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『ユリとオオカミと大ジョッキ 』
藤井・百合枝1873)&藍原・和馬(1533)


 その日、藤井百合枝の心は近年稀にみる荒みっぷりだった。
 仕方ないのだ。自業自得だ。分かってはいる。ミスをしたのは自分だし、そのことで何を言われてもしょうがない。
 パソコンのサポートセンターは基本的に電話を通しての接客業である。クレーム対応にも過敏になるだろう。
 だが、人間、頭で理解はしても感情がそれに賛同してくれないことなどよくあることだ。
 百合枝はご機嫌斜め絶好調な勢いをそのままに、暗い夜道を妹の家に向かって歩き続ける。
 電話は入れてないが、多分今夜も彼女は居候と一緒に家にいるはずだ。
 大学院に進んでも夜は相変わらずネットゲームに嵌っているという話しだし、奇襲をかけても大丈夫だろう。
 ストレス発散にはおしゃべりが一番だ。
 手土産用に新製品のお菓子を持って、妹の新しい部屋へ。
 だが、百合枝がそこの玄関チャイムを鳴らすより先に、後ろから声を掛けられた。
「え?」
「ども。こんばんは」
 ヘラリと笑い、暗がりから片手を挙げて出てきたのは、非常によく知る長身の男だった。
「和馬、あんたなんでここに?」
 藍原和馬――妹と妙に(しかも最近特に)仲の良いため、自分内ではとりあえず宿敵認定となった男。
「ん〜?いや、あいつを目的地まで送り届けた帰りだったりするんだが、たまたま百合枝を見かけてここまで追いかけてきたんだけど?」
 いつもの軽い調子で笑っている。
「つーわけで、あいつなら出かけてるぜ?」
「……そう。分かった。どうも」
 そっけなく返事をすると、不機嫌を解消し損ねた百合枝は険しい表情のまま和馬の横をすり抜けて階段に向かう。
「あ、おい!遅いし、車で送ろうか?」
「いや、いい」
「なんでだ?この辺は物騒だし、女の一人歩きはよした方がいいぜ?」
「そんなにヤワじゃない。変質者なら叩きのめすまでだ」
「でも最近ナイフ振り回す通り魔とか増えてるぜ?人間じゃねえかもしれねえし?」
「……………う」
 和馬の言葉に思わず一瞬言葉に詰まる百合枝。
 しばし葛藤。
 そして、
「あんたになんか遭ったらアイツが傷付くだろうが。どうよ?」
 まさにトドメの一言だった。
 仕事中からずっと引き摺っている苛々はまだ消えていない。この行き場を失ったストレスを八つ当たりという形でぶつける可能性も充分に考えられる。そもそも宿敵に頼るのは悔しい気がする。
 だが、安全には代えられないかもしれない。
「……じゃあ、頼むよ」
「おう!任せとけ。しっかり送り届けてやるよ」
 不本意ながらも告げた承諾に、和馬は思い切り嬉しそうに笑って見せた。
 そして促すように軽く肩を叩くと、ご機嫌で自分の前を歩き出す。
 百合枝は静かにその背中を見つめた。
 目を凝らせば、彼の中に炎が映る。一見お調子者にも取れる言動の裏側で揺らぐ、孤独に染まり、ひどく哀しい青の色彩。
 妹に近付いて欲しくないと思うのは、多分いつかこの男があの子を傷つけることになるかもしれないという不安感のせいだ。
 どこかに諦めの混じるこの男は、すでにヒトの理から外れてしまっている。
「百合枝?どうかしたか?」
 不意打ちで振り返った彼に無言で首を横に振って応え、ゆっくりと後に続いた。


 繁華街に近付くにつれて街の明かりはその明度を上げ、行きかう人々もまた比例して増えていく。
 多少不本意ながらも助手席に収まった百合枝は、黙って窓の外に流れていく景色を眺めていた。
 彼の掛けるMDは思いのほか趣味が良いことに少しだけ感心したが、それでささくれてしまった心が癒されることはなかった。
 今夜一晩このグルグルとした不快さと一緒に過ごさねばならないかもしれない。
 そんな覚悟をし始めた頃、
 ぐうぅううぅ……
「!!」
 百合枝の身体が空腹を訴えて盛大な音を響かせた。
