『調べはアマリリス／凍った獣 』

東雲・紅牙（2835）

　砂でつくった獣が、壊れたらよかったのに。


「聞いているのか、紅牙」
「！」
　首をすくめる間もなかった。少年は強かに頭を叩かれ、黙りこみ、頭を抱えてうつむいた。黙りこみ――とは言っても、彼は口数が少ない性分で、口に出す言葉といえば返事くらいのものだった。なけなしの言葉が返ってこなかったために、頭領はそれなりに頭にきたらしい。
「もう一度はじめから説明しろ、とは言わんよな？」
「……言いません」
　紅い瞳の少年は、頭を抱えたまま短く答えた。
「よし」
　頭領は満足げに頷くと、少年の肩を掴み、ぐいと後ろの出入り口に向かって押しやった。
「行ってこい」
　冷たく重いドアを開けて、少年は出かけていった。

　影の中にあり、影の中に消える組織がある。正義も悪意も持たない、無色透明な組織だった。国や思想のしがらみにもとらわれず、どこが本拠地でどこが支部なのかも定かではない、有体に言ってしまえば、「或る組織」。
　満足出来る金さえ貰えば、一国の大統領でもスラム街のホームレスでも、誰でも消した。標的を消したあと、その存在を歴史そのものから消すことさえ出来た。謎めいた頭領が拾ってくる下手人の卵は、大概が異様かつ異常な能力を持っていて、磨けばするどく輝くものばかり。それも、まだ二桁にも満たないような年齢の卵を拾ってくるので、育て上げるのは容易かった。子供たちは、将来何の役にも立たない小中学校の教育を詰めこまれるあたりのディスクに、殺しや潜入や、自身が生き延びるための技術を詰めこまれた。
　紅い目の少年も、そういった卵の中のひとつだ。組織が温めている卵は数多かったが、頭領は特にその少年が気に入ったようだった。
　少年は、拾ったときにすでに血みどろであったからかもしれない。


　怒鳴られたり、叩かれたりするのは茶飯事なのだが――
　前にいたところもそうだったし、頭領はぶっきらぼうだが、自分を必要としてくれている気がする。今は亡き少年の両親は、少年を憎みさえしていたのだ。どちらがまだしもかは、天秤にかけるまでもなかった。
　そして、あの影の中を出たところで、身を寄せられるあてもない。
　素直に仕事をして、訓練をこなしてさえいたら、衣食住にはこまらない。
　少年は他にどうしようもなかったから、そこに在り続けた。
　ただ、仕事は、あまり好きではなかった。


　太った男は目を見開き、デスクやソファーにつまずきながら逃げ出した。
　目の前で、用心棒兼親友が細切れになったからだった。
　夜更けの居間で旨い酒を酌み交わしていたらば、突然、男の用心棒は呆けた表情で黙りこんだのだ――
「どうした？　もう酔ったのか？」
　男は笑いながら、親友を小突いた。
　親友の顔に、ぴぴぴと切れ目が入り――
　くちゃりねちゃりと、親友の大柄な身体は幾片もの肉塊となって、崩れ落ちたのだ。肥えた身体を震わせて、悲鳴さえ呑みこみ、男は走った。
　ドアを開け、廊下へ飛び出すのだ。そして玄関へ。玄関から外へ。助けを呼べ。
　外に飛び出せたのは、逸る気持ちのみ。
　男の身体は、何個かに分かれて廊下に崩れ落ちた。廊下と居間を繋ぐドアが開け放たれている。目を凝らせばようやく見えるほどに細い細い鋼糸が、そこに張り巡らされていた。
　ぴ、と鋼糸から血が滴る。

　しかし鋼糸に施された不可思議な呪によって、肉の断面は程よく焼かれ、血がいたずらに室内を汚すことはない。

　手際よく鋼糸を巻き取り、腰のポーチに収める。
　少年は、終始無言で、眉一つ動かさずに仕事を終えた。溜息さえつくことはなかった。
　かた・ん――
　ただその音には、すばやく反応した。無表情なままの目を、音がした方向へと向ける。そして、音もなく動いた。
　これは、影の中の任務なのだ。影の中にある影を見る人間はいない。いては、ならないのだ。
　少年が追うと、音は増え、大きくなった。短い悲鳴まで混じった。追い詰めたところで、少年は足を止め、小さく息を呑んだ。影の中の影を見てしまったのは――子供だ。
　男の子だった。


