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『『終わらぬ輪舞曲』 』
時千・砌2955

 砌は唇の片端を吊り上げた。
 ――――――目の前にいるのは悪霊。人ではない。
 手を鞘にある刀に伸ばす。
 ――――――ならば斬れる。人であらざるモノであれば、人を斬るという事でできあがったあの鬼を目覚めさせる事は無い。これ以上自分がソレに沈む事は無い。
 砌は鞘走らせる、刀【久木】を。
 ――――――どくん、と砌の中で何かがざわめいた。喜びが胸のうちに広がっていく。感じてはならぬ禍々しい喜びが。ざわざわと逆立つ全身の毛。目覚めようとしているソレが彼女の肌に鳥肌を立てさせる。ソレが囁く砌に。
 だから砌も自分に囁く。これは人ではない、と。その声でソレの囁きを打ち消すのだ。その瞬間に波が引いていくようにソレが消えていく。後にはどこか空しいソレの残滓だけが残っているだけだが、しかし砌はほっとする、その感覚に。
 そして彼女は黒の瞳でそれを睨む。そこにいるのは人ではならざるモノ。悪霊。
 一つの報われぬ魂が呼び水となって、そこに多くの魂を呼び、それらはその魂を核として連なった。集合霊、悪霊の中でももっとも性質が悪く厄介なモノだ。
 集合霊は形をなし、鬼となった。
 砌の両目が見開かれる。
 ――――そして次に彼女は口元に笑みを浮べ、何かを囁いた。
 鬼はアスファルトを蹴り、砌に肉薄する。
 振り上げられた右手が砌の頭を叩き割ろうとして、
 しかし砌は刀を横薙ぎに一閃。
 振られた刀は鬼が砌の頭に叩きつけんとしていた拳を握っていた腕を斬り落とした。滝のように迸る鬼のどす黒い血。そしてそこからそれと一緒に魂が零れていく。鬼の目が見開かれる。下位の魂を縛り付けていた高位の魂…悪霊の核が驚いているのだ。
 鬼は狼狽もあらわに、砌に両腕を滅茶苦茶に振り回した。しかし、
「それがどうした?」
 砌はそれらをすべて紙一重で避ける。
 避けながらその鬼に、致命的な一撃ではない一撃を入れていく。
 ――――――刀を打ち込むたびに、鬼を斬るたびに、鬼の体から昇華された魂が零れるたびに彼女は笑った。それはどこか寒々しい笑みであった。夜気がすくみあがっているのは一体どちらの理由であろうか? 鬼への恐怖か? 
 …………それとも――――。
 そして最後の一閃。彼女の刀はすべての悪霊を昇華させた。
 ―――――――それは悪霊を救ったという事。だけど砌の顔に浮かぶのは達成感とか、戦いを切り抜けた喜びとか、そういうモノではなく、渇きであった。ただただ彼女は渇きを感じる表情を浮かべ、そこには一片の彼女の救いも見る事はできなかった。
 そしてその渇きの表情を浮かべたまま、彼女は視線をそこにやった。
「あなたの奏でる音楽はとても痛い音楽ね。聴いているだけで人の心を不安にさせる音色を奏で続けている。それはあなた自身が抱く不安であり、恐怖であり、そして隠そうとしても隠し切れぬ歪んだ喜びへの憧れや陶酔の音色。渇きの表情はその曲の楽譜。やれやれ、あなたはひどく厄介な歪みをその心に抱いているとみえる。だけどまあ、そう言うあたしだって似たような者なのだけどね」
 電信柱にもたれながらリュートを奏でていた彼女は夜の闇に溶け込んでしまいそうな黒髪の奥にある紫暗の瞳で砌を見据えながら、ひょいっとおどけるように肩をすくめてせせら笑うようにそう言った。
 砌はまだ斬り捨てた魔物のどす黒い血を切っ先から滴らせる刀【久木】を一振りさせると、その切っ先を少女へと向けた。
「おまえは私の敵か?」
「敵、ね。あなたにとっては自分以外すべてが敵なのではなくって?」
 そのくすくすと笑う少女は自分と同じくらいの年頃の少女。
 しかしただの少女ではない事は明白だった。
(互角ぐらいか……)
 砌は唇の片端を吊り上げた。
 それはどこか次の獲物を見つけた瞬間の野生の獣が浮かべるような気高き孤高の表情に似ていた。ただただ獲物を追い詰め、それを狩る事に喜びを抱く狩人の表情だ。
 刀の切っ先の向こうで薄く笑う少女。
 砌にはそれはどこか鏡に映る自分を見ているようだった。
 黒服に身を包み込む彼女はまるで闇を従える魔女のようだ。
 魔女であるならば人ではない?
 だったら斬ってもいいのでは?
 そうだ。斬ってしまえ。
 魔女ならば、鬼を呼び起こさぬために自分に誓った契りには違反しない。
 魔物とは言え女を手にかける事に今更罪悪感など抱きはしない。過去には多くの女を斬ってきた。あの男を斬る時とはまた違う柔らかな弾力を持つ斬り心地に心打ち震えた日々。
 砌の世界に晒された素肌を撫でていた空気が一変した。それは先ほどまでは冷たい夜気を濃密に孕んでいたのに、今は刺すように痛い熱いモノに変わっていた。
 左胸で軽やかにワルツを踊る心臓は喜びの音色に打ち震えている証拠。体が熱くなる。紅潮した顔に砌は薄い笑みを浮かべて、アスファルトを蹴り、一気に肉薄した少女を手にかけた。
「あはぁ」
 砌は純粋無垢な少女の笑みを浮かべた。汚れを知らぬ少女が童話の世界にあるモノをこの現実の世界に見たかのように。
 だが実際には童話のような世界などこの世には存在しない。
 それを幼い頃より暗殺者として育て上げられてきた砌は誰よりも知っている。
 そしてそんな砌だからこそ……
「な、そんな……」
 それを見た。
 上段から袈裟斬りに斬られた少女は着ていた制服を下着ごと鋭く裂かれ、そこから覗いた白い素肌を斬り裂いた刀傷からどくどくとどす黒い血を流している。半端ではないその出血量にもはや死は免れる事はできず……。
 ――――――だけどその全身を朱に染めた少女は笑っていて……
「ああ、なるほど。あなたは心の中に鬼を飼っている。その鬼は絶えずあなたに囁いているのね……