 運転に集中していたはずの和馬がこちらを見ている。
「飯、食ってねえんだ?」
「あ、いや」
 ごまかしようのない恥ずかしさに思い切り顔が赤くなっていく。
「なんだ。それならそうと言ってくれって。こんな時間だし、飲み系レストランでいいか?人間、腹が減ると心が更に荒むんだぜ?」
「え?いや、だから」
 そんなことはしなくてもいい。
 だが、そう言おうとするより早く、和馬はウィンカーを上げてするりと流れから抜け、近くに迫っていたレストランの駐車場に滑り込んでしまった。
 口を挟む暇を与えず、あっという間に百合枝は腕を引かれて店の中に入り、気付くとボックス席でメニューを向き合うという状況に置かれていた。
「なに頼む?しっかり食わねえとよくねえぞ?」
「ん、分かってる……」
 はじめはこの思いがけないスピード展開についていけなかった百合枝も、ずらりと並ぶ豊富なメニューを前にして次第に意識はそちらに向かっていった。
 そういえば以前本か何かで見た気がする。
 苛々する時には甘いものに限る。思う存分甘いものを食べればイガイガした気分もすっきり良くなる。思い切ってチャレンジしよう。
 この文句が何故か唐突に頭に浮かぶ百合枝に対し、メニュー表はうってつけのものをそこに提示していた。
「ジョッキパフェひとつ」
 丁度通りがかったウェイトレスへ迷うことなく注文する。
 あっけに取られる和馬を他所に、待つこと5分少々。
「お待たせいたしました」
 ごとん…という重厚な音ともに彼女が運んできたのは、アイスクリームとソフトクリームと生クリームが大半を占め、チョコとウェハースとポッキーと角切りフルーツが詰め込まれた巨大なパフェだった。
 ビールの大ジョッキを器にした代物は写真で見るよりかなりの迫力だ。
「……すっげぇ……」
「………」
 至極自然な動作で百合枝と和馬に前にスプーンをセットし、最後にホットコーヒーを置くと、ウェイトレスは一礼して下がっていった。
 しばし呆然とパフェを見つめる2人。
「なあ、百合枝?コレひとりで食えんのか?」
「……食べられる。問題ないよ」
「いや、食えるんならいいんだけど……無理はすんなよ?」
「無理じゃない」
 百合枝はスプーンを取り上げると、躊躇などはじめから無かったかのように大ジョッキパフェの巨塔へ果敢にも挑んでいった。
 多分、コレは意地なのだ。
 だが和馬に気遣われるたびに闘争心のようなものが燃え上がる。
 ぐるりとジョッキの縁を取り巻く生クリームを掬い取り、溶け始めたアイスをひとつふたつと消費して、時々冷え切った角切りフルーツを口に運んで味に変化を持たせてみる。
 空腹だったということもあり、冷たく甘いアイスの塔は順調に切り崩されていった。
「俺さ、実は結構甘いもん好きなんだけどな?百合枝も好きなのか?」
「自分で作るくらいにはね」
「………あ……………そういや、そうだったな……」
 シュークリーム。アップルパイ。イチゴのショートケーキにベークドチーズケーキ……他ありとあらゆる手作り菓子を食す羽目となった被害者の生の声を聞いている和馬が、視線を逸らし乾いた笑いを洩らす。
 だが、百合枝はひたすらジョッキと闘っていたため、それには気付かない。
 食べても食べてもなかなか減らない。
 アイスはこれで何個目だろう。
 まだ半分以上みっしりと器に詰まっているのに、早くも胸がいっぱいになりつつある。
「……百合枝?ああと、なんだ……大丈夫か?」
「……………大丈夫だよ」
 少し寒気がする。
 内側からどんどん身体が冷えていくのが分かり、4月だというのに妙にざわざわと鳥肌が立つ。
 だが負けるわけにはいかないのだ。
「残したっていいんだぜ?何なら手伝ってやろうか?」
「いや、いい!一人で食べきる」
「でもなんか顔色悪くね?」
「悪くない」
「寒くなってねえ?無理すんなよ?」
「……ひとりで食べるんだ!」
 頑なにひとりで挑むと言い張る百合枝に、思わず苦笑を浮かべる和馬。
 いつのまにか周囲の視線が『夜遅い店内でパフェを挟んで言いあいを繰り広げる男女』という構図に集中していた。
