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『Gift 』
東雲・舞2897


「蓮さぁん!」

 常であれば静謐に満ちているアンティークショップのドアを開け、開口一番に店主の名前を呼んだのは東雲 舞だった。
店主である蓮は彼女の姿を見とめると整った顔をわずかに歪め、ぎょっとしたような表情を浮かべる。
「なな、なんだい、舞」
 蓮の口調は少しばかりどもっているが、舞は気にかける素振りもなく店内に足を踏み入れた。
 両手で大事そうに抱え持っているのは、分厚い一冊の本。
舞は楽しげに微笑みながら蓮に近付くと、カウンターの上に本を乗せてしおりを挟んである頁を開いた。
「今日は私、蓮さんに日頃お世話になっているお礼をしたくて。宝石とかお好きですか?」
 舞の口調はあまりにも明るくて淀みがないから。
――蓮はいつも通りの静かな笑みを浮かべ、火を点けたばかりの煙管を手に取って口に運んだ。
「お礼ねぇ……宝石はそれなりに好きなほうだと思うけれど」
「お好きなんですね! 良かった」
 舞は蓮の答えに頬を緩ませ、深く澄んだ青をたたえた瞳にゆったりとした笑みを浮かべる。
「私、鉱石や金属を生成するのが得意なんです。だから蓮さんにも何か宝石をと思って……。
そしたら、ほら、この頁見てください」
 舞が持ってきた本の表装にはALCHEMIEという文字が金文字で書かれていて、それを連想させるような画が一枚飾られている。
その本の中の一部を指差している舞に促され、蓮はあまり気乗りはしないといった態度を見せつつ覗きこむ。

――――鉱石・貴金属類を生成する方法

開かれた頁にはそう銘打った文章がつらつらと書かれてあった。

「アレキサンドライトという石はご存知ですか?」
 蓮の目が文字を追い出したところで口を開き、舞はゆったりと目を細める。
 澄み渡った湖面のような。あるいはさえぎるもののまるでない、深い空のような。
そんな表現が似合う瞳をゆらりと揺らして微笑む舞は、喩えるならさわやかに晴れ渡った夏の日を思わせる。
「金緑石――とか呼ばれているやつかねえ?」
 蓮は応えながら体を起こすと、カウンターの向こうにまで移動していって椅子に腰を下ろした。
そして煙管を一口吸いこんでからゆらりと笑う。
「昼と夜とで色味が変わる、とも聞いたことがあったかな」
「それは発色成分であるクロムというものの影響を受けているためだと言われています」
 舞は蓮の言葉に応えながら、細く華奢な指先で開いていた場所にしおりを挟み直し、閉じた。
「クリソベリルというのがアレキサンドライトの鉱物名になるのですが、同じ類のものにキャッツアイがあります。
稀にキャッツアイの特長を兼ねたアレキサンドライトもありますが、それは特に重宝されるといわれています」
 詠うような口調で説明すると、舞は背筋をしゃんと伸ばして立ちあがって、ふんわりと開く花のような笑みを浮かべた。
「アレキサンドライトの宝石言葉は”高貴”。”情熱”というものもありますが、私の蓮さんに対する
イメージにぴったりくる石だと思いましたので、今からそれを生成して差し上げたいと思います」
「生成? ……ああ、そうか。そういえばあんた錬金術を使うんだったね……」
 イヤな予感がすると呟き、眉根を寄せている蓮に向けて舞は胸をはってみせる。
「大丈夫です。私、鉱石などの生成に関しては自信があるんですよ!」
 自信ありげな態度をしている舞を見やり、蓮は寄せていた眉間のしわを消し去って嘆息する。
「……それじゃあ、まあ、一つお願いしてみるとしようか」
 蓮の嘆息もなんのその。
「はい! 頑張ります!」
 舞は明るくそう応え、長い黒髪を揺らしながら微笑んだ。