 昔の自分を思い出せ……あの感触を味わおうと……


 それは闇のように昏く、
 そして蜂蜜のように甘い囁き。
 その囁きに負けた時、あなたは再び鬼となる。今こうやってあたしを斬り捨てたように、平気で人を斬り捨てる事ができる鬼に。
 それは狂った音色。
 その音色はあなたを人ならざるモノへと変貌させる。
 ねえ、だけど時千砌さん。
 あなたが斬ったのは魔女だと自分に言い聞かせて斬ったあたしではないわ。
 あなたが斬ったのは自分自身。


 そう、あなた自身よ、砌さん。


 それはやがてあなたを滅ぼす感情………あなたの振るう剣はあなた自身を斬り裂くという事を覚えておいてね……。【久木】は悪霊を昇華させてもあなたを昇華はさせない。結局のところあなたをあなたでいさせるモノとは………」
 そう言って砌の足下にじわじわと広がっていく赤い血の湖に沈むもう一人の砌はにたりと笑って……
 そして砌がその光景に思わず後ずさらんとした瞬間に赤い血の湖の中から伸びた幾千本もの手が砌に絡みついて、
 ―――――そして砌は自分の叫んだ声で目を覚ました。


「ちぃ。らしくないな。私とした事がなんて夢を見ているんだ…」
 瞼を開いた砌は真っ直ぐに部屋の天井を睨んだ。
 らしくない夢…昨夜出会った、あの【闇の調律師】と名乗った少女の言葉を自分は気にしているのであろうか?
 ―――――馬鹿馬鹿しい。
「そんな事は今更言われるまでもない。自分が一番わかっている」
 ベッドから砌は立ち上がった。忌々しげにそう呟きながら寝汗で額にべたりと張り付いた前髪を掻きあげる。
 部屋の隅に置かれたCDコンポのデジタル時間の表示はAM4時36分。
 学校に行くまでにはまだだいぶ時間があった。しかしだからといってまた二度寝する気にもなれず、また普段ならば実は36分前に起きて朝の鍛錬をしている時間なのだが、今朝はそれをする気にもなれなかった。
 だから砌はタンスからバスタオルと洗面用具、そして着替えを手に取ると、浴室に向った。
 もう夏も間近だというのにしかし浴室の空気はやけに冷たかった。砌の素肌を撫でる朝の冷たい空気はひやりとしたナイフの刃の如く彼女に痛みを感じさせた。
 そんな冷たい浴室の空気を震わせて彼女は浴室の中に入ると、シャワーのノズルを捻って、迸った熱い湯にその身を撫でさせる。
 嫌な夢にかいた汗は熱い湯に洗い流されていく。
 だがそれと同じようには迸った熱い湯に顔を打たせても、そこに浮ぶ憂いの表情を洗い流す事はできなかった。
 砌は浴室の壁に両手をついて腰を軽く曲げて後頭部をシャワーの湯に打たせた。その湯は彼女の垂れ下がった長い髪の毛先から伝い落ちて、そしてそれはうなじから肩、肩から胸、背中と分かれてそのまま腰、太もも、足の指先へとゆっくりと砌の体を愛撫しながら伝い流れ落ちていった湯と浴室の床で合流し、排水溝へと流れていく。
 それを見つめながら砌は吐息を吐いた。それはすぐに白い湯気と混じってわからなくなる。
 なんだかそれらがすべて砌には茫洋に思えた。
 吐いてすぐに湯気に混じってわからなくなる吐息も、毛先から伝い落ちた雫も、周りのモノに混じってすぐにその存在を無くしてしまう。そう、砌にはそれらの存在がだからものすごく茫洋に思えてしょうがなく、そして自分だけはそんな風にはなりたくなかった。
 いつでも全体ではなく、個でいたいと想っていた。


