際悪い事をなさってるのですよ。…まぁ、長い道程を歩くよりは、その方が寧ろ安全かもしれませんね」
　掴まっていてください。そう言うとシギョウは地面を蹴って空高く舞い上がる。もしも地上で誰かがそれを見ていたならば、漆黒の闇に浮かぶ銀盤の月をバックに、狼に跨った少女のシルエットが浮かび上がり、それは幻想的な光景であっただろう。
　勿論、誰かに見られていては大事になりかねないので、勿体無いがそれで良かったのだが。
　何も無い空をシギョウの四肢は軽快に蹴り、大空を駆け抜けていく。馬を飛ばしている爽快さとはまた違う、まさに風を切る感覚にエカテリーナは嬉しそうだ。彼女の金色の髪が波打ち、その反射は、月の光を弾いて金の粉を撒き散らしているようにも見える。タン、とシギョウの後肢が空を蹴り、一段高く飛び上がる。その浮遊感に、エカテリーナが楽しげな笑い声を立てた、その直後。
　「きゃ！」
　「も、申し訳ありません！」
　一段高く飛び上がったシギョウだったが、地狼と言う事でどちらかと言うと空を飛ぶのは不得意だったらしい、かくんと足を踏み外して数メートル下へと急落下をしたのだ。珍しい、慌てたシギョウの声に、驚いた事も忘れて思わずエカテリーナはまた可笑しげな笑い声をあげた。
　「だ、大丈夫よ…やっぱり、空を飛ぶのは苦手かしら？」
　「苦手ではありません、余り得意ではないだけです」
　ほぼ同じ事なのだが格好付かないのか、憮然とそう反論するシギョウに、そうねと同意しつつも、エカテリーナは狼の背の上でくすくすと笑い続けていた。


　やがて二人は街外れの荒地にふわりと降り立った。遠くから聞こえる賑やかな物音と光は、不夜城の繁華街だ。シギョウは、狼形のまま横目で王女を見る。あそこに行こうと言い出さねば良いが、と言った表情だ。
　「…あたしが、繁華街で遊びたいって言わなきゃいいなぁって思ってるでしょ」
　「ご承知なのでしたら、私は何を申しません」
　「言わないわよ？」
　エカテリーナのその返答に、実はそう言うとは全然思っていなかったシギョウは、驚いて金色の目を見開いた。そんなシギョウのリアクションは、エカテリーナによっては予想の範囲内だったらしく、狼の表情を見降ろしながら、クスッと可愛らしく笑った。
　「だから、繁華街になんて行かないわよ？折角、シギョウが一緒にいるのに、一緒に楽しめない所に行ったってつまんないじゃない」
　「…エカテリーナ様」
　「さ、こっちよ！夜は短いんだもん、のろのろしてる暇はないわ！」


　エカテリーナがシギョウを連れて来たのは、荒れ地から続いている緩やかな丘と、その奥にある森である。森と言っても自然に出来たものではなく、国民の憩いと生活の為に、人工的に植林されたものである。手掛けたのはエカテリーナの何代も前の国王で、その為木々もすっかり大きくなって見事な森を形成していた。
　「エカテリーナ様、ここは…まさか、昼間もここにお見えになっているのですか！？」
　「大丈夫よ、狩猟期間である平日は行かないわ、危ないから。行くのは週末、全ての国民にここが開放される時だけよ…ほら、見て。シギョウ」
　そう言ってエカテリーナが指し示したのは、大木の根元に咲く一輪の花である。繁った枝と葉の隙間から月光が一筋差し込み、その白銀の花弁を照らし出している。深夜の静まり返った森の中、そこだけ切り取られたように神々しさを醸し出していたのだ。
　「これは…月光姫、ですね」
　「ええ、そう。月夜にしか咲かない、珍しい花。一時期は乱獲されて数も激減したけど、保護されだしてから少しずつ数も増え始めているわ。…シギョウのお陰でね」
　「………」
　エカテリーナは知っていたのだ。シギョウは、極めて優秀な宰相であり、先の先まで時代を読む能力にも優れている。普段、どちらかと言えば表面的にはぶっきらぼうで冷徹だと誤解される事も多く、そんなシギョウが、国内の絶滅危惧種の保護に実は力を入れていると言う事実に、周りの人間はなかなか気付けないでいた。
　「私は、人の思惑で絶やされて行く種が憐れなだけです。人も自然も、努力すればもっと上手く共存出来る筈ですから」
　「ええ、あたしもそう思うわ。国を豊かに、大きくしていくことは勿論大切だけど、でも、経済的に豊かになったって、人々が住む土地や環境が貧しければ何の意味もないもの。シギョウの方針に異を唱える人もいるけど、でも、ただ保護するだけでは駄目だって言うあなたの考えの方が、あたしは正しいと思う。守って、数を増やして行くのは簡単な事よ。でも大切なのは、月光姫のような繊細な生物達も、ちゃんと自分の力で成長して花を咲かせ、そして自ら繁殖していける土壌を作ってやる事よね。国も同じ。ただ国民を養って楽させていれば、優秀な国王とは言えないわ。国民が自分達の手であらゆるものを作り出し、自らの幸せを追求していく、そんな自由で活気に満ちた国を作って行く事が、あたし達の使命だと思うの」
　一時は絶滅寸前まで行ったこの花を、守るべく国の土壌改革に乗り出したのはシギョウ。そんな神狼の努力の成果を、エカテリーナは実際にその金色の目に映してやりたかったのだろう。
　勿論、それが今回の探索の、本当の目的であったかどうかは定かではないが。


　その後、二人は丘の上で夜行性の動物達と、楽しい夜の散歩を楽しんだ。もともと、動物達とは仲のいいエカテリーナであるが、今夜はその傍らに神狼のシギョウが居る事で、動物達もいつも以上にリラックスしているようだった。

　城へ戻ったのは、実は既に空が白々とし、完全な朝帰りであった。が、さすがにシギョウもエカテリーナに何も言わず、ただおやすみなさいと告げただけであった。



おわり。


☆ライターより
シチュノベのご依頼、誠にありがとうございました。ライターの碧川桜です。
この度は大変失礼な事を致しまして本当に申し訳ありませんでした。ノベルの末尾で失礼かと思いましたがこの場をお借りしてお詫び申し上げます。
すべて当方のケアレスミスと思い込みが原因です、今後はこのような事が無きよう、より一層努力してまいりますので、よろしくお願い致します。
それではこれで失礼致します。今回は本当にすみませんでした。

PCシチュエーションノベル（ツイン）

碧川桜

聖獣界ソーン

2004年05月13日