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『手の平の奇跡 』
久住・良平2381)&氷川・笑也(2268)

□■無垢なる獣

 終わらないかもしれないものを、自分の手で終わらせちゃいけない。
 だから、いつも必死に生きてきた。あの時も、あの時も。
 その意味さえ知らずに、ただ我武者羅に――。

 どんな時も“ありのままの自分”と“偽りの自分”に揺らぎ、傷口と心が軋んでも。
 いつか、俺の在るべき場所を見付ける為に。
 それはきっとどこまで行っても融合しない表と裏。
 誰もが“たった一人”だと知りながら、それでも誰もが“一人”じゃ生きて行けないから。
 諦めてるとか、そういうんじゃなくて、何も考えられなかった。まだ。
 俺自身、俺が何者なのかわからないでいる。決して望んだ訳ではない現実。
 誰かが俺の名を呼ぶたびに胸に湧く、この想いだけを抱えて。
 俺には、見届けなくちゃいけないモノがある。アイツの分まで。
 そう誓ったあの日から。
 運命とか宿命とか……総て、どうだって良かったんだ。
 
 ほんの小さな奇跡すら信じようとはしていなかったのかもしれない。彼に逢うまでは――。
 
□■紅蓮の蕾

 一人でも行ける。もっと遠くへ。
 強く、強く、いつか咲き誇る為に。
 総て忘れたかった。楽しい思い出は途方もなく遠く、あの天辺の向こう。
 綺羅と輝くそれに手を伸ばし掴もうとしても空を斬り裂き、無色の風を掻き雑ぜるだけ。
 頭の上に広がるのは夜空じゃない。あれは銀河という川の流れる宇宙。
 私たちはどんな時も無限に包まれている。
 其の中で疾(はや)く、疾く大人になりたかった。

 私はいつもいつも、ここではない何処かへ行きたかった。
 けれど、それが何処なのか自分自身わからなかった。
 或いは、そうして歩き続けていないと立っていることさえ出来なかったのかもしれない。
 立ち止まったらたちまち闇に支配されてしまいそうだったから。
 前後左右、止むことなく無限がこの身を引っ張る。それに逆らいながら、時には身を委ねて。

 瞼の裏にはあの日の紅。咲いた途端に朽ちた、たった一つの。
 紅い、紅い、過去の記憶。
 いつか、私はそこへと還る。その為に歩いていた。

 奇跡なんて必要ない。私はいつも闘っていた。あの日から――。


□■

 11月上旬――。
 体育祭以降、瓦笥(かわらけ)色に深まる季節に同調するように穏静としていた校舎が久しぶりに活気づいていた。
 久住・良平(くずみ・りょうへい)にとっては高校に入って初めての文化祭である。
 生徒の、創造力に満ちた芸術文化活動を多彩に展開できるようにと、生徒会を中心に活動のほとんどが生徒達の手により進められる。
 『伝統文化を継承し、新たな文化を創造する力を育てる』基本方針は毎年こんな感じだった。
 準備が面倒だとかカッタルイとか斜に構えてみたりして愚痴を漏らしても、やはりイベントは心浮き立つもの。
 学校全体がどことなくソワソワとした空気に包まれている。
 例に漏れず良平もそんな日々を過ごしていたが、彼は元来素直に出来ている。もっと噛み砕いて言うなら“単純”だ。
 喜怒哀楽――彼が惜しみなく表情や態度に表す感情はどんな時もストレートど真ん中。
 周囲と同じテンションじゃないと「カッコ悪い」などと本心を包み隠したり装ったり……そんな芸当は持ち合わせていない。
 四角いコンクリートに収まって、枠に縁取られた無表情な空を眺めているのなんかは根っから性に合わない。
 お祭り騒ぎ大歓迎。
 人懐っこく何にでも首を突っ込む性分から、あちこちで助っ人を買って出てしまい、気付けばスケジュールぎっしり。まるで売れっ子アイドル並みの多忙の身となっていた。
 とは言え、その多くは大道具やら買出しといった体力勝負の裏方。そもそも頭を使うことには長けていない。
 成績表を広げて見せたなら悲しいかな、可愛らしい数字が仲良くずらっと並んでいる状態だったりする。
 未だに各運動部からの勧誘が熱烈に続いている程の身体能力のお陰で体育だけは実に立派な成績で、学年と言わず全国で比較してもトップクラスであろう。
 おまけに付け加えて『弁当の時間』にも成績がつくなら、これも恐らく校内でトップに君臨することだろう。そのスピードもやっつける量も半端ではない。
 並外れた量の燃料を補給している分、常に必要以上に元気だが燃費はよろしくない。
 瞬発力には自信があるが、持久力となれば心許無い、そんな感じだ。
 そんな訳で良平のバイト代はそのほとんどが食費へと消えて、常に安定して素寒貧……こんな事で安定していても嬉しくはないのだが。