 そう、私は周りとは違う。


 そう、砌は周りとは違う。
 18という歳の頃の少女ならば恋をし、化粧やファッション、流行を気にし、友達と笑い、将来に夢や不安を抱き…そうして生きていく。
 だが砌は違う。そういう普通の少女達とは違う世界に生きてきた。幼い頃より時千家の生業である暗殺にいつでも携われるように人を殺すための技を鍛錬し、そして実際に彼女は多くの者の命を奪ってきた。それに喜びを感じ、楽しんでいた。
 その感覚はどろりとしたぬるま湯で、どっぷりとつかっているのはとても気持ちよく、現に砌はその感覚のぬるま湯にどっぷりと自らつかっていた。


 それはきっと血と怨念でできあがっているのであろう、どろっとした粘っこい液体で丁度いい温度で……気付けば砌を放してはくれなくって……


 そう、気付けばその心地良かった人を殺す快楽という感情のぬるま湯はそれが一つの個を形成し、砌を取って捕まえて離してはくれぬようになっていた。
 砌はそれを怖れた。だけど時はもう遅く、それは底なし沼となって砌を飲み込んでいく。足掻けば足掻く分だけ、彼女はソレに飲み込まれていった。血の池地獄で足掻き溺れる亡者のように。
 だけど必死に足掻く砌に垂らされた蜘蛛の糸があった。
 それが刀【久木】である。
 ―――――『刀にも、相性があるからな』それは刀【久木】を譲り渡してくれた人の言葉。ただそれだけの理由で渡された【久木】なれど、それがどれほどに砌の心を支えてくれただろうか?
 譲り渡された刀【久木】は確かに砌をそれ以上かつてはただの気持ち良いだけであったぬるま湯…しかし気付けば底なし沼であったソレに飲み込まれる砌を救ってくれた。
 だけどそれは飲み込まれんとした砌を止めてくれただけ。砌は今でもどっぷりと鼻の下までソレにつかっている。かろうじて鼻で呼吸できるという事が、砌を人間の砌としてくれているのだ。
 ――――――――即ち、鼻ですらソレにつかり、ソレの中で一度、呼吸をすれば砌は人ではなくなる。そうすればもはや砌は砌ではなくなるだろう。
 だから砌はソレを【鬼】と呼び、それ以上ソレにつかる事を恐れ、自分を飲み込もうとするソレを呼び起こしてしまわないように【人】を斬る事をやめた。
 けれどだからと言って一回喜びを知ってしまったこの体。それは麻薬の禁断症状にも似た渇きを砌の心に覚えさせ、そして砌は見えるモノにその対象を変えた。
 ――――――――人に仇名す人ざるモノを斬れば、それは人を守る行為であるから、鬼を呼び起こさぬと。
 だから彼女は霊を視る力を使って、悪霊退治をするようになった。そしてそれは砌の渇きを潤し、そしてまたそれ以上に砌に渇きを覚えさせた。
 そう、あの【闇の調律師】という少女の言う通りに霊ですらも斬るという行為は…何かを壊し、何かを斬るという行為はそのまま時千砌を斬るという行為で、
 鬼に飲み込まれぬように砌を支えてくれている蜘蛛の糸すら斬ってしまう行為なのだ。
 ―――――――――――だけど………
「そうさ。私はもう刀を振るわずにはおられない……」
 砌は自分を嘲笑うように熱いシャワーを浴びながら呟いた。
 刀を振るうという行為がたとえ天国への往復切符ではなく、
 地獄への片道切符だとしても、
 もはや砌は刀を振るわずにはいられない。
 鬼は形を変えてあらゆる手段で砌の頭を、肩を、腕を、胸を、腰を、足をがっちりと捉えて放そうとはしないから。


