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『惜別の季節に 』
高台寺・孔志2936)&橘・巳影(2842)



 もう一度と。
 もう一度会いたいと願うその思いを、無下にすることなど自分には出来なかった。



 花工房「Nouvelle Vague」
 和と花のコラボレーションをコンセプトに高台寺孔志が経営するその店の裏手には、町屋風の店舗と調和した風情ある庭が広がっていた。

 春の訪れた庭には、皓々とした満月の光が降り注いでいる。
 本来ならば闇に沈み、黒い茂みと化す草木たちも、月光の透明な光を浴びて薄藍の闇の中からひっそりと浮かびあがっていた。
 春は四季の中でもっともこの庭が華やかな彩りに満ちる季節だった。
 雪柳の白い花の群れ、空に手を伸ばすように咲く木蓮の姿、椿に、連翹、海棠、山吹……様々な庭木がその身に宿る花を開かせていた。
 花咲き乱れるその庭の中で、一層眼を引くのは庭の中央に座す一本の桜の樹だった。
 盛りを多少過ぎたその桜は、緩やかに流れる風に、はらりはらりと花を散らし、地に舞い降りては根元に柔らかな白い絨毯を作る。
 
 その桜の幹に背を預け、高台寺孔志は荒い息を吐きながら、月を見上げた。
 梢の隙間から差し込む光が、彼の額に輝く紅眼を静かに照らし出した。
 
 

『もう一度でいいんです。娘に会いたい』
 交通事故で不慮の死を遂げたという『彼』の『依頼』を受ける気になったのは、『彼』が後に残した家族……娘に対して深い思いやりを抱いていたからだった。ひき逃げをされたということだったから、犯人に対して強い憎悪があるだろうに、『彼』はそれについては一言も口にすることはなかった。
『私が…死んだのは、あの子の誕生日なんです。これからあの子は誕生日が来るたびに、父親の死を思いだすでしょう。一つ歳をとるたびに悲しい思いをするに違いありません。年に一回の、せっかくの誕生日なのに』
 孔志は『彼』の思いに耳を傾けながら、自分の両親のことを思い出していた。自分が中学生の時に交通事故で突然逝ってしまった人たち。忽然と目の前から消えて……もう二度と戻ってこなかった大切な二人。
『……幸せになってほしいんです。』
 『彼』は、いいオトウサンだったんだろうな、と思う。自分の両親も、いいオヤだった。いいオヤだったなあと、今更思う。あまりにも突然の別れで、感謝の言葉を告げることさえ出来なかったけれど。彼らも、この『彼』と同じように自分を思ってくれていたんだろうか。心配しながら逝ったのだろうか。
 孔志は口の端をあげ、笑みを作る。
『いいぜ。貸してやる』
 『彼』のために、そして『彼』の娘のためになるなら、色々面倒だが引き受けてもいいと思った。突然、大切な人間が逝ってしまう辛さを自分は知っている。知っているからこそ。
『あんたの願い、叶えてやるよ』



 絶え間なく続く、頭痛。
 魂移しは死者の致命傷の一部を引き受けることによって、魂を身に寄せることが出来る。
(いてぇ、いてぇ、いてぇっ)
 桜の持つ生命力を分け与えてもらい、多少楽にはなったものの、この術の身体への負担はやはり辛い。
 けれど孔志の中に後悔はなかった。
 それどころか、自分の心に、知らず出来ていた小さな虚ろが埋まったような、満足感さえ感じている。
 


 留守電に吹き込んだメッセージを聞いたのだろう、事故現場に一人ふらりと現れた幼い少女は、孔志の姿を見つけると一目散に駆け寄ってきた。狭い道路は人影もなく、ひっそりと静まっている。
『パパ』
『……分かるんだ、すごいな』
 小さく彼女の名を呼んで、『彼』は娘を抱きしめる。
『みんなにね、変だって言われるからヒミツにしてたんだけどね、ちょっとだけ見えたり、分かったりするの。……パパもすぐ分かったよ』
『そうか』
 『彼』は少女の頭をゆっくりと撫でる。──以前のように。
『それはみんなが持ってる才能じゃないからね、イヤだなあって思う人もいるんだけど、パパには「ありがとう」な力だよ。こうしてお前がパパのことすぐに分かってくれたもの』
『パパには……いつか話そうって思ってたんだけど』
 少女の大きな双眸に薄っすらと涙が浮かぶ。
『ごめんな』
『ごめんじゃないよ……パパ、帰っておいでよ。あたし、パパ、いなくてさみしいよ。いっしょにいようよ』
『……ごめんな』
 『彼』は、小さく肩を震わせてしゃくりあげる少女の身体を優しく抱きしめる。そのぬくもりを覚えこむように。
『パパ、死んじゃっただろう。だから今までと同じように一緒にはいられないんだ。だけど、これからもいつもお前とママのことを考えてる。それをね、お前に言いたかったんだよ。二人が大好きだよ。だからね、笑ってほしいな。お前は泣いてる顔より、笑ってる顔の方が可愛いし、パパ、お前の笑顔が大好きだよ』
 抱きついてくる少女の肩を抱きしめながら、『彼』は小さく少女の名を呼ぶ。
『誕生日おめでとう。これからは空の上でお前の誕生日をお祝いしているよ』
──だからどうか、笑っていてくれと、『彼』は切なげに微笑んだ。



