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『燻る心 』
桜塚・金蝉2916)&蒼王・翼(2863)


 風もなく穏やかな天候だったが、現代の船舶には風力といった動力源は最早必要ない。
 凪いだ海の上を巨大な白の豪華客船、スノウ・ホワイトは細かな波を立てながら滑っていく。雲のない晴れた地中海の空は美しい。同じ色彩の、僅かに濃い海が途切れることなく地平の果てまで続いている。
 金蝉は涼やかな風に金色の髪をなびかせながら、客室の窓から流れていく景色を見ていた。無性に煙草が吸いたくなってポケットを探り1本取り出したが、横から伸びて来た腕がそれを攫っていく。
「客室での喫煙は厳禁だって注意を受けただろう?」
 振り返ると翼がしかめ面をして立っていた。取り上げた煙草を細く長い指で折り、足元の屑篭に投げ入れる。
 それを見て金蝉は無言の抗議をしたが、翼は目を合わせようとしなかった。取り付く島もない翼の態度に金蝉は小さく舌打ちをして、ボックスを持って立ち上がった。
「……外出て来る」
 ぶっきらぼうにそれだけ言うと、金蝉は特等客室の扉を開けて出ていった。背後で翼が盛大な溜息を吐いたのには気付かなかったふりをして。



 船の旅は嫌いではないが、どうにも窮屈だと金蝉は煙を吐きながら独り言ちた。特にこんな派手な客船では、強い酒は持ち込めないし、夜はドレスコードなんて服装指定のおまけ付き。今夜の服装は確かフォーマルだったか、と思い至って眉根を寄せた。――夕食後は出歩かないようにしよう。
 短くなった煙草を灰皿に押しつけて、金蝉は柵から体を離した。そろそろ昼食時だ。そう思って何とはなしに視線をぐるりと巡らせてみると、見慣れたプラチナブロンドの髪が目に入った。その隣りに、全く知らない男が立っているのも。
(誰だあれ……?)
 男は20代の半ば辺りで、スマートな美男子だった。光の射し方によって茶色く見える髪は綺麗に撫で付けられていて、切れ長の、けれども柔らかい雰囲気を持つ目は気品を漂わせている。一目で上流家庭の人間だとわかるような出で立ちだ。
 2人が並んでいるところはとても絵になっていて、周りの人間が少々羨ましげな目で彼らを見ていることが知れた。男は頻りに翼に何か話し掛けていて、翼はそれに対して曖昧な笑みを浮かべている。その表情を遠目に見て、金蝉は何故だか無性に腹立たしく思った。
(何やってんだ、あいつ)
 無意識に舌打ちをして、それと同時に足が進んでいた。突き動かされる衝動のままに2人の方へ歩み寄る。気付いた男が翼に視線で誰、と問うたのも気に食わなかった。
「ああ、えぇと……金蝉。こちらはわたしの父の会社の取引先の……」
「わたし?」
 普段は使わないその言葉を聞き返して、金蝉はハッと鼻で嘲笑った。苛々する。煙草が吸いたいと思った。でなければ、酒を。
 金蝉の横柄な態度に男は腹を立て、秀麗な眉をひそめて言った。
「君は一体何の権利があって、彼女にそんな失礼な態度を取るんだい?」
 どこまでも坊ちゃん育ちを匂わせるその口調に、金蝉はクツクツと喉で笑った。権利だと?んなもんが無けりゃ腹立てることも出来ないってのか。
「……人の女口説いといて、てめぇにどうこう言える筋合いがあんのかよ?」
 自分よりも僅かに低い位置にある顔を、思いっきり冷えた目で睨みつける。男は思わずたじろぎかけたが、それを何とか取り繕って、ふん、と鼻を鳴らして立ち去っていった。
 通路の向こうに消えていく男の背中を見送っても、何故か苛々は募るばかりだった。自分でもよくわからない感情が、薄い皮膚の一枚下を駆けずり回っている。何かのきっかけで簡単に破り出てきそうな、強い衝動。それをやり過ごそうと金蝉は体の脇で固く拳を握った。
 隣りで同じように男の後姿を見送っていた翼が、息を吐くのが聞こえた。
「助かった。しつこく付き纏われて困ってたところだ。……ありがとう」
 苦笑混じりの顔で見上げられて、感情の波が喉元まで競り上がって来たような気がした。腹が立つ。苛々して、仕方ない。
「礼なんて言ってんじゃねぇよ」
 気が付くと翼を壁に押し付けていた。視界に入った淡い色の唇に、噛みつくようなキスをする。舌を這わせた口内は、血の味がした。恐らく、歯が当たってどちらかの唇が切れたのだろう。
 思う様に貪って、それからようやく解放した。荒々しいくちづけに、どちらの息も乱れている。縫い止めた先は丁度デッキからは死角になるようで、幸い人に見られはしなかったようだった。
「な、んの……つもりだ……」
 浅い息を繰り返しながら翼はまず金蝉に尋ねた。見上げてくる瞳から怒りは感じられない。ただ、困惑だけが僅かに表れている。
 問われても、答えなんて出るはずがなかった。何のつもりも何も、意識してやったわけでもない。まるで頭に火がついたような感じだった。抑え切れないよくわからん衝動だと説明したところで、お前、納得できるのか?
 その答えに自分でも納得出来なくて、金蝉は自嘲の笑みを零した。不思議そうに青の瞳が見上げてきているのがわかったが、目は合わせなかった。合わせてしまったら、こんな納得出来ない答えでも口に出してしまいそうで。
「……昼飯、まだなんだよ」
 出来るだけ普通の声を作ってそう言うと、金蝉はくるりと体を反転させた。そうしてそのまま翼に背を向けて、足早に船内へと入っていく。背後でまた、翼の溜息が聞こえたような気がした。



 それっきり、2人の間でこの話題が昇ることはなかった。



                          ―了―

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東京怪談
2004年04月09日

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