 心に刷り込まれた喜びは、鬼を恐れ、何かを壊し斬るという行為への苦悩すらも凌駕する禁断の果実。
 その旨みを覚えている自分はその果実が持つ毒を知りながらも、
 しかしその禁断症状を克服できない……。


 とりとめもない思考は次から次へと溢れて、止められない。
 砌はシャワーを止めて、頭を振ると、浴室を出て、隣の脱衣所に立った。バスタオルで体を拭き、その湿ったバスタオルを体に巻いてそのままくもった鏡の前に立って、手でそれをぬぐう。そこに映る砌の顔は幼い頃からよく見知った砌の美しい顔で、
 ―――――――――しかし、泡が浮ぶように昨夜の少女との会話、見た夢が思い浮かんだ瞬間に、そこに映る砌の顔が………
 ガシャン。「くぅ」
 砌は拳を鏡に叩き込んだ。蜘蛛の巣状の細かい罅が走った鏡にはもはや何かをちゃんと映すという機能は無く、そしてただ赤い血がたらりと砌の切れた拳の傷から零れ落ちた。


 ただただ赤い血が痛みと共に………


 そう、その零れ落ちる血の赤さと、痛みが砌に教えてくれる。自分がまだ時千砌だと。そしてそれが感じられる内なら自分は大丈夫だ。
 だから砌はその血の赤さと痛みに笑う。
 ――――――蜘蛛の糸はまだ自分の手の中にしっかりとある。それは神のほんの些細な気まぐれで切れてしまうようなモノ。それでもまだそれが繋がっているうちは自分は刀を振るえる。
 そう、刀【久木】。それが自分と相性がいいというのはなんたる皮肉な運命であり、ありがたい偶然なのだろう。
 砌は、人間の魂を消滅させる力がある。だけどそれは当然、天国や地獄にいけるわけもなく、そのまま消えるのだ。そう、結局砌とはそういう風にしかできてはいない。だけど刀【久木】は霊を昇華させる。
 ――――――――それはつまり壊すという事しかできない砌でも【久木】を振るう事によって、壊すという行為以外の事ができるという事で、
 だから鬼は目覚める事はできない。
 それはひょっとしたら砌の免罪符なのかもしれない。
 それでもあの少女が昨夜、自分に忠告したように、鬼は砌を今でも狙っている。
 蜘蛛の糸が切れるのが先か、
 ――――――それとも鬼が砌を底なし沼に引きずり込んで、砌を砌でさせなくしてしまうのが先か………
 それは砌にもわからない。
 だけど結局砌はそれでも……


 蜘蛛の巣状の罅が走った鏡に映る自分の顔に砌は微笑んだ。


「そう。それでも私は振るい続けるのだ、刀を」
 それが時千砌の性なのだから。
 砌は自分の苦悩と決別せんとするように鏡に映る自分に背を向けて、バスタオルを落とした。

 そして夜。
 夜の帳が降りた世界は砌の舞台となる。彼女を彼女でいさせてくれる刀【久木】と自分の中にいる鬼を恐れおののきながらも刀を振るう砌が終わらぬ輪舞曲を踊る舞台へと。
 今夜も時千砌は【久木】を手にその終わらぬ輪舞曲を踊るために夜の世界へと行くのであった。



 ― fin ―


 **ライター通信**

 こんにちは、はじめまして。時千・砌さま。
 今回担当させていただいたライターの草摩一護です。


 いかがでしたでしょうか、今回のシチュノベ?
 プレイングにあった通り砌さんの苦悩が上手く表現できていたらと想います。^^
 今回はこのような描写をさせていただきましたが、もしも次がいただけたのなら、そしたら今度はストーリー仕立てで事件を解決しつつ、豪快な剣劇シーンを描写してみたいと想いました。^^
 ネタは一応たくさんありますので。

 それでは本当にありがとうございました。
 失礼します。


PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月12日

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