 
「――――で。生成するのに必要な物はここで仕入れるのかい」
 大袈裟な嘆息を一つ洩らしてやれやれという仕草をしてみせる蓮を後ろに、舞は店内の中にある雑貨を物色し始めた。
「ええ。アレキサンドライトを組成しているものはBeAl2O4、つまりベリリウムとアルミと酸素の三つから
出来ている複酸化物なのですが、今回私はそれらを用いずに生成します。何か材料となりそうなものを……見つけて……」
 蓮が店主を務めているアンティークショップには、店先に並べてあるもの以外にもたくさんの雑貨がある。
それは店に迷いこみ――あるいは運ばれながらも、未だにその曰くの全てを解明されきっていない雑貨達。
それが解明されきっていない以上、考えなしに触れることは大小知れぬ危険をもともなう。はずなのだが。
 舞は次から次へとこともなげに雑貨の山をかきまわし、心配して見守っている蓮の心をやすやすと裏切ったのだった。
 彼女のお目がねに止まらなかったものの山をゆっくりと眺め、蓮はもう一度小さな溜め息をもらす。
――――この中のどれだけが、これまで人の生命を脅かしてきたりした厄介なものなんだろうかね――――
 溜め息をもらしながら舞の背中を見つめる。
 彼女にこれらの呪いが効かないのは、彼女の性格なのか能力なのか。あるいはもっと根本的なものゆえか。

 考え、蓮は煙管を口に運ぶ。口許に小さな笑みを浮かべ。
――そんなことがどうであれ、この子が良い子だということに変わりはないのだから。

「ああ、これ! これを頂いてもいいですか?」
 十分ほど時間を要して探し当てたものを蓮に向けて差し伸べ、舞は穏やかに笑う。
手に握り締められていたのは、小さな巾着に入っていたガラス玉。
ちりめんで作られた巾着は華やかな桃色をしている。ガラス玉はビー玉のようでいて、可愛らしくも美しい発色を誇っている。
舞はそれらを両手で大事そうに持ち上げて蓮に見せると、これ頂いちゃっていいですかと明るく告げた。
そして蓮の許可を待つこともせずに一つつまみあげると、うきうきとした動作で足元に大きな魔法陣を描く。
「ちょ、あたしはまだ」
 舞の動きを止めようとした手を緩めて蓮は言葉を飲みこんだ。
そして小さな嘆息を洩らし、煙管を口に運ぶ。
――――紫煙がゆっくりと立ち昇っていく。

 舞は既に陣の中心に立ち、きちんと背筋を伸ばして深呼吸を数度繰り返している。
 青い瞳をゆったりと閉じて静かに呼吸を繰り返す姿は、見る間にどこか神秘的な空気に包まれていく。
 幾度か呼吸を繰り返した後、彼女は閉じた瞼を静かにゆっくりと持ち上げ――――蓮には理解出来ない言葉を発した。

 詠っているかのような呪文が終わるのと同時に、彼女の掌に包まれたガラス玉が眩い光を一閃放つ。
そして決して日当たりが良いというわけではない店内に明るい光をほとばしらせて、瞬きの後にガラス玉はその有り様を変えていた。

「出来ました。出来ましたよ、蓮さん!」
 掌に大事そうに石を抱え持ち、嬉しそうな笑みを満面にたたえて蓮のそばまで駆け寄ると、舞はそっと両手の指を開いていった。
「へえ、どれどれ」
 舞の掌の中にある宝石を覗きこむ蓮の表情もまた自然と緩む。
なんだかんだいっても宝石を貰えるとなるとまんざらでもない。
「アレキサンドライトを間近で拝めるなんて、初めて……」
 言いかけた言葉を飲みこみ、そこにある石を見やる。
「……舞、これって」
 それまで嬉しそうにしていた舞の顔から笑みが消え、代わりに浮かんでいるのは哀しそうな表情。
 掌の中にあった石は蜂蜜色をしていて中心に一本のキャッツアイ効果が確認出来る、誰の目にも明らかなキャッツアイだった。
「アレキサンドライトと同じクリソベリル、キャッツアイのようです……」
 舞は蓮の言葉にそう応え、残念そうに肩をおとした。
そしてふらふらとした足取りでカウンターに向かい、そこに置いてあった本の頁を再びめくる。
「…………おかしいなあ……ちゃんと手順を踏んだつもりなんだけど」
 独り言をごちて溜め息を洩らし、アレキサンドライトの生成に関する箇所を指で追いながら読み直す。
 記されてある文章はやはり今しがた舞が執り行った通りの手順を示していた。
「大丈夫なのかい? あたしは別にそれでも」
 キャッツアイに手を伸ばしかけた蓮を制して微笑むと、舞は再び巾着の中に手を突っ込んだ。
「次はきっと成功します。大丈夫です、私ほんとに宝石とかの生成には自信あるんですから!」