「やめて」
　男の子は必死になって哀願した。
「やめて！」
　そう言ったところで、何も未来は変わりはしないのに。
「やめてよう！」
　がぅるるるるる――


　部屋の隅でうずくまって頭を抱える男の子を見たとき、少年は満ち足りた夢のようなものを見た気がした。それまで石よりも無表情だったつめたい顔に、はっきりとした狼狽と、恐怖と、悲しみが宿った。
　何年か前に、こんな夢を見たような気がした。
　影に怯える子供の夢――

　銃声がし、少年が初めてそこで声を上げた。痛みのためだった。追い詰められた鼠が猫を噛んだ――子供は、金の装飾で飾り立てられたデリンジャーを、がたがたと震える両手で構え、ぶるぶると照準を合わせていた。
　銃はあの細切れになった男のものなのだ。
　この子供は、あの細切れになった男のものであるにちがいない。
　弾は少年の腕をかすめて、背後のサイドボードに置かれていたものを叩き壊した。かすり傷とはいえ、少年が仕事で怪我をしたのは久し振りのことだった。久し振りの痛みに、少年はよろめいた。
　よろめいたのは、少年だけではない。ゆらり、と――少年の影も一緒に揺らいだ。
「あ、」
　少年が悲鳴とは違う声を上げたときには――
　もう――
　影が影では、なくなっていた。
　がぅるるるるるる。
「や、やめろ！」
　少年はポーチからしまったばかりの鋼糸を取り出した。彼自身の影は一瞬振り返り、彼自身を嘲笑ったようだった。ざっ、と影はすぐに、『敵』に向き直る。牙を剥き、涎混じりの紅い血を滴らせながら、影は唸る。身構える。
「やめろッ！！」
　己の影を捕らえようと、少年は鋼糸を繰り出す。
　しかしそれは、影にすぎなかった。
　鋼糸はむなしく影を切り、くたりと床に落ちた。甲高い断末魔と血飛沫が上がった。
　ごりっ、
　小さな臓腑と眼球が少年に命中し、潰れて、でろりとした赤い塊と化す。
　ばりっ、
　がりっ。

　現場はあんまり汚すなって、言われてるのに。

　壁に飛び散った小さな子供を見て、少年は呆然と立ち尽くす。無表情ではあった。だが、感情が無いわけではなかった。彼は、のろのろと自分の手を見た。
　血みどろだ。
　あの日のように。
　自分のものではない髪の毛が、血と同様に手にこびりついている。少年は無言で、その血と髪の毛を拭おうと、服に手をやった。まとわりついた髪の毛の感触はいつだって不愉快だ。
　しかし、手を拭えるはずもない。服もまたぐっしょりと血で濡れているのだ。
「……」
　気づけば、調子が外れたオルゴールの音色が流れている。『アマリリス』だ。もっときれいな曲なのに、オルゴールが壊れているせいで、気分が悪くなるほど不気味な調べに変わっていた。
　デリンジャーの弾丸がサイドボードから叩き落したものが、オルゴールであったらしい。
　少年はそれを拾い上げたが、すぐに捨てた。
　何も言わず、彼は死に満ちた家を出た。あまり好きではない仕事は、もう終わりだ。帰ったら、『始末の始末班』の仕事を増やしたかどで、きっと怒られるだろう。誉められたことは一度もない。けれども、帰る場所であるのは確かだ。そこしか、彼が帰る場所はない。
　帰路につく少年のあとを、紅いような黒いような影が、音もなくついていく。


　姓は東雲、名は紅牙。
　それが、血塗られた牙が持つ名前であった。
　彼は砂で獣を作り上げることは、出来なかった。
　それから何十年経っても、出来ないままだった。




＜了＞

PCシチュエーションノベル（シングル）

モロクっち

東京怪談

2004年04月12日