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『time killing 』
上総・辰巳2681

 ずしりと手首から先の過重、馴染んだ重さ。
「陳腐だが、お前でも分かるように言ってやろう」
オートマティックのベレッタM8045、幾ら精巧に作り上げてもモデルガンでは醸し出せない本物の質感が、艶めかしい死の気配を纏って、上総辰巳の手の内にあった。
「降伏か、死か。選べ」
簡潔な二者択一、二つだけの選択肢。
 銀の銃身に街灯の灯りを滑らせて、銃口の角度が変わる。
 銃弾より先に辰巳の金色の瞳が、目の前の存在を射抜いた。
「す……」
柳の下で、左前に白い着物を身に着けた痩せこけた男が、その場で正座した。
「スミマセン、ゴメンナサイ、出来心なんです、もうしません〜ッ!」
ご丁寧に三角の布まで額に巻き付けて。
 幽霊を装ってストーキングに励んでいた21歳・無職の男は、こうして柳の下から陽の下に引き出され、その悪質な行為の非を法の裁きに委ねられる事となった。


「怪奇事件じゃなかったのか……!」
報告を受けた草間武彦は、そう呻いてデスクに突っ伏した。
「他人をこき使うからだ」
辰巳は冷笑を浮かべ、後悔に苛まれる探偵の姿に溜飲を下す。
 たまたま草間興信所に依頼が詰まっていて、たまたま人手が足りなかった所に、たまたま暇潰しに訪れれば、仕事を押しつけられるのは必然だ。
 それが昨日の話である。
 迅速にも程がある早さで事後の報告に訪れた辰巳は、経費……とはいえ、依頼人の自宅への交通費の領収を草間に放った。
「当然、報酬とは別だろうな」
念を押しての確認に、草間は既に書き出してある明細を辰巳に見せた。
「当たり前だ。報酬と併せて、指定の口座に振り込む。内容に問題がなければ署名、捺印……」
ほいほいと気軽に仕事を割り振る割りに、草間興信所は報酬に関しては意外ときっちりしている上、明朗会計だ。
 規定の依頼料に心付けなどが付けば、それもしっかり調査員の懐に入るようになっている…だから儲からないのだろうけれど。
 そんなお人好しの草間相手に、金の件で揉める事態はあまり起こり得なかったのだが、たまに起こる事もある…今がそれだった。
「少ない」
明示された金額を、辰巳は一言で却下した。
「少ないってお前……ちゃんと規定の額だろうが」
「僕の能力を安く見積もって貰っちゃ困る。依頼の翌日のスピード解決に、興信所の株を上げたも同然、怪奇現象にだけ強いんじゃない草間興信所だと噂が拡がれば、お前好みの依頼が舞い込む可能性も高くなる」
辰巳は広げた片手の掌に、三本立てた指を添えた。
「いわば広告料だ」
「八割!? 暴利にも程があるぞ!」
狭い事務所内を貫く草間の叫びも当然である。
「調査員は一人、調査日数は半日。大した金額でもないだろう」
「だからってなぁ」
渋る草間に、辰巳はきっぱりと言い切った。
「別に僕は金には困ってないが、だからって指一本でも無駄に動かす気はない」
辰巳に退く様子は全くない。
 草間は、呻いて頭を抱えた。


