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『まちびと 』
ぺんぎん・文太2769

 そもそもはいずこを目指していたものか、それすらも今はもうよく覚えておらぬ。大事な用向きがあった上で出立した気もするのだが、記憶ひとつひとつに付箋をつけて分類分けし、重要なものを大切に保存しておくには、我輩の記憶の抽斗の数はいささか膨大すぎる。かくして本来の目的も目的地も我輩の矮小な脳の何処かに埋もれ、あてどない放浪をしているという現実だけが残った。
 もののけである我輩に与えられた時間は無限だから、我輩の放浪もおそらく無限に続くのだろう。数えるのも飽きるほどさまざまな土地を今まで回ったが、我輩の眼前にはかくもなお無数の未知や不思議が当然のように転がっているのだから、現し世というものはつくづく広い。
 その不思議の筆頭はやはり温泉だと我輩は思う。
 長いこと生きておるが、あれに代わる至福は他に知らぬ。我輩が文をしたためるなど滅多にないこと、これを機に温泉の醍醐味を説明したいところだが、さしもの我輩も、温泉に浸かっているあいだのあの筆舌に尽くしがたい幸福感充足感を端的にしかも正確に説明できる言葉は持ち合わせがない。これについては長くなるので、やはり日をあらためてじっくり語りたい。

 閑話休題。
 我輩が今逗留しているのは、人の者が東京と呼ぶ街である。
 夜であっても皓々と明るい場所ばかりのこの街は物の怪には少々住みにくいと言う者もおるが、我輩個人としてはこういった雑多さはさほど嫌いでもない。長生きをするとさまざまなことに寛容になるものだ。ただこれでもう少し温泉に入れる場所が多ければ、まことに言うことはないのだが。
 我輩の名は文太。ぺんぎん文太、と呼ぶ者もある。ぺんぎん、というのは寒い土地に住まう飛べぬ鳥で、なるほど確かに我輩の姿はその鳥によく似ている。だが普通のぺんぎんとやらはおそらく我輩ほど長生きではないし、このように文を綴ることもないはずだ。
 我輩がこれから語るのは、この東京という街で我輩が出会った、温泉よりはもう少し程度の低い不思議のうちのひとつである。



 ――仄白い月の光の下、まちあわせですかとその声は訊いた。
『このあたりではおみかけしない顔ですが、まちあわせですか』
 あまりにも唐突に、しかも背後から声をかけられたものだから、我輩としたことが驚いて、あやうく大事な煙管をぽろりと落とすところであった。
 なにしろそのときの我輩は、駅前にある柴犬の銅像の、その立派な台座に背をもたれてひとやすみしていたところ。背後から声がということは、つまりその銅像が声の主ということなのだから。
 座ったまま見上げると、犬の銅像のあごの下が見えた。我輩の身の丈では残念ながら面構えまでは確認できぬ。駅前の吹きさらしの中にも関わらず、誰かがときどき磨いてでもいるものか、我輩の鳥目にもわかるほどつやつやと光っておった。

 ――前を向きなおりながら、待ち合わせではないと我輩は答えた。
『気がついたらここにおったのだ。
 どうやってここに来たのかも、実のところ覚えがない。最近は物忘れが激しくていかんな』
『待ち合わせではないのですね』
 声が確認するように響くと、我輩はもう一度うなずいた。
 もう夜はずいぶん更けているにもかかわらず駅前にはずいぶんな数の人が行きかっていた。
 だが我輩と犬の銅像の奇妙な会話を見咎める者は誰もおらぬようだ。家路につくべく駅の中へ向かう中年男、目的もなく駅前をふらつく若者ども、男に肩を抱かれながら盛り場と思しき賑やかな光の方向に向かう化粧の濃い若い娘たち。
 人間は皆、仲間以外の者――たとえば物の怪には注意を払わない。
 我輩らは意外と省みられることが少ないのだ。
『ところでお前はなぜ、我輩が待ち合わせだなどと思ったのだ』
『みんなそうですから』
『皆、というと?』
『まちあわせの人たちは、みなこの像の前でお互いを待つのです。ここは目立つから』
 いわれてみれば、銅像の犬の頭は、人間の背丈よりも頭ひとつかそれ以上高い。この街はともかく人が多いから、雑踏の中で特定の誰かを探すのがどれだけ難しいか、我輩にも想像がつく。この像は格好の目印であろう。
『わたしも待っています』
『お前も? 誰を?』
『わたしの主人を出迎えるのが、わたしの役目です』
『ほう。お前の主人はずいぶん帰りが遅いのだな』
『いえ。主人はもう帰らないのです』



 がたん、ごとん。駅に停まっていた電車がおもたい音をさせて動き出す気配がした。かの鉄の箱は、人間らを乗せて遠い家路へと運んでゆくものなのだそうだ。はて、そう教えてくれたのは誰であったろう?
(帰らないのです)
 犬の銅像ということは、おそらくこの犬は昔実在したのであろう。そして本物の犬の肉体は、きっとすでにもうこの世には存在しない。それでもなお何故にか、この銅像を依代にして、魂だけが未だ現し世にとどまっている。
 それは未練ゆえか、執着ゆえか。
 帰ることのないあるじが改札をくぐって姿を見せるのを、かの犬は待ち続ける。かつて持っていたあたたかい毛皮に包まれた肉体とは違う、尻尾を振ることすらできぬつめたく固いからだで。いつまでもいつまでも、雨の日も雪の日もただ愚直に待っている……。
 ふとなにか腑に落ちぬものを感じた。
(帰りを、待つ)
 頭の中のなにかがおぼろげに像を結ぼうとしていた。だれかが我輩の手を握っている。顔も背格好も紗をかけたようにぼやけて判然とせぬのだが、どうも別れを惜しんでいるようだった。かならず帰っておいで。自分は待っているから。どれだけ時が経っても、ここできみの帰りを待っている。
 いつまでも待っているよ。文太。