 さくらというのはね、寂しく、美しい花だから。
 寂しい人の心をひきつけてやまないんだよ。
 そう言ったのは誰だったろう。店の客だったろうか。友人だったろうか。
 そんなキザなセリフを恥ずかしげもなく言えるような奴がいただろうかと、孔志は重い頭で考えるが全く思い出せない。
 ただ、桜が寂しい云々はともかくとして、別れに相応しい花だなとは思う。
 この季節に舞い散る白い花は、一片の寂寥と、惜別の念を想起させる。
 孔志は頭痛を堪えながら、そっと樹の根元に散った花びらに両手をつき、『彼』の思いの残滓をそれらに移した。伝えるべきを伝えた『彼』の魂は、今はとても静かで、その力のほとんどを失っていたが、自分から抜けていく瞬間、有難うという言葉を発した。
「こっちこそ」
 役に立ててよかったよ、と孔志はつぶやいた。そして一握りほどの花弁を掴み、風に乗せるように舞い散らす。
「じゃあ、な」
 『彼』の娘は、来年の今日を泣いて過ごすことにはならないだろう。──『彼』が伝えた言葉によって。今は辛くとも笑顔を取り戻すに違いない。幸せになれるに違いない。
 だから、と思う。次はあんたももっと幸せになれるといいな、と。



 しばらくぼんやりと頭上の桜の花を眺めていると、枝折戸が開く音がして、パタパタと乾いた足音が孔志の耳に届いた。
「お、お兄ちゃん、大丈夫?」
 息せき切って庭を横断してくる橘巳影の姿を眼にした途端、孔志は桜の根元にへなへなと座り込んだ。
「おっせーぞっ。大丈夫なわけあるかっ」
「ごめんなさいっ」
「ごめんで済んだら、警察はいらねーよ……ってぇ」
 こめかみを押さえながら、孔志は上半身を桜の幹に預け、深く息を吸う。
 巳影は乱れる息を整えながら、傍らに膝をつくと、孔志の額に輝く紅眼へと手を伸ばした。白い掌でそっと紅眼を覆う。
 孔志のこめかみを滑り落ちる汗と、苦しげな呼吸に巳影は眉を顰めつつ、小さな声で歌い始めた。
 魂鎮めの歌を。
 

 幾度となく歌ってきた鎮魂の言葉を紡ぎながら、巳影は苦しげな孔志の顔をじっと見詰めた。
 この、闇の中で輝く紅の瞳の所以を巳影は知らない。
 そういった遺伝が高台寺の血筋にあるとでもいうのだろうか。
 ただ巳影が疑問に思うのは、この額の痣は、前の世で自分に付けられた傷と同じ場所にあるということだった。自分の命を奪った傷と同じ……痣。もし前世の因縁でというなら、何故自分にではなく、彼にこんなものがあるのだろう。
(何かあった? 『私』が死んだあと)
 かつて、盟友であった男の生まれ変わりである従兄弟には前世の記憶がない。だから、それを本人に問うこともできなかった。
 桜舞い散る中で、あんな別れ方をしてから、彼はどんな生き方をしたのだろう。
 孔志の傷と自分が今彼の傍らにあるということには、何かしらの因果があるのだろうか。
 自分の知らない何かが。
 巳影の訝しげに視線に気付いたのだろうか、苦しげな呼吸を繰り返す孔志が視線をあげた。
「こんなに遅くなるなんて、昼……どこ行ってやがった?」
 巳影の目の端を指してにやりと笑う。
「なんかあったろ、お前ぇ。眼が腫れぼったいぜ」
 自分が今までどこに行っていたか、どんな体験をしてきたか、孔志に告げることは出来ない。孔志にだけは告げることが出来ない。巳影は鎮魂歌を口ずさみながら、ただ小さく首を横に振る。
「俺に隠し事とは、お前も大人になったよなぁ。まあ、いいけどよ」
 苦しいだろうに、笑みを浮かべながらからかう孔志を、巳影は切なげに見つめる。
 変わってないと思う。前の世の彼も、自分が苦しくても笑ってみせるような人間だった。その変わらなさに少し胸が詰まる。
 意気消沈する従兄妹の様子に、孔志は声音を真面目なものに改める。
「何があったかしらねーが、泣くな」
 桜の花がさわさわと音をたてて風に揺れる。
 あの『彼』が娘に願ったように巳影にも笑顔でいてほしい、そう思いながら孔志はそれを口には出すことはしなかった。そのかわりに。
「泣くとお前ぇより一層ブスになるからな。やーい、ブース」
 おどけた態度で続けた孔志を、
「お兄ちゃんっ」
巳影は赤い目で睨みつけると、ぽかりとその額を叩いた。そして……可笑しそうい小さく笑みを浮かべたのだった。




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東京怪談
2004年05月03日

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