 交渉は深夜に及び、報酬金額は五割に経費、そして当日の飲み代を草間が持つという事で決着がついた。
「お前がそんな金にがめついとは思ってなかったな」
最初は居酒屋、次にバー。合間に屋台のおでんを突き、互いの馴染みの店を交互に行き会うに、アルコールの血中濃度は着々と上がって行く。
 然るに、草間の発言が愚痴っぽくなってまうのは必然だろう…何につけ、本日のストレスの対象と飲んでいるワケだから。
 塾講師という定職に着いている分、収入の安定しない草間よりも地に足のついた生活を営んでいる辰巳の堅固な主張がどうしても解せないらしい。
「がめつい、は聞こえが悪い」
カラン、と琥珀に浮いた氷を鳴らし、辰巳はグラスを持ち上げた。
「自分の価値を正しく主張しただけだ」
最初にガツンとやっておいてから譲歩を示す……使い古されているだけに有効な、ある筋の方々が好んで使う手法である。
 だからと言って、知人にその無体な主張をされるのは精神衛生に甚だよろしくない。
「金だけが価値を示すものでもなかろうさ……」
頬杖をついた腕に頭の重みを預け、草間は眠たげに独言めいた言葉を吐き出した。
「目に見えて分かり易い価値、を挙げるなら先ず金だろう」
それを辰巳は素っ気ない持論で覆す。
「お前……なんか寂しいぞそれ」
「金がなきゃ始まらない事も多いからね」
ハードボイルドに憧れながらも人情味を捨てきれない、お人好しの探偵は主張を一蹴されて渋面になる。
 金がなければ始まらない事態に直面した際、始められない僻みではない、決して。
 最も、辰巳もただ金に汚いが故に意見ではない…勘当同然に実家を飛び出し、それに応じて縁は切れ、経済的に頼りになるのは自分の身のみである…本業以外の収入は全て貯金に充てている意外と堅実な一面は、この際はあまり関係がないが。
「金で解決しない事もあるぞ?」
それでも退かない草間に、辰巳は軽く眉を上げた。
「……それには同感」
押してふいと開いた扉に、草間が珍妙な表情で辰巳を見遣った。
「金だけで方のつかない事は、答えも多い」
酔いが回ったか。
 口をついて出た言葉は返らず、それに草間は興味を覚えたようで、頭を傾けた。
「例えば、なんだ?」
突っ込んだ問いに、ふと付き合ってみる気になったのもまた酔いのせいか。
 一息に琥珀を飲み干し、ことん、と氷だけになったグラスを置く。
「例えば……そうだな、時間」
抽象的な返答に、草間が面白そうに笑う。
「確かに金で買えないな」
「違う」
そしてその思い通りの返答に、辰巳もまた笑った。
「売れないだろう、どんな持て余してても」
だから貧乏興信所の依頼なんかを押しつけられる羽目になる、との辰巳の言に、その貧乏興信所の所長は憮然とへの字の口を曲げた。
「俺がお前の持て余した時間を買った事にならないか」
「破格値にも程があったけど」
それだも時間は確かに消費され、その代価の一部は快い酔いとして思考を暖める。
「草間」
「んー?」
呼んだ名に、鼻音が応えた。
「時間を殺すには、何が必要だろうな」
他愛ない思考がぽつりと形を得た、それだけの問い。
 時間、命、明確な形が無い癖に、縛り付ける理。
 出来の悪い問い掛けだ。授業中なら自分は先ずこう返答するだろう…「質問の定義を明確にして出直せ」と。
 その意味を掴みかねてか、草間は沈黙している…それをしばし待ち、辰巳は隣に座る男の息が寝息に変わっている事に気付いた。
「……」
辰巳は無言で、先まで草間の頭を支えていた、今はカウンターに投げ出された手を取った。
 持ち上げ、離すと力無くパタンと落ちる。
 辰巳は片手を上げ、ボトルでウィスキーを注文した。


 酔いに負けた草間が意識を取り戻したのは翌朝だった。
 辰巳は草間を捨て置いて、タクシーで帰宅した、とバーテンを務めていた老人に説明を受け、二日酔いに痛む頭を抱える。
 彼の馴染みだという店は酔い潰れた客を路上に放り出すような事はせず、多分、従業員の休憩に使われているだろう部屋に草間を上げて泊めてくれたようだ…酒を過ごすのは身体に悪い、とやんわりと釘を刺されて年甲斐に恐縮するしかなかったのだが。
 水と頭痛薬、それにトーストとハムエッグ、と理想的な軽食を乗せた盆を据えられて、その皿の下に一枚、長方形の紙が敷かれていたのを何気なく返し……草間は其処で固まった。
 びっしりと連なる高級酒の銘柄、それに応じた素敵なお値段。
「朝食分はサービスさせて頂きますので」
これだけ飲めば、店の上がりにも随分と貢献したろうな、と総計を確認するのを理性が拒否して草間は遠い目になる。
 それでも脳裏が弾き出した計算は紛れもない赤字…素直に八割の金額を出しておけばよかったかと後悔するがもう遅い。
 しばらく煙草の本数を減らして酒も控えて……どうにかその穴を埋めるべく、訪れる緊縮財政を思って草間は深く深く、息を吐き出した。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年04月12日

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