 風化しかけた記憶が意識をさらったのはほんの刹那であったのだろう。
 くわえたままだった煙管を深く吸い込むと煙は普段よりも苦く重く感じられた。
『つらくはないのか』
『つらい?』
 くちばしの先から紫煙を細く吐き出しつつ我輩が問うと、声にかすかに戸惑ったような思惟が混じる。
『人は皆お前の目の前で、会いたい人と巡りあうのだろう?
 それなのにお前の主人はもう帰らない。お前の待ち人はもう来ない。
 ならばいっそ、目の前のすべてが妬ましいと思うのではないか?』
 いっそ、最初から待たなければよかったと。
 約束が違えられることなど知らずただ待っていた過去の自分がおろかだったのだと思うのではないか。自分を待たせて時を無駄にさせた、かつての待ち人を怨むのではないか。我輩の頭上のこの忠犬の魂が未だ現し世にとどまっているのは、何よりもそれが理由ではないのか?
 我輩を待っていると言っていた誰かに、我輩もそんな思いをさせたのではないか。
『どうしてわたしが妬ましく思うことなどあるでしょうか』
 けれど返ってくる答えには怨みも影も見当たらずに我輩を戸惑わせた。
『会いたい人に会えたひとびとの笑顔を、どうしてわたしが憎むことなどできるでしょう?
 わたしがいることで誰かと出会う手助けができているならば、こんなにうれしいことはありません』
 もしそれが可能ならば、犬はその口元に笑みを浮かべていたかもしれぬ。かつてあるじを待っていたときと同じ、誇らしく背筋を伸ばしたその姿勢のままで。
 犬という生き物は皆こうなのだろうかと、我輩はそんなことを考えた。
『なぜならわたしは、待ち人が来てくれたときのよろこびの尊さを、だれよりも知っている』
 この愚かしいほどにまっすぐな魂はどうだろう。
 かつてこの場所に座っていた犬はずっと、出迎えられた主の笑顔と、それを目にしたときのよろこびだけをよすがに待ち続けていたのだ。そしてこれからも、待ち続けるつもりなのだ。
 いつかまた、その人に会えるときを信じて。
 この暗い夜の中、色とりどりの灯と月光をしずかに照り返す銅像を見上げながら、我輩は思う。
 人々がこの像を待ち合わせに使うのは、ただ目立つからという理由だけでもないのかもしれぬと。凛と遠くを見るようなそのかたちは、まるで、まるで――。
『いつか、会えるとよいな。お前の待ち人に』
『ありがとう』
 まるで、迷える人々のための、標のようだ。



 文章をしたためるのにいささか疲れたので、ひとまずここで筆を置く。
 温泉もない町だったのであの駅にはそのとき以来行ってはおらぬのだが、おそらくあの犬は今もあそこで、待ち人を待つ人々をたちを見守っている。いつか己の待ち人が迎えに来る姿を、彼らに重ねながら。
 それを哀れに思うのは、おそらく、我輩のくだらぬ感傷だ。

 あの夜に我輩が思い出しかけたことがなんだったのか、今となっては我輩自身にもわからぬ。だが今こうして我輩が旅をしている以上最初はどこかから出発したはずであるし、そこには我輩と懇意にしていた者も多分いたのだろう。そして出発した以上、我輩にはなにか目的があったはずだ。
 我輩が果たして誰に会うべきだったのか、なにをすべきだったか。
 いずれにせよそれはあまりに昔過ぎて、やはり判然とせぬことなのではあるが。


 ところで我輩の手は、いわゆるぺんぎんには羽にあたる部位であり、人のような指は存在せぬので当然紙と筆を持つには適さない。今読み返してみたところ我ながらひどい悪筆で、書いた当人である我輩にすら読解は非常に難しかった。
 我輩はあの犬のこともいずれ忘れるだろう。そのときにはこの覚え書きはただの落書きに成り下がり、放浪に邪魔な荷物として捨てられてしまうやもしれぬ。読むことができねば、どんな名文も紙屑とたいして変わらぬ。
 だから。
 もしこれを見ているお前がこの文を最後まで読み通すことができたなら、そしてこの内容を信じたならば、暇なときでよい。この世のどこかにいる我輩を探し出し、あの犬の話を読んで聞かせてはくれまいか。我輩にも会うべき誰かがいたのだと――そして待っている誰かがいたのだと、思い出すために。先にも述べたように現し世というものはつくづく広いが、なに、我輩を見つけるのはさして難しいことではないはずだ。
 なにしろ我輩はきっとその頃も、温泉のあるどこかの土地でお前を待っている。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
宮本圭 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年05月06日

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