▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『真夜中の拾いもの 』
蒼王・翼2863)&緑皇・黎(3026)

 夜更け。
 黒い雲が輝く月を僅かに隠した時刻。

 私用があり、出かけていた蒼王・翼(そうおう・つばさ)は調子よく車を走らせていた。
 私用で少々疲れたこともあり、今はまっすぐに自宅のマンションへと向かっている。
 車の窓は、半分ほどまで開けたままにしていた。

 こうしていれば、外の風、大気、闇。この自分に親しいものすべてを感じながら駆けることができるからだ。
 強い風がいたずらに翼の淡い金色(こんじき)の髪を嬲り、時折、その激しさに翼は青い目を細める。
 日頃は鋭く、冷えた光を宿す目も、今はどこか気を抜いて、和やかな残り火だけを灯していた。
 昼間は激しい熱気を吹き上げていたコンクリートも、夜の風に馴染んで、涼やかになり。人気の絶えた道路を走る、その道行は随分爽快なものだった。
 人の多い場所が嫌いなわけではない。仕事柄、そういったものには慣れている。だが、自ら選んで浸りたくなるのはこんな宵闇の静寂の中だ、と知っていた。
 ――――もう少しだけ、飛ばしてもかまわないだろうか。
 そんなことを考えながら、ギアを入れ替えようとしたその時。
 耳元で鳴る風の声が、急変した。
 細く、高く。
 一種耳障り、とも言える音が翼の耳に針のような鋭さで突き刺さる。
 ほとんど反射的に『何か』の存在を感じ取り、翼は強引にハンドルを切った。
 その直後、ほんの一瞬も間をおかず、薄暗い、何とも知れない物体が凄まじい勢いでコンクリートに叩きつけられる。鈍い音と、タイヤが地面とこすれてあげる悲鳴とが重なり合って、翼は目を顰めた。
 できるだけ車を脇に寄せてから停車させる。今少し反応が遅ければ、得たいの知れない物体は自分の愛車のバンパーに激突していたことだろう。それを考えると気分が悪くなるので、考えないことにして、原因不明のものが落ちてきた方向に目を向けた。
(…………何か、光っている?)
 一定間隔で取り付けられた街灯の明かりの中に、薄ぼんやりと浮かんだ銀色の異なる光が明滅を繰り返している。
 そのすぐ傍に、ここからでははっきりとはわからないが何か、黒いものが粗大ゴミのように横たわっていた。
「…………」
 不審な表情をその顔に貼り付けながらも、翼はとにかく車から降り立つ。
 辺りはしん、と静まり返って、自分の足音が妙に大きく響いた。
 そうして光の近くまで歩み寄った翼は、「これは……」と困惑した声を上げる。
 片方――――黒い塊は、異形の死骸だった。どう見ても、まっとうな生物のものではない。
 完全に事切れている。恐らく、何者かと争って殺されたのだろう。見事な切り口だ……。だが、翼にとってこちらは特に問題ではない。よく見る光景だ。
 そのまま、視線を左後方に向け、数瞬それを凝視したのち、近づいた。

 ――――男のように、見えた。
 だが、その姿もまた人間のものではない。
 白く、この闇の中に浮かび上がる肌を飾るのは鮮やかな緑の髪。目は、閉じられている為何色なのかわからない。
 所々、傷を負っているが、最も目立つ傷はその背からのびた薄透明な羽と、額からのびる触角のものであった。
 元は、とても美しいものであろうに。繊細な羽は無残にも切り裂かれ、淡く銀を散らす触角の一本はその一部が欠けていた。
「一体、どういう生き物なんだ、これは……」
 少々茫然と呟きながら、翼はとにかく男の傍らにしゃがみこむ。
 すると、男は薄く目を開け、か細い吐息を吐き出した。
「おい、意識があるのか?」
 軽く頬を叩くと、薄く開かれた眼差しが翼にぼんやりと向けられる。目の色も、緑だった。
「……紫銀? ……来てくれたんですね……」
 そうして、安堵したように男は目を閉じると、首がかく、と力を失った。――気を失ったらしい。
 首の角度が変わった拍子に、その緑の髪の隙間から、細長い、童話に出てくるエルフのような耳が覗いているのに気づいた。
(紫銀……知り合いと間違えたのか。いずれにしても、放っておくわけにはいかない)
 必要がなければ男など関わりたくもない人種ではあったが、負傷者とあっては仕方がない。
 急な処置を要する傷がそれ以外にないかどうかをざっと確かめ、翼は軽々と男を担ぎ上げた。
 車のシートがこの男の血で汚れないかどうかが、少しだけ心配だった。

