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『サクラ サク 』
橘・都昏2576


 橘都昏が通う中学校の近くには、そこそこのレベルの商業高校がある。自由な校風を売りにしている高校で、制服こそあるものの、その制服の改造はもとより、ピアスをはじめとしたアクセサリーや茶髪や化粧も黙認されているらしい。都昏はこれまで頻繁に、その高校の生徒とすれ違っていた。そして、何事をも達観し、冷徹でさえある都昏をして、「いいなあ」と思わせしめるものを、その高校の生徒たちは持っていた。べつに都昏は制服を改造したり過剰にお洒落をしたいといった欲求はないのだが、単純に自由はいいものだと考えていた。
 知らず、都昏はその高校を進む道の候補に入れていたらしい。今の学力を維持していたら、楽に入れる門なのだ。彼はある程度真面目に勉強していた。この夜も、今日出された数学の宿題を早めに終わらせようと、机に向かっているところだった。
 ――どの公式を使えばいいんだ? まったく、将来なんの役にも立たないくせに、種類だけはあるんだから……。
 都昏が厄介な発展問題で眉をひそめ、
 ――きっと明日、あいつ、聞いてくるな。
 この宿題のことで泣きついてくるであろうクラスメートの顔を思い浮かべ、
 ようやく解答の糸口を掴んだときだ。
「都昏!」
 ばぅん!
「夜桜だ! 夜桜を見に行くぞ!」
 荒々しく都昏の部屋のドアが開けられ、豪快な大声が侵入してきた。
 ――鍵、かけとくんだった。
 舌打ちも恨めしい目つきも、もう遅い。

 橘都昏というものは、人間ではない。家族以外に、ほとんどその真実を知るものはない。すすんで他人に話そうとも思えないからだ。それどころか、話せばつまらないことになるだろう。
 都昏が人間ではないのは、単純に、両親が人間ではないからである。
 橘家というものは、この世界ではない処から這い登ってきた魔の者たち。人間の精気を糧とする、淫魔というものである。

「……見てわかんないの? 僕、いま勉強中――」
「なァに人間みてェに真面目にベンキョなんかしてやがる。今は春だぞ。春は桜だ。もう明日には散っちまってるかもしらん。今見に行かンでいつ行くンだ、バァロゥ!」
 淫魔にもいろいろある。多くの人間を一目で骨抜きに出来るような美貌と、すらりと引き締まった体躯を持つ者が多い。しかし、いろいろある。都昏の父親は、剃りこみ入りの短髪に、盛り上がった筋肉を隠しもしない、所謂兄貴系だった。都昏の細い腕を掴み、ぐいとねじり上げる。たまらず都昏は立ち上がった。
「痛い痛い、離してよ!」
「あんたはん」
 都昏の抗議に静かに割りこんだ、細い美しい声に、粗暴な父の動きがぴたりと止まる。
 都昏の部屋の入口には、いつの間にやら現れたのか、都昏の母親が立っていた。
「そないに扱うて、都昏さんが可愛そうやおまへんか。腕、折れますえ。皆が皆、あんたはんみたいに頑丈や思わんでください」
「いや、こいつの乗りが悪……」
「…………」
「わかっ、わかったよ」
 父親がようやく手の力をゆるめ、都昏はしかめっ面で父の手を振り払った。
 しかめっ面のまま、都昏は出来る限りの抵抗をした。宿題をさっさと終わらせて、さっさと寝る予定があった。予定を狂わされるのはあまり好きではない。
「あいつを誘えばいいじゃない。そういうお祭り騒ぎ、好きでしょ」
「お友達のところにお泊まりに行かれはったんどす」
 母は動じず、ふうわりと微笑みながら切り返す。
 都昏の母親は――日本古来の淫魔と言えるかもしれない。いくつなのか、都昏も知らない。聞いても恐ろしい笑顔を返してくるだけだからだ。
 都昏は最後の望みが陥落したことで、覚悟を決めた。
 「あいつ」とは、都昏が常々煩わしく思っている、賑やかな妹のことだ。最後の望みをその妹にかけるのは多少不本意であったが、この両親が相手では手段など選んでいられない。
「……わかったよ。でも宿題、明日までのやつなんだ。あんまり長い間はいやだからね」
「よう都昏、その宿題出したやつってのは人間か?」
「……当たり前じゃないか……」
「なァんで大人しく人間の言いつけなんか守りやがる! 恥ずかしくねェんか!」
「何だよ、父さんだってあの俳優とだったら杯交わしてもいいって――痛い!」
「『帝王』はなァ、特別なんだよ!」
「はいはい、そんなら、早う行きましょう。早う行って、早う済ませたらよろしゅおす。それで構いまへんね、都昏さん?」
 ――訊いたって、答えなんかどうでもいいくせに。
 どのみち、連れていかれるのだ。父親に腕を掴まれ引きずられ、関節がどうにかなってしまってはつまらない。都昏は仕方なく頷き、行き先を両親に委ねた。