 勇んで陣の中心へと戻っていった舞がカウンターの椅子にうなだれて座り出したのは、六回目の生成に失敗した後だった。
ちりめんの巾着の中に残っているガラス玉の数は残り二つとなっている。
四回目の生成を試みて失敗した辺りまでは見守っていた蓮も、仕事に関連することを考えればいつまでも付き合ってはいられないと、
がっくりと肩をおとす舞を一人残して店の奥へと消えていったのだった。

 舞が店のドアをくぐり抜けた時には燦然と輝く太陽が支配していた空も、すっかり夜の気配を見せはじめていた。

「……まだやってんのかい」
 店内に飾ってあるランプに一つ一つ灯を点けながら、蓮は小さな溜め息と共に舞を見やった。
 舞は今まさに七回目の生成を執り行おうと、表情を暗くさせながらも陣の中央に立ったところだった。
「…………なんで成功しないのか、何度考えても何度読み直しても、解らないんです……」
 舞の声がわずかに震える。

 鉱石や貴金属の生成に自信があるのは事実だ。
現にこれまで何度となくそれらを生成してきたし、そのどれをも成功させてきた。

 蓮はうなだれて落ち込んでいる舞を見据えて椅子に腰を下ろすと、煙管を一口吸いこんで嘆息と共に煙を一筋吐き出してみせる。
「うぅーん……よく分からないけども、あんたに間違いがないんだったら、文献のほうに間違いがあったりするんじゃないのかい?」
 高い位置で結い上げた赤い髪を軽く撫でつけながらそう告げ、蓮はカウンターに置いてある分厚い本に目を落とした。
「……そんな。その本はよく行く古書店で見つけてきたもので……」
 蓮の言葉に応え、言いかけた言葉を飲みこむ。
「――――間違い……」
 そして小走りにカウンターまで戻ってくると、舞は少しばかり眉根を寄せて他の頁をめくり、書かれてある内容を忙しなく読み進めた。

 数分後。
 舞は開いていた頁を静かに閉じると、呆けたような顔をしてその場に座りこんだ。
ふわりと揺れ動く長い黒髪が、ランプの灯に映えて微かにきらめく。
「――――蓮さん」
 ぽつり、蓮の名前を呼ぶと呆然とした眼差しを彼女に向けてゆらりと微笑む。
「そういえば私、いつもより安価で並んでいたので、よく確かめもせずに買ってきたんです」
 小さく笑ってみせる舞を見下ろし、蓮は口の端をわずかに持ち上げる。
「――――そりゃあ成功しないわさ」
 紫煙が仄かな灯りのみに包まれた店内に広がり、消えていった。
「しょうもない子だね。……ちょっと茶でも淹れてくるから、少し休んだらどうだい? ――時間はまだあるんだろう?」
 そう告げて立ちあがる蓮の目はランプの優しい灯りに相俟って、穏やかに微笑んでいる。
 舞は座りこんだままで蓮を見上げ、いつものように笑ってみせた。
「蓮さんがそんな言葉をかけてくれるなんて、めずらしいですね」
「大きなお世話だよ」
 ふっと笑みをこぼしつつ舞の髪をクシャリと撫でて、蓮は再び店の奥へと姿を消した。

 その場に一人残された舞はひっそりとした嘆息を一つつくと、ゆっくり立ちあがって店の中を見渡した。

 夕刻を告げる置き時計。古めかしいタンスとその上に飾られた幾つもの鏡や写真立て。
雑貨達はそれぞれが抱えているであろう事情をひっそりと黙したまま、新たな持ち主が現れるのをただ静かに待っている。
雑然とした印象を受ける並べ方ながらも、それでもどこか心が和むのは、蓮が展示に配慮しているためだろうか。
そしてその配慮がつくりあげている空気そのものも、このアンティークショップの魅力の一つなのかもしれない。
 舞はそんなことを考えながら店の中に置かれてあるものを一つ一つ眺めていき――やがて奥まった場所に置かれてある書棚で視線を止めた。
「……この店にも本が……」
 初耳だわと呟いて立ちあがると、彼女は書棚に向かって歩き出した。