§

 男を担ぎ上げたまま我が家の玄関までたどり着き、手慣れた様子で電気のスイッチを探りながら、翼は今が真夜中でよかった、と嘆息した。
 望もうが、望むまいが表での顔が名の知れたものである以上、些細なこともすぐに注目を受けてしまう。男との噂などまっぴらだった。
 光が数度忙しく明滅して、自分の安らぎの空間が外の闇と、人工的な光の中に映し出される。
 物のない部屋だ。ただ、だだっ広い部屋。
 女の部屋とは思えないほどに、それは簡素で、必要最小限のものしか置かれていない。
 冷たいフローリングを踏みしめながら、翼はまず男をリビングの床に横たえ、手早く手当てをした。
 一連の動作は、いつも自分の身に向けて行うこと。大した手間でもない。きびきびとした動作で、汚れた箇所を拭い、清潔な布を巻いていく。
 ただ、男の身体が通常のものとは違った為に、ほんの少しだけ手間取った。
 それを終えるとまた男を抱えあげて寝室に向かい、自分が使っているベッドに男を横たわらせる。このシーツはもう使えないな、と当たり前のように思った。
 そうしておいて、閉めたままだったカーテンをほんの少し開き、窓を開けて外の風をいれ、自分はそのまま寝室を出て、キッチンの冷蔵庫を無造作にあける。
 中からミネラルウォーターを取り出し、渇き気味だった口の中を湿らせると、ようやく首の上まできっちりと着込んでいたシャツのボタンをはずし、少しだけくつろぐ。
 そうしてからまた寝室まで戻ると、先ほど開け放った窓の傍らで、激しくカーテンが吹き嬲られていた。――風が、騒いでいる。
「どうしたの…………?」
 およそ、翼を知るものが聞けば驚愕するだろう、というような柔らかな声で、翼は心を騒がせる風に話しかける。
 風は男が眠るベッドの傍らを吹き抜け、翼の周りをつむじ風のようにくるくると舞った。
 さやかな声が、翼に届く。
「…………ああ、そうか。そうだったんだ。キミたちの、友人なんだね。……安心して。大丈夫だから」
 大した怪我じゃない。すぐに、治るよ。
 しきりに男のことを心配してくる風にそう言い聞かせ、翼は今一度男を見やった。
 風が月にかかる雲をはらいのけ、窓の隙間から差し込んだ月光が男の顔を照らす。
 一見、それはひどく美しい女のような顔だった。穏やかな呼吸を繰り返す身体も細身で、おおよそ戦闘に向いているとは思えない。――――最も、外見からすれば自分とて似たようなものだが。
 軽く苦笑して、いまだ心配げに部屋の中を駆け回る風を宥め、翼は夜が更けていく寝室を出た。
 あまりに姿を現した月が綺麗だったから。リビングで、月を見ながら酒でも飲もう、と思っていた。
 静かに、寝室の扉を閉じる。
 ベッドに横たわった男がうっすらと目を開いたのは、そのすぐ後だった。

「…………ここは」
 ぽつり、と、緑皇・黎(りょくおう・れい)は唇から言葉をこぼす。
 すぅ、と開いた深い緑が、まだうまく定まらない様子で辺りをふらつく。
 まだぼんやりとぼやける視界。
 簡素な白い部屋と、身体が沈む、柔らかな感触。
 自分は何故こんな場所にいるんだろう……?
 確かに見知った人が来てくれた、とそう思ったのに。
 ふわつく頭でそう考えていると、一陣の風がすぐ横のカーテンを揺らして、彼に吹き付けた。
 風は、彼の友。
 黎は眩しそうに風が舞う様を眺めながら、どうして自分が見知らぬ場所にいるのかを教えられる。
「私を助けてくれた人が……そう、ですか。あの人では、なかったんですね……」
 早とちりをしてしまって、と苦笑する黎を、風が慰めるようにさわさわとさざめいた。
「……ええ、そうですね……きちんと、お礼を。だけど、今は、あともう少しだけ――――……」

 ――――眠らせて。

 傷を負ったばかりの身体は、睡眠を求めて、再び黎の意識を薄闇の向こうへ誘っていく。
 耳元で、風が、謳う。さやかに。けれども、高らかに。

 風の王、と謳われているのが自らを助けた少女――――翼のことだった、と気づいたのは、黎が再び目を覚ました眩しい朝のことだった。


 ――数日後。
 翼はひどくうんざりした顔で何もない自分の部屋の床に足を投げ出し、壁に背を預け、雲が流れる青空に目を馳せていた。
 手元には趣味の悪い原色で飾り立てられた、週刊誌のトップ記事のページが無造作に転がっている。

【スクープ!! 若き天才F1レーサーとオペラ界の貴公子の熱愛発覚!?】

「……よほど暇なんだろうな」
 お世辞にも愉快とも言えない躍る文字列を眺め、この記事を書いた奴の頭の中身を開いて、細部まで検分してやろうか、と半ば本気で思いながら、翼はちらり、と窓の下を見やる。
 ……群がっている。ありえないほどに。
 翼のマンションの入り口付近にはいかにも、といった人の群れ。少し前まではひどく騒がしい声がここまで届いてくるかのようだった。
 管理体制の整ったマンションで痛み入る。
 それでもあまりに面白くなくて、翼は手元の週刊誌をばさり、と遠くに投げつけてやった。
 壁にぶつかって落ちた週刊誌は、だが辛抱強く同じページを開いて床に哀れな姿で転がっている。
 そのページのトップを飾る写真は、朝方、翼のマンションの入り口に佇む黎の姿がありありと写し出されていた。
 ……何ということはない。事実としては、体力の回復した黎が翼に礼を述べてマンションの部屋から辞し、外に出た。それだけの光景だ。
 そこを、ハイエナのような記者に見事にすっぱ抜かれた。
 ただでなくとも話題になる二人だ。かたや、オペラ界の若き重鎮。かたや、F1界の新星、おまけに男の影など見るべくもない。
 勘繰られるのも無理はないかもしれない。そもそも、黎がそんな肩書きを持っていると知っていたら最初から自分の部屋になど連れてこなかった。
 迂闊。あまりの自分の迂闊さに、翼は差し出されるマイクに事実無根、と告げて身を翻すことくらいしかできなかった。
 当の黎自身は何の気にもしていないらしく、適当にのらりくらりと避けているらしいそのコメント欄でさえも非常に腹立たしい。
「……人助け、をしてもいいことばかりがあるわけじゃないな……」
 とんだ拾い物をした。
 そうして、翼は深いため息と共にまたぼんやりと流れる雲を眺めるのだった。

 ――――騒ぎがいつ収まるのか。そればかりは、風にも分らない。


END
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
猫亞阿月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年04月21日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.