 都昏が連れてこられたのは、意外なほどに自宅から近いところだった。都昏は知らず通りすぎていたらしい児童公園に、桜が大小取り混ぜて20本あまりも植わっていたのだ。都昏の父が焦っていた通り、桜は満開を通り越し、散りはじめていた。大きいとは言えない児童公園の地面が、いちめんピンクに染まっている。か細い街灯の明かりが、夜桜とさくら色の地面を照らし出す――
「無粋なやつらだ」
 父親が、憮然とした声を上げた。
 この公園は、サラリーマンの宴会場には使われていなかったようだが――この辺りの町内会の集まりか、酒と煙草を覚え始めた少年たちに弄ばれたのだろう。さくら色の地面には、空き缶やスナック菓子の袋が散乱していた。ある桜の根元になどは、嘔吐の跡さえあった。
「にんげんは、鳥やおまへんえ。後は濁すものどす」
 都昏もその母も、なるべく地面を見ないようにした。
 桜に、月が架かっている。
 都昏の父が、どしんと桜の一本を蹴りつけた。彼は北海道の吹雪のように舞い散る花びらの下で、愉快そうに笑った。その様子を見た都昏の母は、ころころと笑った。こころはいつでもちっこい子供のまんま、ああいうところ、好きやわぁ――彼女は小さく呟いた。
「都昏さん」
「なに?」
「にんげんがお好き?」
 唐突に訊かれたせいもあるが、都昏は答えに詰まった。母親がどういう答えを望んでいるのか、よくわからなかった。わかるのは、母が本心からそう訊いているということだけだ。それがわかっているだけに、答えにこまっているのだが。
「……母さんは、嫌いなの?」
「きらい、言うたら――都昏さんは悲しむかしら」
「それは……」
「もう、ここに来てだいぶ経ちますわ。都昏さんも、こないに大きくなりはって。――手を伸ばせばすうぐそこに、おまんま在るんは便利どす。あたくしは、そう思とりますえ」
「……」
「都昏さんは、そうは思わへんね? そうでしょう?」
「……わからないんだ。みんな馬鹿だって思うのに、行きたい高校があるんだよ」
 都昏は母を見上げた。
「僕、変かな」
 ふるりふるり、母はゆっくり微笑みながら、かぶりを振った。
「時間はありますえ。にんげんよりも、ずうっとぎょうさん。都昏さんは、まだ14でしょう。わからんのは、当たり前どす。あたくしとあのひとでも、ようやっとわかりかけてきたころなんどすえ」
「……」
「オイ、都昏! 知ってるか! 桜の木の下にゃアな、死体が――」
「知ってるよ、もう。有名な話じゃないか」
 無邪気な父の叫び声に、真面目に巡らせていた思いはかき消された。都昏は眉をひそめながらも、父の言葉を冷静に遮る。
「ねえ」
「はい?」
「父さんと母さんが……初めてまともに『食べた』のは、いつ?」


 橘都昏が通う中学校の近くには、そこそこのレベルの商業高校がある。
 都昏はこれまで頻繁に、その高校の生徒とすれ違っていた。そして、何事をも達観し、冷徹でさえある都昏をして、「いいなあ」と思わせしめるものを、その高校の生徒たちは持っていた。
 薄化粧の、あの黒髪の女子生徒。去年は、都昏の中学にいた。
 ごくりと喉を鳴らす自分に、都昏は気がついていたのである。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
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2004年04月12日

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