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『生存理由 』
桜塚・金蝉2916)&蒼王・翼(2863)


 地中海沿岸の温暖な気候の中、客船Diamond Crown号は日の下にその洗練された美しいフォルムを晒していた。傷一つない白い船体を誇らしげに、彼の処女航海は華々しくスタートしたかのように思えた。
 このスタートが既に血生臭い事件に覆われていようとは、誰も思いもしなかったことだろう。
 新世紀が始まってまだ間もないその年の初めに、D.C.号の処女航海は予定されていた。全長200メートルの船体におよそ1500名の人間を乗せて、イタリアの南端から地中海を横切り、約一週間の航海を経て(勿論、途中ヨーロッパの様々な寄港地に立ち寄って)、イギリスのカンタベリに渡る。この煌びやかな計画に、各国の上流階級の人間がこぞって参加を申し出た。D.C.号には1等以下の船室はなく、まさしく金持ちのための客船と言えたからだ。
 航海準備は大きなトラブルもなく進んでいた。そして一週間後に出航が迫った頃――
 事件は、起こったのだ。



「……これと言った手掛かりも、問題もなし、か」
 甲板に集まった人の波から少し離れたところで、金蝉は彼らの様子を覗っていた。明かに自分とは性質の異なる者同士の表面上だけは和やかな腹の探り合いに、自然眉間の皺が深くなる。部屋に篭って独りで酒か煙草をやっていたかったが、今回ばかりはそういうわけにもいかなかった。
 ただ見ているというのも手持ち無沙汰で、煙草を1本取り出して咥え、火を点ける。ゆらゆらと立ち昇った紫煙が後方へと流れていった。体を反転させて背を柵に預け、ぼんやりとその行方を追う――航海ももう、4日目に差し掛かっていた。

 船内スタッフが航海準備中に変死体となって発見されたのは、10日程前のことだ。
 死体の両手首と首筋に血管まで達する刺し傷があったことと、死体に血液が一滴も残っていないことから、事情を知る一部の関係者、及びこの航海に招かれた幾人かの高名な“エクソシスト”等からは『ヴァンパイア・ジェスト』と呼ばれていた。
 ……現在までの結論から言うと、航海を安全なものにするために雇われたエクソシストは、非常に有意義な時間を過ごしている。
 有体に言ってしまえば、その出航一週間前の事件以来、ヴァンパイア――或いはそれを真似てみせたシャレの利いた犯人――は、姿どころかそれに続く事件すら起こさなかった。
 そうして何の進展もないまま、航海日程の半分が過ぎ去ってしまったのである。

 ふと空気の流れに澱みを感じて、金蝉は思考の深みから浮上した。視線を巡らせてその根源を探り当てる――いた、アイツだ。
 それはまだあどけなさの残る少女の装いをしていて、自分よりも薄い色の金色の髪と、闇の中で見るような海の深い青の瞳を持っていた。
 彼女は傍らにいた、恐らく父親であろう人物が乗り合わせていた客に話し掛けられると、その側を静かに離れて一人で海を見つめた。そうして視線を感じたのか、何とはなしに金蝉の方を振り向く……。
 目が合って、金蝉は一歩を踏み出した。少女に向かって真っ直ぐ歩き、そしてそのすぐ側まで来て低い声で告げる。
「お前に用がある」
 威圧の篭った声に少女は少しも怯むことなく、さらりと言った。
「僕にはない。初対面の人に、そんな風に言われるような覚えも」
「よく言う。ヴァンパイア風情が」
 ともすれば嘲笑さえ含んでいそうなその響きに、少女はカッとなって顔を上げた。すると漆黒の、一点だけ光を灯した瞳が、有無を言わさぬ力強さでこちらを見下ろしていた。
「時間は掛けないつもりだ」
 言動からして明かに自分の存在を滅殺しようとしている相手に溜息を吐き、それでもこのままでは拉致が開かないと悟った少女――翼は、しぶしぶと彼の後に付いて行った。

「どういうつもりか知らないが、僕は人間に危害を加える気は……」
 言い終わらない内に殺意を感じ取り、咄嗟に身を横へずらす。左頬を掠めていった弾丸は、翼の後ろの壁にめり込んで勢いを失った。前方では金蝉が、銃口から燻る硝煙の向こうで酷薄な笑みを浮かべている。
「言っただろ。時間は掛けないつもりだ、と」
 そう言った金蝉がハンマーを起こすのを見て、翼も素早く隠し携えていた細身の剣を抜き、間合いを取って対峙した。剣だと間合いは詰めた方が良かったが、相手は既に照準を合わせ終えている。間合いを詰めてしまえば避け切れない。
 不利な状況に翼は思わず舌打ちしかけたが、それは唐突に上がった悲鳴によって掻き消された。
「何だ……?」
 瞬間的に目の前にいるヴァンパイアよりも、もっと悪性の高いもの――力の強大さではなく、性質的な意味で――がこちらへ迫ってきていることを、金蝉は感じ取った。
「ヴァンピーナだ……」
 翼がそう呟いたのとほぼ同時に、2人の前に小さな妖精が現れたのだった。



 どういうわけかヴァンピーナ――吸血妖精は、翼に襲い掛かって来た。小さな体を最大限に利用し、素早い動きで翼を翻弄しながら攻撃をしかけてくる。翼はと言えば、防戦一方といった様子で、碌に攻撃を仕掛けようとしなかった。
「アナタは自分の兄弟をその手に掛け、それでも自分は平然と生きている。体の中に流れるヴァンパイアの血を捨てることなんてできっこないのに。ねぇ、何故彼等を狩るの?自分の命を絶とうともせずに。アナタだって……」
 ――彼等の仲間じゃない。
 翼にはしっかりと聞こえたその台詞は、しかし実際には紡がれることはなかった。自分の心音の高まりに呼応したかのような銃声。そして羽根を撃ちぬかれて僅かによろめいたヴァンピーナ……翼は困惑のままに背後を振り返った。
 金蝉は苛立ちも露に、銃口を再び翼に向けていた。
「お前は一体何がしたい?覚悟もねぇくせにうろちょろしやがって目障りなんだよ。やるならやる、逃げるなら逃げる。それぐらい自分で決められねぇくらいなら死んじまえ。何なら俺が今すぐにでも殺してやる」
 手柄が増えて一石二鳥だしな、と金蝉は僅かに口角を持ち上げた。冷たい言い草に、だが逆に翼の奥底でつっかえていたものが溶けていくような心持がする。翼はゆっくりと瞬きを1回、そして手にした剣を胸の前に翳した。
「――やるさ。僕にはそれしか出来ない。……ずっと前に選んだ道だ」
 そして彼女は飛べずに床を這いずっていた小さなヴァンピーナを、鋭い剣の切っ先で貫いた。
 そう、これこそが生存理由なんだと、胸の内で、死んでいく同族に答えながら――。



                          ―了―
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東京怪談
2004年04月19日

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