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『ある日常の事 』
本男0589

「他を当たるんですね」
 男の発した言葉は冷たく、他人を拒絶する。だが、そんな言葉を投げられた男は食い下がる。
「お願いだ!金なら幾らでも払う。あんたしか彼女は救えないんだろう?!な、お願いだ……」
「私は医者ではありません。ただの本の行商人ですよ。何か勘違いされてるのでしょう」
 マントに掴まろうとした男の手をするりと逃げると、本男は冷やかな一瞥を男にやると大通りへと出た。
「頼む。彼女に会うだけでも……」
 尚も本男に食い下がりながら大通りへと出た男に声がかかった。
「あら、何をしてるの?」
 穏やかな優しい声音。儚げな雰囲気にも他人を引きつける様な輝きを持った女性の肩口で切り揃えられた金色の髪がふわりと女の微笑みと一緒に揺れた。
「……どうして、ここに?」
 男の問いに女は眩しそうに目を細めて空を見上げた。
「今日は気分が良いからお散歩していたの。そちらの方は?」
 女の視線が本男に向けられる。
「え……あ、ぅん」
 どう話すべきか口篭る男を遮るように本男は一歩女性に歩み寄り軽く会釈をした。
「私の名は本男。彼が探したい本があると私に尋ねてきたのです」
「まぁ、貴方は本屋さんか何かで?」
「えぇ、本の行商をしています」
 その言葉に女性は嬉しそうに笑みを大きくした。
「わたし、本好きなんです。今度、どんな本があるか見せてくださる?」
「えぇ、勿論ですよ。いつでも歓迎します」
 紳士的な微笑みを浮かべ、本男は軽く呆然と立っている男と女性に頭を下げるとマントの裾を翻した。
「では、私はこれで」
 本男の興味は全て本に尽きると言っても過言ではない。
 本以外に興味が向けられ、それこそ本以外で彼にとっての『特別』なものが出来るのは今までで片手の指で事足りるだろう。
 本は様々な知識を彼に与えてくれる。歴史、語学、地理、医学、科学、そして黒魔術。本男にはもう一つの顔、闇医者としての顔があった。だが、それは自己流で全て文献から得たもの。また、それで生計を立てようとなど考えてもいない本男にとっては、自分が本を手に入れるための手段の一つとしてしか思っていなかった。
 本男は立ち止まり、振り返る。
 あの男と女の姿は雑踏に紛れて見えない。
 しばらく見ていた本男は再び大通りを歩き出した。

「こんにちは。こちらに居ると聞いて……お時間宜しい?」
 紅茶屋と称した喫茶店の扉を開けたのは、大通りで会った女性だった。
 本男は読んでいた本にしおりを挟んでテーブルの上に置くと、立ち上がり、自分の前のイスを軽く引いて女を招いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 本男は知り合いである店長に紅茶を二つ、と言い置き席に座る。
「今日はどういったご用件で?」
「本を見せて頂きたくて」
 まるで少女のような笑みを見せる女に本男はテーブルに無作為に乗せられていた本を並べながら尋ねた。
「ご希望のジャンルはありますか?もし、私の手元にない本をご所望なのでしたら探しますのでご安心を」
 銀縁の伊達眼鏡をかけ、いつもの商談のように話を進めていた本男は女性の微妙な変化に口を止めた。
「どうかなさいましたか?」
「いえ……」
 女性は少し悲しそうな笑みを浮かべて、目を伏せた。
「探して頂いたとしても、受け取る事は、出来ないかもしれませんので……」
 暗に含んだ言葉の意味を問いただすような事を本男はしない。自分には関係がないから、という理由だけではない。聞いた以上は何らかの関わりを持ち大なり小なり責任を果たさなければならないだろう。背負い込めないなら軽々しく首を突っ込むのは無責任というものだ。
 黙ってしまった二人の前に紅茶が置かれると、本男はいつもの冷静な声で言った。
「で、ご希望の本は?」
「あ、そうでしたわ。……えっと、昔のお話……推理ものもいいわ。あ、たまには童話もいいかもしれない」
 にこにこと楽しそうに迷うわ、と口にした女性に本男は小さく微笑んだ。
「でしたら、貸本はいかがですか?」
「まぁ、そんな事もしていらっしゃるの」
 目を軽く開いて真っ直ぐ視線を向けてくる女性に本男は頷くと傍らに積み上げられていた本から一冊取り上げ、彼女に手渡した。
「まずはその本など良いかと思います。ありきたりな内容ですが、言葉がとても美しい」
「そうなんですか……」
 女は頬に触れた髪を掻揚げながら、本をパラパラとめくると本男に微笑んだ。
「では、これお借りしますわ」
 立ち上がった女性は軽く一礼し、紅茶屋から出て行った。
 女性が去ったのを確認すると、紅茶屋にいた顔馴染みの者たちから様々な質問やら本男にとっては心外な推測やらが浴びせられたが、生返事をしただけで本男は胸の前で手を組み、深くイスに体を沈めた。

