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『迷子と苦労人 』
刀伯・塵1528)&一之瀬 麦(1869)

 極当たり前の風景と言うものがある。
 それは基本的には個人主観によるもので、誰にとってもと言うものでは有り得ないが、生活環境が似ている者にとっては似通っているものでもある。
 例えばそれは、教壇で授業を脱線させる教師の妙に嬉々とした顔であったり、例えばそれは、通勤電車に揺られるサラリーマンの群れであったり、例えばそれは、眠らない街の活気に満ちた夜の情景であったり。
 要するに見慣れているもの、と言うことである。
 では珍しい風景はと言えば、つまり見慣れていないものとなる。
 しかし、全く持ってさっぱり見たことがないもの、見るかもしれないとよそうもつかないものである場合、人はその珍しさに歓声を上げるどころの騒ぎではなくなる。
 例えば前述したようなどこかの島国では極当たり前の風景に慣れ親しんでいるものが、石畳の上を荷馬車が行き来し、露店では中年の婦人が果物を売り、往来を行く人々の中には結構な確立で腰に剣を下げているものが混じっていて、人の髪や瞳の色は千差万別化粧品コーナーのマニキュアの種類よりバリエーション豊か、挙句の果てにはその往来を歩く人の中にどう見ても厳密には『人間』ではないだろうというものが半数近くいるという場所に紛れ込んでしまったら、どうなるだろう?
 極普通なら途方に暮れるではすまない。
 錯乱し、下手を打てば発狂してしまうかもしれない。
 その少女の場合はと言えば、
「どこやっちゅーねん!」
 少女は拳を握り締めて声を張り上げた。その大喝に雑踏を歩く人々は驚いたように足を止めたが、少女に声をかけようとはしない。
 往来で行き成り絶叫してくれるような、しかも拳を握り締めてその場に仁王立ちして――更にしかも本来なら美女とかかわいらしいとか言う表記の似合いそうな花の顔を容赦なく歪めて――いる少女とは、出来れば係わり合いにはなりたくないのだろう。
「――んなとこばっか日本と同じでどないすんじゃああああああああ!!!!」
 少女、一之瀬 麦(いちのせ むぎ)は力の限りにまた怒鳴った。
 ――幾分、論点はずれて来ていたが。

「嘆かわしいわい、嘆かわしすぎるちゅーんじゃくそ」
 ぶつぶつと言いながら麦は大またでエルハザードの町並みをずかずか歩いていた。
 気がついたら異世界でしたと言う衝撃は未だ残るものの怒りがまったく別方向にスライドされていて錯乱には至っていない。怪我の巧妙とも呼ぶべき事態だが勿論麦はそんなことに感謝はしていなかった。感謝すべきだと言う事実にも気づいていないし気づいていたとしても絶対に感謝などしなかっただろう。
 何しろ単に性格がそういう方向を向いていたと言うだけの話である。
「最近の若いもんは!」
 中年男性のような悪態を吐きつつずかずか歩く。
 この状態では仏心を出した人間がいたとしても声などかけようがない。かけた途端に食いつかれそうな按配である。
 まあしかし麦は幸か不幸か若いそれもそこそこに整った容姿の女であった。
 そして綺麗な女の子と言うものは途方に暮れていても少々錯乱していても怒っていても、結構どうにかなる生き物であったりする。
 そう、幸か不幸か。
 それは麦にとってか、相手にとってか、それもまた少し謎だ。

 さて、幸か不幸かなら間違いなく不幸を選び取るその人物は今日も元気に不幸であった。
 人外魔境跳梁跋扈する往来をてくてく歩きつつ深く深く嘆息する。
「……平和だなあ」
 どこがだおいと裏拳で突っ込まれそうな呟きを漏らしたのは刀伯・塵(とうはく・じん)。不幸が標準装備の哀れな中年はすっかり悟りの境地へと辿り――ついたわけではなかったが、状況には慣れていた。
 力技で作り上げた落ち着く中つ国風長屋もいまやすっかり怪生物の温床と化している。おまけに怪生物の中には妙に塵をかまいたがるものも存在していて落ち着く中つ国風長屋は全く落ち着けない場所と化していた。それでも無理やり落ち着くが、たまに逃げたくなることもある。今日はそんな日だった。
 人外魔境跳梁跋扈する往来であっても、己とは全く係わり合いのない人外魔境が跳梁跋扈しているだけなら無害である。
 ああ、この世界に錯乱していたあの日は遠くなったのだなあ。
 塵が溜息とともにそれを走馬灯――もとい単に回想しようとした時その罵声は往来に轟いた。
「喧しいちゅーんじゃ!」
「あ?」
 ふと顔を上げた。そして目が合った。瞬間、実に痛そうな『バキッ』と言う音がした。
 そのタイミングのよさが毎度陣を不幸へと引きずり込むのかもしれなかった。

「……何故」
「いやーおっちゃん強いわぁ、うち大助かりやん!」
 麦は明るく声を上げた。声だけでなく手も上げつつ。
 そう綺麗な女の子と言うものは目立つ。目立つと虫も集まってくる。
 それが炎とわかっていても虫と言うものはそこへと飛び込んでしまう。それもまた習性というやつなのだ。
 そして麦に吸い寄せられた虫は見事に炎に焼かれた。
 問答無用で麦が正拳突きを叩き込んだからである。その瞬間に目が合ってしまった塵は、何故だか全くわからないままにその場の乱闘に巻き込まれている。
「何で俺が!」
 ばき。
「こんな連中相手にこんなところで喧嘩しなきゃならんのだ!?」
 ばきばき。
 怒鳴りつつも手は休まないのは戦士としての職業病と言うものなのかもしれない。
 麦は激昂して向かってくる男を容赦なく蹴り飛ばしつつ上機嫌で答える。
「ありがとうさん♪」
「それで済ますなーっ!!!!!」
 ばきばきげしげし。
 一番不幸なのはこんな連中に関わる羽目になった麦の虫だったかもしれない。

 最初は三人だったはずがいつの間にやら往来を完全に巻き込んだ大乱闘大会と化してしまったそれにどうにか蹴りをつけ、更に役人から逃げることしばし。どうにか落ち着いたのは怪生物の温床――もとい塵が力技で作り上げた落ち着く中つ国風長屋であった。
「いやーおっちゃん惚れ惚れするわぁ!」
 がっしりと塵の腕になついた麦はすっかり上機嫌だった。
 思い切り暴れて気が済んだのか、はたまた本気でこの中年に惚れてしまったのかは定かではない。
「……何故懐く?」
「袖刷りあうのも他生の縁いうやん!」
「いやそれは確かに言うがなー……」
 と、肯定を示した辺りで負けである。
「そやろそやろ! つわけやからおっちゃん、うちんコト案内したってー」
「何でそうなる!」
「だから縁やいうてるやん!」
 にぱっと満面に笑う麦を見下ろして、塵は深く嘆息した。
 何言っても無駄だと言うことを妙に納得させてしまう、不可思議な説得力のある笑顔だった。
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聖獣界ソーン
2004年04月26日

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