 文化祭当日、良平の忙しさのピークは前日から午前中にかけてだった。
 特に昨日は特別に許可を得て、校内に残り、22時近くまで仲間らと作業に追われていた。
 本来なら静かな場所を見つけて秋草と寝転ぶなんて洒落こみたい所だったが何しろ多忙の身。
 そうは問屋が卸さない。
 何だかんだと呼びつけられては走り回るハメになっていた。
 身体を動かすのは嫌いじゃない。寧ろどんなに過酷でも教室で暇を持て余し、耳を撫で過ぎる教師の子守唄に引き摺られ眠気と格闘するよりはずっと良かった。
 多くの場合は敗北宣言を出して夢の中で駆け回っていたりするのだが。
 そんな状態が続き、ようやく落ち着けたのが昼過ぎ。
 半ば強引に押し付けられた照明の仕事だったが良平にとってはやっと一息つける、そんな思いだった。
 少なくとも、ここにいれば他の仕事が回ってくる事はない。
「へぇ…能楽……」
 上演されるのは能のようだ。手渡された用紙に目を通しながらアンパンをかじる。
 良平の横にはビニール袋に詰め込まれた大量のパン。パンや飲み物と交換で仕事を引き受けているうちに、いつしか山となっていたのだ。
 例え彼が無償で快く引き受けようとも燃料が切れてはエンストしてしまう。
 流石と言うべきか、その辺を学友達はよく心得ているようで、良平から要求するわけでもなく当然のように貢物が添えられていた。
「メインはサスペンション(ライト)だからこっちは難しくないからさ、頼むな」
「へいへーい」
 依頼主の先輩の言葉に3つ目の焼きそばパンに手を伸ばし生返事を返す。
 能だ何だと言ってみても所詮は文化祭レベルだと軽い気持ちであったのは否めない。
 そもそも良平にしてみれば能も狂言も歌舞伎も違いが判らない状態だ。世間一般的な知識しかない。
 いや、端的に言えば疎いであろう。ごく一般の高校生ならばそれが普通である。
 当然ながら興味がある訳でもなく、遣っ付け仕事と言えば聞こえは悪いが、それに近い心構えに過ぎなかった。
 実際、慣れないながらも気負うでもなくパンを頬張りながら淡々と照明の役割をこなし、舞台へと視線を向けていた。
 能は照明や舞台演出が派手に行われるわけではない。先輩の残した言葉通りシンプルな作業だった。

 初めて能を目の当たりにした彼にとって舞台(そこ)はあまりにも遠い空間に感じられた。
 見慣れた景趣でない事だけが多少の好奇を呼び、授業よりは断然マシだとは思ったのだが。
 そんな良平の目を惹き付け捉えたのは、最後の演目『羽衣』の天女(シテ)。
 題材は比較的に馴染み深い羽衣伝説で、物語の筋はいたって単純なもの。
 それ故に、あまりにも純粋に作られたこの曲は演じるのが難しいものの一つと言われる。
 端正で気品のある表情の面はどこか突き放すような冷たさもあり、俗眼でも甚く人間離れした……神秘的とでも言うのだろうか、そんな風懐を感じさせる。
 芸術としてではなく女性の美として鑑みた場合、今時の男子高生の美意識でこの舞台上の天女を一瞥して美しいと感じるかと言えば、恐らく答えはNOだろう。
 しかし良平は天女の美しさに息を呑んだ。何故か目を逸らせない。
 一片の穢れのない天人。
 高められ浮遊する魂の発露が迫ってくる、そんな不思議な感覚だった。
 抑制された奥底に強いエネルギーが秘められている――。
 ただそこに在るだけでアンバランスな緊張感が伝わってくる。
 

