▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『野良猫の雨上がり 』
外村・灯足2713)&綾小路・雅(2701)
 弟がいるので、小さいころはよく理不尽な我慢をしたように思う。
 おにいさんなんだから譲りなさい、おにいさんなんだから我慢しなさい。こんな科白は下のきょうだいがいる子供なら誰でも言われるものだということも、実は弟も似たようなことを言われているものなのだということもその頃はわからなくて、そんな風に叱られたあとは八つ当たりとしてまわりのものに当たり散らすことが多かった。
 もちろんそんなことをすれば烈火のごとく怒られた。けれども言われたとおりに後片付けをしてごめんなさいを言うと、母親はいつもお決まりのことばを口にした。
(まったく、しょうのない子ね、灯足は)
 今回はゆるしてあげる。そう言って母は、笑って自分の頭を撫でたものだ。



 焼香の作法がわからなくて苦労した。
 ほかの大多数の若者と同じく、綾小路雅もまた、葬式に出た経験などあまりない。
 あいまいな知識を総動員して、香をつまんで額の高さまで上げ、香炉の中にぱらぱら落とす。焼香の前に合掌するとか、香を落とすのは宗派によって何回とか、他にも面倒なルールが色々あったはずだが、遺族の席にいる外村灯足がどんな顔をしているか気になって、他の弔問客など見てもいなかった。
 いい加減な焼香を済ませたあと、灯足たちが座る席に向かって軽く礼をした。
 着慣れない黒い礼服を着た雅は、耳を飾るピアスと派手な茶髪のせいで、学生というよりはまるで怖い自由業(しかも下っ端)の人である。自分でもそう思うのだから、さぞ周囲からは不審者に見えているはずだ。
 幼なじみはじっと無表情のまま、席に戻る雅に向かって機械的に頭を下げた。

 たかが葬式でクソ真面目にしてる柄かコラ、とか。
 人の顔も見んと頭下げやがってコメツキバッタかオメーは、とか。
 普段なら考えるより先に口をつく悪態がまるで出てこないのだから、告別式という席には確かに一種、人を神妙な態度にさせる力がある。
 よく回る自分の舌がほんとうは肝心なときに役に立たないのだと、雅ははじめて知った。

 こんなときでなければ僧侶の読経はいい子守唄だろう。
 祭壇の上に飾られた遺影は、焼香の仕方も知らない若造のことを苦笑しているように見えた。
 いつのまにか、外から静かな雨の音が耳に届くようになっている。道理で今日は冷えるわけだ。



 ただ座ってるだけでいいんだなと灯足は思う。読経はまだ続いていた。
 焼香する弔問客にお辞儀をする父親を真似て、目の前のだれかが一礼するたびに自分も頭を下げ返せばいいのだとわかるのに時間はかからなかった。
 その中に見慣れた幼なじみの顔があった気もしたが、何を言えばいいのかわからず見送った。
 ……意味もわからぬまま、ただ頭を下げては上げる自分はまるでおもちゃの水飲み鳥のようだ。
 葬儀屋の手配、菩提寺への連絡、そのほか面倒なことはぜんぶ父親が手を回して、灯足はその間ずっと馬鹿みたいにぼーっとしているだけだった。大学生にもなるというのに情けないとは思っても、具体的に何をすればいいのかさっぱりわからないので動きようがない。
 子供であるというのはこういうことなのだと思い知らされる。
 ずっと連れ添ってきた妻を亡くしたのだから、親父だって悲しくないはずはないのに。

