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『生きる糧 』
渡辺・綱1761)&瀬川・蓮(1790)



 人はそれぞれがそれぞれ、何かしらの願いや目的を持って日々を生きていくものなのだと言う。
 ある者は金持ちになるために。
 ある者は旨いものを腹いっぱいに食うために。
 ある者は家庭を持つために、ある者は日々の道楽を途切れさせぬために、ある者は生きることの理由を見つけるために。
 人は日々という時間を費やし、その足を前に進めさせて生きていくのだと言う。
 だから、
「きちんと『断って』やらないと、鬼は後々まで厄介を引き摺ることになるからな。やってくれるか」
 浅からぬ付きあいの興信所所長――草間武彦がそう言って綱に仕事の話を持ち込んできたとき、彼は一も二もなくそれを快諾した。
 渡辺家当主、綱。
 宝刀・髭切を携え、齢十六にして一族を纏めあげる除鬼師である。
「勿論。鬼払いは、代々うちに伝わる渡辺の務めだからね」
 年若い快活さで、綱は草間にそう返した。
 綱に取っての願いや目的と言ったものが、鬼払いに繋がっているからかもしれない。
「辺りの子供が攫われる、なんて噂があってな。特に嬰児から幼児…小学校に上がる前までの子供が多いらしい」
「小さい子供ばかり――ってことか。ますます許せない。……今これから、すぐ行くよ」
 鬼の話になると、綱は一歩として譲らない。
 当然のことではあるだろうか。
 鬼の生続を赦すことは、彼の存在理由の崩壊に繋がってしまう。
 一点の曇りもない真っすぐな眼差しで、確信に満ちた声音を綱は響かせた。
「うん――まあ、早い方が良い、かな」
 そんな綱の様子に、草間は熱い茶の入った湯呑みにくちびるを付けながらちらと一瞥を投じる。
 が、別段何を口にするわけでもなく茶をすすったあと、綱に向けて一枚の紙片を差しだした。
「これが、現場までの地図。駅からすぐだけど、道が入り組んでいるらしいんだ」
 綱は草間の方へと手を伸ばし、彼から地図を受け取ろうと腰を浮かせ――
「なんだ、ここボク知ってるよ」
「!?」
 不意に聞こえた幼い声に、知らず腰をのけぞらせた。
「せっ…」
「この駅の裏通りにね、おいしい焼き鳥やさんがあるんだ」
「せが」
「すなぎも串を買ってくれたら、道案内したげるよ」
「っ瀬川…! お前、いつからそこに…!」
 見ればそこには瀬川蓮が――腐れ縁とも言うべき、綱の知りあいであり、友人でもある――草間の手からひょいと地図を奪い取り、ソファの肘掛けに腰を下ろしてゆらゆらと膝を揺すっている。
「お前、パーテーションの『使用中』って文字が読めなかったのか!?」
「いいじゃない、そういう細かいことにこだわる大人ってかっこ悪いよ」
 草間の上擦った糾弾も、この少年にかかれば春の穏やかなそよ風にも等しい。ピン、と指先で地図を弾いてしまい、蓮はういしょとソファから飛び降りた。
「行くよ綱。この人の前置き聞いてたら焼き鳥やさん終わっちゃうよ」



 草間武彦から受け取った(厳密に言うならば、蓮から奪取した)地図を左手に、綱は番地を確認しながら角を折れる。歩を進めるごとに色濃くなってくる鬼の『気』を頼りに、やがて歩調は地図に頼らなくとも確信に満ちたものになっていく。
 そのずっと前をずんずんと、蓮が小さな歩幅で胸を張りながら歩いていた。左手にはふっくりと豊かな丸みを持つ砂肝の串を持っている。
「そんな辛気臭く歩いてないでよ、綱。日が暮れるよ」
 蓮の言葉通り、駅の改札を出てしばらく歩いた所には古びた屋台の焼き鳥屋があった。そこで彼の言う通りに砂肝の串を買い与え、そのまま帰そうとしたところ蓮は、
「厭だなあ、キミとボクの仲じゃない。たまにはキミの仕事ぶりをボクに見学させて」
 頑として引かない。
 綱が刀を抜いた後で、彼を茶化さないこと。
 危なくなったら、すぐに逃げること。
 それを条件に、同行を許可した。
「二つ目はともかくさ、一つ目は絶対に守れよ」
「当たり前じゃん。判ってる? ボクだって命は一つなんだよ」
 あー、おいしかった。
 とっくに食べ終わってしまっていた串を、蓮が通りすがりのごみ箱にほいと投げ捨てる。そう言った類いの律義さを持ちあわせるこの幼い少年を、綱はどういうわけか憎めずにいるのだ。
 大通りから外れて、数十分が経つ。
 道は細く、舗装が荒い。瘴気は少しずつだがぐっと空気を重くさせ、わずかに息苦しさを感じさせる程に澱みはじめていた。
 己の縄張りに躊躇いなく足を踏み入れる能力者たちに、鬼が猛っているのである。
 髭切が、ほんのりと微熱を持っている。それは綱の中で熱に浮かぶように丸い形を取り、綱の命令にいつでも応えられるようにと息をひそめている。
「――鬼、かぁ」
 蓮が独り言のように呟いた。綱は下肢に力を込め、そんな蓮の声音も耳に届かない。
 目を閉じる。
 規則正しい己の息遣いをくぐり、自分たちを取り囲んでいる瘴気の元をさぐっていく。
「……ウン…鬼――だよねぇ……」
 蓮が呟いている。その声音をも、綱の意識がくぐっていく。
 そして。
「――……」
 く、っと目を開けた。
 それと同時に傾けた首の、額の上で前髪が散る。
「――ッそこ、だ」
 大きく開いた綱の右手の平が、握り締められると同時に発光する白い柄を掴んだ。
 髭切――綱の内に宿っていた家伝の霊刀が、彼の意識に同調して即座に本来の姿を摂る。
 ――赦。
 金物の滑る小気味の良い音が髭切の刃先から零れたのと同時に、べたりと湿った質量ある何かがアスファルトの上に一つ、落ちた。