「……どうも」
「何か?」
 女に本を貸した数日後、本男の前に現れたのは路地で本男に頼み込んでいた男だった。無愛想な顔で本男に一冊の本を突き出す。それは、あの女性に貸した本だった。
「彼女、また具合が悪くなってな……新しい本を借りるように頼まれた」
「そうですか」
 顔色一つ変えず本を受け取った本男の胸倉を男は掴み引き寄せた。激しい怒りを込めた目で間近にある本男の顔を睨み、男は低く抑えた声を出した。
「彼女は、もう、長くない。医者にも、見離されてる。だが、あんたは治せるんだろう?だったら、何故助けてくれない!!」
 ゆっくり、言葉を搾り出した男の語尾は激しく本男に叩きつけられた。
「彼女が言ったのですか?」
「……何?」
 眉を寄せた男に、本男は冷静に言葉を紡いだ。
「彼女が助けてほしいと言うのなら考えましょう。貴方はこの事を彼女に話したのですか?」
「……まだだ」
「彼女がどんな病気か知りませんが、確かに私には様々な病を治すだけの知識はあります。ですが、正規の医者ではありません。そこのところは、わかっているのでしょうね?」
 ただ黙っているだけの男に本男は大げさなほどの溜息をついた。
「出直すのですね」
 それだけ言うと、本男は中断された読書を始める。男は何か言いたそうにしていたが、やがて足音も荒々しく戸口に向かい、激しく叩きつけるように扉を閉めて出て行った。
「やれやれ……」
 小さく溜息をつき、本男は窓へと目をやった。芽吹き始めた木の芽が春の光の下で輝いているように見える。
 眩しさに目を細めながらしばらく外を眺めていた本男は顔を元に戻し、そして気がついた。
「……本を、渡すのを忘れてましたね」
 もう一度溜息をついた本男は適当に数冊本を鞄に入れると立ち上がり、外へと出た。

 名前も知らない人を探すのは時間がかかるだろうと本男を高を括っていたのだが、以外にも簡単に女の家はわかった。どうやらちょっとした有名人らしい。途中で尋ねたおばさんは聞きもしないことを喋り、本男はただ黙って頭の中で今まで手に入れた本の題名を思い返してやり過ごした。
 その噂好きなおばさんの情報では、あの女性は治療法が確立されていない難病にかかっている事。あと余命が幾らも無い事。女の病を治したい男は、幼馴染で彼女と婚約している仲だと言う事。
 本男が女性の部屋に案内される頃には、少しばかり機嫌が悪くなり無表情になりかけていた。だが、一瞬にしてそんな感情は消えてしまった。
 窓から差し込む柔らかい光を浴びて、ベッドに半身を起こしている女に本男は不覚にも心を奪われてしまったのだ。ゆっくり顔を本男へ向けた女はそれが誰であるか認知すると柔らかい笑みを浮かべ、中に招いた。
「ようこそいらっしゃいましたわ。どうかなさったの?」
「貴方の彼氏殿が本を持っていくのを忘れていたので、届けに来たのですよ」
 静かに歩み寄り、本男は本を手渡した。
「わざわざありがとうございます」
 女は受け取った本をキルト刺繍のされた掛け布団の上に置くと、しばらく俯いていた。
「……彼から聞きました。ごめんなさい、彼が無理なお願いをしたようで」
「いいえ……」
 女性は窓の外を見ながら、静かに尋ねた。
「……本当にどんな病気も治せるのですか?」
「私の用いる方法は、決して世間的に認められているようなものばかりではありません。ですが、お望みとあれば……」
 本男は静かに、彼女の返事を待った。金色の髪がゆっくり風に揺れ、張り詰めていたような雰囲気がふっと解れた気がした。
 本男を振り返った女性は微笑み、静かに首を横に振る。
「私が病気になったのはきっと運命なのでしょう。人も動物も植物も全て生きて死ぬのが定め。それを抗い生き続けるのは……」
 一度言葉を切った女を本男は静かに見つめる。
「決められた時間があるから、この世が輝いて見えるのだと思うの。私は残された時を生きますわ」
 本男は静かに頷くと優しく微笑んだ。
「昔、貴方と同じような事を言った人がいましてね……彼女も今の貴方のように輝いていて、美しかった」
「ありがとうございます」
 本男と女は見つめ合い、微笑んだ。それ以上語る事など、二人にはなかった。
 本男は静かに一礼すると退室した。