 敏感すぎる聴覚を持つ和馬の耳には、ひそひそと交わされる彼らの話し声なども聞こえてくるのだが、百合枝はそれどころではないのか、まったく無反応だった。
 和馬とのやり取り以外ではひたすら無言となって、一口食べては手を止め、眉をよせてまた一口を繰り返す。
 だから気付かなかったのだ。
 周囲の視線にも、そして目の合ったウェイトレスへ和馬が合図を送り、追加注文を取り付けていたことにも。
 時々泡立った肌をさすりながら挑戦し続けること25分。
 残り3分の1…4分の1……5分の1………あと3口、2口……完全に溶けてしまったアイスを掬い取って口に入れ、
「ご、ごちそうさま……」
 かちゃん。
 カラになったジョッキにスプーンを落として、百合枝は溜息のように弱々しく勝利宣言を口にした。
 長い戦いだった。
 やけに疲労しているし、身体は芯から凍ってしまっている。
 だが、自分でも持て余すほどのイライラ感はかなり薄らいでいた。
「失礼いたします」
 勝利の余韻らしきものに浸っていた百合枝の前に、まるでそれを待っていたかのような絶妙なタイミングで紅茶が差し出される。
「え?」
 思わず顔を上げ、ウェイトレスと紅茶の間を視線が往復するが、彼女は微笑むだけですぐに下がってしまった。
「これ……」
 頼んだ覚えのないものの登場に戸惑う百合枝は、そこでようやく向かいに座る男を見た。
「飲んどけよ?俺のおごりだからさ」
 片肘を突いて首を傾げながら、和馬はいつものようにへらりと笑っている。
 だが、その心に揺れる炎はひどく優しい。
「…………」
 両手で包み込むようにティーカップを持つと、触れた手のひらにじんわりと熱が伝わってくる。
 一口飲めば、その熱が今度は全身に浸透していく。
 ほっと一息つけるような、心地よい温度。
 これが、彼が自分に用意してくれたものなのだ。
「……和馬」
「あん?」
「………ありがと」
「どーいたしまして」
 紅茶が少しずつ身体を温めてくれる。一緒に荒んだ心までも潤してくれるような気がした。
「んじゃ、帰りますか?」
 飲み終わるのを待って、和馬がテーブルの伝票を拾って席を立つ。
「ああ……ん、ちょっと待って」
「ん?」
「これ。お礼ってワケじゃないけど」
 本当は妹の手土産になるはずだったお菓子の入った紙袋を和馬に差し出す。
「へ?」
「私、しばらく甘いものはいいからね。あげるよ」
 照れ隠しがバレバレかもしれない。
 そう思いつつも押し付けた自分を、彼は一瞬不思議そうな顔で見つめ、それから嬉しそうにヘラリと笑った。
「サンキュ!百合枝!」
 見るからに浮かれた様子で、和馬はニコニコと会計を済ませ、半分出すという百合枝の言葉も聞かず受け取りもせずにさっさと駐車場へ歩き出してしまった。
 その背中を、ここに来る前とは少しだけ違う気持ちで見つめる自分がいる。
 妹に近付く宿敵認定済みの男。
 いつか妹を傷つけるかもしれない、ヒトの理から外れた男。
 だが――――
「百合枝?」
 車の前で和馬が訝しげに自分を振り返る。
「いや。ごめん、なんでもない」
「そうか?」
 何か聞きたそうな顔をしながら、それでも和馬は何も聞かずに助手席のドアを開けて待っていてくれる。
 ほんの少しだけ、彼に対するこの認識を改めてみてもいいかもしれない。
 もし向こうが本気なら、妹との関係をもう少しだけ考えてもいいかもしれない。
 ちょっとだけなら、あの子を任せることも考えてみてもいいかもしれない。
 本人にこのことは絶対言わないけれど。
「ありがと。じゃあ、よろしく頼むよ」
 百合枝は今日初めて彼に笑いかけ、それからすっと助手席に滑り込んだ。




END
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2004年04月13日

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