「………」
 塀に寄りかかった何か――鬼、が、綱を睨め付けている。
 肘から下を髭切に斬り落とされた鬼は綱に批難の金切り声を挙げながら大きくよろけて、やはり水っぽい重さを感じさせるべちゃりとした音をさせてへたりこんだ。
 哀れっぽく皮の伸び切った乳房が、女の息遣いに揺れている。腹はぷっくりと膨れていたが、そこにはかつて攫った何人もの子供の血肉が納められてでもいるのだろうかと考えると、髭切を握る綱の右手に僅かに血からが込められる。
 雨の中を走り抜けた直後のように、長く貧相な髪が水を滴らせていた。ざんばらに散ったその髪の隙間からじっと、息を荒がせながらも鬼は綱を睨め付けている。
 女、であった。
「忌むべき者よ、在るべき場所に還れ」
 綱は淡々と、鬼払いの口上を口にする。重さを感じさせぬ霊刀が綱の右手から振り上げられたとき、
「コレはねえ、子供を殺された女の人なんだよ」
 蓮が、綱の耳に届くほどの声音で彼に告げた。
「あまりの悲しみと憎しみに、鬼と化してしまったんだ。知ってる? 人ってね、生き甲斐をなくしちゃうと、どうやって生きていったら良いのか判らなくなっちゃうの。この人は自分の子供が産まれたとき、その子のために残りの全部の人生を使って行こうって心に誓ったんだ」
 綱は振り上げた髭切を下ろすこともできず、ただ背中から響かせられる蓮の言葉に息を呑んだ。
「でもね、ほら――この辺りで起きた最初の人攫い、あったでしょ? あれはコレのせいじゃなくて、どっかのろくでなしが気まぐれに起したアホな誘拐事件だったんだ。あのとき攫われたかわいいかわいい赤ちゃんのお母さんが、コレ」
「……………」
「もともと、ボクたちみたいにちょっとキテレツな能力を持ってはいたんだろうね。赤ちゃんが攫われちゃったあとで、この人はこれから先、どうやって生きていったら良いのか判んなくなっちゃったんだよ。――だから、鬼になった。自分で自分の能力が暴走していくのを、この人は止められなかった」
 綱は高々と右手を差し上げたまま、ぴくりとも動くことができなかった。
 渡辺家当主、渡辺綱。
 始祖を襲名し、鬼を払う定めを享受し、日本国から鬼払いの命を授かった誇り高き払鬼師。
『鬼は人々の幸せを打ち砕く。鬼はそれをすることによってのみ幸を得、人の血肉を喰らうことで生を得る』
『鬼は忌むべき、その霊刀を以て払うべし』
「………忌むべき者よ、」
「ねえ綱、コレが在るべき場所なんて、本当にあると思うの?」
「………」

 髭切がそれの首を刎ねてしまえば、あとはいつもと同じである。アスファルトの上に散った黒い飛沫はやがて、蒸発していくかのように霧散していく。
 末端から掠れ消えていく鬼の骸を、だが綱は傍らからいつまでも無情に見下していた。
「……………」
 常より、鬼を取った後は満足感が先に立った。
 人の生活を脅かし、人の悶絶や苦悩から悦を得る存在、鬼。
 それを滅ぼすことは綱が存在する理由であったし、責任でもあると考えていた。
 だが今、蓮の言葉を耳にしたあとで成した運命の、この寂寥は何だと言うのだろう。
「キミは自分のしていることの重大さをよく知った方がいいよ」
 抑揚のない声音で、蓮は綱の背中へ語る。
「命は一つだよ、綱。生きることも、死ぬことも、たった一つで、たった一人きりなんだ。何かが何かの命を奪う――なんておこがましくて、罪悪に満ちた行為なんだろうね」
「…………」
 うなだれている綱の背後で、ふつと蓮の気配が消えた。
 ゆっくりと暮れかけていく日の下に、ただ綱のみが一人残されている。

(了)
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
森田桃子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年04月27日

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