 男は本男を見つけるなり本を投げつけた。
「なんですか、突然。本を投げつけるなど、なんという……」
 床に落ちた本を拾い上げた本男は息を呑んだ。
 柔らかい皮で作られたブックカバーは砂で擦られたのか細かい傷がつき、不自然にへこんだ後が本の形を歪めている。そして、どす黒くシミのこびりついた本はあの女性に貸していたものだった。
「彼女は死んだ。あんたにな、その本を返しに行く途中で倒れたんだ。道で倒れて、荷馬車に踏み潰されたんだ!」
「そう……ですか」
 顔を上げ、そしてまた血汚れた本に目を落とした本男に男は詰め寄り、きつく肩を掴んだ。
「聞いたんだ……あんたは、人を逝き返らせる事も出来るんだろう?お願いだ、彼女を……!」
「断る」
 男は一瞬ぽかんとした顔をしたが、目を見開き顔を赤くして怒鳴った。
「何故だ!!あんた、俺になんの恨みがあるってんだ!」
「別に貴方に恨みなんてありませんよ。貴方のエゴだけで彼女を生き返らせるなんて事はしたくないだけです」
「な、んだと?」
 怒りと当惑に震える男に本男は冷たい視線を向ける。
「何故彼女を生き返らせるのです?彼女が可哀相だから?彼女に会いたいから?きっとまだ彼女は死にたくなかったはずだから?」
「そ、そうだ」
「何故そう言えるのです?彼女に尋ねたのですか?それとも、彼女はきっと俺と離れ離れになって悲しんでいるに違いない。だから、傍にいてやる為に生き返らせると」
「おい、お前!」
 淡々とした口調だが、明らかにトゲを含んだ物言いに男が声を荒げる。
「何が言いたいんだ!俺が、俺の妄想だとでもいうのか?俺と彼女は婚約してたんだぞ!?そんな事、当たり前じゃないか」
「当たり前?」
 片眉を上げて、本男は声を少し大きくした。
「例え貴方たちが夫婦になったとしても見るものや考える事が同じである事は、決してありえないのですよ。それが、生と死という生命の根源に関わる事なら尚更」
「あんた……何が、言いたいんだ?」
「彼女は自分の運命を受け入れていた。それが多少、早まったのだとしても彼女は未練など何も、この世界にはないでしょう。それこそ、死人にあれこれ死にたくなかっただろうに、だとか未練があるだろう、だとか生きている者が理由をつけるのは勝手な空想でしかない。ましてや己のエゴで使者を呼び戻すなど愚かしい」
「お、愚かだと?」
 わなわなと唇を戦慄かせながら後退りする男に本男は目を細めた。
「何度でも言いましょう。彼女は『死』という運命に逆らう事を喜びはしない。このまま眠らせる事です」
「お前に、何がわかる!?お前に彼女の何が分かるってんだ!それこそお前の勝手な空想だろうが!!」
 怒鳴り、髪を振り乱す男に本男は抑揚のない声で言う。
「どう思おうと、貴方の勝手です」
「お前に、お前なんかに……俺の気持ちはわからない!」
「えぇ、分かりませんね。ですが、大事な人を失う絶望感は知っていますよ」
 すっと男の顔から怒りが消える。固まったように動きを止めた男に本男は無表情に出口を指し示した。
「用が無いのでしたらお引き取りください」
 男はしばらく本男の顔を凝視していたが、やがてのろのろと体を反転させ扉の影へと消えた。
 力なく閉じられた扉をしばらく見つめていた本男は小さく、呟いた。
「そう……今もね」
 静かに、本男は目を閉じる。瞼の裏に思い出されるのはベッドの上で穏やかな風に髪を揺らしていた女の笑顔と、あの時自分の腕の中で愛していた女の顔。彼女を失った時の感情は、今も胸の奥に重く蹲っている。
 それでも、本男は愛した人を忘れないだろう。傍にいなくとも、頬に触れられなくても……


PCシチュエーションノベル(シングル) -
壬生ナギサ クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2004年04月19日

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