 月のかつらの身を分けて

 かりにあずまのするが舞

 世に伝えたる曲とかや


 天女の無垢で清らかな舞はたおやかに流れ、研ぎ澄まされた面と相まって別世界へと誘(いざな)う。華麗な舞に息を止めて見蕩れた。
 実際に束の間、良平は息をするのを忘れた。
 忘れたというよりは“出来なかった”と言うべきか。
 初めて能を鑑賞した俗士の良平に舞の良し悪しが判った訳ではないのだが何故か強く惹かれた。
 心の琴線が爪弾かれて音韻を響かせた気がした――良平自身がそう思った訳ではないが、言葉で表すならそんな所だ。
 曲が終わった時、正直、物語などは覚えてはいなかったが天女の姿だけは強く印象に残っていた。
 無意識に大きく息を吐き出して、ふと手許を見れば握り潰されたメロンパンが無残な姿で収まっていた。
 僅かに顔を顰めて舌打ちをし、それを口に放り込むと足早にその場を後にする。

 心の赴くままに、気付けば控え室の前まで来ていた。
「失礼します」
 躊躇う事なくドアを開ける。
 良平の目に飛び込んできたのはまだ装束を纏ったまま面だけを外し、静かに振り返った氷川・笑也(ひかわ・しょうや)の姿。
 一学年上のその上級生には見覚えがあった。
「あー……っと……」
 面喰らった良平は咄嗟に言葉が出ず狼狽えた。
 装束を見れば、目の前の笑也が先程舞った天女だと言うのは聞くまでもなく明らかである。
 しかし、良平は今の今まであの天女は女生徒が舞っていたのだと思っていたのだ。
「えーっと……さっきの舞、センパイですよね? 俺、今まで上で照明やってて……いや、それはどうでもいいか。えっと、とにかく能を観たのは初めてだったけど、すげー綺麗だったって言うか、メロンパン握り潰しちまうくらい感動しました!」
 意を決し、それでも些か緊張しながら素直な言葉を述べてみたのだが、
「…………」
 笑也は表情を変えるでもなく軽く頭を下げただけ。
「俺、女が舞ってるんだと思ってたんですけど先輩だったんすね……ちょっとビックリしたっつーか」
 言葉を続ける良平に笑也は微笑むでもなくただ視線を向けている。
 逆に面をつけている時の方が表情豊かであったのではないだろうか。
「俺が食いモン手にしてるのに、それを忘れるなんて、すげー事なんすよ。って自分で言うのも変か……。ホント、圧倒されたって言うか……」
 思いつくまま言葉を並べて感動を伝えようとする良平だが、やはり笑也の表情は動かない。
 ゆっくり振り返り、床に置かれた鞄から何かを取り出すと、ツイと手を差し出した。
「飴? 貰っていいんすか?」
 胸元に差し出された笑也の手の平に乗っていたノド飴に手を伸ばして受け取り、礼を言うとポケットに突っ込んだ。
 良平がメロンパンを引き合いに出して語ったので、何か食べ物をと思ったが生憎持ち合わせがノド飴しか無かったのだ。
 まるで通り道で捨て猫や捨て犬に施すような感じであったが、実際そんな感覚だったかもしれない。
 何しろ相手は尻尾を振ってじゃれ付いて来た犬そのものである。
「それで、センパイってやっぱ普段から能を……」
「装束を脱ぎたいのだが……」
「あ。着替えの邪魔っすね。すんません……っ」
 良平は頭を掻くとお辞儀をして慌てて控え室を出た。

 何だか消化不良だ。
 ――不思議な人。それがこの時の良平の笑也への印象。
 待ち構える仕事の山を思い、大きく嘆息を漏らしポケットに手を突っ込むと足を踏み出した。
「?」
 ポケットの中のノド飴に気付き取り出して目の前でまじまじと眺めてみる。
「別に嫌われたワケじゃないんだよな」
 笑也に貰ったノド飴をもう一度ポケットに押し入れて小走りで級友の元へと戻って行った。

 その日以来、良平は校内で笑也を何度も見掛けた。
 日に一度は必ずと言って良いほどの確率で見掛けていたのだが、それは良平がつい笑也の姿を探してしまっていた所為かもしれない。
 笑也はどんな場面でも無表情のままで、彼の感情を感じ取れる事は一度もなかった。
 だからだろうか、余計気になる。
 良平はポケットに仕舞い込んだままのノド飴を時折出しては包みを開けようとして、再びポケットに戻す事を繰り返していた。
 この飴は笑也とのたった一つの繋がりなのだ。そう思うと何故か口にする気になれなかった。