 書棚は樫の木でつくられたもののようで、丁寧な彫刻で施された模様が確認出来る。
それほど大きなものではなく、舞の背丈よりも少しばかり大きいくらいだろうか。
その中に並べられた本の数は決して多くはないのだが、それはここが古書店ではないからだろう。
 並べられてある本のタイトルを一つ一つ確かめながら指で追い、その中の一冊の本のタイトルに目を奪われた彼女は
それを手に取って表装に書かれてある文字を読み上げた。
「……錬金術の……」
 タイトルを読み上げながらカウンターに置いたままの本に視線を配る。
錬金術に関わるものだと主張しているような表装だったその本に比べると、今彼女が手にしている本は随分と地味な表装をしている。
絵図もなにもない黒いカバーに、青い箔で地味に記されたALCHEMIEの文字。
流すように頁をめくってみれば、さほど分厚いわけでもない割には密度の高い情報が詰めこまれてある。

「ちょうど良い茶葉をきらしてるところでね。あり合わせのもので悪いんだけど」
 蓮の声を聞き、舞はそちらに顔を向けた。
「蓮さん、この本は」
 静かな声音でそう告げながら蓮の顔を見やり、舞は手にしていた本を彼女に示した。
 蓮は舞の動作に目を向けつつもポットに入った茶をカップに注ぎ入れ、ああ、と小さな返事を返す。
「たまに本なんかも迷いこんでくるのさ。……なんかめぼしい本でも見つけたかい?」
「ええ、それがこれ、錬金術に関するものなんです」
 本を手にしたまま蓮のそばまで近寄ると、舞は探し当てた頁を開いて彼女に説明を続けた。
「ここ、ここを見てください」
 細い指で頁に一部分を指し示す。
蓮は舞の指の動きに視線を重ねて文字を追うが、何がなにやらわからないといったように肩をすくめてみせる。
しかし舞はそんな蓮の仕草に気付く様子もなく文字を追いつづけ、説明を続ける。
「アレキサンドライトの生成についての記述があるんです。もちろん他の宝石や鉱石の精製に関したものも。
どうやら私、ずっと間違った方法をしていたようです」
 言い終えて顔をあげると、舞は満面に一杯の笑みをたたえて言葉を続けた。
「もう一度試してみます!」

 巾着から残ったガラス玉を二つ取り出し、改めて七回目の実験のために陣の中に立つと、舞は自分を見守っている蓮の顔を見据え、しっかりと頷いてみせる。
「今度はきっと成功させます」
 そしてゆっくりと瞼を閉じて呼吸を整える。
 再び瞼を開くのと同時に、ガラス玉を包みこんだ両手の中から眩い光が溢れ出した。
光は赤い輝きを放ち、その後に緑の輝きを放つ。

 店内に並んだランプの仄かな灯りがゆらりと揺らいだ。


 出来あがったアレキサンドライトをランプにかざして、蓮は嘆息を一つ。
さきほどまでの嘆息とはまるで違う意味をもったそれを洩らしながら、蓮はゆっくりと視線を舞に向けて送る。
 舞は蓮の視線に気付くと小首を傾げてみせた。
「太陽光の下で見ると青味が増して見えると思いますが、今はランプなのでどちらかといえば赤味の強い石に見えると思います」
「…………確かに」
 掌の上で転がすと、石はその赤い輝きに時折緑を交えながら誇らしげに閃かせる。
キャッツアイ効果をも兼ね揃えたそれは、市場に出れば特に珍重されるであろう、アレキサンドライト・キャッツアイだ。
 蓮はそれを大事そうに指で持ち上げると、うっとりとした目で見やり、あまり見せることのない微笑みを浮かべた。
「こんなに綺麗なもんなんだねえ……」
 感嘆の声を洩らして舞を見やる。
 舞は蓮の姿を穏やかに見つめながら頷いた。
「喜んでもらえて嬉しいです。あの、でもこれ全部なくなっちゃいました」
 ちりめんの巾着を差し伸べて申し訳なさそうな表情を浮かべる。
 蓮は笑って手をひらつかせる。
「構わないさ。……ありがとうね、舞」
 照れくさそうに告げると、蓮は片手にアレキサンドライトを持ったままで煙管を口にあてた。
 舞は思いがけないその言葉に一瞬驚きながらも、すぐに嬉しそうな表情を浮かべる。
「……茶が冷えちゃったね。……ちょっと淹れ直してくるよ」
 慌てて立ちあがりポットとカップを銀製のトレイにのせると、蓮はいそいそと店の奥へと姿をけした。

 花のような微笑みを浮かべている舞の視線に送られながら。 


 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月12日

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