 発端は灯足が高校三年生のときだった。
 いつもと変わらない朝、朝食の支度をしていた灯足の母親が突然倒れて救急車で運ばれた。
 家族全員とっさに状況を飲み込めないまま母は診察され入院して検査を受けた。
 ――末期の食道ガンだった。
 レントゲン写真の黒い影はすでにあちこちに転移していて、医者の説明を聞きながら父も弟もそれに自分も言葉をうしなったのを今でも覚えている。
 告知された内容を母本人にだけは知らせぬまま病状は進み、受験勉強の合間を縫って見舞いに行くたびにやつれていく母親を見るのが辛くて、そのうち見舞いに行かなくなった。
 そのことが後ろめたいまましかし一度足が遠のくとまた病院に通う踏ん切りがつかず、無事合格した大学に通い始めてまもない頃、キャンパスの桜に葉が見え始めたある日突然母は逝った。

(しょうのない子ね、灯足)
 今回ばかりは、しょうのない子ね、で済むことじゃないと自分でもわかっていた。
 俺はなんて薄情だったんだろう。
 外から聞こえてくる雨の音は、遠い世界の出来事のようにしか聞こえない。
 祭壇の上で笑う遺影はただの写真だというのに、まともに目を合わせることができなかった。

(なあおふくろ。俺を恨んでるか?)



(なあおばちゃん。俺は灯足になんて言えばいい?)

 呼びかけても、故人は雅になにも答えてはくれない。
 出棺がはじまろうとしていた。喪服の集団が、故人との別れを惜しむべく席を立っていく。雅もそれにならって、ひとりで傘をさして外に出た。
 しのつく細かい雨で湿った空気は、鳥肌が立ちそうに冷たかった。
 幼なじみ同士、互いの家を行き来することなどしょっちゅうだったので、当然雅は灯足の母親とも顔なじみだ。事業をやっている灯足の父親は日頃忙しく、灯足もその弟も母親っ子だった。入院したという話は聞いていたが、容態がそんなに悪いと雅が耳にしたのは最近である。
(なんで応えてくれねえんだよ、おばちゃん)
 人ならぬものはみんな、人間たちに話を聞いてもらえないのが悲しくて、いつだってあちこちの暗がりでさびしげにうつむいている。
 だから雅が呼びかければ、霊たちはうれしそうに話をしにすり寄ってくるのに。

 ……返事がないということは、灯足の母の魂はもうここにはいないのだろうか?
 残した夫と子供たちを振り返りさえしないまま行ってしまったのだろうか。天国だか彼岸だか三途の川だか、とにかく今はそういうところにいるのだろうか。
(灯足に姿を見せるのは無理でも、せめてどんな言葉ならいいんだか俺に教えてくれよ)
 あいつにこの先ずっと、いくじなしの幽霊みたいに下を向かせとくのかよ。



 出棺のときには、故人の遺影は遺族が持つものなのだそうだ。
 喪主は位牌を持たなくてはならないからお前が持ちなさいと父にはいわれたけれど、灯足はそれを拒んでひとりで外に出た。わざわざ俺が持たなくても弟か、でなければ葬儀屋の誰かが持つはずだ。
 自分でなくてはならない理由などどこにもないのだ。
 真新しい革靴で表に出ると雨が降っている。
 親族の奇異の視線を無視して逃げるように人の波から抜け出した。水たまりがはねて礼服の裾を汚すのも、気にしてはいられない。灯足、と呼ぶ声がうしろから追いかけてきて、なおさら足を止める気にはなれずほとんど走るようにしてその場を離れた。
(しょうのない子ね)
 ……まるで、まるで、ただのガキだ。