 年が明けて2ヶ月と少し過ぎた頃――。
 暦の上ではもうすぐ春だが、風はまだ冷たく寒さも厳しい。
 そんな寒空の下でバイト帰りの良平は困り果てていた。
「そんな顔すんなよー」
 くぅん、と鼻を鳴らす仔犬を抱き上げ頭を撫でてやる。モコモコの柔らかい毛の奥はじんと温かかったが毛先は寒風に当てられ冷え切っていた。
 バイト先のコンビニの裏で捨てられた仔犬を発見したのは20分程前。このまま見過ごして帰る事も出来ずに、かと言ってこれ以上犬も猫も増やせない。
「だから、俺は飼ってやれないんだってば……」
 甘えて足許に擦り寄ってくる仔犬に言葉を掛けるが、一方で自分にも言い聞かせているのかもしれない。
「飼うのか?」
 背後から聞こえた声に良平は驚いた。
 それは突然言葉を掛けられたからだけではなく、その声に聞き覚えがあったのだ。
「ひ、かわセンパイ……」
 見上げた良平が思わず漏らした声は素っ頓狂なものになっていた。
「飼ってやりたいんだけど俺んトコもう定員オーバーで……」
「……」
「でも見ちゃったら放って帰れなくて、こんな寒いしさ……コイツ震えてるんすよ」
 良平は両脇に手を入れ抱き上げた仔犬を笑也へと向ける。
 仔犬はされるがまま手足をびろーんと伸ばし、笑也へ腹を向けたままプリプリと短い尻尾を振っている。
「すげー、人懐っこいんすけどね。……メスなんすよ。飼い主探すにしてもメスだと見付かり難いっすよね」 
 暫く仔犬を見詰めていた笑也の口から静かな声音で紡がれた言葉。
「……飼えないなら俺が家に連れて帰っていいか?」
 それは良平にとって意外な申し出だった。笑也が何かに興味を示したり心に掛けるなどとは思っていなかったのだ。
「へ? 氷川センパイ…コイツ飼ってくれるんすか?」
「お前がそれで良ければ」
「勿論っすよ! センパイありがとうございますっ! おい、良かったなチビ!」
 無邪気に喜ぶ良平が仔犬に思いっきり頬擦りする姿は、まるで大きな犬と仔犬がじゃれているように見えた。
「センパイ、犬好きなんすか?」
「……別に。……妹が喜ぶと思う」
 照れ隠しのように普段よりずっと小さく呟いた笑也の様子に口許を緩めた良平が仔犬を彼に渡した。
「つまりセンパイは、犬好きで妹思いってコトっすね」
 仔犬を抱えたまま黙って背を向けて歩き出した笑也に大きく手を振る。
「今度、そいつに会いに行っていいっすかー? センパイおやすみなさーい!」
 笑也の姿が角に消えるまで見送った良平は鼻歌を口遊み家路についた。
 自然に笑みが浮かぶ。
(「やっぱ氷川センパイ好きだな」)
 そしてポケットから取りだしたあの日のノド飴を口へと放り込んだ。
「巨峰〜!!!」
 予想外にフルーティな味に驚かされた。
「ははは。巨峰ノド飴……やっぱ不思議な人だ」

 それは彼の手の平の奇跡――。
 




=了=




■■□□
 ライターより

 久住良平様、氷川笑也様、こんにちは。幸護(こうもり)です。

 こんな感じに仕上がりましたが如何でしょうか?
 お二人の出会いという事で、冒頭にそれぞれの思いなどを幸護なりに書いてみました。
 
 少々不安なのが良平さんの口調(敬語)です(汗)
 あまり堅ッ苦しく話すイメージではなかったし、出会いという事でフレンドリーでもないなぁと。
 イメージと違いましたら申し訳ありません。
 その際はこそっとご連絡下さいませ。以後、気をつけさせて頂きます。

 それから仔犬ちゃん。
 勝手に女の子にしてしまいましたが宜しかったでしょうか(滝汗)
 笑也さんの妹さんに可愛がって貰う図を想像しながら、甘えん坊で懐っこい子にしました。
 捨てられッ子ちゃんですが、ぷくぷく太ったイメージです(笑)

 今回は書かせて頂きまして本当に有難う御座いました。


 幸護。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
幸護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年04月13日

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