 どれぐらいひとりで立っていただろうか。
 降りかかっていた雨がふと途切れているのに灯足は気づく。
「傘ぐらいさせよ」
 見上げると、雅があきれた様子でさしかけた傘が、頭上の雨を遮っていた。
「なんだよ」
「相合傘」
「……うわさぶっ」
 半ば本気で即答するとこころなしか気持ちが軽くなった。
「なんだそのサムいギャグ。いやに今日は冷えると思ったらミヤの仕業かよ」
「寒いならあっためてやろうか?」
「やめろっつうのその芸風は! 気色悪い」
 冗談に応えているうちに少し調子が出てきたのかもしれない。
 後にしてきた人だかりからは、喪主である父の挨拶が聞こえてきている。軽口を叩いて冷静になると、あそこに取り残してきてしまった父と弟のことがすこし気になった。
「灯足。泣くなよ」
 それを察したように雅が声をかけてきて、軽く肩を叩く。
「泣いてねえよ」
「嘘つけ。大洪水みてえな顔してんじゃねえか」
「……。雨水だっつのこれは。見て分かれよ」
 霧のようなこまかい雨で髪も頬もぐしゃぐしゃに濡れている。泣きそうだったのは事実だが、泣いていたわけではないのも本当だった。ず、と鼻水をすすったのも、ただ寒かっただけだ、たぶん。
「泣いてねえならさっさと戻れよ。途中でフケやがって」
 わずかに笑いを含んだ声で、今度はさっきよりも強く肩を小突かれた。
「……んっとにしょうのねえ奴だよ、オメーは」

 ――しょうのない子ね。
 今回はゆるしてあげる。

「…………っ」
 今度こそ本当にやってきた涙の衝動は激しかった。
 拳をにぎりしめてしばらく耐えた。ほとんど意地でそれを飲み込んだのは雅にもわかったはずだけれど、悪友は何も言わないままただ傘をさしていた。
 わざと言ったのだろうか。そんなはずはない。なにかの折に話したことはあったかもしれないが、こんな些細なことばを雅が覚えているはずがなかった。自分だって半分忘れかけていたのだから。
(しょうのない子ね)
 あのせりふにあった慈しみと赦しと、なによりもあふれんばかりの愛情があったことなど、俺だって今の今まで気づかなかったのに。

 わななく呼吸をゆっくりと吐き出すとそれは見えない靄のように広がって灯足の口元をあたためる。
 視線を上げると、白木の棺が車の中にゆっくりと運び込まれていく様子が見えた。
「出棺終わったぞ」
「おう」
「火葬場行くんだろ」
「……おう」
 なんでもないのだと虚勢を張ろうとしているのに、失敗して勝手に声帯がふるえた。
「なんて声出してんだ。ガキかオメーは」
 みたび、今度はばしっと音が出るほど強く肩をはたかれて痛かった。
「親父さんカンカンだったぞ、拳骨ぐらい覚悟しとけよアホ」
 口をひらけば悪態ばかりの雅の言葉尻が、字面ほどは険のないいたわるような声に聞こえたので。
「げー。マジかよ」
 いつも通りげんなりした自分を表してみせることに、今度こそ灯足は成功した。



 雨上がりの清澄な空気はきんと静かに冷えている。
 火葬場へと向かうバスに乗り込む灯足の背中を見ながら、雅は傘をたたんだ。
「おばちゃん。これでいいのかな」
 つぶやくように呼びかける自分の口調が、なんだか子供返りしているようで、苦笑いして言い直す。
「これでいいんだよな?」

 灯足と出会った子供のころ、だれがこんな未来を想像しただろう?
 この先、自分たちがどうなっていくのか誰も知らない。たとえば五年後、雅は今と同じように絵の道を志しているのだろうか。灯足は父親の事業を継いでいるのだろうか。
 いつか自分たちが別れて、二度と会わなくなるようなことが、あるのだろうか。
「……ガラじゃねえな」
 いつになくセンチメンタルな自分に自分で照れて、茶色い頭をばりばりかき回した。
 水たまりをはねあげながら走り去っていったマイクロバスの窓から、灯足とその弟が不謹慎にも雅に手を振っていたように見えたのは、たぶん気のせいだろう。もし幻覚でなかったのなら、ふたりとも今頃こっぴどく父親に叱られているはずだ。
 笑ってネクタイのノットをゆるめながら歩く雅の足元を、近所の野良猫が足早にすりぬけていった。

(ありがとうね)
 耳元を騒がせた葉ずれの音がそんなふうに聞こえたのも、きっと気のせいだ。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
宮本圭 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年04月26日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.